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4.Heart to Heart

 山の端に消えていく夕陽を見ながら大柄な女が傾けたのは、久方ぶりのキングアーツ産ワインだった。
 ここ数日、ずっと張り詰めた日々が続いていたのだ。緊張感もそれなりに心地よくはあるが、続きすぎるのも考え物だ。
 二本目を空にした所でバルコニーに姿を見せたのは、このメガリの長である。
「王都の紹介状、書いておいたぞ。エレ」
「悪ィな。……呑むか?」
 突き出された三本目のワインに、アーデルベルトは小さく首を振ってみせた。
「遠慮しておこう」
 辺境のメガリといえども、こなすべき仕事は意外に多い。殊にここしばらくは細々とした雑用をこなしてくれる優秀な補佐官が出払っていたため、アーデルベルトの負担がなし崩し的に増えているのだ。
「……ダンは?」
 付き合いの悪い旧友に小さくため息を吐き、エレは三本目のコルクを引き抜いた。もはやグラスに注ぐのも面倒なのか、ラッパ飲みである。
「ウナイシュ島調査の資料を読み終えてから、ずっとケライノーの修理を手伝っている」
 軽い食事は取っていたようだが、それ以外に休みを取った様子もない。若さ故に出来る事なのだろうが……それにしても、ペース配分を無視した仕事ぶりだ。
「……見てらんねえな」
 このメガリに辿り着くまでもそうだった。
 そこまで無理矢理に力を振り絞る理由など、考えを巡らせるまでもない。そうしていないと、心の中を良くない物が満たしてしまうのだ。
 きっと。
「誘わなかったのか? 酒」
「断られるって分かってる奴誘うほど暇じゃねえよ」
 それに、そんな酒は確実に悪酔いするだろう。
 山の端に消える最後の赤い光にワインのボトルをかざし、エレは眩しげに目を細めてみせる。

 白銀の髪の少女が意識を取り戻した時、聞こえてきたのはぱちぱちという焚き火のはぜる音だ。
「ここは……」
 頭上では、大きく両手を広げた黒金の騎士がカモフラージュ用の布を張っていた。見よう見まねか意外なセンスがあったのか、焚き火の煙は布の内側で上手く散らされ、光も木々と騎士の体で上手く周囲から隠れているようだ。
「気が付いた?」
 身を起こそうとした所で眩暈を覚え、再び地面へと横になる。
「ああ……無理しないの」
 掛けられたのは、今日一日、空の上で聞き慣れた声。
「ひどい熱だったのよ。どうしたの? 風邪?」
 落下に近い状態から強引にバランスを立て直し、何とか山の端に着地したのが半日前のこと。さすがにその場でキャンプを張るのはまずいだろうと場所を移し、見よう見まねでセノーテの機体からそれらしき装備を取り出せば……気が付けば、こんな時間である。
「……恐らく、神術の反動です」
 イズミルを発つ前に使った大きな術の疲労が抜けていなかったのだろう。今まではだましだまし何とかしていたが、それも限界だったらしい。
「それって……義体の霊力不足ってやつ?」
 神術の行使に必要な霊力と呼ばれる力は、人の魂と生身に宿ると言われている。それ故、生身の割合が少ないキングアーツの義体使用者は、神術の威力や振り絞れる出力で不利になりがちだ。
 手足だけなら誤差程度でも、さすがに全身義体ともなるとその差は目に見えるほどになってくる。
「……見たんですね」
 はだけ気味になっていた胸元を見れば、相応の処置をしてくれた事はすぐに分かる。
 そしてカズネなら、触れるだけでセノーテの体が義体だという事も分かるだろう。
「すごく苦しそうだったから。気にしてたらごめん」
 病気とは無縁に見える全身義体だが、実の所は見かけほど万能ではない。内側の生身の部分が調子を悪くすることはあるし、生身のように発汗や発熱による防衛反応が起こせないぶん、一度調子を崩してしまえば長引く事も多い。
「いえ。……私は体内も神揚の培養体ですから、霊力の絶対力が少ないんだそうです」
 けれど、その術だけは成功させなければならなかったのだ。……例え、どれだけの反動が体に襲いかかってきたとしても。
「そっか……。じゃ、起きられるようになったら、栄養のある物たくさん食べないとね」
 カズネはそれ以上聞くこともなく、セノーテの手を取ると、傍らにぺたんと座り込んだ。治療系の神術でも使うのかとも思ったが、それきり言霊の詠唱を始める様子もない。
「あ。あたし、神術は使えないから。……理由は同じ」
 母親は全身義体だったし、神揚の民である父親も術はそれほど得意ではなかった。そんな二人の血を存分に受け継いだカズネだから、そちらに才能があろうはずもない。
「でもね……あたしが病気で寝込んだ時は、いつも母様や万里様がこうしてくれたのよ」
 不思議そうな顔で繋いだ手を見つめているセノーテに微笑むと、まだ力の入らないセノーテの手を金属の両手でそっと包み込む。
「二人がいない時は、ダンとかペトラとか、ミラコリだったけど」
 その習慣はカズネが大きくなり、滅多に病気をしなくなってからは自然となくなってしまったけれど……一人でベッドで寝ている時の心細さが軽くなった事だけは、今も心にしっかりと刻まれていた。
「……ペトラ」
「ペトラが気になる?」
 カズネとしては、さして思う所があったわけではない。初めて出会った時は町を案内する事に夢中だったし、戦場で出会った時の彼女の問いは、怒りで聞こえてはいなかった。
 けれど優しく問われたそのひと言に、セノーテはふいと顔をそむけてしまう。
「……どうして、私を?」
 答える代わりに口にしたのは、それとは関係のない質問だ。
 カズネこそ、セノーテを助ける理由がない。イサイアスの先遣隊はこの間にも着々とイズミルまでの行軍を続けているだろうし、今から夜通し走った所で彼らを追い抜くことは不可能だろう。
「あなたが元気になってくれないと、イズミルに間に合わないから」
 ここからイズミルの国境まで、恐らく徒歩で二日と少し。エイコーンの足では同じだけかかってしまうが、空を飛べば明日の朝発ったとしても、まだ十分に追い抜くことが出来る。
「……行くとは言っていませんよ」
 そもそも助けても大丈夫な理由であって、助けた理由そのものではない。
「そう? あの時、うんって言おうとしてくれたんじゃないの?」
 か細い手を鋼の手で包み込んだまま、カズネは穏やかに微笑んでいる。
「……さあ。どうだったでしょう」
 冷たいはずの金属の手は、なぜかほんのりと温かい。
 その理由が分からないセノーテを、少女は黙って見守っているだけだ。


続劇

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