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 それは、古い古い思い出。
「……ぐすっ」
 張られたばかりの石畳に跳ね返るのは、庭園の隅にうずくまった幼子の泣き声だ。透き通るような金髪はほつれ、涙でくしゃくしゃの顔は悔しさで真っ赤に染まっている。
「どうしたんだよ」
 そんな彼女に掛けられたのは、短い声。
 うずくまる女の子に影を落とすように立つ、彼女よりも少しだけ背の高い男の子だ。
「剣のおけいこ……母様に、全然勝てないの」
 女の子の足元に転がっているのは、手合わせ用の木剣だった。
 幼いながらも随分と使い込まれた剣だ。握りに巻かれた革は何度も巻き直された跡があるし、刃も幾度となく打ち合わされて無数の傷やへこみが刻まれている。
「もう、やだよぉ……」
 剣ダコに覆われた小さな手で溢れ出る涙を拭いながらの泣き言に、男の子はしばらく何かを考えていたようだが……やがて、意を決したかのように女の子の顔を覗き込む。
「じゃ、俺が力を貸してやるよ」
「……なに?」
「俺、秘密の力が使えるようになったんだぜ」
 余程凄い力なのだろうか。それとも、女の子の力になれる事が誇らしいのだろうか。
 そう口にした男の子の顔は、得意満面だ。
「ひみつのちから?」
「時間を巻き戻して、やり直し出来るんだって」
 けれど、得意満面な男の子の言葉の意味を理解していないのだろう。女の子は涙を止め、きょとんとした表情で目の前の男の子を見つめるだけだ。
「それがあったら……母様にも勝てるの?」
「勝てる勝てる」
 なにせ時を巻き戻すのだ。
 記憶も、経験もそのままに。
 同じ道を辿り、自分だけが新たな選択肢を選べるなら、同じ負けを喫するはずがない。
「ただ、だいしょう……ってのがあってな」
「だいしょー?」
 それは、女の子の知らない言葉だった。
 恐らくは男の子も教わった言葉をそのまま使っているだけなのだろう。発音を確かめるようにそれをゆっくりと口にして……。
「それを使ったら、俺のそんざいがれきしのそとに……」
 『そいつ』から聞いた話は難しくて、男の子は半分も理解出来ていなかった。理解出来たのは術の使い方と、代償がある事。そして、教わった事そのものを秘密にする事の三つだけ。
 母親や、面倒を見てくれる他のみんなにも内緒。
 ただ一人、目の前の女の子にだけ秘密を告げたのは……彼女が彼にとって一番の特別だったからだ。
「そんざ……? れきし……?」
 けれど、特別な彼女もその言葉が理解出来なかったのだろう。泣くことも忘れ、不思議そうな顔を小さく傾げてみせるだけ。
「んー。もう会えないって事……かな?」
「やだ!」
 男の子の体に小さな衝撃が加わったのは、半ば悲鳴じみた女の子の否定とほぼ同時だった。
「ダンがいなくなるの、やだぁ!」
 飛び付いてきた体を支えきれず、石畳に転がった男の子に馬乗りになったまま、女の子は再びわんわんと泣き始める。
 代償という言葉は分からなかった。
 その後の、存在が歴史の外に……という意味も。
 けれど男の子によって平易に訳された言葉だけは、すぐに理解する事が出来た。
「あたし、がんばるから! 母様に勝てるように、がんばるからぁ!」
 いなくならないで。
 その言葉を何度も何度も繰り返しながら、女の子は男の子の上で泣きじゃくる事をやめられない。
「分かったよ。なら、カズネがホントに困った時まで、秘密の力はとっといてやるからな……」
 胸元を涙でぐしゃぐしゃにされながら、男の子はイヤイヤを繰り返す女の子の金の髪を優しく撫でてやるのだった。





〜The last one step〜

第3話′『女王の帰還』




1.夢の相棒、現実の相棒

「ここは……」
 カズネが目を覚ましたのは、自室のベッドでも、大きな天蓋の下でもない。
 見慣れたトリスアギオンの、操縦席だ。
(そっか。カイトベイ伯父様の城を逃げて……)
 メガリ・イサイアスを抜け出したカズネ達は、城からの追跡を何とか振り切り……夜明け前に、ようやくイサイアス湖対岸の山中に身を隠す事が出来ていた。
 取れたのは短い仮眠だけだったが、それでも体は軽く、頭もいくらかすっきりとしている。
(そうだ……!)
 覚めた頭で改めて思い出した事と、装甲を叩く鈍い音が伝わってきたのは、ほぼ同時。トリスアギオンとの接続を復帰させて外を見れば、彼女の足元にいたのは……。
「起きましたか?」
 鞘に収まった短剣を片手にこちらを見上げる、白銀の髪の娘だった。
 もちろん攻撃の意思があるわけではない。短剣の柄頭でもう一度装甲を突き、機体の内側に声代わりの衝撃を送ってくる。
 ダメージがあるわけではないが、そうガンガン叩かれても敵わない。
「……何?」
 だが、返答を兼ねて外部スピーカーで向けた声は、自分で思った以上にぶっきらぼうなひと言だった。
「朝ご飯。……食べないのですか?」
 もっとも相手の言葉も、それに負けないほどに愛想の無い物だったけれど。


続劇

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