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4.水都暗雲

 マグナ・エクリシアから大回廊を通り、ひたすら北へ。
 かつては輸送用アームコートで数日を要した道のりも、空路を急げば一日もかからない。
「ここが……メガリ・イサイアス」
 キングアーツ最大の湖である、イサイアス湖のほとり。
 滅びの原野開拓の前線基地としての役割を終えた彼の地は、今は大回廊交易のキングアーツ側の玄関口として往事とは別の喧騒に満ちあふれている。
 ……はずだったのだが。
「どう見る? カズネ」
 市の雑踏を歩きながらのエレの問いに、カズネは眉をひそめるだけだ。
「うん……」
 街の繁栄の様子だけなら、イズミルと大した違いはない。神揚との交易品や、キングアーツの各地からの珍しい品々。市に立つ商人の割合はキングアーツ人が多いようだが、それはメガリ・イサイアスの立ち位置を考えれば当たり前の話だろう。
 けれど気になるのは、そんな所ではない。
「なんか、ピリピリしてる……嫌な感じ」
 喧騒の中に交じるのは、どこか落ち着かない感覚だ。抜き身の刃を突き付けられた時のような、マグナ・エクリシアでハーピー達を相手にしていた時のような……。
「あんまりキョロキョロすんな。怪しまれるぞ」
 苛立たしげに呟いてカズネの帽子をぽんと叩くのは、傍らを歩いていた大柄な少年だ。
 カズネの長い金髪は、この雑踏の中でもひときわ目立つ。
 それを隠すために髪はまとめてキャスケットに押し込み、ダン達も目立たないようにフードを被っているというのに……振る舞いで怪しまれては元も子もない。
「分かってるわよ。うるさいわね……」
「……痴話喧嘩は他所でやれ。ヴァルと一緒に残ってても良かったんだぞ」
 街に出たのは、エレとカズネ、ダンの三人だけ。ヴァルキュリアは何かの時に備え、二人の娘や空賊の部下達とオルエースに残っている。
「そういうのじゃ……むぐ」
「だから、でかい声出すんじゃねえよ。着いたぞ」
 今度はエレがカズネの帽子を押さえつけ、その足と口を止めてみせた。
 キャスケットの広いつばの下、カズネが見上げた看板は……。
「月の大樹亭……酒場?」
 古びた木の板に刻みつけられた、酒瓶と杯を示す紋章だ。


 カウンターでエレが二、三言を話した後。三人が通されたのは、奥まった所にある一室だった。
 分厚い木の扉を開ければ、中で三人を待っていたのは……。
「お久しぶりです、姫様。スーダンス君」
「プレセア……!」
 少女達の姿に口元を綻ばせる、仮面の女性であった。
「プレセアさん、イサイアスにいらしたんですか」
 促されるまま卓を囲む椅子に着き、ダンも久しぶりの再会に相好を崩す。
 イズミルにも強い影響力を持つ商家に属する彼女は、神揚出身のタロと同様に大陸各地を飛び回っている。車椅子頼りで自らの足では歩けない点を考えるなら、その行動力はタロ以上かもしれなかった。
「少し所用でね。それにしても……よくもまあ、このタイミングで顔を出せたものね。エレ」
「分かってたからここにいたんだろうが。良く言うぜ」
 ひとしきり再会を喜んだ後、プレセアが卓の上に取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。
「これ……手配書?」
「空中海賊、イズミルの姫君を攫って目下逃走中……」
 複写神術で写し取られたらしきそれに描かれているのは、鬼のような形相の数体の生き物と、目を見開くような賞金額だ。
「早ええなオイ。イクス商会はこんな事まですんのか?」
「軍部から出回った情報ですわ。商会の通信機は非常事態だそうで、封鎖されていますの」
 報奨金の額に加えて、姫君の誘拐などという派手な事件でもある。恐らくメガリ・イサイアスにいる者で、知らない者はいないはずだ。
 それでも彼女達が捕まらなかったのは、エレ達の仕業と特定されていない事と、あまりにも適当に描かれた手配書の姿絵のおかげだろう。
「面白くなってきたじゃねえか。空賊なら、このくらいでけえ事しねえとな」
 だが、手配書と聞いて不安そうな顔をしているカズネやダンとは対照的に、エレはむしろ満面の笑顔を浮かべていた。
「……私掠船と空賊は違うと何度言えば」
 エレ自身は空賊を名乗っているが、実際には空賊ではなく私掠船だ。活動資金を提供する側としては、そこをはき違えて欲しくはないのだが……。
「またベッドの上で説明してくれんのか?」
 この女相手へのそれは、馬の耳に祖先への礼を説くような物だろう。
「……もう結構ですわ。それより、本題に入りましょうか。お互い時間は大事でしょう?」
 プレセアは小さくため息を吐き、車椅子の引き出しに羊皮紙の手配書を収めてみせる。

「……とりあえず、公国領に戻るのは危険ですわね」
 話を聞き終えたプレセアが最初に口にしたのは、そのひと言だ。
 マグナ・エクリシアとイズミルが正体不明の『何か』の手に落ちたなら、南の国境も同じ状況になっている可能性が高い。
 今のところ商人の情報網にもそんな不穏な噂は流れていないが、陸路中心のタイムラグがあるだけだろう。あと数日もすればイサイアスはその話で持ちきりになってしまうはずだ。
「なら、やっぱりグランアーツに?」
 だが、プレセアはその言葉にも静かに首を振るだけだ。
「それもやめておいた方がいいですわ。……ここに来るまでに、何か感じませんでした?」
「うん。なんだか……ピリピリしてた」
 それが何を示すものか、カズネには分からない。
 ただ漠然と嫌な予感と不穏な空気を感じ取っただけだ。
「でも、これって何なの?」
 カズネがそんな空気を感じたのは初めてだった。世界はこの十数年の間、ずっと平穏を保ってきたからだ。
「そうか。姫様たちは、これが何か分かりませんのね……」
 それが良い事なのか良くない事なのか。
 自分達のしてきた事の成果の是非に思考を向けたプレセアに代わって言葉を継いだのは、エレだった。
「戦争だよ」
 そう言われても、やはりカズネにもダンにもピンとこない。
「戦争って、どこと……」
「おいおい、本気で言ってるのかよ。ダン」
「だって、イサイアスから攻められるような所なんて……」
 メガリ・イサイアスはキングアーツ南部のほぼ中央に位置する。周囲にあるのは自国領ばかりで、後は人の存在しない滅びの原野があるくらいだ。
 他に攻撃を仕掛けられるような他国など……。
「……それでいいんだよ」
 短いエレの肯定に、少年は思わず息を呑む。
「ねえ、どういう事? プレセア」
「イサイアスの最寄りの他国は、どこになります?」
「他国って……イズミル?」
 メガリ・イサイアスは大回廊を使った南北交易の玄関口。当たり前だが、大回廊を介して大陸中央のイズミルと繋がっている。
「正解。……正確に言えば、イサイアスが狙っているのは、クーデター真っ最中のマグナ・エクリシアですわね」
「え、だってキングアーツとイズミルは……」
 イズミル公国は、キングアーツと神揚から信任された二人の女王が治める地だ。南北を治める二つの大国の緩衝材として存在し、両国とはもちろん同盟関係にある。
 どうしてそんな国を、キングアーツが攻める必要があるのか。
「キングアーツが、キングアーツだからですわ」
「……キングアーツだから?」
 プレセアの漠然とした答えの意味が、カズネには全く分からない。
「今のところ、イサイアスを治めるカイトベイ公に圧力を掛けてはいますけれど……」
「カイトベイ伯父様に……」
 こうならないよう、プレセア達は外交や商談を通じて様々な力関係を調整してきたのだ。しかしイズミルの現状を知れば、キングアーツが動き出すのは時間の問題だろう。
「……けど、いくら何でも動きが早すぎるだろ。軍部は通信出来るって言っても、昨日の今日だぞ?」
 戦には多くの物資が必要となる。エレ達のような少数行動ならともかく、今日集め、明日出発、というわけにはいかないのだ。
 しかしエレが目にした今のイサイアスは、それこそ決戦前夜といった空気さえ漂わせていた。
「内通者がいるのでしょう」
「……内通者」
 キングアーツと通じて、イズミルを王国に差し出そうとしている者がいる、という事か。
「そうでなければ、説明が付きませんわ」
 行方不明になったソフィア。
 イズミルとマグナ・エクリシアの異変。
 着々と準備を進めるメガリ・イサイアス。
 あまりにも出来すぎた流れだ。
 むしろ全てが何らかの意図の下に進み、一点に収束しつつある……そう考える方が自然だろう。
「だとしたら、誰が?」
「こちらも情報は集めていますけれど……」
 その問いには、プレセアも静かに首を振るだけだった。
 イクス商会は大陸全土にその商圏を広げつつあるが、その情報網も決して万能ではないのだ。
「だったらあたし達、これからどうすればいいの?」
 イズミルには戻れない。
 かといって王都に進む事も難しい。
 だが、手配書のばらまかれているメガリ・イサイアスに留まり続ける事にも意味はないだろう。事態は急速に悪化しているし、それこそカズネ達の存在がプレセアの動きにも悪い影響を及ぼしかねない。
 本当ならば裏で糸を引いている者を捕まえるのが一番なのだろうが、それを導き出すための情報も今の彼女達には足りなさすぎる。
「メガリ・ヘデントール」
 そこでダンの口から出たのは、西の半島に十年ほど前に建造された前線基地の名前だった。
「妥当なところでしょうね」
 中央からは離れているし、西域の濃い瘴気のせいで遅々として進まない開拓事情もあって、立ち寄る者も多くない。
「……アーデルベルトんとこか」
 何よりそこを指揮するのは、プレセア達の信頼出来る人物だ。身を隠すにせよ体勢を立て直すにせよ、うってつけの場所と言えるだろう。
「はい。それに、ウナイシュにも……」
「ダン!」
 そう言いかけたダンを遮るのは、金髪の少女の拒絶の声だ。
「けどよ……」
「今は何が大事か考えろって言ったの、ダンでしょ!」
 それでも何か言いたそうなダンに、ばん、と机を強く叩き、カズネは苛ついた様子でそれ以上の言葉を遮ってみせる。
「いいったらいいの! 次はメガリ・ヘデントールでアーデルベルトに会って、それから王都! ……これで決まりでしょ、エレ」
 ダンの言いたい事は、エレにもよく分かっていた。
 けれどカズネの反論も理解出来る。この場を冷静に判断するなら、むしろ彼女の言い分の方が正しい。
 感情ではなく、理性で判断するならば。
「……姫さんがいいんならな」
 故にプレセアは黙り、エレも小さく呟くのみ。
 理性と感情、どちらが正しいかを断じる事など意味がないと、二人ともよく知っていたからだ。
 ダンも本当はそれを分かっているのだろう。カズネの剣幕に反論する事もなく、黙っているだけだ。
「私はもうしばらく、カイトベイ公を押さえます。エレ、ヴァルちゃん達と二人の事はお願いしても?」
 それを会議の終わりと判断したか、プレセアは車椅子をわずかに引き、席を立つ動作の代わりとしてみせる。
「おう。次に会う時は、ヴァルと三人でゆっくり呑もうぜ」
「ヴァルちゃん、結構絡み酒なのよね……。そのくせすぐ惚気るし」
 二十年前、初めて会った時には想像も出来なかった光景だ。それだけ皆、時を重ねてきたという事なのだろう。
「それがいいんじゃねえか。じゃ、またな」


続劇

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