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「……あの娘は見つからんか……」
 玉座なき王の間に響くのは、静かな男の声だった。
 夜の闇の中。
 油の灯火も神術の明かりもないその広間には、幾つもの影がわだかまっている。
「アーレス・鏡を逃がしたのも、失策だったな」
「……良いではありませんか」
 男を穏やかにたしなめるのは、女の声だ。
 彼の言葉の端々には、気持ちを抑えようとしながらも隠しきれない苛立ちが宿っていた。長年を共に過ごして来た女には、それが手に取るように分かる。
「既に手は打ってあります」
 籠の外へ逃げたとて、結局は同じ事。
 それに籠から逃げられるのであれば、その外をさらに大きな檻で囲ってしまえば良い。
 脚輪を付け、リードで繋いでしまえば良い。
「全ては、我らが主の意のままに」
 女は小さく呟き、玉座なき広間でそっと片膝を着いてみせる。
 そこに蠢く闇は、彼女の言葉に答える事もなく、ただ静かにわだかまっているだけだ。





〜The last one step〜

第2話′『海賊と姫君』




1.マグナ・エクリシア

「カズネ。起きろー」
 少女が意識を取り戻したのは、そんな声が掛けられたから。
「……んぅ。まだ真っ暗じゃない、ダン」
 自分の部屋の暖かなベッドの中ではない。そこがトリスアギオンの操縦席で、掛けられたのが伝声管からの声だと思い出したのは……もう少し微睡むために毛布をたぐり寄せようとした手が、空しく宙を掻いたからだ。
「違う。マグナ・エクリシア、着いたぞ」
 そうだ。
 ここは、空の上。
 体が覚えた動きでトリスアギオンの動力を復帰させ、視界を自分の意識に繋げれば、彼方に見えたのは鋼鉄の城壁に覆われた要塞であった。
 彼女の母国たるイズミルと北の大国を隔てる国境に位置するそれは……かつて、メガリ・エクリシアと呼ばれていた場所だ。
 そして……。
「あ……」
 カズネが寝ぼけた頭で今に至る状況を思い出す間にも、頭上の翼と彼女の操縦席を繋ぐ伝声管からは少年の声が聞こえてくる。
「マグナ・エクリシア管制、聞こえるか」
 周囲の電波状況は良くないらしい。ノイズ混じりの通信機を交信用の周波数に合わせ、ダンは目の前の城塞へと呼びかける。
「こちらイズミル公国軍・近衛騎士団所属、スーダンス・ロマ少尉である。夜分遅くに申し訳ないが、火急の用件である。城内への入場と、環・ジョーレッセ大将かヴァルキュリア・ジョーレッセ補佐官への面会を要請する。繰り返す……」
 だが、定型の呼びかけを何度繰り返しても、管制からの応答は返ってこない。
「寝てるんじゃない?」
「そんなわけあるか。カズネじゃあるまいし」
 マグナ・エクリシアの城門は夜には閉じてしまうが、監視役も務める管制塔に休みはない。昨今は無断で国境を越える不法入国者や海賊行為を行なう武装商船も少なくないし、昨日遊びに来た時にも、城塞の主から警戒を厳にしていると聞いたばかりだ。
 カズネの反論を適当に聞き流しながらダンがもう一度呼びかけても、城塞からの返答はない。
「ねえ……」
 代わりに城塞の奥から響くのは、大気を鈍く揺らす重い衝撃の音だ。


「何だ!?」
「あれ、爆発だよ!」
 黒金の騎士の指差す方向には、夜の闇にもはっきりと分かるほどの煙が立ち上っていた。
「何か騒ぎって事か……?」
 それが何かは見当も付かないが……答えが示されたのは、ダンが行動を起こすよりはるかに先だ。
「カズネ、ダン!」
 通信機に飛び込んできたのは、悲鳴とノイズの交じった女の声。
「この声!」
「あそこ! 何か出てきた!」
 それと同時にカズネの指先に飛び出したのは、黒い翼だ。推進器の光も鮮やかに、マグナ・エクリシアの片隅から夜の空へと一直線に舞い上がる。
 カズネのエイコーンよりもはるかに厚い装甲と、それを飛翔させるための翼と大出力の推進器を備えた機体は、二人にも馴染みのあるものだった。
「ラーズグリズIII……ヴァルさん!?」
 機体を駆るのは、マグナ・エクリシアの長の補佐役にして、その夫人。たったいま二人に通信を送ってきた女性である。
「なんか狙われてる!?」
 黒い機体を追うように城壁から放たれるのは、対空砲火の光の群れ……神術弾と、夜間戦闘で通常弾の弾道を視認するための曳光弾だ。
「ダン!」
「おうよ!」
 伝声管から声が響くより早く、ダンは機体を加速させていた。
 マグナ・エクリシアには、巨大な壁がある。
 それはもともと対空戦がなく対地戦闘に特化するだけで良かったメガリ・エクリシア時代の名残なのだが、神揚との交易が始まって十数年。今はその城壁にも多くの対空火器が設えられ、空からの襲撃にも万全の体勢が整えられていた。
 それを知っているはずのヴァルがあえて空へと逃げたのは、そうするしかない理由があったからだろう。
(だとすれば、マグナ・エクリシアは……)
 浮かぶ思考を、伝声管から響くカズネの叫びが打ち消した。
 そうだ。
 考える事は、後でも出来る。
 今は目の前の事態を何とかすべきだろう。
「ヴァルさん、掩護します!」
「すまん! こちらは無理が出来ん、助かる!」
 ヴァルを襲う嵐のような対空砲火に割り込んだのは、カズネの駆る黒金の機体だった。構えていた大盾で弾丸の奔流を正面から受け止め、すぐに形を削られ始めたそれを砲火の源に向けて蹴り飛ばす。
「ついでに……これもだっ!」
 黒と金に彩られた大盾がその仕事を果たせなくなるより早く、ケライノーの翼から叩き付けられたのは白い光。夜を強く照らす閃光は辺り一面の視界を奪い、砲火の嵐を見当違いの方向へと逸らさせる。
「逃げるぞ!」
 黒い騎体に言われるまでもない。
 開いた城門からは追撃のトリスアギオンが姿を現していたし、防御の要となるエイコーンの大盾は失われた。ダンの目くらましも二度目は通用しないだろう。
 ダンもケライノーの黒い翼を翻し、ヴァルの機体を守るように進路を取る。
「……一体どうしたんですか? ヴァルさん」
「ああ。マグナ・エクリシアでクーデターが起きてな」
「クーデター!?」
 ヴァルの機体は彼女の動揺を映すかのように、どこか安定しないもの。その様子を見れば、どれほどの事が起きたのかは容易く想像が付く。
「環が抑えに回っているが……私もフリスとヴィーを連れて救援を呼びに出るので精一杯だった」
 双方の距離が縮まって、通信量に余裕が出来たからだろう。画面の端に映されたラーズグリズの操縦席では、二人の幼子がヴァルキュリアの膝上で身を寄せ合っていた。
 二人も良く知る、ヴァルキュリアの娘達である。
「……それで、ヴァルさんが」
 彼女の性格からすれば夫を置いて戦場を離れる事は考えられなかったが、二人がいるとなれば話は別だ。
 そして、彼女が戦場で無理は出来ないと言った理由も。
「もうしばらくすれば助けが来るはずだ。……少しだけ、持ちこたえてくれ」
「了解! ダン、やるわよ!」
 逃げるカズネ達を追ってくるのは、アームコート系の可変型が二機と、半人半鳥が三騎ほど。
(量産型ガルバインと、ハーピー……行けるか?)
 高速飛行に特化したガルバイン系の可変機は追跡には有利だが、空中戦には向いていない。半人半鳥の飛行神獣も運動性は高いが、もともと偵察用で戦闘用の騎体ではない。
 実質一対五という戦力差は決して有利な条件ではないが……致命的な組み合わせでは、ない。
「まずはハーピーから潰せ、カズネ!」
「分かった!」
 ダンはカズネの翼。
 カズネはダンの剣。
 エイコーンの連結器が自身の騎体としっかり繋がっている事を確かめて、ダンは周囲に目くらましの閃光を解き放つ。
「ダン、そんなのもう通じないでしょ!」
「いいんだよ! それより、ちゃんと加減しろよ!」
 閃光が通じないのは承知の上だ。
 牽制用の炎弾の言霊を口の中で転がしながら、ダンはケライノーの翼を大きく羽ばたかせる。


続劇

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