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6.奪われた翼

 普段はそうは見えなくとも、その場にいた誰もが激戦をくぐり抜けた歴戦の勇士。セノーテのひと言でそれまでの明るい空気は即座に影を潜め、程良い緊張の二文字がごく自然に辺りを支配する。
 やがて南の空に見えてきたのは、翼を備えた獅子の姿をした神獣の群れだった。血に染まったかのような九対の赤い翼は、どこか不吉な印象を抱かせるものだ。
「……電波妨害来てます。長距離思念も潰されてますね」
 どうやら相手は完全にこちらを叩く気らしい。
 既に近距離からの千茅の声にも、いくらかのノイズが交じり始めている。
「セキヨク型か……。何用だ!」
 無線機と同時に操縦席を震わせるのは、先頭にいた奉から放たれた思念の余波だ。
 高出力を維持出来る近距離通信ならば、妨害がされていても相手に届く。しかし近付いてくる九体の神獣は電波と思念、どちらの問いかけに答える事もなく、急速に高度を下げてきた。
 地面を掠めるほどの高さまで舞い降りた獅子の群れは、勢いを増して奉たちの隊列へと斬り込んでくる。
「……問答無用かよ!」
 陣を切り裂き、再上昇するそいつに牽制の炎弾を放っておいて、奉は自らの駆る九尾の黒狐に背中の刃を噛み構えさせた。
「リーティは空を抑えろ! 千茅はペトラの掩護、セノーテはこちらに付け! 出来るだけ生け捕れよ!」
「無茶言うなぁ」
 そうぼやきながらも、既にリーティは黒烏の神獣を上空へと舞い上がらせ、敵の頭上を押さえ込んでいる。マヴァは攻撃力に長けた騎体ではないが、スピードと小回りで数体の翼の獅子を翻弄し、攻撃を受ける気配もない。
「けど、どうして僕達の事が……?」
 向かってくる一体を双の刃で捌きながら、ペトラの頭に渦巻くのは疑念ばかりだ。
 彼がこの世界に現れたのは昨日の晩のこと。未来の知識を狙ってくる者がいたと仮定しても、敵が動くのが早すぎる。
「壁に耳ありって言いますし。……こういう事があるから、早めにイズミルを出たんですけど」
 千茅は翼の獅子を左の大盾で殴り倒し、既に二体目に取りかかっていた。彼女が駆るのは量産型のどうという事もない騎体だったが、使いこなせばこの程度の敵を捌く事など造作もない。
「……そちらに行ったぞ、ペトラ!」
 ペトラの騎体と同じく二本足に転じた九尾の黒狐も、一体の翼の獅子を両断し、彼の脇を駆け抜けた獅子に炎の弾丸を叩き付ける。炎の一撃に体勢を崩した騎体を、セノーテが駆るバルミュラの刀が切り裂いた。
 その斬撃は鋭く、迅い。
 二体目の翼の獅子も他愛なく切り伏せるバルミュラの動きは、どう見ても新人のそれではない。
「……っ!?」
 だからこそ、三体目の獅子と切り結んだ所でセノーテが体勢を崩したのは、ペトラにとっては予想外の展開だった。
「セノーテ!?」
「今、誰もいない所から攻撃が…………ッ!?」
 立ち上がろうとした所に、もう一撃。
 二撃、三撃と誰もいない場所で攻撃を食らい、翼の騎士は酔っ払いでもしたかのようにふらふらと機体を揺らす。
 見えない攻撃。
 それはもう随分と昔に使われなくなった技術であり……。
「……ホーオンか!」
 かつて奉達が苦渋を舐めさせられた神獣の特殊能力でもあった。


 黒大理に覆われたその世界に、空はない。
「行くのですか?」
 どこからともなく差し込む明かりを受けながら。女性の背中にに声を投げかけるのは、禿頭無毛の人物であった。
「ええ。……苦戦してるみたいだしね」
 長い金の髪を揺らし、その女は見送る者に朗らかな笑みを投げかける。見送り手よりもひと回り近く年を重ねているはずだが、その表情には齢と共に磨かれた輝きがしっかりと宿っていた。
「お気を付けて。……それと」
 彼女達を見送るのは、人工音声を発した人物ともう一人。
 大きな鷲の翼を備えた、神揚の娘である。
「分かってるわよ。必要以上の干渉はしないって」
 穏やかにそう答え、目の前の巨大な船へと歩いて行く。四方を黒大理の壁に囲まれたこの地で、巨大海獣に似た飛行神獣はいかにも窮屈そうに見える。
 けれど、それもここまでだ。
「なら、我々がこれ以上止める事は出来ません。……ご武運を」
「ありがと。色々助かったわ、二人とも!」
 金髪の女が手を振ると、それに応じるように海獣の正面に黒い輝きが生まれ、広がって……。
 ゲートの輝きが収まった後には、黒大理の世界から飛行鯨の姿は跡形もなく消え去っている。


 目の前で崩れ落ちるのは、燃える翼を備えたバルミュラだった。
 致命傷は与えられないのか、それともいたぶっているだけか。翼を折られ、手足を砕かれ……致命傷には至っていないようだが、既に戦う事は出来ないだろう。
「セノーテ……!」
 必死にフォローに入ろうとするが、まだ半数を残す翼の獅子たちに遮られ、誰一人として彼女の元へと近付くことが出来ずにいる。
「けど、なんでセノーテが……」
「分かりませんよ!」
 セノーテを除けば、飛べる騎体はリーティのマヴァだけだ。地上と空中の双方から波状攻撃で抑えられれば、いかに歴戦の奉たちでも容易に距離を詰められない。
 そして崩れた翼の騎士に掛けられたのは、辺りと同じ風景そのものだった。
「そういう新兵器まであるのか……。くそっ! 視覚神術は誰も使えんか……」
「匂いも変な匂いが邪魔して……!」
 かつてホーオンと戦った時には、普段は見えない光や音を使って見えない敵の存在を見破っていた。しかし今日はそんな特殊な視覚を備えた騎体は連れてきていないし、神獣の得意とする鼻も対策が取られている。
「……まだ何体かいるみたいですね」
 さらに言えば、姿の見えない神獣はセノーテを連れ去った数体だけではない。
 そして。
「上方に神術反応! 転移神術ですっ!」
 千茅からもたらされたのは、絶望的な報告だった。
「増援かよ……」
 まだ多くを残す翼の獅子に、数体の見えない騎体。
 セノーテを連れ去られ、士気も落ち込んでいる。こんな場面で増援などぶつけられれば、たった四体の味方ではどうにもならない。
「いや、あれは……」
 まとう黒い輝きは、転移術の証。
 しかしそれが治まった時、上空に浮かんでいたのは……。
「……ホエキン!?」
 イズミルでも滅多に見ない、最大級の飛行神獣の姿であった。しかも騎体の背に大型の加速器を備えた個体といえば、大陸広しといえどたった一隻しか存在しない。
「何だ、あの機体……」
 そんな飛行鯨の王を守るように浮かぶのは、翼を備えた見たこともない機体だった。
 姿としては、バルミュラに近いだろう。けれど黒と金に彩られ、大型の盾と、大剣とも片手剣ともつかぬ半端な大きさの剣を備えたその機体は……誰の記憶にもないものだ。
「バルミュラ・ソピアー……」
 たった一人、ペトラを除いては。
「何ですか?」
 千茅の呟きと同時、その機体が動いた。
 流星の如く宙を駆け抜け、再び舞い上がった時には軌道上にいた翼の獅子と見えない敵が三体ばかり真っ二つになっている。
 片手半にこびりついた油を振り抜きと共に払い。ようやく敵と認識したのだろう、迫る翼の獅子達に向けて再び宙を駆け抜ける。
「あの太刀筋……」
 それは、奉も知っていた。
 けれど彼の知る剣技に空中の動きが組み合わさった所を見るのは、初めてだ。
「ペトラ、みんな、無事!?」
 妨害された無線ではない。
 外部スピーカーで直接外へと放たれた声は。
「……ソフィア様っ!」
 行方不明になったはずの、もう一人のイズミル女王のそれだった。


続劇

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