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4.犬と、狐と

 次の日。
 夜もまだ明け切らぬうちから部屋を出されたペトラが歩かされていたのは、イズミルの庭だ。
「……シャトワールさんですか?」
 もちろん歩くのは彼一人ではない。ペトラの傍らには奉とリーティ……昨日彼を追いかけていた二人が、揃って歩みを進めている。
 昨日のように逃げ回る必要はないが、それでもどこか落ち着かない。
「ああ。特別な場所で研究を行なっていてな」
「……ネクロポリスですよね」
「ホントに万里様の子供なら知ってるよねぇ」
 口を濁したその名をさらりと口にするペトラに、奉はどこか渋い表情を浮かべ、リーティは楽しそうに笑っている。
「知っているなら話は早い。ただ、ネクロポリスに渡れる術者が、今はイズミルを留守にしていてな。ひとまず大揚に向かう事になる」
 神獣クラスの物まで転移出来る術者は少なく、ネクロポリスまで飛べる者はさらに少ない。そもそもネクロポリスの存在が表沙汰にされていないのだから、当たり前だ。
「何か質問はある?」
 ネクロポリスの存在まで知っているなら、それ以外の経路についても細かい説明は不要だろう。
 実際、それらの事情についてはペトラも概ね理解していた。
「……どうして、僕に協力してくれるんですか?」
 口にしたのはもっと本質的な問いかけである。
 ペトラは昨日イズミルに現れたばかりの、文字通り謎の存在だ。彼自身、そう名乗る人物が突然姿を見せたら怪しむに決まっている。
 だからこそ、昨日の段階では保留でしかなかった多くの事項が目が覚めたら手のひらを返したように協力的というのは……さすがに裏を疑ってしまう。
 それが、未来では良く知る相手だったとしてもだ。
「……ペトラ」
 そんなペトラの疑問に答えたのは、彼の脇にいた男達ではなかった。
「……母様」
 彼の目の前に現れた、狐の性質を備えた女性によって、である。


 目の前の女性は、他の男や控える娘達と同様、ペトラの記憶よりもはるかに若々しい姿をしていた。
 万里・ナガシロ。
 彼の母親にして、このイズミルの女王となる女性。
 神揚皇帝であるナガシロ帝やその近隣の一族にのみ許された、狐の性質を備えた女性である。
「ペトラ」
 ほんの二日前には当たり前のように聞いていたその声が、今は随分と懐かしく聞こえてしまう。
 そんな少年の様子に、万里は少し寂しそうに微笑んで……。
「その耳を付けるよう指示したのは、誰ですか?」
 口にしたのは、昨日リーティも思った疑問である。その時は場の混乱に紛れてうやむやになっていたが、万里はそれを改めて問いかけたのだ。
「お爺さま……ナガシロの帝だと聞いています」
 だが、万里の悲痛な表情に不思議そうな顔を浮かべたまま、ペトラはさらりとそう答えてみせた。
「僕がナガシロの帝位継承権を持たない証だそうです」
「陛下がそのような事を……!?」
 その言葉の意味を、実のところペトラはよく分かっていない。けれど万里やナガシロ皇家に近しい奉からすれば、それが示す意味はペトラの口調とはかけ離れた重いものだ。
「ええ。昨日届いたお父様からの書状に、そうありましたから」
 狐の性質を与えないという事は、即ちペトラにナガシロ皇家の血筋を認めない……皇族から追放するに等しい意味を持つ。
 万里の受けた衝撃は想像を絶するものだろう。
「だから……母様は、僕に力を貸してくれたのですか?」
 周りの空気からすると、それはペトラが思う以上に重要なことらしい。そしてそれは、秘されるべき類の情報であろう事も。
 だからこそその真実を知るペトラを、万里は息子と認めたのだろうか。
 それとも、ある種の罪滅ぼしの為なのか。
 けれど、万里は静かに首を振る。
「……あなたが、私の息子だからです」
 小さく呟き、涙を拭って顔を上げる。
 呼んだのは、目の前に立つ十三年先の息子の名前。
「もう一つだけ、教えて」
 細い手を伸ばして黒い髪に触れ……少し恐る恐る、その上にある犬の耳に触れる。
「この耳で……辛い事はない?」
「みんな、良くしてくれます。……尻尾のおかげで、嘘が付くのがヘタだって笑われますけど」
 彼女の涙の意味を、やはりペトラは理解出来ない。
 それは、彼がその性質の事で苦労や悲しいと感じたことが、今までに一度もなかったからだ。
「ふふっ。それは尻尾ではなくて、私の悪い所が似ちゃったのね」
「……かもしれません」
 ようやく浮かんだ母親の穏やかな笑みに、ペトラもようやく相好を崩す。
 彼の良く知る万里も、よくこうして笑っていた。そんな時には、決まってペトラやアレク、カズネ達が側にいた。
「なら、あなたはあなたの時代にお帰りなさい。私の事だから、きっと心配しているわ」
 そうだ。
 ペトラは、戻らなければならない。
 こうして過去にやってきたのが事実なら、あの晩の出来事……行方不明になったソフィアや、万里とアレクの異変、それを食い止めるために残ったアーレス達の事も、全て実際に起こった事実のはずだから。
 彼が戻って何が出来るのかは分からないが、それでも戻らなければ始まらない。
「大丈夫。あなたの母を、信じなさい」
「……ありがとうございます」
 思わず浮かんだ表情に、心の内を見透かされたのだろう。
 母親の言葉に、ペトラは小さく頭を下げる。
「ネクロポリスや大揚まで、私は同行出来ないけれど……奉、リーティ、頼むわね」
「御意」
「おう!」
 そんな主の言葉に応えるのは、ペトラの後ろにいた二人の男達。
「それと、千茅もいい? 鏡領まで戻るついでで構わないから」
「……あの。わたし、出向だから別に戻るわけじゃないんですけど……」
 そして、万里の後ろで様子を伺っていた、熊の耳を備えた女性である。
「それと……」
 これで三人。いずれも万里の腹心であり、百戦錬磨の武人でもある。頼もしい部下達を見回しながら……万里が視線を止めたのは、昌の隣にいた白銀の髪の少女だった。
「あ……」
「……昌。セノーテを借りても構わない?」
 彼女の姿に小さく声を上げたペトラに穏やかに微笑んで、生まれたばかりのペトラを抱いていた兎耳の娘に声を掛ける。
「いいんじゃないの? 腕も立つし、クオリアさんからは経験を積ませてって言われてるし」
 万里の言葉の意味を解し、昌も思わず悪戯っぽく笑ってみせた。
 足手まといになるような娘ではないし、神揚に行った事もないらしい。彼女にとってもきっと良い経験になるだろう。
「母様!?」
「ああ……なるほど。確かに隠し事が苦手なのも、私そっくりだわ」
 赤く染まった顔に、それでも元気よくはためく尻尾。
 それを見て、万里は彼が自分の息子である事を改めて納得するのだった。


続劇

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