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5.異変のはじまり

 月光を弾き、裂帛の気合と共に叩き付けられた分厚い刃は、横殴りの一撃にあっさりと跳ね飛ばされていた。
 いつもの剣術の稽古なら、そこで終了だ。しかし今日の相手は、武器を失ってがら空きの胴に、容赦なく蹴りを叩き込んでくる。
「ふざけてンのか! そんなんで良く俺に相手してくれなんて言えたもんだな!」
 だが男の罵声と足蹴を受けてなお、大柄な少年はその場に立ち上がっていた。
「分かってますよ! 分かってます……けど……!」
 剣術は物心付いた時からずっと学んできた。トリスアギオンの駆り方も城や国境の武官に教わり、歳と経験の割には使いこなせる自信もある。
 けれど、それではダメなのだ。
 目の前に立ちはだかるのは、彼の倍以上の歳とそれ以上の経験を積んだ……戦場で暮してきた一流の武人。
「新しい女王、守りたいんだろうが!」
 そんな奴らが襲ってきた時、今のダンでは力にならない。
「うおおおおおおおおっ!」
 アーレスの叱咤に、ダンは剣を拾うと再び彼に向かって打ちかかる。
「アーレスさん……」
 そのダンの打ち込みをあっさりといなしたアーレスに掛けられたのは、もう一人の少年剣士の言葉だった。
 ちらりと向けられた視線を諾と取り、ペトラは激しさを形にしたダンとは違う様子で、問いかけの続きを紡ぎ出す。
「アーレスさんも、誰かを守りたいとか……思うんですか?」
 会議で話し合われた事を思い出すまでもない。
 ソフィアがいなくなったこの先、イズミルは間違いなく揺れるだろう。
 矢面に立たされる万里やカズネを守りたいと思うのは、彼も同じだ。……しかし彼は、ダンのように力任せに突っ込む事は得意ではない。
 それにダンとペトラが二人揃って突っ込んだ所で、アーレスのような戦巧者相手には軽くいなされて終わってしまうはずだ。
 ならば……。
「誰をだ?」
 アーレスからの問いは、短い。
 こちらが思考すれば、恐らくその時間に詰められる。ならば必要なのは、相手に並ぶ即座の返答だ。
「……奥さんとか?」
「アイツ守る必要ねえだろ。俺がいなくても勝手に上手くやってらぁ」
 やはり答えは即座だが、表情は渋い。
「じゃあ、鏡のお爺さま?」
 矢継ぎ早の質問で、稼ぐのは時間。
「むしろあのジジイ殺す方法教えてくれよ」
 だが、稼いだ時間でようやく立ち上がったダンの斬撃も、あっさりと切り替えされ……大柄な体は再び地面に叩き付けられる。
「って、そんな下らねえ時間稼ぎすんなら、俺も寝るぞ! 強くなりたいんだろうが、クソガキども!」


 イズミルの城は、けっして大きな城ではない。
 それは廊下や謁見の間だけではなく、それぞれに宛がわれた部屋にも当てはまる。
 カズネの部屋も、恐らくは街の屋敷より少し立派な程度だろう。調度の類はそれなりに整ってはいたが、どれも決して高価なものではない。
 軍部で育ったソフィアや旅暮らしのタロもそうだし、万里達も華美な物を好まないので、それがそのまま受け継がれてしまったのだ。ソフィアの里帰りでキングアーツの王宮に泊まった時などは、彼女一人に宛がわれた客間の広さを持て余し、結局備え付けのクローゼットで眠ってしまった、などという笑い話さえあった。
 そして今日のような日も、部屋の手狭さ……がらんとした心を抉らずに済む程度の広さ……は、ありがたく思えてしまう。
「…………」
 もしもこれがキングアーツの王宮のように広い部屋であれば、何もかもが空虚になって、それこそどうにかなってしまっていただろう。
 真っ暗な部屋の中。ベッドの隅にうずくまったまま、カズネは言葉の一つも紡がずにいる。
 紡げずにいる。
 そんな少女の小さな部屋に響くのは、ぎぃ、というドアの金具の軋む音だった。
「…………ダン?」
 ひび割れた声で声にならない言葉を口にして、気付く。
 ダンもペトラも家族のように育った関係ではあるが、ノックも無しに淑女の部屋に入ってくるような礼儀知らずではない。
 被っていた毛布の隙間から、僅かに外の光が差し込む入口を覗き見れば……。
「万里……様……?」
 カズネの部屋に足を踏み入れたのは、黒く長い髪の女性だった。
 足元の影に見える狐の耳を、見間違えるはずがない。
 間違いなく、悲しむカズネを支えるように抱きしめてくれた、イズミルのもう一人の女王だ。
 しかし、それこそあり得ない話。
 カズネが会議を抜けた後、彼女を案じてくれてはいただろう。けれどいくら心配だったとしても、声の一つも掛けずに彼女の部屋に入る事などありえない。
 毛布の隙から顔を見ても、狐の性質を備えた女性の表情までは、逆光になって見えないまま。
 やがて銀陽の指輪を嵌めていたその手は、後ろ手にしていた白鞘を引き抜き、ゆっくりと振り上げて…………。
「…………え?」
 まっすぐに振り下ろした先にあるのは、カズネの眠るベッドだった。


 叩き付けられた斬撃を受け流すのは、左に構えた少し短めの刃。
 残る右の刃でアーレスの胴を狙うものの、それは腕の内側から飛び出した刃に阻まれてしまう。
 相手は体を金属装備に置き換えたキングアーツ生まれの武人なのだ。パワー、防御力、瞬発力。いずれも神揚の強化技術よりも硬く、強い。
 速さはこちらが秀でているはずだったが、アーレスは経験と直感でそれもあっさりと補ってくる。
 だとすれば……!
「その程度か! まだ足りねえぞ!」
 僅かに距離を取り、刃を構えたアーレスは内心の感嘆を叱咤に変えて叩き付ける。
 だが……相対するペトラはせっかくの良い流れを断ち切り、両手の刃を構えた姿勢で動きを止めたまま。
「……どうした? ペトラ」
「いや、何か……カズネの声がしたような」
 言われて耳をそばだてれば、やがて聞こえてきたのは、少女の悲鳴と窓ガラスの割れる甲高い音だ。
 顔を上げた時には、既に大柄な姿も、犬耳の少年の姿もない。
「……この本気が出せりゃ、良い所いけるんじゃねえか? あいつら」
 想像以上の反応速度にアーレスは僅かに口角を上げ、自らも二人の後を追って走り出す。


 三階の寝室からカズネが身を躍らせたのは、それなりの勝算があってのことだ。
 カズネの体の大半はキングアーツ王族の例に漏れず、全身を義体に置き換えられている。その運動能力と耐久性をもってすれば、城の三階から飛び降りた程度でさしたるダメージを受ける事もない。
「って、ちょっと、万里様!?」
 だが、追っ手もさるもの。狐の身軽さをその身に取り込んだイズミルの女王も、割れた三階の窓から華麗に身を躍らせ……樋や張り出しを蹴ってあっという間にカズネに追いついてしまう。
「……何がどうなってるのよ!」
 全力で逃げはするが、後ろには白鞘を抜いた万里がぴったりと追いかけてくる。
 事情を聞きたくもあったが、万里は無言を保ったまま。しかもイズミルを巡る二十年の戦いで常に前線にあった彼女の剣技は、ソフィアにも匹敵するものだ。カズネもイズミルの将達に剣を習い、かなりの腕前という評価はもらっているが、流石に彼女と比べれば天と地ほどの差があった。
 どうやって逃げるか。
 そもそもどうして追われているのか。
 混乱したままのカズネの眼前に姿を見せたのは、黒い髪を短くまとめた壮年の男。イズミルを実務面から支える、彼の名は……。
「アレク様! 万里様が……」
 そう言いかけて、カズネは言葉を失った。
 彼女の声にも、背後で刃を構えた細君にも反応する事なく……アレクも無言のまま、腰の剣を引き抜いたのだから。
「…………っ!?」
 前にはアレクの剣。
 後ろには万里の刀。
 振り上げられた二つの刃が無慈悲に月光に煌めいて。

続劇

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