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3.クオリアの娘

 イズミルの街に満ちるのは、客引きの声に、走り回る馬車や子供達のはしゃぎ声。日没を控えた市場は夕食の買い物に出た主婦達の声で賑わい、通りを覗けば仕事を終えた者達に供される酒と軽食の匂いが立ち籠めている。
「でも、お爺さまのお酒って、どんなのがいいんだろ」
 大通りを肉の串焼きをかじりつつ歩くのは、犬の耳を備えた黒髪の少年だった。マグナ・エクリシアまでの往復に、その後でカズネとの模擬戦までこなせば、育ち盛りのお腹は空っぽだ。
「神揚の米酒は飲み慣れてるだろうから、やっぱりキングアーツの酒のほうが良いだろうな。そろそろニルハルゼアワインの季節だろ」
「ワインかぁ……」
 それは彼の幼馴染みである大柄な少年や、金髪の少女も同じ。だが、包みから二本目の串を取りだしたダンの言葉に頷くカズネが足を止めたのは……その話題とは全く別の事情だった。
「ねえ、あの子……」
 カズネが肉片一つ残った串で指したのは、通りの向こう側である。
「ん? 迷子か?」
 そこに立っていたのは、地図らしき紙を覗き込みながら、辺りをきょろきょろと見回している娘であった。キングアーツと神揚の交易拠点であるイズミルでは、珍しくない光景だ。
「ねえねえ、どうかしたのー?」
 だからこそ、カズネの中ではどうするかなど初めから決まっていたのだろう。串焼きの最後のひとかけらを口に放り込むと、空いた串をダンに押し付け、娘の元へと駆け出している。
「ったくアイツ……。……どうした、ペトラ」
 とはいえそれも、三人にとってはいつもの事。
 カズネが答えも聞かずに突っ走り、ダンとペトラが追いかける。そのはずだったのだが……今日は苦笑して最後に続くはずのペトラは、その場にぼうっと立ったまま。
「……まあ、確かにすげえ可愛くではあるな」
 年の頃はカズネと同じくらいだろうか。
 透き通るような白銀の髪に、伏し目がちの碧い瞳。着ているのは神揚の式服だろうか。もっとも見た限りでは義体も動物の外見も見当たらないから、南北どちらの出身かまでは分からない。
 くるくると表情の変わるカズネとは対照的な、表情も言葉も少ない様子だが……このイズミルでも滅多に見ない美しい娘なのは、ダンも同意するところだ。
「好みか?」
「そ、そういうのじゃないってば!」
 口ではそう言っても、顔は真っ赤だし、尻尾はぱたぱたと千切れんばかりに振られている。
 その様子を苦笑いしつつ、ダンは弟分の背中を叩き、少女達の元へと送り出してやるのだった。


「なるほどねぇ。セノーテは久しぶりなんだ、イズミル」
 相変わらずの串焼きを頬張りながら。
 セノーテと名乗った少女を加えて四人になった一行は、イズミルの市場をぶらついていた。
「もう、十年近く離れていましたから」
 言葉少ななセノーテの話を総合すれば、どうやら彼女は父を訪ねて、このイズミルにやってきたらしい。
「十年もお父さんと離れてたって……キングアーツの寄宿舎にでも入ってたの?」
 キングアーツの将校は、幼い頃は寄宿舎の付いた学舎に身を置くという。カズネの母親やペトラの父親も幼い頃はそこで軍人としての教育を受け……今は北の国境に住む三姉妹の上の娘も、そこに籍を置いている。
「けど、こんな小さい頃から入る寄宿舎なんてあるか?」
 とはいえ、キングアーツの寄宿舎が受け入れるのは概ね十歳を過ぎてから。いくらセノーテが幼く見えたとしても、二十歳を超えているようには見えない。
「神揚の神殿に」
「ふぅん……」
 神揚はキングアーツのような確たる教育制度は整っていないから、場所によってその状況は大きく異なる。だとすれば、物心付かない内から預かり育てる施設があっても不思議ではない。
「十年も離れてれば、だいぶ違うだろ」
 ダンの言葉に、セノーテも小さく頷いてみせる。 
「俺達は子供の頃から見てきたけど……それでも、ちょっと前と今でも全然違う所とかあるからな」
 イズミルの開拓が始まって、既に二十年ほどが経つ。実際の入植が始まったのはダンが生まれた頃のはずだが、今もこの街は成長のただ中にある。
 十年も離れていれば、当時の面影がなくても当たり前だ。
「どうしたの、ペトラ。お腹でも痛いの?」
 そんな中、カズネが振り返いたのは、後ろを歩いていた少年が気になったからだ。
 随分とペトラが大人しい。
 普段から騒がしいと言うほど喋るタイプではないが、それでも今日の様子は明らかに変だ。
「あ、いや、何でも……」
 話に混じれなくて寂しいなら、耳や尻尾は垂れているはず。しかしそんな様子はないし、むしろ機嫌だけならいつもより良さそうに見える。
「……ほっといてやれよ、カズネ」
「何よ。知った風に」
 苦笑するダンに、顔を真っ赤にするペトラ。
 その事情が分からないカズネは、ダンの言葉に拗ねたように頬を膨らませるだけだ。
「おーい。セノーテ!」
 売り言葉に買い言葉の雰囲気を漂わせ始めた彼女達に掛けられたのは、市場の向こうから聞こえてきた男の声だった。
「父様」
 白銀の髪の娘の言葉は、場の流れからすればさして驚く事ではない。
「父様…………って、えええっ!?」
 三人が驚いたのは、父様と呼ばれた人物を三人はよく知っており……さらに言えば、父親という言葉から最も縁遠い所にいた人物だったからだ。


 年の頃は、三十も半ば。
 軍服に白衣を羽織る無精ヒゲという姿は、イズミルではそれほど珍しい格好ではない。南北二つの国の交差点たるイズミルには、キングアーツと神揚の技術を研究する軍の機関が幾つも置かれているからだ。
「セノーテの父様って……ククロ!?」
 そして彼は、イズミル政府直属の研究機関に在籍する身。建国にも関わった技術者として王族とも親しい彼とは、女王の娘であるカズネ達とももちろん顔見知りだ。
「ごめんごめん。新型機の調整が大詰めで、すっかり忘れていたよ」
「はい。そんな事だと思っていました」
 ククロの性格は娘もよく分かっているのだろう。特に怒り出す様子もなく、ただ淡々とそう応じるだけだ。
「でも、ククロって……奥さんいたの?」
「あはは。まあその辺は色々とね」
 王宮のどこからも浮いた話など聞いたことはないし、朝から晩まで研究室に籠もっているような男である。研究が恋人というなら一も二もなく納得するが、まさか娘までいるとは予想外だった。
「それより、もう日が沈むよ。三人は大丈夫なのかい?」
 既に日は傾き、西の空は赤く染まっている。
 イズミルの王族達はどちらかといえば放任主義に近いものの、それを補って余りあるうるさ方の存在はククロも良く知る所だ。
「あ! お爺さまのお酒!」
「ってか、またヒサの双子に怒られるぞ」
 そもそも外出の目的は、アーレスの土産を買う事にあった。ククロの娘との遭遇は嬉しい偶然だったが、肝心の任務を果たせないままうるさ方の双子に叱られる事態だけは避けなければならない。
 カズネとダンはククロに一礼すると、その場をすぐに走り出し……。
「あ、あの……ククロ」
 場に残ったのは、たった一人。
「なんだい? ペトラ」
 犬の耳を備えた、黒髪の少年だ。
「また明日……セノーテの所に、遊びに来てもいい?」
「セノーテがいいならね」
 どこか遠慮がちなペトラの言葉に、ククロはちらりと脇の少女を見遣り……。
 白銀の髪の娘は、小さくこくりと頷いてみせる。
「ほらー。行くわよ、ペトラ!」
「ありがとう! それじゃ、セノーテ。またね!」
 尻尾をパタパタと振りながらカズネのもとへと駆け出していくペトラは、途中でくるりと振り返り、娘に向けて大きく手を振ってみせる。


 そんな少年の背中を見送りながら。
「神揚はどうだったかい? セノーテ」
 傍らの娘に穏やかに声を掛けたのは、彼女の父親を名乗る研究者だ。
 だが、向けた声は娘に向ける父親のそれというよりも、長年の戦友にでも向けるような色を帯びていた。
「はい。珀亜さんも柚那さんも、良くして下さいました」
「……けど、良かったのかい? 彼は」
 よほど嬉しいのだろう。
 何度も振り返っては手を振る少年に手元で小さく手を振り返してやりながら、セノーテは小さく呟くだけだ。
「今はまだ、その時ではないから」
 その様子を見つめる瞳は、どこか懐かしいものを見るかのような、優しげなもの。
 そして、手の届かない輝きを見つめるかのような、寂しげなもの。
「またね……か」
 そのまたねは、果たしていつになるのか。
「セノーテ……」
 切なげに漏れる少女の声に、ククロは震える肩をそっと抱き寄せてやる事しか出来ずにいる。

続劇

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