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2.イズミル#380

 薄紫の空をゆっくりと舞うのは、巨大な翼を広げた半人半鳥の異形の姿。
 黒い大鷲の胴から女性の上半身を生やしたその姿は、まさしく異形と呼ぶ他にないだろう。
 そんな半人半鳥の巨大な爪に掴まれ、吊り下げられるようしてに空中を運ばれるのは、先程猟犬の騎士と刃を交えた黒金の騎士である。
 赤いマントを押さえる金具がそのまま、半人半鳥がそいつを運びやすくするための把手になっているのだ。
「……ったく。ダンが止めなかったら、絶対あたし勝ってたのに!」
 半人半鳥の異形に吊り下げられた騎士の中で響くのは、不満げな少女の声。
 空中での制御は半人半鳥に預けているのだろう。制御機構から離した指先で長く艶やかな金髪を弄びながら、そんな事をぶちぶちと呟いている。
「勝ってたのにじゃねえよ。両手持ちまで出しやがって」
 それを諫めるのは、あの戦いの最後に通信機から聞こえてきた少年の声だった。
 今は通信機越しではない。騎士の背中の吊り下げ具と半人半鳥の脚に仕込まれた伝声管を通し、ほぼダイレクトに伝わっている。
「そうだよ。あれは必殺の構えだって、珀牙さんも言ってただろ? カズネ」
「だから絶対勝ってたんだってば!」
 カズネと呼ばれた金髪の少女は、通信機から聞こえてきたもう一人の声に言い返すと、切断していた制御機構に意思を通わせる。
 地上に向けられた黒金の騎士の視界に映るのは、薄紫の大地を駆ける赤い猟犬の姿だ。
「……ペトラも人のコトなんざ言ってる立場か。ヒトガタ変化なんて使いやがって」
「それは……」
 化鳥の言葉に、猟犬のスピードは一瞬目に見えて遅くなる。それに乗じるように、カズネも言葉に勢いを叩き込む。
「そうよ。それだって珀牙から使うなって言われてたでしょ! 禁じ手を先に使ったの、ペトラじゃない!」
 その技は、反動として駆り手に深刻なダメージを及ぼすが故に禁じ手とされていたという。だが今の技術ではそんなデメリットはとうに解消されており……それでもペトラがその技を禁じられているのは、ただ未熟という二文字があるに過ぎない。
「だって、あと一勝でカズネに並ぶし……」
 新たな技術のおかげで痛みは遮断出来るものの、騎体が彼らの意思に応じて動くのは同じ。ペトラの足取りは早足から、やがてのろのろとした歩みに切り替わり……。
「並んでませーん!」
「並ぶってば! 十七勝十六敗だろ」
 カズネの言葉に反抗するように、その足取りは再び早足へと加速する。
 上空をゆったりと舞う半人半鳥を追い抜こうとでもするかのように。
「こないだのご飯はあたしが先に食べ終わったんだから、十八勝!」
「ガキか」
「何よダンまで! っていうか、ダンだって三つしか違わないでしょ!」
 両手持ちでもヒトガタ変化でも、本来使いこなすべき技を禁じられているというのは、つまりはそういう事なのだ。ダンに言わせれば、五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うようなもの。
「三つも違やあ十分大人だっつの」
 言い負かされる気配もなく反撃してきたカズネを、ダンも大人げない言葉で言い返し……。
「皆さん、子供です」
「…………げ」
 三人の終わらない会話を止めたのは、通信機から響く静かな青年の声だった。


 青い空を背に黒金の騎士を吊り下げた化鳥が舞い降りるのは、広く取られた庭の一角である。
 かつては緑の森と軍務工廠しかなかったその地も、今は多くの民家や住宅が並び、街の外には田畑が広がる光景を見せていた。
「お帰りなさいませ、姫様」
 上空から戻ってきた彼女達を迎えたのは、先程通信機から聞こえた静かな声の主である。
「……ただいま。ドゥオモ、ミラコリ」
 そしてドゥオモと呼ばれた青年の脇。背中に伸びた鷲翼の影に隠れるように寄り添っていたのは、青年と同じ顔をした長い髪の娘……ミラコリだ。
 男女の双子は少し遅れて戻ってきた赤い猟犬からペトラが降りてきたのを確かめて、呆れたように口を開く。
「今日はどちらにお出掛けで? トリスアギオンまで持ち出して……」
「ヴァルキュリアの所に遊びに……」
「……マグナ・エクリシアですか」
 公国の北の関所としてそびえ立つ、城塞都市の事だ。かつてはキングアーツ開拓の要としてメガリの名を冠されていたその場所も、今はカズネ達の属する公国の関所としてキングアーツとの境界を成している。
「こないだフレックがキングアーツの寄宿舎に入っちゃったでしょ? フリスとヴィーが寂しがってるって聞いたから……」
 北の関所の長の娘達は三人ともカズネより年下の、いわば彼女の妹分なのだ。そんな話を聞かされては、足を運ばないわけにもいかない。
「……その割には、随分とエイコーンが汚れているようですが?」
 ただ、残念ながらカズネの麗しい姉妹愛も、ドゥオモの影にいた娘の表情を和らげる事は出来なかった。
 この国の女王……そして彼女の出身地であるキングアーツに代々受け継がれてきた機体の装甲には、新旧無数の傷が刻まれている。しかしそのうち幾つかの戦傷は、明らかにほんのつい先程付けられたばかりのように見えた。
「ダンが墜として……」
「いきなり濡れ衣かよ!」
「スーダンス・ロマ! 貴方は!」
「……ま、そのくらいにしといてやれや」
 追い詰められて突拍子もない事を口にするカズネ達に助け船が出されたのは、黒金の機体の足元からだ。
「ハギア・ソピアーだってたまには模擬戦くらいしねえと、中身も鈍っちまうだろうが」
 黒金のトリスアギオンを見上げ、その旧き真の名を口にするのは、赤い髪をぼさぼさに伸ばした壮年の男。いかにも武官といった不敵な表情は楽しげに歪み、荒々しい性格を隠す気配さえ見当たらない。
「それにお目付役の言葉を黙って聞いてるだけの人形じゃ、イズミルの主なんて継げやしねえぞ。ガキども」
 その男の名を、彼女達はよく知っていた。
「アーレスさん!」
 大陸の南。
 神揚帝国に一大領地を持つ、豪族の青年の事を。


「デカくなったな、三人とも。……何年ぶりだ?」
 何せそれも思い出せないほどの久しい再会だ。アーレスにも、彼女がカズネだという確証があったわけではない。
 ただ三人の様子があまりにも彼の知る姫君達の様子に似ていたからと、思わず声を掛けてしまっただけだ。
「鏡領の当主お披露目以来ですから、三年ぶりですか」
「だとすると……カズネは十三か?」
 確か、先代から鏡領を受け継いだ時の祝宴では十になったばかりと聞かされた覚えがある。
「もう十四になりました」
 金の髪に碧い瞳、そして良く動く表情。全身を覆う甲冑に似た手足は、キングアーツの全身義体に換装された証だろう。
 その姿は、見れば見るほど彼女の母親にそっくりだった。十四であれば、アーレスが彼女の母親と初めて会った時よりも少し幼いくらいだろうか。
 そんな事をぼんやりと考えていると、久しぶりに会った姪っ子は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
「アーレス様は、今日はどうなさったんですか?」
 鏡家は神揚帝国でも大きな領土を預かる大豪族だし、イズミルから近いわけでもない。帝都に出掛けるならまだしも、当主直々にイズミルまで出向いてくるなど余程のことだ。
「ちょいと野暮用でな。ソフィアとタロは留守って聞いたが、あいつらまだ落ち着かねえのか?」
「相変わらずです。父様と、西の海に行商に」
「……あいつ、いちおイズミルの女王様の片割れだろ?」
 イズミル公国と呼ばれるこの地には、二人の統治者がいる。
 キングアーツと神揚。大陸の南北を支配する二つの大国に挟まれたこの地は、両国から信任された代表が共同で国を治めているのだ。
 その片翼を担うキングアーツの代表が、カズネの母親のはず…………なのだが。
「万里様やアレク様も何もおっしゃいませんし……。母様はそうして自由にしている方が好きみたいです」
 困ったように笑う少女の頭をわしわしと撫でながら、アーレスはそれも一つのやり方なのかと苦笑するだけだ。
 実際、一つの国に二人の女王がいても、無駄な軋轢を生むだけだろう。ソフィアと万里の関係だけであれば起きるはずのないそれも、周りが大人しく放っておくはずもない。
 いつの時代にも、火のない所に煙を立て、油を注ごうとする輩は後を絶たないのだ。
「それよりアーレスさん。剣の稽古、付けていただけませんか?」
 カズネの話がひと息付いた所で、次に声を掛けてきたのは黒髪の少年……ペトラだった。
 カズネも母親の面影を良く残しているが、ペトラもどちらかといえば母親似だろう。
 だが……。
「あー。俺もそういう方が好きなんだが、お前の親どもにも会っとかねえとな。……晩で良いか?」
 ぽんと乗せてやった頭に生えているのは、動物の耳。キングアーツの義体を受け入れたカズネのように、彼は動物の性質を体に入れることを好む神揚の流儀に従ったのだろう。
(けど、犬の耳か……)
 以前会った時は気にもしなかったが、鏡領を受け継いで三年。神揚豪族として過ごす中で、アーレスもその意味をぼんやりとだが理解しつつある。
「はいっ!」
「じゃあ俺も!」
 とはいえ、彼の嬉しそうな表情を見る限り、それは気にしない方が良いようだった。犬の耳と腰から伸びる短い尻尾を立たせて喜んでいるペトラに、脇の大柄な少年も乗っかってくる。
「おう。三人まとめてかかってこい」
 期待に目を輝かせているカズネの視線まで受けて、アーレスは思わず苦笑い。
 三人の戦いぶりは未だ目にしていないが、先程のトリスアギオンの駆り方を見れば大方の見当は付く。あと三年もすればまだしも、今ならまだ三人がかりで来られても何とか捌ききれるだろう。
 元気よく手を振る三人に見送られながら、アーレスは改めて城の奥へと姿を消していく。
「では、お二人とダンは……」
「そうだ! 今のうちに鏡のお爺さま達へのお土産、買ってきてもいい?」
 神揚の大豪族である鏡家は、彼女の父親の実家でもあった。都で悠々自適な生活を送っている鏡の先代当主は、カズネの祖父に当たるのだ。
「だったら酒か?」
 何かを言いかけたドゥオモの言葉を遮るようなカズネの提案に、他の二人もわざとらしく応じてみせる。
「いいんじゃない? 晩の稽古の時に渡せばいいよね?」
 ダンが頷き、ペトラがそう提案した時には、既にカズネは場を駆け出したあと。
「ちょっと、姫様! 殿下!」
「お勉強は!」
 双子の侍従の声にカズネは元気よく振り返り……大きく手を振りながら投げ返したのは、たったひと言だ。
「帰ってからやるー!」
「……ったくもう」
 この奔放さは誰に似たのか。
 ため息を吐くミラコリの頭を、双子の兄は苦笑しつつも撫でてやるだけだ。

 時に、キングアーツ歴380年のイズミル。
 世界は、平和を謳歌している。

続劇

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