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「同等での同盟を結んだ前例は、ありませんでしたか……」
 白木造りの執務室で告げられたのは、文官からの芳しくない報告だ。
「はい。そもそも我が神揚は、初めから周辺の地域では最大の領土を持っておりましたから」
 それは万里も予想していた事だった。
 神揚は大陸南部で最大の版図を持つ大国だ。幾つもの小国を併合してきた拡大の歴史を遡れるだけ遡っても、そこには神の御業を受け継いだ、南部の大国にしか至らない。
 故に、神揚にあるのは併合の歴史のみ。
 幾つかの小国とは不可侵条約を結び、友好な関係を保ってはいるが……それも形式上のもの。実際のそれらは併合されていないだけの、属国と変わりない。
「ですが……キングアーツは違います」
 万里の言葉に、文官は小さく頷いてみせる。
 前線基地であるメガリ・エクリシアの規模とて、八達嶺とほぼ同じ。もちろん正確な版図や経済力まで把握しているわけではないが、アームコートという古の遺産をまとい、薄紫の滅びの原野まで進出してくる北の王国が、神揚の周辺国のような小国のはずがない。
 そんな国を相手に今までのように振る舞えば、そこに待つのは……間違いなく、悲劇だろう。
「本国もそこまで愚かではないでしょう。さすがに心配なさるような事はないと思いますが……」
 警戒はするだろう。仮想敵とも考えるはず。
 だが、正体も分からない相手にいきなり噛みつくほどの愚かさはないと思いたかった。
 少なくとも、相手がどれだけの力を持つのか。それを見定めるだけの時間は欲しがるだろう。
 狙いは、そこだ。
「ええ。かりそめの平和で構いません」
 たった一度の条約締結で二つの大国に完全な平和がもたらされるなどとは、流石の万里も思ってはいない。
 けれど、必要なのは『今の』平和だ。ひとまずそれがもたらされれば、平和の中でその平和をいかに引き延ばすかを考える事が出来る。
「必要なのは、まず歩み寄る事です。それさえ出来れば……」
 その時は、ソフィア達キングアーツも力を貸してくれるだろう。束の間の平和の間に互いを理解し、戦う必要が本当に無い事が分かれば、戦争など起こす必要がない。
 それは、本国への交渉に戻ったロッセとも重々話し合ったことだ。
「姫様。ロッセさんから早馬で連絡が届きました! 本国は和平を望んでいるそうです!」
「そうですか……よかった……」
 飛び込んできた沙灯の言葉に、万里は小さく息を吐いてみせる。





第5回 中編




 眼前に広がるのは、緑の森。
 清浄の地。
 その地を目前に控えた薄紫の荒野に立つのは、二体の騎士。
「いよいよか……」
 一体は黒金の騎士。ソフィアの駆る、ハギア・ソピアー。
「なあ。俺も来なくちゃダメだったのか……?」
 もう一体は、制式仕様の鉄色の騎士。
 乗っているのは、自らのアームコートを持たない環である。
「ダメに決まってるでしょ」
 そもそも今日の目的は、これからの和平交渉のために神揚の面々と環を顔合わせする事なのだ。むしろ今回の主役は彼だと言って良い。
 二つの国は未だ多くの遺恨が残った、微妙な関係にある。兵達の感情、アレクの事、そして滅びの原野の開拓や、清浄の地の領土問題。そのいずれも、選択を間違えれば最悪の結末に繋がるだろうものだ。
 そんな微妙な状況での和平調整では、これからは副官も交えてより密な話し合いが必要になってくる。万里も副官を連れてくると言っていたし、この顔合わせは彼女達のこれからにとって絶対に必要な事なのだった。
「……兄様や、今まで戦ってくれたみんなの分まで、しっかりあたしが頑張るから」
 黒金の騎士との接続をわずかに切って。ソフィアが胸元から取り出したのは、細い鎖だ。
 その先に繋がるのは……小さな指輪である。
「……あたしと万里を見守っててね、兄様」
 金色のそれは、かつてアレクの左手にはめられていたものだ。
 ソフィアの鋼の左手には、生身用に調整されたその指輪は男物とはいえ小さすぎた。鋼の体を疎ましく思った事など一度もないが、それだけは少しだけ残念に思ってしまう。
「来たぞ、ソフィア」
 やがて彼方に見えてきた三匹の魔物……神獣の姿を確かめて、ソフィアはその意識を騎士の視覚へと引き戻していく。


 眼前の黒い巨人の背中から抜け出したのは、緑の木々の中でも鮮やかな、金の髪。
「本当に、巨人の中から出てくるんですね……」
 驚いた様子の沙灯の言葉に、万里は思わず苦笑い。
 ソフィアが引き抜いた腕に絡むケーブルは、恐らく万里達と神獣を繋ぐ生体膜のような役割を備えているのだろう。
 自らもテウメッサの背中から抜け出しながら、万里も同じような感想を抱いていたのだ。
「久しぶり、ソフィア」
 九尾の白狐の背を蹴って地上に降りれば、そこで待っていたのは鷲翼の少女と、金髪の少女。
「久しぶり、万里。……ホントに、あの神獣の中から出てくるんだね」
 だが、思わず笑い出した万里と沙灯に、ソフィアは不思議そうに首を傾げるだけ。
「え。何? 何笑ってるのよ」
「……ううん。私と沙灯も、同じ事、考えてたから」
 見た目と構造は大きく違うが、運用方法と制御方法は限りなく近い。そしてそれを操る者達に至っては……起源を同じくするものだ。
 考え方が似るのも、仕方ないだろう。
「……そっか」
 それを聞いて、ソフィアもほんのわずかに微笑んでみせる。
「それと、約束、守ってくれてありがと」
「私こそ」
 それは、互いに軍事行動を起こさないという約束だった。既に最後の戦いから三ヶ月近い時が過ぎていたが、その間、双方から一人たりとも戦での死者は出ていない。
「……いよいよだね」
 神揚からも万里や沙灯の他に、黒髪の青年が一人同行していた。恐らく彼が、万里の副官という人物なのだろう。
「うん。いよいよだ」
 口約束だった三ヶ月の休戦が、本物の和平に至るまで……アレクの望んだだろう世界まで、あと一歩。


 アームコートと神獣を降り、一同が向かったのは緑の森の奥深く。
 湖を見据えるその地こそが……ソフィアと万里が、この顔合わせの会場として選んだ場所だった。
「私は神揚帝国第一皇女、万里・ナガシロと申します。こちらは副官のロッセ・ロマと、護衛の沙灯・ヒサ」
 そこは、四人が初めて出会った場所。
 そしてアレクが万里に想いを告げ、ソフィアと沙灯が祝福した場所。
「あたしはキングアーツ王国第一王女、アヤソフィア・カセドリコス。こっちは副官の環・ジョーレッセ」
 ソフィアとアレク、万里と沙灯。
 短い時間ながらも……四人の思い出の詰まったその場所で短い紹介を終えると、ソフィアと万里は彼女達の思い描く和平の姿を一つ一つ確かめていく。
 いまだ完全な和平の成立には至らないが、国も、彼女達も、もはや戦う気持ちはない。だが、ひとつひとつ沙灯の用意した紙束に書き記していく少女達の理想が本当に形になるならば、必ず平和は訪れるはずだった。
「でもこれで、アレクの望んだ世界が来るのですね……」
「うん。これから……みんなで頑張ろうね」
 もちろん課題は山積みである。互いに残った遺恨や、境界線の策定、交流や習慣を理解するための細かいやり取りなど、むしろ今からが本当の戦いだと言えるだろう。
 しかしその全ては、この平和となった世界だからこそ出来る戦いでもあった。
「ありがとう、万里」
 呟き、ソフィアはそっと歩み寄る。
 犠牲は多く、分かり合うまでにたくさんの回り道もあった。
 大切な人も喪った。
 けれど、それも今日でおしまいだ。
 本当に万里を許すには、まだまだ多くの時が必要だろうけれど……それでもソフィアは、それを万里と語り合える日が来る事を、心の底から望んでいた。
「私こそ……ありがとう、ソフィア」
 答え、万里も穏やかに手を伸ばす。
 愛しい男性を失った悲しみから万里が本当に立ち直るには、まだまだ時間が必要だろう。これから多くの難事業が待ち構えている彼女に、癒やされるための時間があるかどうかも分からない。
 しかし側に沙灯とソフィアがいてくれたなら……その時は、いつか必ずやってくるはずだった。
 差し出した柔らかな手を、鋼の手がそっと握り返そうとして。

 そんな。

 やっと生まれかけた平和の芽を染め上げるのは、鮮やかな鮮血だ。

続劇

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