5.Marry go-round 青い空の下に広がるのは、緑の森。 湖面を望むその場所に、まるで森の木を洗い流したように開いているのは、淡い緑の生い茂る広場だった。 「程良い広場だなあ、アーレスよ。確かに今日の集まりには、丁度良い」 「…………」 傍らの鳴神に、アーレスは居心地の悪そうな表情を浮かべているだけだ。 無理矢理着せられた神揚様式の正装が窮屈なだけではない。そこはかつて、アーレスの起こした津波によって作られた広場だったからだ。 周囲にいるのは、どれもアーレスの見知った顔。 ごく一部の内輪の者だけを集めた、小さな式だ。恐らくは以前の和平会談に招いた者達よりも少ないだろう。 「また、ひと暴れするか?」 「……テメェと千茅を殺したらな」 呟くアーレスに、鳴神は不敵に笑ってみせるだけ。 「あ、来ましたよ! 万里さま!」 やがて湖面を弾く光を浴びながら、ゆっくりとした足取りで現れたのは……純白のドレスに身を包んだ娘である。 長く伸ばした黒髪と、それを包む薄いレースのヴェールを森を渡る風に揺らし、万里は湖のほとりで待つ青年の元へと静かに進んでいく。 「綺麗……」 それを口にしたのは、誰だったか。 「羨ましいな……。……っ!」 そのひと言に続くように、リフィリアもぽつりと言葉を紡ぎ……慌ててそれを誰かに聞かれなかったかと顔を耳まで赤くする。 「いや、だから、結婚式というよりドレスがな……」 「……いいですよねぇ」 だがその言葉は、純白のドレスに身を包む神揚の姫君を見守る者達の総意でもあった。リフィリアに同調する者こそあれ、笑う者など一人もいない。 「ああいうのが良いのか? コトナは」 「まずは相手を探す所から、ですけどね」 今回の式に参加するために、大揚駐在のキングアーツ大使も一時的な許可を得てイズミルまで戻ってきていた。既に包帯も取れ、ドレス姿でエレの傍らに立っている。 「オレも作ろうかな……」 正装代わりに蝶ネクタイを首に付けたククロは、未だ人形のまま。けれどその言葉に耳を疑ったのは、彼を車椅子の脇に乗せていたプレセアだけではない。 「ククロ君……女の子に興味、ありましたの?」 「色々構想はあるんだよ。義体メインでいくか、神揚の生態メインで行くか……。ああでも、入れる感情回路の方が問題なのか。神王様の意識転送実験で、データが取れてからかなぁ」 「……ああ、やっぱりククロだな」 今日もいつも通りの軍装に身を包んだヴァルキュリアも、どこか呆れたように応じるが……彼女の変化を見逃すプレセアではない。 「ヴァルちゃん。その指輪は?」 彼女の指にはまるのは、髪と同じ色の宝石の嵌められた、シンプルな指輪だった。普段アクセサリの一つも身に付けないヴァルキュリアからすれば、それは大きな変化と言えるだろう。 「環がくれた。ただのプレゼントだそうだ」 だがどこか不服そうな表情で返されたその言葉に、プレセアは小さくため息を一つ。 「それ、違うんじゃありませんの?」 「ただの、を凄く強調されたぞ。……だから、ただのプレゼントなんだろう」 環が素直に物を言うとは思えない。だからこそ彼の発言には、聞く側が気を付けなければならないのだが……。 「……ヴァルちゃんは、もう一回色々と勉強し直した方が良いかもしれませんわね」 やがて万里を待っていたアレクが彼女と交わしたのは、金と銀の対になった指輪である。 キングアーツと神揚。 婚姻の儀式の流れも、それを誓う存在も、二つの国では何もかもが違う。 だからこそ二人は、誓う相手を互いの信じる神や祖先ではなく……人に求めた。 彼女達と共に戦い、時を分かち、信じ抜いた者達に。 「アヤさん。オイラもいつか、アヤさんに立派な指輪、贈ってみせるからね!」 「はいはい。楽しみにしてるわよ」 タロも、ソフィアも。 「いいなぁ……万里さま」 「ふむ。珀亜も羨ましいと思うか……」 「……お兄様が奥さまをお迎えしてからですけど」 珀亜と珀牙も。 「おめでとう、万里様!」 「おめでとう、アレク!」 セタも、アーデルベルトも。 「キスしろ、キスー!」 「ちょっと姐さん、暴れないで!」 瑠璃も、リーティも。 「うぅ……万里、幸せにね……!」 「……涙くらい拭け、昌」 「お主も人の事言えんぞ」 昌も、奉も……ムツキも。 多くの拍手と歓声が、二人の誓いを祝福する。 祝福の言葉が生まれたのは、湖畔だけではなかった。 「……おめでとうございます。万里様」 黒大理の世界。 大きな窓に映し出されるその光景を前に手を叩くのは、禿頭無毛の人物だった。 「本当に、おめでとう」 心からの言葉だ。 けれどそれは、届かない。 拍手も、言葉も、もう届く距離ではない。 この世界に、もはや起動するゲートはない。 ここに来る時に使ったクロノスも、既に壊れて動かない。 あの戦いに加わる事なかったバルミュラ達は、もう二度と下される事のない命令をただ静かに待っているだけだ。 それでいい。 それが、いいのだ。 「本当に……良かった」 そっと目を閉じ、傍らの椅子に身を委ねる。 思い出すのは、力一杯に駆け抜けた戦いの日々。燃えるように熱く、砂糖菓子のように濃厚な……ほんの僅かな、花火のような鮮烈な時。 今なら、半蔵に言われた言葉の意味も分かる。 恐らく自分が笑っていただろう事も。 「…………」 口の中で転がしたのは、手を伸ばし、掴もうとしても掴めなかった、太陽のように眩しい名前。 けれどそれは、違ったのだ。 本当は月のように儚げで、弱く、繊細な……。 もう、彼女に手が届く事はない。 ただこの地から静かに眺め、自身の内で眠る神王と共に、彼女達が理不尽な消え方をしないようこの地で力を振るうだけ。 それでいい。 それが、いいのだ。 「…………?」 そこで、気付いた。 椅子から起き上がり、あの世界が見える窓を子細に覗き込む。 「…………いない」 映し出されているのは、万里とアレクの結婚式だ。 そこに、いない。 恐らくはこの光景を一番見たかったはずの、彼女がいないのだ。 「どこに……」 参列者にも、裏方にも。まさかと思って他の場所も映してみるが、どこにも彼女の姿はない。 「沙灯…………?」 呟いたその名に。 「…………はい」 返ってきた声は、背後からだった。 |