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 薄暗い部屋に身を置くのは、小柄な少女。
(もう、ここに来てどれくらい経つのだろう……)
 たった一人の部屋で想いを寄せるのは、かつてのこと。
 慌ただしくも充実感に満ちていた、戦いの日々のこと。
 けれどそれは、過ぎた日々。
(外に……出たいな)
 分厚い包帯と拘束具に固定されて、左腕は動かない。
 明かりもない部屋。右手でそっと触れるのは、閉ざされた窓の隙間である。
 外側から鍵の掛けられた鎧戸は、彼女が外の光景を見る事すら拒むもの。
「日明。出ろ」
 そこに掛けられたのは、背後からの声だった。
 どうやら外は夜なのだろう。片目を包帯で隠されたコトナと同じくように、頭を包帯で覆った娘は……。
「……リフィリア」
 かつて共に戦った娘の姿も、あの頃からは大きく様変わりしていた。

 コトナは思う。思い出す。
 薄紫の空に覆われた、けれど輝かしい日々の事を。





第7話 『この世界を、もう少しだけ……』




1.お預けの決着

 青い空を悠然と進むのは、神揚製の飛行鯨。
 かつてメガリ・エクリシアと八達嶺を結んでいた巨大鯨よりも、ひと回り小さな騎体である。
「……情報だとこの辺りなんだな、ジュリア。奴が隠れてンのは」
 操縦席で舵を握るのは、肌も露わな衣装を纏った女であった。
「うん。あの人はもう先行してる……もうすぐ、街に入るって」
 女の傍らに立つのは、黒い衣装を纏う少女。それは幾つもフリルを重ねた愛らしい物だったが……少女のどこか物憂げで悲痛な表情に重ねれば、どこか喪服にも似た印象も感じさせる。
「いい加減、観念しろってのにな。往生際が悪い」
 舵を切り、方向転換。
 その先に見えるのは、薄紫の世界に面した、キングアーツの開拓都市の一つだった。
「私もラトで先行するわ、エレ。……絶対に逃がさない」
 ジュリアが後部甲板に姿を消して少しの時間が過ぎれば、やがて飛行鯨を揺らすのは、アームコート射出の衝撃だ。騎体後部の様子を見れば、降下装備を身に付けた銀色の機体が地上へと降りていく所だった。
「……いい加減、決着付けねえとな」
 押し殺すようなエレの声が、狭いホエールジャックの操縦席に響き渡る。


 薄紫の世界。
 それはこの世界において、いかなる生命の存在をも拒む、滅びの世界の別名だ。
 そんな薄紫の荒野を駆ける、二つの影があった。
「珀亜ちゃん、珀牙。見つけたわよ! そこから少し北、山側にあと五百!」
「ありがとうございます。柚那さん」
 伝わってきた思念に短くそう返し、仮面を付けた白いコボルトを駆けさせるのは、白い着物に赤い袴を履いた白猫の娘である。
「大丈夫か、珀亜」
 あの戦いで彼女が体を取り戻して、まだ半年。以前は虚弱気味だった体は兄の行なっていた訓練もあってか、今は軍務にも耐えられるほどの丈夫さを手に入れていた。
「大丈夫です。兄様こそ、まだヴァイスティーガ参式は本調子ではないのですから、無理は禁物ですよ」
 新たな体に魂を宿した兄の駆る騎体も、完成してまだ間もないものだ。試運転と称していきなり滅びの原野に駆り出すのはいささか乱暴ではあるが……兄の性格を考えれば、そして妹の体という軛を逃れた今であれば、それも仕方ないのかもしれなかった。
「……だが、急がぬわけにはいかん」
 そう。この機会を逃がすわけにはいかないのだ。
 やがて見えてくるのは、薄紫の空を舞う鷲頭の獅子と、その下で隊列を組む鋼の騎士達の姿。
「アーデルベルト殿……!」
 珀牙は小さく呟いて、騎体をさらに加速させる。


 目の前で引き抜かれたのは、剣。
「阻むというなら……容赦はせんぞ、昌」
 北方様式の両刃のそれを構えたのは、キングアーツの第二王子。
「アレク……」
 彼の視線を受けるのは、兎の性質を備えた少女である。普段は穏やかなはずの瞳に宿るのは、強い意志と、内に燃え上がる激しい炎。
 相対する刃は二つ。
 見守る者も、また二人。
「どうして……」
 一人は少女。狐の性質を備えた神揚の姫君は、大きな瞳に涙を浮かべたままだ。
 どうしてこうなってしまったのか。
 世界は、戦いなど必要のない世界へと歩き始めたのではなかったのか。
「仕方ないよ。こうなる事は、運命だったんだ……万里」
 もう一人も、少女。鷲の翼を備えた神術師の娘は、ともすれば刃の間に割り込もうとする姫君を守るかのように抱き止めている。
「万里……」
 兎の少女は姫君の涙に一瞬瞳を向けるが、その光景を振り払うように前を見た。
「これ以上は話も無用だ。……来い」
 剣が鳴り。
「アレクぅぅぅ………っ!」
 刀が叫ぶ。
 鋼と鋼が激突したのは、その次の瞬間だった。


 打ち合わされたそれが離れたのは、激突の半瞬の後。
「殺す!」
 ぶつかり、弾かれるように離れた体を着地させ、腹の底からの咆哮を放ったのは赤い髪をした少年だった。握りしめた刃に映る瞳は怒りに燃え、その先には見上げるほどの巨大な姿を捉えている。
「その意気や良し! 存分に戦おうではないか、アーレスよ!」
 巨漢の放つ高らかな笑い声にアーレスの怒りが爆発し、その身は弾かれたように前へと跳び出した。
「五月蠅え! その軽口、すぐに叩けなくしてやるッ!」
「やってみるが良い!」
 振り上げる刃を弾くのは右腕だ。かつては体躯と同じ龍鱗をまとっていたそこは、今はさらに強固な神揚の金属によって覆われている。
「があああああああああっ!」
「楽しいなあ、アーレス!」
 二合、三合。
 怒りの叫びに応じるのは、戦いを愉しむ快哉の声。
「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
 吹き荒れる殺意の嵐に、鳴神は怯むどころかさらなる歓喜の叫びを上げるだけだ。
 全身全霊を駆けた二人の激突が、終わる気配を見せる事は……まだ、ない。


 それを見上げたのは、一人の老爺。
 目元を覆う分厚い布を僅かに上げて見遣るのは、幾つもの文言の刻まれた岩の欠片だ。
 それは、かつてアークと呼ばれたもの。
 あの戦いで世界樹と化し、崩壊した後に発見された……古代の英知の残骸である。
「もはや、これも動かぬか……ククロ」
「うん」
 老爺の言葉に応じるのは、肩の上から。
 手のひらに乗るほどの人形に宿る、少年の声だ。
「表面の文字も読めないままだしねー」
 残された文字の断片も、あの戦いで古代の知識の大半が失われた今、読む事は出来なくなっていた。ククロがバックアップを取れたのは神王に奪われなかった知識のほんの一部でしかなく、残る大半はアーレスの暴走と共に永遠に闇の中だ。
「ムツキ……ククロ」
 そんな彼らの背後から掛けられたのは、少女の声だった。
「ソフィアか。どうした?」
「うん……。ちょっとね」
 青年将校を後ろに控えさせた少女の表情はどこか寂しげで、物憂げなもの。
「みんな……いなくなっちゃったなって……思ってさ」
「ソフィア……」
「ジュリアも、エレもコトナも、リフィリアも……みんな……」
 側に残ったのは、彼女の後ろに立つ青年将校一人だけ。
 今はもう、誰もいないのだ。
「ムツキ……セタぁ……」
 浮かぶ少女の涙を、ムツキは鋼に覆われた左手でそっと拭ってやる事しか出来ずにいる。


続劇

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