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19.腹ぺこの誇り

 目の前で燃えるのは、真っ赤な炎。
 その上で踊るのは、先程までは箱の中に詰め込まれていた食材だ。
「……美味しいかい? まだまだ出来るからねー」
 タロの料理を黙々と食べているのは、この本営の責任者と最前線の兵の一人。
 大きく階級に差がある二人だが、タロの店では関係ない。戦場に臨時に作られた一角、天幕さえない場所にあっても、それは厳然たるホイポイ酒家のルールだった。
「……ニキ殿も、どうしてあの場で裏切ったのであろうな」
「まあ、色々あったんだろ。……俺だって別の歴史じゃ、主殺しとかしてるらしいしな」
「そうなのか……」
 そしてそれは、敵陣から投降した者と、別の歴史で反意を翻した者でも変わらない。
「なんでみんな、そうやって仲良くご飯が食べられないのかなぁ……」
 嬉しくても、悲しくても、怒っても、腹は減る。そしてそれを放ったまま走り続ければ、体だけでなく、やがて心も壊れてしまう。
 壊れた心は多くの者を巻き込んで、やがてそれは、悲劇という誰も喜ばない結末を迎えるのだ。
「……そうだな」
 アレクを失った時の環も、そんな状況だったのだろうか。空いた腹を抱えてイズミルの会談に臨み、万里に凶刃を振い、最後にはソフィアを手に掛けたのだろうか。
 世界の危機を迎えながらも友と戦い、腹の満たされた今の環には、そんな彼の気持ちを思い描く事は出来ずにいる。
「誇り、であろうな」
 捨てられない物がある。
 譲れないものもある。
 それは時に餓えた心を満たし、満たされぬ腹さえ満たしたように思わせる、危うい幻と化す。
 その幻に殉じた男の気持ちも理解出来なくはないし、結果を恨むつもりもない。
「もっと美味しい物も、たくさんあるのにね」
 呟き、タロは皿に移した料理をカウンターへ。
「全くだ」
 それに箸を伸ばすのは、二人同時。たっぷりと供された料理は、互いに箸を打ち合わせることも、競い合う必要もないものだ。
「ちょっとあんた! 何サボってんのよ!」
 そんな男達に掛けられたのは、苛立ち紛れの声だった。
 柚那だけではない。後ろには、車椅子を押すコトナ達の姿も見える。
「さ、サボってなどおらんぞ! 小官はちゃんと順番に応じた休憩を取っているだけで……」
「何。文句あるの?」
「ぐぬぬ……」
 冷たい視線に射すくめられて、バスマルはそれ以上の事を口にする事も出来ない。
「……もう。オイラの店でケンカしないでよ。柚那さん、何か食べたいものある?」
「お肉! お肉がいい!」
 はいはい、と愛想良く応じて、タロは冷凍の神術が施された木箱から肉の塊を取り出した。ささやかとは言え、パーティに用いるはずだった食材だ。在庫はまだまだ十分にある。
「コトナ。……まだ保ちそうか?」
 そんな柚那の脇にいる少女に声を掛けたのは、環だった。
 確かコトナは、アーデルベルトが上に向かった直後にも一度休みを取っていたはずだ。
 現場判断だからこまめな休憩を取るのは構わないが、体力に余裕の無い彼女がそこまで無理をしなければならない事態なのか。
「あまり良くはありませんが、そうではなくて……ですね」
「敵が動きを止めたんですの」
 そう。
 間断なく生まれ、攻め込んできていたはずの緑色の人型が……唐突に動きを止めたのだ。
 次の戦力が来ないという意味ではない。動力を切られたかのように、いきなり動作を停止したのだ。
 兵力の補充が限界というなら、一度退かせるなり特攻を掛けるなり、他の使い道もあるだろう。かといって、罠と言うにもあまりに意味がない。
 だからこそ戦場を守備の兵に任せ、一度こちらも下がる事にしたのだ。
 次に何が起こっても、対応出来るように。
「そちらは何か変わった事がありまして?」
「相変わらずだ。上との連絡は通じんし、ナーガも黙ったままだ」
 上層との通信は、電波だけでなく思念も妨害されている。本営には通信術が使える術者も残っていたが、彼らでさえ上に向かった者達との連絡は取れていない。
「あなたは何かご存じありませんの?」
 プレセアの問いに、バスマルも料理を頬張ったまま、無言で首を振るだけだった。
「もうこっちの通信機を使ってる奴らもいないしな」
 神揚生まれのバスマルは詳しくないが、キングアーツの通信機とミーノースの通信機では構造そのものが違うのだという。今回の電波妨害も、ミーノースの通信機は影響を受けないはずだったが……使う相手がいなければ、傍受のしようもない。
「状況を分かっているのは神王と、シャトワールくらいじゃないのか?」
「……シャトワール君ですか」
 下層に向かったリーティ達から、シャトワールはクロノスを回収して上に向かったらしいという連絡は受けていた。本来ならば何としてでもここで足止めすべき相手だったが、残念ながらプレセア達にもそんな余裕は残っていなかったのだ。
「とりあえず、みんな何か食べながら話しなよ。何があるにしても、お腹が減ってちゃ動けないよ」
 タロの言葉に小さく頷き、プレセアもカウンターへと車椅子を進ませる。
「……ちょっと上の様子、見てくる」
 そのプレセアが座れるように自分の座っていた椅子を寄せ、柚那は入れ替わるように立ち上がった。
「上って……間に合うんですか?」
 柚那の駆るコクヨクは飛行型だし、柚那自身も転移の神術が使える身だ。しかし飛行速度にも限界があるし、転移は目標がなければ跳ぶことが出来ないはず。
「今ならそろそろ間に合う頃だと思うのよね。無理だったらすぐ戻るわ」
「お願いしますわ」
 大皿の肉をもう一枚つまんで口に運ぶと、柚那はプレセアに軽く手を振りながら、騎体を停めてある一角へと歩き出す。
「いいんですか?」
「今は、少しでも情報が欲しいですもの。リーティ君達も、戻ってきたら上に向かってもらいたいですけれど……」
 上空へと舞い上がる鷲頭の獅子を見遣りつつ、プレセアも箸を取り上げた。
「……タロ君。ホエキンの支度は?」
「ああ。いつでも出られるよ」
 タロのホエキンは、本営脱出作戦の要だ。早すぎても上層の支援が出来なくなるし、遅すぎれば逃げ切れない。
 この作戦の遂行こそが、プレセア最大の戦場でもあった。
「ジョーレッセ中佐! イクス准将!」
「どうしましたの!」
「敵が動き出しましたか!?」
 まだ原型を留めていた本営から走って来た兵の様子に、その場の誰もが息を呑む。
 異変の兆候は既にあったのだ。次の何が起きても不思議ではない。緑の兵達の一斉攻撃か、それともより強力な敵の襲来か……。
「通信妨害が解除されました! 上層のロッセ殿と通信が繋がっています!」
「何ですって!?」


 爆発と、それさえ巻き込む閃光が収まった後。
 閃光に焼き切られた世界樹の上、未だそこに立っているのは、炎に身を包んだ異形の獅子の姿だった。
「……だろうな。その程度で死ぬようなタマじゃねえよなぁ」
 狙ったのは本体を外れた両腕や背部の追加装甲部分だ。しかし電磁砲とバスターランチャー、全力を振り絞って吹き飛ばしたはずのそこも、既に炎の中で本来の形を取り戻しつつあった。
「テメェら……殺す!」
 燃えさかる炎の中から伸びるのは、刃を備えた尾に似た器官。
 より多くの力を。
 より多くの範囲を。
 より多くの手数を。
 それを求め、力を取り込み、異形はさらに形を変える。
「……ああ」
 向けられた視線と意思を体現するその姿に、体中が総毛立つ。
 怒りと殺意。純粋すぎる破壊の意思は、もはや吹き付ける風にも似た触覚さえ感じさせるものだ。
 それに対してエレが浮かべたのは……。
「……いいねぇ……そういうの!」
 微笑みだった。
「肝の据わった女だ」
 だがその表情を浮かべるのは、彼女の傍らに舞い降りた鳴神も同じ。
「当たり前だろ。……こんなに熱烈なラブコール送られて、感じねえ女なんかいねえっつの!」
 命を賭した戦場で、生と死の限界に臨む。恐怖と畏敬、そして己の限界を超える可能性の果てに彼女達が見るのは……快楽という名の二文字だ。
「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!」
 通信機か、思念か、それとも機体が直接音を感じているのか。もはやそれは、気にもならない。
「ならば、征くぞ!」
 吹き付ける圧倒的な殺意を、二つの異形は真正面から迎え撃つ。


続劇

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