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16.シンなる王

 幾つもの枝を抜け、木々を渡り……辿り着いた先にあったのは、最後の戦いの場所だった。
 しかしそこに待っていたのは、万里の想像を超えた人物だ。
「あれは……珀牙……!?」
 ソフィア達が相対している、異形の巨人の中央部。露わになった操縦席に融合するように身を置いているのは、確かに万里の知る青年の顔を備えていた。
「知っているのか?」
 そんな相手の斬撃を盾で払いながらのアレクの問いに、万里は言葉を返さない。
 返せない。
「……私の兄です」
 代わりに答えを口にしたのは、アレクと共にこの場に辿り着いた珀亜であった。その事実をあらかじめ覚悟していたから、他の神揚の将達に比べて驚いた様子は少ない。
「お兄さんって……それってどういう……!?」
 珀亜の兄は、以前の滅びの原野での戦いで戦死したと聞いていた。だからこそ珀亜が帝都から呼び寄せられ、後任として神獣に乗っているのだと。
「……分かりません。……ですが、兄は……」
 死んだ事は間違いなかった。
 報告を受けたからではない。
 彼の魂が今の珀亜に宿っている事を、他ならぬ彼自身が一番良く知っているのだから。
 だがそれは、クズキリの家に伝わる禁呪を用いた上での秘中の秘。いかにこの場でも、口に出すことだけは出来なかった。
 珀牙の魂が罰せられるだけならば構わない。しかし禁呪を用いた累は、術を行使した妹や、クズキリの家そのものにも及ぶだろう。
「……私が殺した。間違いなくな」
 言葉を詰まらせた珀亜のそれをどう判断したのか。彼女の言葉を継いだのは、この世界樹を共に駆け上ってきたヴァルキュリアだった。
「そうだな、珀亜」
 彼女の言葉に、珀亜も小さく頷いてみせる。
「既に亡骸も回収されています。ヴァイスティーガも、確かに……」
 そう。確かにそのはずなのに。
「沙灯!」
「私も、顔を見たのは初めてだから……」
 だが、話を振られた沙灯も、困ったように首を振るだけだ。彼女自身混乱しているのが、思念を通して伝わってくる。
「本当よ。声は似てると思ってたけど……。あたしがミーノースに拾われた時には、神王様はあの姿だった」
「それって、どういう……」
 ようやく顔を見る余裕が出来たのだろう。上空で戦う瑠璃も、突然現れたかつての戦友に戸惑っているようだった。
「……分かりません」
 分からない。
 分からないのだ。
 何もかもが。
「けれど」
 ……分かる事が、一つだけある。
「兄の身体に彷徨う魂の類が取り憑いただけであれば……私が祓うことは出来るでしょう」
 それが、ここまで珀亜がやってきた理由。異界の地に挑み、ジュリア達に偽の神王との戦いを預け、幾多の敵を打ち破り……この世界樹の頂までやってきた理由なのだ。
「それって、沙灯と瑠璃も助かるってこと?」
「いえ……それは……」
 その策は……珀牙と珀亜の力は、そこまで万能ではない。だからこそ珀亜はここまで明言することを避け、他の解決法が出る事をずっと考え、またそれがある事を望んできたのだが……。
「大後退は止められるんだな」
 既に戦いに加わったアレクの問いに、珀亜は小さく頷いてみせる。
「……あの神王という人物が止まれば、おそらく」
 この世界樹を支え、大後退の準備を進める事が出来るのは、ひとえに神王の意思あればこそ。ここで珀亜が神王を封じれば、暴走したアークと大後退の危機を収める事は出来るだろう。
 ただその策だけでは、沙灯と瑠璃の件までは解決出来ない……ただそれだけだ。
「どうする? 万里」
 故に戦いを続けるソフィアが問うたのは、九尾の白狐に向けてだった。
「アレクとソフィアは……決めたのよね」
 こうして話す間にも、アレクは神王の刃を受け止め、ソフィアもまた刃を打ち返している。
 神王を敵と認め、倒すために。
 大後退という史上最悪の災いを、止めるために。
「あたしは決めたけど……それは、あたしが決めただけだから」
 決めたのは自分だ。自分であって、万里ではない。
「そうだよ。……万里も自分で決めないと」
 昌やソフィアの言う通りだ。
 そうしなければ、納得することなど出来ないだろう。
 数十万、数百万の命と天秤に掛けるのは、たった二つの命。けれどそれも大切な命……大切な友人だった少女達の命なのだ。
「昌は……どうするの?」
「私は万里の味方だよ。……どんな判断をしてもね」
 問うた昌の答えは、すぐに返ってくる。
 しかしそれ以上の事は、万里に伝えようとも、伝える気配さえもない。彼女の決断を、邪魔する事がないように。
「…………」
 戦い続けるソフィアの問いに、万里はいまだ答えない。
「……万里」
 そんな万里に、鷲翼の少女は息を呑み……ぶつかったのは、万里の傍らで彼女を護るように刃を構える、白兎の視線。
 キングアーツの無線機や、神揚の思念通信を使わずとも分かっていた。
 万里に決めさせるべきだと。今は何も言わないで欲しいと願う気持ちが。
 けれど。
(万里……)
 目の前の少女は強く、そして弱い。
 どんな決断を下し、どんな結果になろうとも……それをどこかで、必ず悔いてしまうだろう。
 だから。
「万里……!」
「沙灯……っ」
 昌の言葉に握りしめたのは、小さな両手。そこに輝くのは……飾り気の無い、小さな指輪だった。
 これを贈ってくれた人の言葉を思い出す。
(両手の指にはめれば、心を落ち着かせる効果が。二人で付ければ、それは友情の証に……)
 両の指に嵌めたそれを、手が白くなるまで握り締める。
(シャトワール……勇気を、ください)
 そして、静かに瞳を開き……。
「やって、ください」
 呟いたのは、そのひと言だ。
「沙灯……あなた!」
「万里とアレク様と、ソフィアと……。みんなが笑ってる世界が見られて、私……満足ですから」
 少なくとも、彼女の知る悲劇は避けられたのだ。ならば、その先まで望むのは欲張り過ぎというものだろう。
「昌さん、万里をお願いします」
「そういう意味じゃない! 私が言いたかったのは……!」
「早く! このままじゃ、世界が本当に終わっちゃう!」
 昌の叫びさえかき消す沙灯の言葉に弾かれるように、万里はその場を駆け出した。
「昌!」
「……あああもうっ!」
 白い兎と共に一瞬で間合を詰め、いつの間にか二脚の人型に転じた九尾の白狐は、兎に向けられた神王の刃を撥ね上げ、がら空きになった右腕を力任せに両断する。
「なら、決まりだな」
「ヴァル殿!?」
 万里によって斬り飛ばされた右腕の切断面からは、既に新しい腕が再生を始めていた。まだ完全な形を成す前にそこに大鎌を叩き込みながら、ヴァルキュリアは白虎の少女に言葉を投げかける。
「その程度の隙や時間くらいは稼いでやる。その策とやら、やってみせろ!」
 既に一度殺した相手だ。
 もう一度殺すことなど……難しくもない。
「ヴァル殿……」
「……死にはせん。私にも、叶えたい夢の一つや二つあるからな!」


 ククロと、神王。
 そこは、たった二人だけの戦場。
 イメージこそが優劣を決めるその世界に立っているのは、あるはずのない三人目の存在だった。
「それで……」
 ククロのイメージではない。いかに想像が形になるこの世界でも、人間だけは生み出すことが出来なかったはず……なのに。
「ここはどこなのだ。ククロ」
「分からないで来ちゃったの!?」
 それもククロの思考にはない質問だ。
 どうやら、本物のムツキなのは間違いないらしいが……。
「苦戦しておると聞いてな。アークの根元で見つけたコネクタを使って、お主の真似をして繋いでみた」
 後は、ムツキにとってはさして難しい事では無かった。耳をそばだて、文字通りの手探りで進むいつもの地中のように振る舞っていれば、いつしかここに立っていたのだ。
「あはははははははははっ! ムツキなのに、なんでそんな無茶を」
 いつものムツキなら。ククロの知る老人ならば、もっと慎重に動いただろう。情報を集め、目と耳を凝らし、まさしく地の底で力を溜める竜の如く身を潜め……必殺の機会を窺ったはずだ。
「それは褒めておるのか、けなしておるのか」
 間違いない。
 知らないからこそ、本物だ。
 人の想像した形や姿を軽く飛び越える。人の想像力にさらに弾みと勢いを付けさせる、外からの存在だ。
「褒めてるんだよ。難しい事は省くけど、もう少しあの神王を足止めしなきゃいけないんだ。任せていい?」
「そのために来たのだ。……話は通じる相手か?」
「無理だと思う」
 言いたい事はそれなりにあったのだが、よく考えればククロは拳より言葉と技術に通じたタイプだ。恐らくムツキの思い描く言葉の類は、既に言い尽くした後だろう。
「であれば、まずは体に言い聞かせる必要があるか……。ククロ、その神獣はどうした?」
 ククロは翼の生えたナーガに乗っているし、目の前の神王もバルミュラを駆っている。薄紫の世界でも呼吸には不自由しないようだし、なぜか腕も義手ではなくかつての熊の手に戻っていたが……シュヴァリエ相手に素手ではいくら何でも心許ない。
「考えれば大丈夫。心に思い描けば、だいたい思ったことがその通りになる世界だよ!」
「おかしな仕掛けだ」
 そう呟いた老爺に容赦なく振り下ろされたのは、眼前からの一撃だった。
 どうやら討つのは今だと悟ったのだろう。不確定な要素なら、それが脅威にならないうちに排除するのは基本中の基本。
 そしてそれは、目の前の亡霊が話の通じない相手だと理解するには十分な一撃だった。
「ムツキ!?」
 故に。
「……なるほど。考えが反映されるとは、こういう事か」
 立ちこめる土煙が晴れた、そこに立つのは。
「ムツキ……?」
 巨大な左腕を備えた、偉丈夫だった。
「他にどう見える?」
「ムツキに見えないから聞いてるんだよ!」
 戻っていた荒熊の左腕はひと回り大きく、目元を覆う分厚い布もなく……何より、若い。
「失敬な。たかだか三、四十ほど若くしただけだぞ」
 荒熊の左手で掴み止めていた刃を放し、男はゆっくりと歩き出す。
「それだけ若返れば十分分かんないって……」
 相手の力がどれほどか、その一合で理解したのだろう。刀を構えたバルミュラは距離を取り、再びこちらの出方を窺っている。
「でも、ありがと。助かる」
「貴様も前に言うておったろう。出来る限りの事をしろと」
 若い力の代わりにはならない。今の姿など、見せかけの若さでしかない。
 けれど、若い力に先鞭を付け、道を作る一助くらいは……まだ、出来る。
「儂はまだ、それをしておらん」
 それをするために、彼はここまでやってきたのだ。
「さて……ならば神王よ。ヒサ家の妄執よ」
 足元から姿を見せるのは、ククロの知らない巨大な爪を持つ神獣だ。それが何であるかを理解しているのは、恐らくこの場ではムツキただ一人だろう。
「儂が死んだ後なら何も言わんが……まだ生き長らえておる以上、口を出させて貰う」
 戦場を共に駆けていた頃の相棒と一つになったムツキの一撃は、迫る神王を振り下ろされた刃ごと折り砕き。
「儂の教育は、少々厳しいぞ?」
 力任せに、吹き飛ばす。


 放たれた斬撃を力強く受け止めたのは、黒金の大盾。
 火花散るその影から放たれたのは、両手に構えられた双の白鞘の連撃だ。
「はあああああああっ!」
 迫る刃を巨大な鉤爪に変化させた片腕で弾いておいて、返す一撃で神王は盾の向こうの黒金の騎士を斬り付ける。
「甘いってば!」
 だが、その時には既に盾の向こうに騎士の姿はない。
 昌の放った無数の閃光を目くらましに、叩き付けるのは両手持ちに切り替えた片手半だ。
 捉えたのは、がら空きになっていた左腕。
 ソフィアの斬撃を受け、神王の左腕が宙を舞う。
「ヴァル!」
「応!」
 ソフィアの攻撃はそこまでだ。
 けれどそのひと言に連携し、続けざまの大鎌が振るわれる。
「動きが……鈍っている?」
 そこからさらに続いたセタの槍もリフィリアの斧も、的確に装甲の薄い部分を貫いていた。いかに体勢を崩した所に打ち込まれた攻撃とはいえ、先程までの神王であればその半分は受け止めていただろう。
「再生も遅くなってる……」
 機体の再生速度も、先程までの半分にも満たない。
 再びのソフィアと万里の攻撃に両膝を砕かれ、神王の機体はついにその場に膝を着く。
「ならば!」
 何が原因かは分からないが、恐らく今こそが最大の好機。
 追撃の大鎌を振り降ろすヴァルキュリアの視界の隅に映ったのは……。
 今までにも幾度か目にした、白い猫の耳を持つ少女の幻。
(そうか。貴様が『本物の』珀亜か……!)
 それは、彼女の知る白虎の耳を持つ少女ではない。黒い虎縞のない、純白の耳。
 今なら彼女がヴァルキュリアの前に現れた理由も分かる。
「今だ!」
 だからこそヴァルキュリアは、その叫びに名前を続けはしなかった。
「応!」
 珀亜か、珀牙か。
 白く強い気をまとい駆け出した仮面の神獣の駆り手を、どう呼ぶべきか分からなかったから。
「……我が妹よ。今こそ返すぞ、この身体」
 場に響く声は、想いは、いつもの凜とした少女のそれではない。
「この声、珀牙さん……!?」
 仮面の神獣から放たれたのは、万里や昌の良く知る若き将の声だった。
「神王……いや、珀牙・クズキリの身体よ!」
 虎の頭蓋を模した騎体を覆うように漂う白い霧は、いつしか頭蓋が取っていたかつての姿へと。騎体に比べて不釣り合いに大きかった朱鞘の太刀を振るうに相応しい体躯へと変えていく。
「汝の真なる魂はここにある!」
 朱鞘を払い、白虎の容を取った神獣は力強く大地を蹴る。
 葛桐の一族は、神降ろしの一族。
「我が魂を受け入れ……」
 故に、降ろすと同時に祓うことも得手とする。
 祓いの極み。
「邪なる魂を、振り払うがいい!」
 かつて九頭の竜さえ斬り祓ったとされる斬撃が、神王の繋がるバルミュラを一刀両断に断ち切った。


続劇

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