12.竜虎、相咆ゆる 世界樹を支える最下層。 響き渡るのは鋼と、それに等しい硬度を備えた生体部品の打ち合う音だった。 「貴様、何を考えておる」 ムツキの叫びに応じて動く巨大な獣は、ずんぐりとした体躯を持つ土竜に似た神獣だ。振り下ろされたバルミュラの巨大な刃を鋭い爪で捌き、その隙を突いて足元のムツキがシャトワールに襲いかかる。 さすがにこの激突音に満たされた世界の中、聴覚だけには頼れない。シャトワールを見据えるのは、引き上げられた布の下から覗く猛禽の瞳だ。 「言う必要がありますか?」 対するシャトワールに武術の心得はない。そんなシャトワールがムツキの武技を防げたのは、間に巨大な腕が割り込んだからだ。 ムツキの神獣に攻撃をいなされた、翼の巨人の腕である。 「貴様にはなくとも、儂にはある。……エイジモール!」 神獣は、僅かながらも知性を持つ。本来は好まぬ主や装備に嫌悪を示し、呼べば近寄ってくる程度の物でしかないが……主との繋がりが長くなり、十分な経験を積めば、簡単な戦いをこなすことも不可能ではない。 大半の神獣はその領域に辿り着く前に戦いで散る事がほとんどだが、エイジモールは長い刻を経てその領域に至る事の出来た数少ない神獣の一騎であった。 「バルミュラ」 だからこそ非戦闘用の神獣でありながら、シャトワールの守護に意思を割かれたバルミュラ程度であれば、互角以上に渡り合う事が出来るのだ。 「言え。ここに何がある」 既に戦場は世界樹の最上層部に移っている頃だろう。ムツキのような老いぼれならともかく、ただでさえ指揮官に乏しいミーノースの陣営がこんな場所に人を寄越すという事は……それだけの価値を持つ何かがあるという裏返し。 「あなたもそれを探していたのではないですか? ムツキさん」 「やはりか。…………ッ!?」 そんなムツキの頭上に現れたのは、巨大な影。 ムツキとエイジモールは二つで一つ。 けれどシャトワールと翼の巨人は、その括りにはない。 「伏兵……………ッ」 どこからともなく現れたもう一体の翼の巨人が、老爺に向けて無慈悲に拳を振り下ろす。 「アーデルベルト! 無事か、アーデルベルト!」 アーデルベルトの意識を引き戻したのは、通信機から響くノイズ混じりの声だった。 「ああ……大丈夫だ、ジョーレッセ」 「アーデルベルト! 返事をしろ!」 だが、アーデルベルトがいくら答えても、通信機は環の呼びかけを繰り返すだけ。 「……どうにもならんな」 どうやらマイク部分ではなく、送信に関わる機構が故障しているのだろう。 神揚の思念通信も覚えておけば良かったな……などと今更ながらに思いつつ、アーデルベルトは自身の身体と機体の様子を確かめていく。 (日明のガーディアン、転がしておけばよかったか) エレたち上層に向かった数人はしていたようだが、さすがにアーデルベルト自身がした事は一度もない。 「……ふむ」 そんな事を考えているうちに、チェックが終わる。 滑落の衝撃を全て引き受けてくれたのだろう。アーデルベルト自身の身体は怪我らしきものはないが、アームコートに関してはほとんどの部位が動かなくなっていた。 「このまま戻るのは厳しいな……」 念のために非常用の空気ボンベを開放しておいて、手動でハッチを開く。外に薄紫の空気が交じっていれば遅かれ早かれ助からないが、周囲の状況さえ確かめられずに死ぬ……という最悪の事態くらいは避けられるだろう。 「……工廠の一部か」 辺りの空気はいくらか淀んでいるものの、いまだ清浄なものだった。 どうやら世界樹の隆起に巻き込まれた工廠の一角らしい。辺りにはアームコートの部品や装備の類が幾つも散らばり、幹の一部として混ざり合っている。 「何か残っていればいいのだが」 通信機の一つでもあれば、本営にこちらの心配をするなと伝える事も出来るだろう。まだ稼働する作業機やアームコートがあれば、帰還も現実味を帯びてくる。 そんな事を考えながら歩くアーデルベルトが足を止めたのは、まだ屋根の残っている一角だった。 「……これは」 そこに収められていたのは、一体の神獣だ。 「いや……神獣ではないのか?」 白い虎を模した人型には、機体各所にキングアーツ製らしき金属部品が埋め込まれている。純粋な神獣ではなく、セタのMK-IIや昌の兎のような、アームコートと神獣の長所を掛け合わせた機体なのだろう。 最近のイズミルでは盛んに研究されていたと聞く。その試作が一体や二体残っていても不思議ではない。 「確か昌の騎体は、この辺に……」 見当を付けて背中の一角に触れれば、操縦席のハッチが音もなく開いていく。 その内側も、キングアーツと神揚の様式を併せ持ったものだった。 「やれやれ。誰の無謀が感染ったかな」 まだ機体の動力が残っている事を確かめ、慣れた様子で身体を収める。 今の状況でアーデルベルトに助けが来るとは考えづらいし、そもそも彼の救出に貴重な守備兵力を割くべきではない。ここから通信だけを放っても、味方に動揺を与えるだけだろう。 どうせ死ぬならば、機体が動く可能性を信じて挑んでみる方がいい。 「ヴァイスティーガ……弐式……『王虎』。それが、お前の名か」 意識を集中させれば、白虎の操縦席からコネクタを介して機体の初期情報が次々と流れ込んでくる。 その名の……弐式という型番の由来を、アーデルベルトは知らない。けれどその機体が未だ生きており、何かしらの強い想いを抱いている事だけは理解出来た。 「ならば……行くぞ」 機械仕掛けの頭部に光が灯り。 滅びの原野に散った白虎は、今ひとたび戦場に立ち上がる。 響き渡る激突音の中、傍らの黄金竜が問うたのはそんな言葉だった。 「加勢せんのか?」 目の前で繰り広げられているのは、赤い獅子と紺色の異形の激突だ。場を離れようとする獅子を絶妙な立ち位置で牽制しながら、異形はある時は蹴り技を繰り出し、またある時は両腕の長銃を乱射する。 「出来るならしたいですけど……今はさすがに。鳴神さんは?」 「今加わるのは無粋というものであろう」 黄金竜が構えるのは、赤い獅子が目指す道の先。戦いに加わらぬと公言していながらも、相手の退路は容赦なく塞いでいるのだ、この男は。 「はぁ……」 何が無粋かは、千茅にはよく分からない。ただエレの手助けになるタイミングを、ひたすらに見計らうだけだ。 「テメェが暴れるのは何のためだ? もう蘭衆の事なんかどうでもいいのか?」 そんな千茅の駆る神獣の胎内。組み付けられたキングアーツ製の通信機から聞こえてくるのは、眼前で戦うエレの挑発の言葉である。 「知ってるか? 今のお前、蘭衆から賞金賭けられてるんだとよ」 以前、休暇を使って蘭衆に旅をしたプレセアから聞いた話だ。かつては蘭衆の独立を謳ってメガリ・エクリシアを占領したアーレスだったが……それは蘭衆の総意ではなく、一部の強硬派の暴走によるもの。 その姿勢を明確にするために蘭衆が取ったのが、懸賞金という選択だったのだ。 「知るかンな事! 全部滅びゃいいんだ!」 エレの挑発など、既にアーレスの耳には入っていない。彼女の放つ言葉を敵意としてのみ認識し、大太刀の一撃を容赦なく叩き付ける。 「はっ! そこでキレるから、皮も剥けてないガキだってんだよ! 何だったらお姉さんが筆おろししてやろうか?」 怒りに目がくらんだアーレスの攻撃は単調で、エレからすれば避けることは難しくない。 その面だけ見ればエレに圧倒的に有利な状況だったが……エレのアームコートに装甲らしき装甲はほとんどない。白兵戦特化の獅子の一撃を受ければ、そこで戦いは終わってしまうだろう。 「黙れ痴女!」 「酸いも甘いも噛み分けたって言ってもらおうか!」 そんな綱渡りの状況をむしろ愉しむかのように、エレはアーレスの肩に蹴りの一撃を叩き込む。 蹴りを叩き込んだ反動で大きく後ろに跳び去って……それに反撃で打ち込まれるのは、彼女に追いつくほどの跳躍を見せたアーレスの大上段の斬撃だ。 「筆……おろし?」 「……おぬしは知らずともよい。それより……」 「あっ!」 苦笑する鳴神の言葉を受けて、千茅は慣れない印を組む。 「殺す! ぶっ殺……」 アーレスにとって、分かりやすい大上段の斬撃はフェイントでしかない。本命は、着地と同時に背部の推進器を組み合わせて放たれる、必殺の刺突の一撃だ。 そのはずだったのに。 「……何!?」 刺突の一撃が、放てない。 着地と同時に蹴るはずだった地面と変わらぬ太枝は、赤い獅子の足にぴったりと粘り着いたまま。 「ソイニンヴァーラさん!」 それが、歯牙にも掛けていなかった千茅の神術だと気付いた時にはもう遅い。 「おうよ!」 紺色の異形は彼女の声を聞くより早く、両腕の換装された銃を構える。この距離で動かない相手、外す事などあるはずがない。 だが、寄せ手の予想を超えたのはアーレスも同じ。 「うおおおおおおおおおおおおっ!」 大太刀を頭上の枝に放り投げ、粘着質の場と化した地面に力任せの拳を叩き付ける。 放たれた衝撃波は蜘蛛糸の罠を世界樹の枝ごと打ち砕き、枝上の世界を嵐の海の如く大きく揺さぶってみせた。 「その一撃……前にスミルナで津波起こしたヤツか!」 足に仕込まれた刃をアンカー代わりに体勢を整えながら。エレが思い出すのは、イズミルがかつてスミルナ・エクリシアと呼ばれていた頃の事だ。 まだキングアーツと神揚が和平を結ぶ前。お互いの正体も知らぬ万里達を、不自然な規模の津波が襲ったことがあった。 犯人は結局分からないままになっていたが……世界樹の枝を大波の如く揺らす先程の一撃があれば、あの津波を起こす事も不可能ではないはずだ。 「ああそうだよ! ……今度は津波じゃ済まねえけどな!」 激しい余震の残る枝の上で、エレは安定のために足を固定させたまま。立場は先程と入れ替わった形だ。 アーレスは背中の推進器を炸裂させ、揺れる世界の上を一気に飛翔する。 状況はまさに先程のエレのそれと同じ。はるか彼方の小さな岩にも正確に至るアーレスの技量があれば、この距離のエレを逃すはずもない。 射線の間に、何者も立ち塞がらなければ。 「ほぅ……。なかなか良い拳だ。男はそのくらい覇気がなくてはつまらん」 黄金の竜が、立ちはだかりさえしなければ。 「テメェも……ぶっ殺す!」 「面白い! この鳴神、貴様如き小僧にしてやられるほど甘くないぞ!」 揺れる世界など我関せずの天かける黄金竜に、アーレスは拳の一撃を力任せに叩き付けた。 |