7.darkness 「だから……」 珀亜の背中が見えなくなってから、プレセアはようやく口を開いた。 「……ヒサの二人は、万里様の側仕えに?」 弓の弦を引き絞るために。 放たれる力の規模を、強く大きくするために。 確かに瑠璃の術ではアレクたち数名の刻しか巡らなかったのに、沙灯の術ではプレセアを含む二十名近い者が術の影響を受けている。 それは沙灯と瑠璃の術力の差によるものだと思っていたが……万里とソフィア、大切な二人の姫君によって引き絞られた沙灯の心がもたらした結果でもあったのだろう。 「……あの夢では、万里が真実を知ってしまった故、少々歪んだ結果になったがな」 本来ならば、あの術の事を万里は知らないはずだった。そして万里が死したあの瞬間に沙灯の術は解き放たれ、今とは違う三周目の流れが出来ていただろう。 歯車が狂ったのは、沙灯が万里にそれを告げてしまったから。何より二人の姫君が、最悪の結果を巻き戻す事なく、それを乗り越えた未来を求め、沙灯にもそれを願ったからだ。 「それを、本来のヒサの者は迷いなく行なうと……?」 「そうすべきように育てられておるのだ」 「……狂っていますわ」 もはやそれは、教育や洗脳といったものですらない。キングアーツの常識からは考える事すら及ばない、おぞましいものだった。 それでは、ヒサの民は文字通りの駒……道具や家畜と変わらないではないか。 「なら、神王はその軛を解くために……?」 「そこまでは分からん。ヒサの出自も分からんしな」 鏡家は神揚の有力な武家の一つではあるが、その参入は鳴神の代からでしかない。建国当初から神揚帝家に仕えるヒサ家とは、格式だけで言えば天と地ほどの差があるのだ。 「だが恐らくはその力で、神揚は南方の覇者となった」 そんな鳴神でも神揚帝家の歴史を紐解けば、勝てないと思われた相手に対する逆転も、敵の手の内を読んだかのような劇的な勝利も容易く見つける事が出来る。 恐らくその裏側には、時を戻す一族の助力があったのだろう。それこそ、駒として使われた者達が無念を積み重ね、亡霊と化してしまうほどの昔から。 「そもそも第三帝位しか持たぬ万里に、それほどの駒を二人も付けた意味……考えた事があるか?」 「それは、北八楼開発のために……」 言いかけ、プレセアは言葉を止める。 プレセアの知る限り、沙灯が万里の側仕えになったのは彼女が物心ついてすぐ。瑠璃の事は知らないが、恐らくは沙灯と同じタイミングだろう。 北八楼の開発が始まったのはキングアーツと同じくここ数年の事で、二つの件には何の繋がりもない。 「八達嶺ほどの要害をなぜ小娘一人に任せる。キングアーツのように、優秀な王子に任せるのが筋ではないか?」 メガリ・エクリシアは分かる。 彼の地は建造当初から第二王子のアレクが指揮を取っており、ソフィアは対魔物用に呼ばれた応援でしかないからだ。イズミルの信任についてはソフィアの実力や立ち位置から結果的に任されたものであり、それこそ自然な流れと言えるだろう。 けれど、万里はアレクほど優秀な将ではない。 彼女も決して無能ではないが、それでもニキたち多くの宿将を御しきれず、最終的に大規模な離反を許している。それはキングアーツ王家そのものに反意を持ち、機を見計らって起こされたアーレスのクーデターとは、本質的に異なるものだ。 「まさか……」 それでも彼女がこの地を任されていたのは……。 「……第一王子や第二王子では、上手く行かなかったからだとしたら?」 帝国の第一王子や第二王子が、北八楼の開発を任されたという歴史はない。大揚の皇帝の一存で、万里に役目が任されたという。 「まさか……!」 それすらも。 頭をよぎる恐るべき推測に、プレセアは小さく身を震わせる。 「貴様が想う以上にヒサやナガシロの闇は深いぞ。術を失った小娘二人どうこうした所で、何も変わらん」 それこそ神揚帝国の重鎮たる鳴神さえも、迂闊には手が出せないほどに。 「イズミルに関しても、色々動いておったようだが……勝手に動くな。動くなら、せめて俺を巻き込め」 「……ご忠告、感謝致しますわ」 食堂へと歩き出す鳴神に小さくそう返し、プレセアも彼に続くように半壊した工廠を後にするのだった。 |