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30.ククロの、クオリア

 アークの置かれている天幕に駆け込んできたのは、将校にしても小柄な少女だった。
「ムツキさん! 大丈夫ですか!」
「大丈夫なものか」
 慌てて駆け寄ったコトナの問いに、ムツキは小さく首を振ってみせる。
「そう言えるうちは大丈夫ですよ。それより、何が起こったんですか?」
 実のところそれほど浅い傷でもなかったが、コトナは務めて軽くそう言い、頭二つ以上高いムツキの巨躯を抱え起こした。手のひらにはべったりと血がこびり付くが、構っている場合ではない。
「分からん。ククロがアークに接続すると言って消えた後、神王も後を追うようにアークの中に消えた」
「消えた……」
 接続という事は、アークにアームコートに乗るときと同じような技法を試したという事だろうか。機械の塊であるアームコートにも接続出来る義体だから、同じく古代文明の遺産であるアークにも同じ事は出来るのかもしれないが……さすがにそれは、コトナの理解を超えたやり方だった。
「が、嫌な予感がする。ひとまずここから離れた方が良かろう」
「了解しました」
 アークの中に消えたというククロのした事は良く分からないが、ムツキの感じた嫌な予感は理解出来る。むしろそれは、コトナもひしひしと感じていたことだ。
「ムツキ殿!」
 その時、天幕の屋根をめくり上げてこちらを覗き込んだのは、アーデルベルトのまとうアームコートだった。
「アーデルベルトも早く逃げろ! ここは嫌な予感がする!」
 いきなりそう言われても、現場を覗き込んだばかりのアーデルベルトには何が何やら理解出来ない。
「…………何だこれは」
 ただ分かるのは、アークと呼ばれていた石碑がその形を徐々に変貌させ、何か異形の物体に変形しようとしている事だけだ。
「言わんこっちゃない。アーデルベルト!」
 ムツキの言葉にアーデルベルトは慌てて二人をすくい上げ、コトナを脇に立っていたガーディアンの操縦席に放り込む。
「とりあえず本営に! 環や瑠璃もそこにいます!」
 姿を変貌させ始めたアークを背に、二体のアームコートはその場から慌てて走り去るのだった。


「キララウスの反応が消えた……」
「……そうですか」
 バスマルはバスマルなりに思う所があったのだろう。押し殺すように呟くその言葉に、ただただ静かに返すのはシャトワールだ。
「……ですが、その甲斐はあったようですよ」
 既に足元では、アークのあった位置に巨大な『何か』が生まれつつあった。
 ゆっくりと身をもたげ、枝葉を伸ばし、幹を太らせていくその様子は……シャトワールが戯れに作り出す、端材を使ったオブジェの如く。
「総員、引き続き可能な限り敵を押さえるように。あれが発動すれば、我々の勝ちです」
 神王の……そして、そこに属する沙灯の願い。
 世界を再び分かち、万里を悲しませないための唯一の手段。
 それこそが、目の前に伸びていく巨大な『何か』がもたらすものだ。
「おい、シャトワール!」
 しかし、万感の思いを込めてその光景を見下ろしていたシャトワールに掛けられたのは、傍らのバスマルの声だった。
「あれは……まさか…………」
 彼の指差すほうを見れば、そこに生まれ始めたのは黒く大きな渦である。
 やがてそこから顔を出したのは、シャトワールも見覚えのある空飛ぶ巨大鯨と、赤い獅子ともつれ合うように飛び出してきた黄金竜だ。
「……他にゲートを開く手段があったのか」
 連中のゲートを奪った時、バルミュラの爆破によって敵方のゲートも、こちらのゲートもちゃんと破壊したはずだった。そのいずれかの門なくして、空間を断絶したネクロポリスからこちらへは戻れないはずなのに。
「どうして……出てきてしまったのですか、沙灯……。万里も、ジュリアも……っ!」
 そこは、誰からも干渉する事の出来ない場所になるはずだったのに。
 大後退も、世界の滅びも関係ない、世界一安全な鳥籠になるはずだったのに……!


「それ……沙灯たちは知ってるの?」
 ゆっくりと薄紫の空を舞うリーティの問いに、ロッセは静かに首を振るだけだ。
「瑠璃は知っているはずですが、沙灯は知らないでしょう」
 精神面はともかく、感情的な面ではそれほど丈夫な娘ではない。その事を知っていれば、ロッセが推論するまでもなく、彼女を知る半蔵やシャトワールに実情を話しているだろう。
「じゃあ、師匠はそれを何とかするために……?」
「……半年ではどうにもなりませんでしたがね。大後退の作戦も、程々の所で失敗させるつもりだったのですが……」
 そこに甦ったアーレスが加わり、半蔵達が加わり……最終的に、この流れである。
「だったら……何で俺達を頼ってくれなかったんスか! そういう所、師匠の悪い癖ッスよ!!」
 よく考えれば、細かい事を他人に説明しないのは巻き戻しの件とクロノスの件に引き続いて三度目だ。
 事情さえ聞けば、リーティは協力を惜しまなかっただろう。恐らくは奉や、場合によっては万里やソフィアも力を貸してくれたに違いない。
「皆でネクロポリスに押しかけるわけにもいかないでしょう。……結果的には押しかけて来ましたが」
 とはいえこの件を収めれば、必要になるのはもう一度死者の都に渡る術と、その先のことだ。
 少なくともロッセの研究で何らかの結論が出るまでは、ネクロポリスと神王を何らかの形で保持しておかなければならない。
「ったくもう……」
「それより……」
 呆れたようにため息を吐くリーティに、ロッセは目の前を指し示す。
 そこに広がっているのは。
「え……これ、何………!?」
 イズミルの一角を覆い尽くす、巨大な『何か』であった。


 目の前に広がるのは、闇の中に沈む光と、光の中に輝く闇。それは遠くもあり、近くもあり。果てなく大きいようで、針の先よりもはるかに小さいものだった。
「動きにくいな……」
 けれど、そんな時にどうすれば良いか、ククロは自然と理解していた。
 意識を軽く集中すれば、彼の周囲に現れるのは無数の機械部品。それが彼を囲むように一瞬で組み上がり、まとい慣れた蛇の尾を持つアームコートへと結合する。
「お、これは良い感じ。さっすがナーガ」
 ナーガは自分で、自分はナーガだ。もはや接続する必要もない。
 軽く心に描くだけで、自らの愛機はゆっくりとその世界の中を動き出す。
「けど、これがアークの中か……。凄いな、やっぱり壊さなくて良かった」
 辺りをぼんやりと見回すだけでも、様々なことが頭の中に流れ込んできて、その全てが自然と理解出来る。考える事も思い悩む事もなく、あらゆる物が納得出来、心の中にストンと落ち込んでくるのだ。
「……なるほどなー。世界の全部が分かるって、こんな感じなのか……」
 恐らく今なら、アークの秘密も、神揚の神術体系も、学びたいこと、知りたいことは一瞬で理解出来るだろう。
 けれど。
「……なんか、損した気分だな」
 全てを知る事が出来る今の状況で生まれ出た感想は、そんなひと言だ。
 そして。
「貴様…………」
 全てを理解出来るその世界に、紛れ込んでくる意識がもう一つ。
「貴様ァ……………っ!」
 それが何か、当然ながらククロは理解していた。
「あー。やっぱり、強制介入してくるよねぇ……」
 ヒサ家の妄執が凝り固まった思念体。
 瑠璃の世界で死した珀牙・クズキリの身体に宿る、妄執の化身。
「ああ、大後退って空気浄化と逆のことやってるだけなのか。だったらこれ消去したら、イズミルの浄化も出来なくなっちゃうな……」
 どうやらアークの半分は既に神王の手に落ちているらしい。大後退を司る部分はまだククロの手の内にあるようだが、果たしてこれを持って逃げれば良いだけなのかどうか。
 アークの無限の知識の半分を奪われたせいか、正しい答えはすぐにはククロの中に浮かんでこない。
「さて。どうするべきか……」
 やると決めた以上、もちろん負ける気などあるはずがない。結果で負けるのは仕方なくても、過程で負ける気などさらさらないのだ。
 全知全能の半分を失った新しき神は、そんな事を考えながら……まずは相手と距離を開けるため、ナーガをその場から離脱させる。


 黒い渦を抜ければ、目の前に広がるのは青い世界。
「おおおおおっ!」
 だが、鳴神からすればそれどころの騒ぎではない。
 猛然と体当たりを仕掛けてきた赤い獅子を振り払い、崩れかけた体勢を整えるのに精一杯だ。
「鳴神、ソフィアはこっちで拾うから、体勢整えて!」
「助かる! 柚那!」
 二体分の大型機が身体から離れていったおかげで、機体の復帰がぐっと楽になる。
 視界の隅に、赤い獅子を拾い、落下傘らしき物を広げたコボルトの姿が映り込むが、体勢を整え終えた時には既に見えなくなっていた。
(半蔵も無事に脱出したという事か……)
「青い空……帰ってきたんだ!」
 彼の言葉を代弁するかのような少女の声に、改めて鳴神は戻ってきた彼らの世界を見渡してみせる。
 傍らには、大蜘蛛を背負ったホエキンも浮かんでいた。
 柚那のコクヨクにまたがったソフィアは、嬉しそうにそう呟いて……。
「……そう喜んでばかりもいられんようだぞ。ソフィア」
 黄金竜からの言葉に、眼下を見据えて息を呑む。
「あれ…………何!?」
 イズミルの開拓された領域の半分ほどが埋まっているだろうか。
「あれ……」
 巨大な体幹部は葉を散らした後の冬の木々にも似て。
「大きな……魔物?」
 触手とも枝ともつかぬ無数の細い腕は、文字通りの怪物のようでもあり。
「ねえ鳴神。あれって神揚の新兵器?」
 だがソフィアの問いに鳴神は、予備の腕を取り付けた右腕で小さく頭を掻くだけだ。
「覚えがない。キングアーツの兵器ではないのか? プレセア」
「こちらの物でもありませんわ」
 生物的な要素は確かに神獣のようでもあったが、あちらこちらに浮いている金属質の装甲部分は、キングアーツの工業製品のようでもあった。
 いずれにしても、お世辞にもセンスの良いものではない。
「ソフィアか!」
 やがて通信機に飛び込んできたのは、イズミルで待機していたはずの副官の声だった。
「環! このばかでっかい魔物みたいなの、何なの!?」
「分からん。ムツキの話じゃ、アークが神王とククロを呑み込んで巨大化したらしいが……とりあえず、本営も呑み込まれてる」
「何それ!?」
 上空から見れば、確かに本営のあった場所も巨大な『何か』に呑み込まれていた。環達が通信出来る程度に無事だというなら、それは申告通り『何か』の中にいるのだろう。
「だからよく分かんねえんだってば。本営と工廠にいた奴らや瑠璃は、本営に避難して何とか無事だが……」
「環の言った通りだよ! アークが神王と俺を呑み込んで、アークの力を暴走させてるんだ! このままだとこの世界樹が完成して、大後退が起きちゃう!」
 聞こえてきたその声は、ソフィアのすぐ傍らからだった。通信機でも、頭に響く思念通信でもない。
「え、ちょ、何!? 誰!?」
 声の源を探せば、いつの間に置かれていたのだろうか。
 声の主は、操縦席の隙間に無造作にはまり込んでいた、手のひらに乗るほどの小さな人形だった。
「俺、ミニククロだよ! 世界樹と一体になったククロの意思を受けて動く、ククロの分身だよ!」
「……いつ紛れ込んだの? 君」
 整備の時だろうか。
 だがククロの性格からすれば、こんな面白そうな物を作っているならこっそり操縦席に入れるどころか、堂々と自慢しに来そうなものだが……。
「ヴァルが邪魔だからって、今回の作戦前にハギア・ソピアーの操縦席に放り込んだんだ! 失礼しちゃうよね!」
「ちょ、ヴァルーっ!?」
 思わぬ事態にソフィアはホエキンのヴァルキュリアに通信を繋ごうとするが、彼女からの応答はいつまで経っても返って来ないのだった。


続劇

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