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26.もう一つの鍵

 アーレスが姿を消した後、辺りを襲ったのは原因不明の揺れであった。
「なんだったんだ、あの地震……」
「分からん。ろくでもない事だけは確かだろうが」
 そもそもこのネクロポリスが本当に空中に浮いているというなら、地震という事はないだろう。セタのランチャーのような砲撃か、それとも他の爆発でも起きたか……。
「そういうの止めろよ。言ったらホントになっちまうだろ」
 そんな事をぼやきながら、エレはふと目にした光景に足を止める。
「おい。それよりも、これって……」
 それは、一枚の窓だった。
 ただの窓なら驚くことも何もない。
「これが瑠璃の言ってた、歴史の外側ってヤツか」
 それが普通の窓と違うのは、その外側に一切の景色……建物はおろか空も地面もない、一面の闇だったからだ。
「ああうん。多分これよ。外がホラ、真っ暗でしょ?」
 柚那が二度ほど訪れた、よく分からない中空の空間のようだった。そこもネクロポリスと自分たち以外は何もなく、距離感も何もかもが掴めない場所だった事を思い出す。
「ここに歴史が見えるワケか……?」
 瑠璃の話であれば、未来なり過去なりの別の時間を垣間見る事が出来るという話だったが、今のそこはただ真っ暗なだけで、何が映る気配もない。
「何かの神術でも使うんじゃないの? 真っ暗なまんまだし」
「そうだな……」
 予知や遠見の神術には、水面や鏡に何らかの光景を映し出すものもある。これもその一種だとすれば、術の心得のない柚那たちがどれだけ頑張った所で、何も見えるはずがない。
「それより、先程の揺れが気になります。早く戻りましょう」
「ああ。アーレスも何をするか分からんからな」
 それに、作戦の終了時刻までそれほどの余裕もない。リフィリアの言葉に従い、アレク達は神王の間を後にする。


 イズミルの青い空を埋め尽くすのは、弓兵や据え置き式の弩から放たれた無数の矢と、神術炎の弾丸だ。
「弓兵は対空砲火の手を緩めずに! トラップの類は無人機には効きませんから、有人機相手に使って下さい!」
 周囲に指示を送りながら、コトナはバルミュラの胸元まで突き込んだ槍を力一杯引き抜いた。
 相手の重装甲を貫いて、既に穂先はボロボロだ。折り畳み式のそれを盾の裏側に仕舞い込み、辺りの茂みに無造作に手を伸ばせば……そこから引き抜いたのは新たな槍である。
(念のために色々仕込んでおいて正解でしたね)
 手薄になったイズミルに、何らかの方法で敵が奇襲を掛けてくる可能性はコトナの中でも十分に織り込み済みの事態だった。こんな時の事を考えて、廃墟後や周囲の茂みの各所にも様々な罠や予備の装備を仕込んでおいたのだが……。
(……別に役に立って欲しくはありませんでしたけど)
 この手の苦労は水の泡になって欲しい物だが、そんな心配を抱いている時に限って役立ってしまう。
 小さく首を振り、悪い考えと眠気を振り払って、コトナは再び機体を進めさせていく。
「コトナ、俺も出ようか!?」
 そんなコトナの通信機に入ってきたのは、いまだ工廠にいるはずのククロからの声だった。
「不要です」
 だが、その問いにコトナは短く即答する。
「クオリア少尉のいま出来る一番は、最前線に立つ事ですか?」
「……気を付けてな、コトナ」
「お互い様です」
 僅かな沈黙の後、ククロからのそんなひと言があって……通信は切れる。
「……と、強がってみたものの……あまり芳しくはありませんね」
 新型の盾は試作品ながら、バルミュラ相手にも十分以上の強度を発揮してくれていた。こちらも予備を幾つか用意してもらっていたが、今のところそれに取り替える必要もないほどだ。
 けれど、二度も続けて負けてはいられない。
 アーデルベルトや救出部隊もどうなっているか分からないし、メガリや八達嶺からの応援が来るまでにはまだ時間がかかる。そもそも両方に残した守備部隊は戦闘経験も浅く、応援に来た所でどこまで役に立つかすら分からないのだ。
 本音を言えば、今は戦闘が得意ではないククロでさえ、助力に来て欲しい所だったが……。
 彼には彼の、役割がある。
「……やるしか、ありませんよね」
 そんな決意と共に青い空を見上げれば、そこには大きな瑠璃色の翼を広げる神獣の姿があった。
「あれは……テルクシエペイア!?」
 確か沙灯のヒメロパと対になって作られた飛行型神獣のはずだ。半年前のクーデターで、ネクロポリス側に寝返ったニキが逃亡の際に乗っていったと聞いていたが……。
 そして、その瑠璃色の翼に挑むのは、コトナも見慣れた漆黒の翼。
「リーティ!」


 いまだ迫り来る翼の巨人を切り払いながら、珀亜は傍らで戦う漆黒の闘士の名を呼んだ。
「……ヴァル殿」
 ヴァルキュリアからの答えはなく、ただ戦闘の示す短い気合と呼吸音が響くだけ。
 それを続きを促しているのだと取り、珀亜は静かに言葉を紡ぐ。
「以前の貸し、返して戴いても構いませんか?」
「……どういう事だ?」
 その言葉に、もちろん覚えはある。
 柚那とジュリアの転移で有耶無耶になってしまった手合わせを、ヴァルキュリアはいつか返すべき貸しとして珀亜に預けたままにしていたのだ。
「周囲の敵を殲滅します」
 本来であれば、神王のそれを見定めた瞬間に使うべき所だったのだろう。けれどあの場はヴァルキュリアもこちらのフォローに回れる状態ではなかったし、相打ち覚悟で戦ってはそれこそ珀亜としては本末転倒だ。
 しかし、今なら……。
「……分かった」
 短い答えに小さく頷き、意識を集中させようとした……その時だった。
「クズキリさーんっ!」
 珀亜の元に刃を向けた二体の翼の巨人が、二体の神獣に蹴り飛ばされ、殴り飛ばされたのは。
「応援に来ましたっ!」
 蹴り飛ばしたのは、真っ白な兎に似た騎体。
 そして殴り飛ばしたのは、厚めの装甲を備えた量産騎。
「千茅殿。無事だったか……」
 どうやらここで切り札を切ることはないらしい。倍に増えた戦力を前に集中を解き、珀亜は小さく安堵の声を上げてみせる。
「はい! みなさんのおかげで何とか!」
 一瞬どうして彼女の騎体があるのかとも思ったが、千茅は自分の騎体と一緒にイズミルに運ばれる途中で攫われていた事を思い出す。
 という事は……。
「万里殿もご無事か!」
「もちろん! 今は乗れる騎体がないから、ソフィア達とホエキンにいるはずだけど……」
 その言葉に一瞬動きを止めたのは、珀亜ではなく、その傍らで戦っていたヴァルキュリアだった。
「……昌、ソフィアも戻っているのか?」
「うん。戻ってきてるけど……どうしたの?」
 ヴァルキュリアはどちらかといえば敵部隊を殲滅させる思考が優先で、ソフィア達の心配はそれほどしていないように思えていたが……。
「なら、少しここを任せて良いか? すぐ戻る」
「あ、ちょっと!」
 倍に増えたはずの戦力が、途端に五割増しに減ってしまう。
 昌の声を背中に浴びながらも、ヴァルキュリアは機体を一気に加速させるのだった。


 青い空を切り裂くのは、瑠璃色と黒、二つの翼。
「師匠! 何やってんだよ!」
「リーティ、瑠璃はどこですか」
「姐さんはもう帝都に向かってるよ! ここにはいねえ!」
 そんな思念が届いた瞬間、瑠璃色の翼は一瞬でその向きを変え、一路南へと進路を取る。
 もちろんそれはリーティのハッタリだ。しかしそのハッタリさえ通じてしまうほど、今のロッセは余裕がないらしい。
「で、何で大後退なんか起こそうとしたんだよ!」
 ロッセの駆るテルクシエペイアも、色々改良が施されているのだろう。以前まみえたときと比べて動きそのものは良くなっていたが、それでも飛行型神獣を駆り慣れたリーティに及ぶものではない。
「オレ達みたいな孤児を、師匠が増やす気かよ!」
「……瑠璃が望んだからです」
 まっすぐに翔ぼうとするテルクシエペイアの進路に素早く回り込み、マヴァでその道を塞いでしまう。
「姐さんはそんなこと望んじゃいねぇってば! エレ達とお菓子食べてお酒呑んでる方が楽しいってさ!」
 マヴァの動きを避けて飛ぶテルクにさらに回り込み、互いに舞うような軌道を取りながら、リーティは師匠と仰いだ青年に強い言葉を叩き付け続ける。
「……あなた達は、知らないから……ッ!」
「何がだよ! オレがバカなの知ってるだろ! ちゃんと言ってくれねえと分かんねえッスよ!」
 そして放たれたマヴァの蹴りが、瑠璃色の翼の中心を捉え。吹き飛んだテルクはくるくると宙を舞い……。
「って、師匠っ!?」
 踏みとどまったのは、薄紫の大地に激突する直前だ。
「…………ですよ」
 ゆっくりと騎体を立て直しながらロッセの紡いだ言葉は、焦りとノイズ混じりで、リーティには正しく聞こえなかった。
「……今、何て言った? 師匠」
 その問いを受けて、ロッセは改めて思念を紡ぎ出す。
「瑠璃達が、既に死者だという事ですよ」
「…………は?」
 はっきりと聞こえたその言葉に、リーティは改めて疑問符を浮かばせる。


 橋頭堡の最深部。
 確保したホエキンの影でソフィアと万里が聞いていたのは、やはりアームコートを持ってきていないジュリアの話だった。
「……そうですか。半蔵がそんな事を」
「うん。私たちだけじゃ大河の一滴にしかならないけど……あの未来の話を、国のみんなに伝えて欲しいって」
 最終的に単独行動になっていたジュリアに、そんな話をしたのだという。
 ジュリアや半蔵のような一般兵の話であれば、誰も信じはしないだろう。しかしそれぞれの国に大きな影響力を持つ彼女たちの話なら……。
「そうすれば、大河そのものを変えられる……か」
 神術の概念そのものがないキングアーツでは難しいだろう。
 そして時巡りの術が秘術とされている神揚では、その存在を広めることはさらに難しいに違いない。
 けれどそれで戦いを止める事が出来るなら。
「それで、半蔵は?」
「どこかに行っちゃった」
 ゲートは既に閉じてしまったから、ネクロポリスの居住区辺りにいるのだろうが……今この場を離れても、ネクロポリスに取り残されるだけでしかない。
「でも、どうやってゲートをもう一度開くの? セタのバスターランチャーはもう使えないんでしょ?」
 セタ達も既に戻ってきていたが、彼のランチャーは塞いだ通路をこじ開けるための射撃で動力炉が焼き付き、既に使える状態にない。動力炉だけなら周囲にいくらでも転がっているが、ここにはそれを解体出来る技術者がいないのだ。
「ええ。ククロ君でもいれば、どうにかなったのでしょうけれど」
 補修部隊の兵はアームコート専門だし、エレもテストパイロットというだけで、機体の整備は門外漢である。
「柚那の転移術でも、一体か二体運ぶのが精一杯だそうだし……」
 しかも柚那がこちらに戻れる確実な保証はないのだ。そうなれば、残された者はそれこそこの世界に置き去りになってしまう。
「せめて、あたしのハギアがあれば……」
 今もイズミルにいるククロの話では、ハギア・ソピアーのブラスターであれば、セタのランチャーに匹敵する空間の歪みを生むことが出来たのだという。
 けれどハギア・ソピアーも、イズミルの工廠に置いたまま。
「あるぞ」
 だが、そう言って背負っていた巨大な棺を置いたのは、大鎌を担いだ漆黒の闘士だった。
「ヴァル!? まさか、それって……!」
 ラーズグリズが無造作に棺桶の蓋を殴りつけると、閉じられていた蓋はゆっくりと開いていき……。
「ハギア・ソピアー!」
 アームコートほどの大きさを持つ棺の中から姿を見せたのは、彼女の黒金の騎士だった。


続劇

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