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13.黒白、相打つ

 辺りに広がるのは、一面の闇。
 いや、それを闇と呼んで良いかどうかさえ分からない。
「ここは……?」
 一面の黒ではある。
 けれど明かりを付けなくても自機の手足までちゃんと見えるし、ジュリアの傍らに寄り添う鷲頭の獅子の姿もはっきりと見えるのだ。
 どこかに光源はあるのだろうが、その光源もどこにあるのか分からない。影の向きもばらばらで、まるであちこちから光が注いでいるようにも見えた。
「……上手く行ったみたいね」
 その一点に視線を向けたままの鷲頭の獅子……柚那の言葉にそちらを見れば、はるか彼方に小さな逆三角形の物体がある事を理解する。
「じゃあ、あの浮いてる建物が……?」
 はるか彼方にあるはずなのに、それは近くにあるように細かなディテールまではっきりと見る事が出来た。ただ、精密射撃用のセンサー類を総動員しても、それとの距離感は今ひとつはっきりしない。
「瑠璃ちゃんの話が冗談じゃないならね」
「だったら、今のウチに動きましょ!」
 だが彼女の言う通り、歪んだ空間と転移神術の組み合わせで何とか辿り着く事が出来た。後は向こうに気付かれないうちに距離を詰め、可能なら……。
「動きにくいなら、コクヨクに乗っていいわよ」
 闇の中では足場がないためジュリアは大きな動きが取れなかったが、柚那のコクヨクには翼がある。柚那はジュリアが自身の騎体にまたがった感触を確かめて、ゆっくりと逆三角の建物に向けて動き出す。
「あ。なんか出てきた!」
 射撃用の機体だから目は良いのだろう。柚那にその光景の変化はすぐには分からなかったが、建物に近付くにつれ、周囲に小さな影が浮かんでいるのが見えてくる。
「……まだ随分遠かったみたいね。ジュリアちゃん、作戦その三で行くわよ」
 操縦席のの隅に置かれた通信機械からジュリアの声が返ってきたのを確かめて、柚那はコクヨクを一気に加速。あらかじめ唱えておいた神術を起動させ、周囲に次々と獅子の姿を模した炎を生み出していく。
 その間、背中のジュリアに動きはない。本来ならば突入時の火力支援は射撃機体である彼女の役目であるはずなのに、それさえ柚那に任せて左腕の大弓を構えたままだ。
「はああああああっ!」
 鋼鉄の機体とも思えぬ機敏さで距離を詰めてくる翼の巨人たちから身を躱し、避けきれない攻撃は獅子の炎で弾き飛ばして、加速するコクヨクはただただひたすらまっすぐに飛翔する。
「ジュリアちゃん、まだぁ!?」
「もうちょっと…………ここならっ!」
 そんな加速に加速を重ねるコクヨクを追い抜いて飛んだのは、柚那の背中……ジュリアの弓から放たれた一条の光の矢であった。
「当たった!」
 構えていた矢は、鋭い鏃の代わりに敵を捕縛するためのトリモチが付けられたものだ。それが建物の壁に命中したのを確かめて、ジュリアは足下の柚那に合図を送る。
「上出来! 撤退するわよ!」
 柚那もそれと同時に、唱えていた転移術を解放。
 翼の巨人達が改めて殺到する頃には、既に何も残ってはいない。


 謁見の広間を彩るのは、一面の黒。
 それは広間の内装も、壁に大きく開けられた窓の外も変わらない。ただ黒大理の硬質な黒か、全てを呑み込む深い黒かという違いだけだ。
「……鼠か」
 この城塞唯一の窓と言って良いそこを覗き込み、姿を消した騎獣の兵をそう評したのは、白い仮面を被った人物である。
「そのようですね」
 この異世界に浮かぶ巨城の主に従うように窓を覗いていたのは、禿頭無毛の人物と、久方ぶりに自室から姿を見せた黒豹の脚を持つ青年の二人だった。
「撤退の判断の早さからするに、偵察と実験が半々といった所ですか」
 既に窓の外では、敵を追い払った数十機ものバルミュラが帰還を始めている。たったひと組の侵入者に対して過剰とも言える防衛ではあるが、それがこちら側のやり方なのだろう。
「翼のある神獣に乗っていたのはシャトー・ラトゥールでした。……やはりこちらに来る術を身に付けていたのですね。クロノスでしょうか?」
 ロッセがあちらの世界に残してきたままの、空間を操るという神獣である。前回の戦いで奪取しようとして失敗していたが、それをここまで活用出来るとなると……前回の失敗は痛く、再度の奪取はひたすらに難しくなるだろう。
「クロノスそのものに転移の能力はないが……相応の神術師を呼んだか、アークの解析でそれらしい物を見つけていたか……」
 いずれにしても、まだ数日は動けないこちらより先に仕掛けてくるのは確実だろう。
「やはり、こちらからも総力戦を挑むべきではありませんか?」
「……それは反対すると言っただろう。まずは向こうからの迎撃を確実に行なう」
 だが、既にシャトワールはロッセの方を見てはいない。
 その緑の瞳が写しているのは彼の後ろ……シャトワールや半蔵以上に表情を持たぬ、白い仮面であった。
「陛下。如何でしょう? 私としては、何としてでも陛下の想いを実現させたいのですが……」
「……任せる」
 シャトワールの言葉に対する神王の答えは、ごく短いもの。
「御意に」
「…………陛下!」
「案ずるな、ロッセ」
 黒豹の脚を持つ青年をひと言で諫め、神王は長衣の裾を翻し、そのまま自室へと姿を消してしまう。
「ならば、私も同行いたしますぞ!」
「任せる」
 やはり短い返答と、黒大理の壁に響く静かな音を聞きながら、ロッセはもう一度頭を垂れてみせるのだった。


(どうして、こうなってしまったんだろう……)
 刃を構えたヴァルキュリアの前に立つのは、あの時と同じ白い虎の姿だった。
 二つほど違う所を挙げるとすれば、一つはそれが神獣ではなく人間だった事と……あの時は青年だったという相手が、今は少女になっている事だ。
「参る!」
 眼前の白虎の娘が咆え、大地を蹴る。
(……迅いッ!)
 話では、まだ軍に入って日も浅く、しかも直近の半年は帝都の自宅で休養を取っていたと聞く。けれど踏み込みの迷いの無さも、構えた刃の鋭さも、そんな事は微塵も感じさせないものだ。
「あああああああッ!」
 放たれた刃を引き抜いた剣で弾き返し、こちらも斬撃を二度、三度。
「ヴァル殿。それが、兄を葬ったという刃か!」
 彼女の兄と戦った場所は、戦場だった。
 そこで相見える以上、命を賭けているのは互いに同じ。相手を葬り去る事に、抵抗などあるはずもない。
 けれど……。
「……ちっ!」
 ヴァルキュリアの刃は、自身でも分かるほどに迷いを孕み、切っ先を鈍くするものだ。
(この程度の事で迷うというのか、私は……!)
 アームコートをまとい、白虎の魔物を狩った時は、今よりはるかに迷いなく刃を振るえていたはずなのに……。
「はあああああっ!」
 兄を殺した事を妹に告げ、それに遺恨があるなら斬れと伝えたはずなのに。
 その妹が求めたのは、ただ斬る事ではなく……全力を尽くしての、真剣勝負だったのだ。
(斬る気なら、さっさと斬れば良い物を……!)
 生まれた迷いは、そんな奇妙な注文によるものだろう。
 その見えない真意と苛立ちを振り払うように、ヴァルキュリアは声を上げ、刃を振るう。
(まだだ……。まだ、このようなものではなかった……!)
 そして相対する珀亜は、振るわれる刃に失望を隠しきれずにいる。
 あの戦いの中で相対した刃は、今よりももっと荒々しい、まさに戦鬼の……獣の如き猛攻だった。
 その鬼神の刃を前に、今の自分はどれほど抗う事が出来るのか。
 純粋に、それを確かめたかっただけなのに。
「何をしておるのだ。こんな所で」
 そんな二人のぶつかる刃の音を聞き、姿を見せたのは目元を分厚い布で覆った老人だった。
「爺ちゃんか。珀亜のお兄さんを殺したのって、ヴァルだったんだってさ」
 本来はもっと早くに名乗り出るつもりだったらしいが、肝心の珀亜が帝都に戻っていたため、今まで名乗るタイミングがなかったらしい。
「だが、それは戦場の常であろう?」
 命の取り合いは、戦場であれば当たり前の事。しかも珀亜は半年前の決戦で、その遺恨を真っ向から否定した立場である。
 半年が過ぎて考えが変わったようにも見えなかったし、ましてや謝罪に来たヴァルキュリアから勝負を挑むとも考えにくかったが……。
「手合わせだそうです」
「……なるほどな。珀牙を倒した剣を見てみたいと思ったか」
 だとすれば、その気持ちは分からないでもない。
 事実、珀亜の振るう剣も放つ気合も、怒りや悲しみといったものは感じられない。
 むしろ……。
(……にしては、随分とヴァルが揺れておるな。敵意を向けられた事がないわけでもなかろうに)
 分厚い布をちらりと上げて、二人の少女の剣戟を確かめる。
 彼女の手合わせの光景は何度か目にした事もあるが、今日のヴァルキュリアの刃は迷いが多く、いつもの冷徹とも取れる気が感じられない。
「ヴァル殿! 加減は無用ぞ!」
「なら、本当に容赦せんぞッ!」
 珀亜の言葉に対して放たれたその声すらも、対する相手への答えというより、自分自身に向けているかのよう。
「……お主らは、どちらが勝つと思う?」
 故に何となく問うたのは、その手合わせを共に見ていた一同に向けてだった。
「ヴァルじゃないの?」
「難しい所だな」
 本来の実力だけで言えば、勝るのは恐らく痛みを顧みないヴァルキュリアだろう。肉を切らせて骨を断つ戦いぶりがアームコート以外でも発揮出来るのは、全身義体の明らかな強みである。
「迷いがないのは、珀亜でしょうが……」
 けれどその実力が発揮出来ていないのは、誰が見ても明らかなほどで……。
「破ぁぁぁぁっ!」
 迫る刃と。
「…………ッ!」
 交差する剣と。
 その二つが激突する、瞬間だった。
「何だ……!?」
 空間が歪み、二人の間に巨大な塊が姿を見せたのは。
「敵襲……っ!?」
 もちろん刃を打ち交わす間などない。
 その一点を離れた二人が見上げたのは……!
「いや、これは…………」
 一瞬はバルミュラかとも思うが、その倍ほどもあろうかという巨大な塊は、鷲頭の獅子にまたがった銀色の弓兵という姿を徐々に露わにしていく。
「…………ジュリア!?」
 その二つは、当然ながらキングアーツと神揚の兵のどちらも存在を知るものだ。
「お前達、何をやっておる!」
 転移術が完成し、その姿を確かにした二体の巨大兵に、ムツキの叱咤の声が叩き付けられた。


続劇

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