8.囲む卓、睨み合う卓 「六刻半……」 それは、一日のほぼ半分に値する時間。 「貴女も聞いてるでしょ?」 車椅子から伸びる手を空中で躱しながら、瑠璃が問うのはその事についてだ。 「何?」 誰もが黙ってしまったその単語を、会議に出ていなかった昌は聞いていない。 「……メガリ・イサイアスが、神獣の総攻撃を受けて壊滅するまでの時間だとよ」 呟くエレの声も、言葉を直接受けたプレセアの表情も渋い。 無理もないだろう。メガリ・イサイアスといえば、王国南部でも最大級の前線基地なのだ。城壁の強度も揃う兵力も、メガリ・エクリシアやイズミルとは比較にならない。 それが、たったの半日で焦土と化したなど……正直、信じられるものではなかった。 「アームコートも同じくらいの時間で、湖膳やルビーナを滅ぼしたけどね」 「湖膳とルビーナが……!?」 ルビーナも神揚では第三の規模を持つ都で、湖膳は古くからの王国で観光客も多い大都市である。防備もそれなりに備わっているし、当然ながら帝都の主力部隊が攻城戦を仕掛けても、半日やそこらで落とせるような場所ではない……はずなのに。 「だから大後退を起こすのが正しいとでも!?」 「別に正しくなんかないけど。……それでも、両国で百万以上死ぬよりはマシでしょ」 イサイアスで五十万、神揚の二国で八十万ほどど聞いた。それ以外に進撃の巻き添えを食らった小都市も加えれば、百五十万さえ超えるのかもしれない。 「それまでにどうにか……」 「……出来なかったから巻き戻したんだって」 「そうやって人の努力を冒涜するような……自分では責任も取らずに……ッ!」 出来なければ、巻き戻す。 それは、それまでに積み上げた全てのものを蔑ろにする行為に等しい。だからこそプレセアは苛立ち、その想いを瑠璃にぶつけようとしていたのだが……。 「ああいう仕様じゃなかったら、あたしだってちゃんと巻き戻った先で責任取ったわよ」 だが瑠璃は、そんなプレセアの弾劾の言葉をひらひらと躱すばかり。まるで、マニピュレータから逃げ回るその身と同じように。 「それとも何? 世界が終わりそうになって、それを何とか出来る方法があるのに……それを使わずに、ただ無力な自分に泣きながら見てろって言うの?」 「なら、何で今更出てきたんですの……!」 「……それが、ヒサ家の役目だから」 その言葉に、プレセアの仮面の奥で、何かが切れた音がした。 「そうやってまた誰かの名前を借りて……ッ!」 だが。 そこから伸びた機械の腕が、ようやく瑠璃を捉えようとした時……。 飛んできたそれよりはるかに大きな拳が、プレセアの機械の腕を力任せに弾き飛ばした。 「やめんか馬鹿者どもが!」 「バルミュラの動力炉は何とか目処が立ったよ。今急ピッチで作業してもらってる。炉は一応三つ確保出来たけど、明後日までって事なら一つ動かすので精一杯かな」 「構わん。それで、バスターランチャーは何とかなるな……」 ひとまずそれが出来るなら十分だ。それが形になれば、ネクロポリスへの道を開ける可能性も増える。 「後はクロノスだけか」 しかしアーデルベルトの口からもう一つの鍵の話題が出た瞬間、ククロは小さくため息を一つ。 「あっちは苦戦してるね。まだ日があるから、何とか間に合わせてはみせるけど……」 別の世界を覗くという力もあるにはあるようだが、大まかな操作の方法すらも分からないのだ。神獣の操作はアームコートと同じように人体に接続することで行なわれるが、クロノスの異能能力の操作感覚を理解出来る者が研究者の中にいないのである。 「とりあえず、動力炉は急いで一つ仕上げるよ。MK-IIに載せるのでいいんだよね?」 余裕があればエレの新しいイロニアにも組み込んで電磁砲の動力源と出来るのだろうが、流石にこの日程では間に合わない。優先順位を付けて何とかするしかないだろう。 優秀な技術者の揃うイズミルではあるが、それも決して無限ではないのだ。 「その動力炉って、シャトー・ラトゥールには乗らないの?」 「載せてもブラスターは強くならないよ」 「……ちぇ」 考えをあっさりと見透かされて、ジュリアはため息を一つ。 「で、ヴァルは何? ラーズグリズの装甲でも変える?」 彼女の使う重装型のアームコートは、一時期アレクの影武者として装甲を取り替えた事があった。今回はどちらも前線に赴くという話だったから、そんなオーダーが来てもおかしくはないタイミングだったが……。 「いや、そうではなくてだな……ちょっと来い」 「え、あ、ちょっと……っ!?」 どうやらそうではないらしい。ヴァルキュリアはククロの肩を掴むと、そのまま部屋の隅へと彼を引きずって行ってしまう。 「リフィリア」 そんな二人の様子を眺めていた一同だったが……。 アーデルベルトがふと呼び止めたのは、部屋の隅に移動して、その身を出来るだけ小さくしていたリフィリアだった。 「え、あ…………はい」 なるべく見つからないように身を潜めていたのだが、どうやら無駄だったらしい。検査器具と一緒に頭に付けたままのウサギの耳は、力なく垂れているだけだ。 だが、アーデルベルトはそんなリフィリアの格好には触れる様子もなく……。 「次の戦いでは、イズミル大隊の指揮を頼むぞ」 「は…………えっ」 予想外の言葉を掛けてみせる。 テーブルの上に並ぶのは、湯気の立つ料理の数々。 久方ぶりのそれを口に運びながら、ふと口を開いたのは千茅だった。 「沙灯さんの話を聞いて、ずっと考えてたんですけど……」 問われた沙灯は箸を止め、小さく首を傾げてみせる。 「……大後退を起こしたって、してる事ってただの時間稼ぎですよね?」 仮に再び滅びの原野を作り直したとしても、そこに満ちる毒を強くしたとしても、広げるべき版図がなくなれば南北の国は再び滅びの原野の開拓に乗り出すだろう。 今と同じように少しずつ浄化領域を広げ、メガリや楼を建設し……最終的には、今と同じ状況になるに違いない。 それが百年か千年かは分からないが……。 もしそこでダメなら、世界はまた大後退を起こすつもりなのだろうか。 「……そうですね。ですが、時には時間稼ぎも必要な事だと考えています」 「六刻半の話か……」 けれど、その百年か千年の仕切り直しは出来る。 その間に互いの文明が成熟し、和平的な邂逅が出来るようになる可能性も……ゼロではないのだ。 「っていうかさ。その話もいいんだけど……」 「何だ?」 「何であんた達がいるの? キララウス」 そう。 この食卓に着いているのは、ソフィアや沙灯達だけではない。 半年前、八達嶺とメガリから逃亡したクーデターの主犯格三人も、知らん顔で顔を並べていたのだ。 「まともな飯が食えると聞いたら、いても立ってもいられなくなってですね……」 「左様。こんな所に半年も閉じ込められてあんな物だけを食わされていれば、正直どうにかなりますぞ?」 キララウスのその言葉に、側でシチューを食べていた狒々に似た顔をした男と、メガリに使者としてやってきた男もうんうんと頷いてみせる。 「分かる! 分かるでござるよ……! 拙者は数日で限界でござった……」 「まあいいじゃない、アヤさんも。ご飯食べてる間は休戦って言ってくれてるんだし」 一応、タロたち捕虜の監視という名目もあっての事だ。それにキララウスたち三人も、食事中は捕虜に手を出すことはないと約束してくれていた。 「仕方ないわね……捕虜って不便なのね」 「……便利な捕虜なんて聞いたことないけど」 「リーティやムツキにはもうちょっと色々配慮してたと思うんだけどなぁ……」 そう言い終えてから、あの二人がメガリに囚われた時は基本的に賓客待遇だった事を思い出す。 あの時は和平が結べるかの瀬戸際だったからそんな扱いになったが、ここでそれを望むのは望みすぎというものだろう。 「……おおお、美味い」 「うむ。やはり食事というのはこういう物でござるよ……!」 暖かいスープに、故郷の調味料。殊に八達嶺にタロが来てからは世話になり続けた味だから、なおさら懐かしく感じられてしまう。 「ニキ、バスマル。この半年で、何か考えは変わりましたか?」 そんな二人に掛けられたのは、暖かいご飯を箸で口に運んでいた万里の言葉だった。 「キングアーツの連中がそう悪い奴ではないのは、キララウスの様子を見て理解し申した。……しかし死んだ者達の無念を思えば、このまま笑顔で和平というのは、納得いきかねまする」 「……もっとも、ここで姫様をどうこうしようとも思いませんが」 「そうですか……」 今となっては、ニキの言いたいこともおぼろげながら理解出来る。 だが半年前は、この問答すらまともに通じなかったのだ。半年という時間が、お互いが抱いた怒りや興奮を冷ましてくれたのだろう。 「キララウスは?」 「ここで姫様に何を言っても、自分の故郷が独立出来るわけではないでしょう?」 「……そうね」 彼らが動いたのは、神揚との全面戦争が起きる事によるキングアーツの国力低下を狙ったためだ。神揚が許せないからという直接的な理由ではない。 だが、既に和平は結ばれたも同然だ。今更それを単身で崩す事は、なおのこと難しいだろう。 さらに言えば、その隙を突いた祖国の独立も……。 「まあ、助けてもらった恩義ぶんくらいは働きますよ」 今の彼を動かすのは、その程度の気持ちだけでしかない。 (…………この人達、ホントに悪い人達なのかなぁ) そして、そんなテーブルを囲んだ千茅の頭に浮かぶのは、そんな気持ちである。 確かに目の前の三人は、クーデターを起こし、メガリや八達嶺……そして二国の間を戦争一歩手前まで追い込んだ者達だ。 けれど今は、和やかな雰囲気……とまではいかないが、少なくとも食事をしながら、まともな会話をしようとはしている。 もし、最初からこうして話し合う事が出来たなら……あのクーデターなど、起きはしなかったのではないかとさえ、思ってしまうのだ。 「千茅ちゃん、おかわりは?」 「あ、いただきます」 そうして千茅がぼうっとしている間にも、彼らと王女達の話は少しずつ前へと進んでいるようだった。 「ですが、彼奴は違いますぞ」 「ロッセ……?」 このネクロポリスにいるとは聞いていたが、黒豹の脚を持つ軍師は、今のところ万里達の元に様子見に来る気配もない。 「あの方もですが、もう一人」 ロッセは彼なりの理由があって、独自に動いているのは分かる。ただその目的も、何を考え、どんな経路を辿ろうとしているのかも誰にも分からないままだ。 「……ファーレンハイトさんですか?」 そして軍師ともう一人、この席に姿を見せぬ少年の事を千茅は静かに思い出す。 先日出会うまで、名前くらいしか聞いた覚えのなかった人物だったが……実際に目にしてみれば、それは話に聞いていた以上に苛立ちと怒りの気配をまとう少年だった。 目の前の三人が炎を上げたあとに落ち着いた熾火のようなものだとすれば、彼は今なお火勢を失わない、業火そのものを思わせる。 「うむ。彼はこの半年、負傷を癒やすためにずっと眠っており申した。故に……」 抱いた恨みも、まだ半年前のまま。 彼を駆り立てる怒りはそれが原因なのかと、千茅はようやく納得するのだった。 |