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34.勝者なき決着

 振り抜かれた拳に吹き飛んだのは、大柄な身体。
 それは黒大理の壁にしたたかに叩き付けられ、そのままずるずると崩れ落ちていく。
「どういう事ですか!」
「やめろ、ロッセ。……もう動かなくなってるだろうが」
 バスマルに放たれたのは、その一撃だけではない。既に顔の両側は腫れ上がり、壁に崩れた身体は途切れ途切れの痙攣をするだけだ。
 いかにネクロポリスの医療技術が発達しているとは言え、これでは本当に死者の仲間入りをしてしまう。
「瑠璃を置いて逃げるなど……一番安全な任務だったはずなのに……。しかも、クロノスまで……っ!」
 だが、まさかアーレスに止められるとは思わなかったのだろう。ロッセは拳から血が流れ落ちるのも厭わずに、黒大理の広間を足音高く歩き出す。
「……どこに行くんだ」
「八達嶺に。瑠璃を回収に向かいます」
 言い放つ言葉に迷いはない。バスマルや本隊の帰還からもまださして時間は経っていないから、救出に向かえばすぐに回収出来るだろう。
「あ、あの……」
 けれど、そんなロッセの背後から掛けられたのは、小さな声だった。黒豹の足の青年の紅い瞳をじろりと向けられ、沙灯は小さく身をすくめるが……。
「ゲートは、今回の作戦で……しばらくは使えません」
 シュヴァリエ達の控える大広間の奥。ゲートと呼ばれた出入り口は、沙灯の言う通り今はただの石壁と化している。
「アークの近くからのアリアドネの転移回収まで行ないましたから……。エネルギーの補充が終わるまでは最低でも四、五日はかかると。その……」
 それでなくとも大量のシュヴァリエ達の転移運用を行なったのだ。
 ネクロポリスのエネルギー事情を沙灯も詳しくは知らないが、シュヴァリエ達の修復や補充にも相当のリソースが割かれている事は想像に難くない。
「無理な物は無理でござる。らしくないでござるよ、ロッセ殿」
 沙灯を庇うような半蔵の言葉にロッセは小さく唸りを上げて……。
「…………ロッセ」
 頭上から掛けられた声に、思わずその身を震わせる。
「…………っ!?」
 黒大理の広間。一切の黒に包まれたそこで、一段高い所に姿を見せたのは……無貌の仮面を付けた人物であった。
 キングアーツとも神揚ともつかぬ意匠を施された長い衣に身を包み、真っ白な仮面に刻まれたただ二つの切れ込みから、超然とした様子でこちらを見下ろしている。
「瑠璃の事であれば、案ずるな」
 紡がれた言葉は、ごく短い。
「……はい。……すみません、取り乱しました」
 けれどそれに、激昂していたはずのロッセは軽く膝を折り、頭まで下げて見せたではないか。
「誰だ、あの仮面」
 アーレスは仮面の男に面識はない。
 そもそもこの王家の谷に来て出会った人間すらたかが知れているのだ。ましてやキングアーツや神揚出身以外の者に至っては、出自不明のヒサ姉妹を除けば初めてと言ってもいい。
「……神王陛下ですよ。この王家の谷の王と呼ばれる方です」
「神王ねぇ……」
 アーレス達の自由が許されているのは、この広間と自分たちの部屋、あとは窓もない通路が少しだけ。それ以外の場所は、入る許可どころか繋がる道さえ明らかにされていないのだ。
 キングアーツに復讐できる事に文句はないが、このネクロポリスの異常性はキングアーツや神揚のそれとは比較にならない。
「……それと陛下。今回の戦、御出陣なさったと伺いましたが?」
「戯れが過ぎたか」
「はい」
「……そうか」
 ようやく落ち着いたロッセの苦言に短くそう返し、神王と呼ばれた存在は音もなくその場を後にした。闇の中にその姿が消えれば、後に残るのは再びキングアーツと神揚の出身者だけとなる。
「どうした、半蔵」
 そんな中、神王と呼ばれた男の背中を茫然と見つめていたのは、半蔵だ。
「…………いや。何でもござらん」
 アーレスの問いにそう返しはしたが、特徴がないと評されるその顔には珍しく驚きの表情が浮かんでいる。
(神王……? しかし、あの声は…………)
 その声を、その背中を、半蔵はよく知っていた。
 もともとお庭番という立場上、人の声や容姿の判別は得意でなければならない。そんな半蔵の知る中でも、そいつは殊に強い印象を残す人物だった。
(……だが、彼は死んだはず)
 そのはずだった。沙灯の夢を見る少し前、キングアーツとの激しい撤退戦の中で命を落としたはず。
 骸も愛機も戦いの後に回収され、今は帝都の墓所で静かに眠っているはずだ。
 確かにこの地は沙灯や瑠璃など、死んだとされる人物が多く集っている場所ではある。そうではあるが……。
(どういうことでござるか……珀牙殿)
 それとも、文字通りの死者の都だとでも言うのだろうか。
 この場所は。


 そこに漂う空気は、まさしく死者の都の如く。
「…………」
 焼け落ちた建物。
 いまだ燻る物資の数々。
 それに術で呼び出した氷や、奥の湖からアームコートや神獣で組み上げてきた水を掛けては鎮火させていく。
「…………」
 イズミルを襲った敵軍は既に去り、そういった事後の作業もようやく終わりの気配を見せている。
 しかし、その一角を包む気配は、重い。
「あの……」
「何!」
「ちょっと。あたしに当たらないでよ」
「……別に、怒ってなんかないわよ……」
 柚那の言葉に昌はぼそりと呟くと、再び黙々と作業を開始する。
 辺りに広がる陰鬱とした空気にため息を一つ吐き、柚那はその場を後にした。
「うぅ……。千茅ちゃんもいないしみんなピリピリしてるし、どうしろっていうのよ。こんなの……」
 昌が突出して淀んだ気配を漂わせているのは確かだが、他の者達も多かれ少なかれ似たようなものだ。
 無理もない、と柚那も思う。
 しかし、そこで腐っていても仕方がないとも。
 やがて燃え落ちた倉庫を進んでいくと、ため息を吐いているエレがいた。
「……なに。そっちも誰か機嫌が悪いの?」
「セタの機嫌が悪くてなぁ……」
「あのいつもヘラヘラしてるのが?」
 よりにもよって、ソフィアが連れ去られたのだ。万里を連れ去られた昌のような状態なのだろう。
 けれど、いつもソフィアの隣で穏やかな表情をしていたセタの不機嫌な様子など、柚那にはちょっと想像が出来なかった。
「ああ。喋りは変わらねえんだけど、目が笑ってねえってのは、あんなんだなぁ……って感じでよ」
 とはいえセタも、あの夢の中では一度ソフィアを失っているのだ。今までそれを繰り返さないために動いてきた事を知っているだけに、今の彼の心情も分からないわけではない。
「……たまんないわね。こっちも奉とか昌とか、近寄るのも恐いくらいよ」
 柚那とて、万里をさらったアーレス達が憎くないわけがない。殴り込みにでも行けるなら、すぐにでも突き進んでいただろう。
 だが、彼らに対して出来る事は……柚那達には、あまりにも少ない。
「あと、コトナもプレセアも機嫌悪いんだよー。慰めてくれよー、柚那ー」
「……もう十歳若くなってから言って」
 抱きついてくるエレの脳天気さに何となく救われた気持ちになりながらも、柚那はその体を突き返す。
 救われたとは思いはしても、やはり好みではないのだ。年上は。
「全身義体でそういう事って出来ねえのかなぁ……」
 コトナの身体は生身だが、ソフィアの身体は全身義体だったはず。今の身体も嫌いではないが、小柄な身体に換装できるなら、その感覚を味わうのも面白いかもしれない。
 これだけ周囲が沈んだ状況だと、そんな事さえ考えてしまう。
「おい、お前達」
 そんな二人に掛けられたのは、静かな少女の声だった。
「何よ」
「何か用か? ヴァル」
「偵察だ。リフィリアと奉の許可は取ってある」
 ヴァルキュリアの口調は、この場の空気など知らないとでもいった様子で、いつもと何一つ変わらない。もともと不機嫌そうな声ではあるが、今日ばかりはそれでさえどこか救われた気持ちになってしまう。
「……まあ、空気の悪いここよりゃマシじゃねえか?」
「……そうねぇ」
 形式的な上官の許可までもらってあるなら、嫌とも言えない。女の子と一緒に出かけられるだけマシかと思いながら、柚那はエレやヴァルキュリアについて渋々歩き出すのだった。


 琥珀色の空から落ちてくるのは、透明な雨粒だ。
 八達嶺にも雨は降る。滅びの原野の呪いは地面に属するものだから、水には呪いの影響を及ぼさない。
 故に空から降る雨は、琥珀色の世界にも、薄紫の世界にも、等しく無色で落ちてくる。
「雨なんて、どのくらいぶりだろ……」
 落ちてこないのは、黒大理の世界だけ。
 八達嶺の最外縁、倉庫と無人の家屋の並ぶ一角。その空き家の一つにこっそりと身を潜めているのは、屋形から逃げ出した鷲翼の少女である。
「当分はこっちだろうな……」
 彼女も神王に拾われた身だ。実のところ、王家の谷の細かい所まで知っているわけではない。
 けれどそんな彼女でも、今回の作戦では大量のエネルギーを消費すると聞いていた。恐らくそれが回復するまで……即ち、彼女が何もないあの地に戻れるまでには、かなりの時間が掛かるだろうことも。
「…………ロッセぇ……」
 小さくその名を呟き、抱きしめた膝に顔を埋める。
 彼女のよく知る八達嶺に、既に彼女を知る者はいない。頼れる者など、もはや誰もいないのだ。
 首筋に当たる冷たいものは、雨漏りだろう。それが余計に悲しくなって……うずくまった少女が上げるのは、途切れ途切れの嗚咽である。
「……こんな所におったのか。瑠璃」
 そこに掛けられたのは、入口からの声だった。
 呼ばれるはずのない名に驚いて顔を上げれば、そこに立っているのは笠を被った老爺の姿。
「ちょ……何であたしの居場所……!?」
「言うただろう。持っておれば、良い事もあろうとな」
「まさか……」
 言われて思い出すのは、菓子の中に入っていた小さな紙片だ。何の気なしに持ってはいたが、恐らくは追跡に使える術が施してあったのだろう。
 転移すれば撒けたはずだが……八達嶺を飛び回るだけなら、それは見つけて下さいと言うようなものだ。
「どこに行くつもりだ。アテはあるのか?」
 慌てて翼を広げ、荒ら屋を飛び出そうとした所で、紡がれた言葉に足を止める。
「…………ないけど」
「飯、あるぞ。……食うか?」


続劇

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