32.シャトワール 戦火に包まれたイズミルの中。 「万里は早くテウメッサを!」 万里とアーレスを遮るように立ちはだかるのは、ソフィアのまとう黒金の騎士だ。 「あ……うんっ! 半蔵!」 「アーレス……あんた達の目的は何!」 半蔵が万里を守るように厩舎の影に向かうのを視界の隅で確かめながら、片手半を突き付ける。 「それはな……っ!」 答えは言葉よりも早く、動作で来た。 背中の推進器の咆哮と同時の、一瞬での加速。それは黒金の巨体を倒すための加速ではない。肩口でぶち当たり、弾き飛ばすための加速であった。 「万里!?」 それがソフィアへの攻撃であったなら、彼女も対応し切れていただろう。けれどそれは、彼女自身を目的としたものではなく……。 「危ない!」 ソフィアを抜き、厩舎の影へと逃げ込んだ万里を追撃するために放たれたもの。 赤い重装甲は厩舎の建屋を大きく吹き飛ばし、その大きな手で目指す物を捕獲する。 だが、勝ち誇ったように掲げられた赤い腕に握られているのは、標的となった万里ではなく…………。 「……シャトワールっ!」 その脇で逃げていた、禿頭無毛の人物だった。 「外したか。……何だ。久しぶりに見た顔じゃねえか」 「シャトワールを離しなさい!」 向けられた刃に、操縦席の中でニヤリと微笑み……。 「姫さん。あんた、俺達の目的は何だって聞いてたよな?」 「……ええ」 「とりあえず、こっちの要求は一つ」 握られたシャトワールも、ハギア・ソピアーのソフィアも、足元の万里も、その傍らの半蔵も。多くの視線を一身に受けながら、アーレスは勝ち誇ったように言い放つ。 「あんたら全員、このスミルナ……いや、今はイズミルとか言うんだったか? ここから出ていってもらおう」 「そんな事……出来るわけないでしょ!」 それは無理な注文だった。 既にこの地は、キングアーツと神揚の交流都市としての原型を備え始めている。いまだ民間人の立ち入りは許されていないが、今日結ばれるはずだった和平が成れば、次は両国からの植民も始まるはずだったのだ。 「まあ、それならそれでいいんだぜ? なら…………」 握られたアーレスの手の中で響いたのは、何かがひしゃげる鈍い音だった。 吹き飛ばされたのは、リフィリア達の左を守っていたアーデルベルト隊の一体だ。 「損傷の大きな機体はイズミル内へ! 内部での防衛に回れ!」 機体から聞こえるしゅうしゅうという音は、操縦席まで損傷が及んだ証拠だ。開放された圧縮空気が外から入ろうとする空気を押し出している間はいいが、それが止まってしまえば取り返しの付かない事になる。 「おいおい。どうなってるんだよ、こいつら」 翼の巨人達は、先ほどと変わらず上空に浮かんでいるだけだ。その中から数機だけが降りてくるのも今までと変わりないが……その動きは、ある瞬間から格段に良くなっていた。 「分かりません。唐突に頭が良くなったとしか……」 まるで羊の群れに優秀な牧羊犬でも付いたような事態に、コトナも驚きを隠せない。 そして……コトナの不安材料は、もう一つ。 「珀亜は大丈夫ですか」 戦列に加わった珀亜が戦っている相手である。 恐らくは桁外れの強敵なのだろう。先ほどまで翼の巨人達に圧倒的な優位を保っていた珀亜が、これだけ勝負を長引かせているのだから。 攻撃の要の彼女を封じられては、こちらの攻撃力は大幅に落ちてしまう。しかし彼女たちの戦いに割り込もうとしても、恐らくは足手まといになるだけだろう。 「ご心配なく!」 そう答えはするものの、焦りは珀亜自身にもある。 (これでは保たんな……) 眼前の翼の巨人は、桁外れに強い。 珀牙のかつての愛機、ヴァイスティーガの骸より削り出した髑髏の仮面という新たな力を得、以前よりも縦横に戦えるようになったはずのビャクですら……攻撃を受け流すのがせいぜいだ。 そして何より……。 (……ビャク。どうした) 接続された神獣から伝わってくるのは、怯え。 いや、迷いに似たものか。 かつて珀牙と共に戦場を駆け抜け、並の神獣では怯えて近寄りもしない強化の仮面すら受け入れた歴戦のコボルトが、目の前の相手と刃を交える事を拒んでいるのだ。 (あれを…………いや、あれを使っては、後が続かん) 目の前の敵に抗う切り札が、ないわけではない。 けれど仮にそれを切ったとして、ビャクが……そして珀亜自身にそんな迷いがあっては、それを生かす事など不可能だろう。 放たれた斬撃は重く、迅く、何より強い。 だが、勝たねば……いや、負けてしまっては、本物の珀亜との約束を果たす事も出来なくなってしまう。 「どうすんだよ。ありゃ、珀亜も限界だぞ!」 「ぐ……っ」 珀亜も、エレも、リフィリアさえも。 (八方塞がりですか……) そして、コトナさえも諦めの文字を見たその時だった。 「大丈夫かお前ら!」 通信機に飛び込んできたのは、力強い男の声。 「アーデルベルト! 大丈夫じゃねえよ!」 「敵の指揮にロッセ・ロマが戻ってきてる! 油断すると死ぬぞ!」 「戻って……?」 ロッセが指揮を取っている可能性は、早い段階から指摘されていた。だが、アーデルベルトの言い方からすれば、途中までは何らかの理由があって前線の指揮を外れていたという事になる。 「早く言え! っていうか指揮執れ、指揮!」 「俺か!? アルツビークやジョーレッセはどうした!」 「中央の指揮で手一杯のようです」 イズミルの中も混乱しており、細かい状況は分からない。ただ一つ分かるのは、ここを守らなければさらに状況は悪化するという事だけだ。 「……それと、申し訳ありません」 「反省は後でしろ! 鏡衆にも要請して、ひとまず陣形を立て直せ! こっちもリーと援護に入る!」 リフィリアの言葉の続きを遮るアーデルベルトに、リフィリアは小さく唇を噛み……体勢を整えるべく、指示を下していく。 「……シャトワールっ!」 動いたのは、アーレスの小指と中指が半分ほど。 恐らく潰れたのは、片足だろう。 「ダメですよ。彼の言う事を、聞いてはいけません」 けれどそんな目に遭いながらも、シャトワールは悲鳴を上げる万里に対し、静かににそう言ってみせる。 「はいはい。献身的で結構なことだな」 だが、そんなシャトワールの言葉に対してアーレスがしたのは、半ばまでしか曲がっていなかった小指と薬指を、最後まで曲げきる事だった。 「や……やめなさいっ!」 響くのは、鈍い音。 そして握った手の下側からは、幾つかの鉄片と黒く汚れたオイルがこぼれ落ちてくる。 「なら、出ていってもらおうか。……今すぐだ」 「…………」 それは、無理な注文だった。 戦闘の混乱で、無線は半ば機能していない。神揚の思念通信を使ったとしても、この場にいる全員に声を届けるのは不可能だ。 しかしその沈黙を、条件の拒否と取ったのだろう。 「人質ってのはな、要は死んでなけりゃいいんだってな」 次にアーレスがしたのは、指を折り曲げる事ではなかった。 「…………何を」 背中のハッチを開け、中からその身を現したのだ。 「おっと。余計な気は起こさない方がいいぜ? 俺の足には無線式のケーブルが繋がってるからな。……姫さんならこの意味、分かるだろ?」 アームコートの制御は、レバーやボタンの類ではなく、義体に繋がったケーブルを介して行なわれる。その数が多ければ多いほど精度は増すが、慣れたものならばケーブル一本繋がっているだけでも基本的な動作くらいはこなしてみせる。 「無線式……? そんなもの……」 とはいえ、無線式のケーブルなど王都でも実用化されていない技術だ。そんな物を、アーレスが持っているはずが……。 「……ないなんて、言い切れねえよな?」 その言葉と同時に、シャトワールを掴んでいた腕がゆっくりと動き出す。 途中で響く鈍い音に、手の中のシャトワールは相変わらず顔色を変えず、足元の万里は泣きそうな顔をさらに歪めさせる。 「おっと。加減間違えちまった」 「…………外道ッ!」 「万里様」 そんな万里に声を掛けたのは、いつもの表情のシャトワールだった。 「わたしの身体は、全て作り物です。どれだけ損傷を受けても、簡単に直すことが出来ます」 「シャト……ワール………っ!」 そんな事は分かっている。だからこそ、片腕を失ったムツキや鳴神は義体によって腕を取り戻したし、半年前の戦いで深刻な負傷を負ったというヴァルキュリアも、数日もしないうちに任務に復帰する事が出来た。 それが義体なのだと……キングアーツの王の術がもたらした奇跡の技なのだと、理解はしているのだ。 けれど。 「だから、絶対に彼に屈しては…………」 「ああ! だからこうしても……っ!」 目の前で刎ねられた首には。 「いやああああああああああああああああっ!」 義体の仕掛けは理解出来ても、少女の心が納得する事を拒絶した。 「万里! ………アーレス、あんた…………ッ!」 叫ぶソフィアも唐突に短い悲鳴を上げ、その場にがくりと崩れ落ちる。 彼女の背後に音もなく現れたのは、アーレス達によって運び込まれたカメレオン型の神獣……ホーオンだ。 「中の奴を引っ張り出せ。アームコートの装甲の開け方はシャトワールから聞いてるよな?」 アーレスの指示を受けたホーオンは小さく頷き、命じられた作業を黙々と開始する。 「おーい。拾えたか」 そんな二人の姫君の様子を満足そうに確かめると、アーレスは足元に声を投げかけた。 「……万里様に危害を加える気はないのでござろうな!」 足元でアーレスを見上げるのは、落ちてきたシャトワールの頭を受け止めた半蔵だった。 「生身だから直せねえだろ」 一連のそれは、義体だったが故のパフォーマンスである。そしてその交渉劇を演出したのは、彼ではなく……。 「…………ったく。お前も相当なワルだな」 「アーレスさんほどではありませんよ」 首を刎ねられた、シャトワール自身。 「ですが、手足を三本も潰すことはないでしょう。バルミュラに乗るから良いような物の……」 降りてきた手の中。唯一無事で残った右腕で器用に頭を元に戻しながら、シャトワールはため息を一つ。 懐に忍ばせておいた通信機に二言三言囁きかければ、上空にいた翼の巨人が一体、音もなく降りてくる。 「ロッセか瑠璃にでも言やあすぐ直してくれんだろ」 ハギア・ソピアーの方を見れば、ちょうどホーオンがソフィアを引きずり出した所だった。 操縦席に戻ると、万里とまとめてソフィアを受け取り、とりあえず手の中に握らせる。 先ほどのシャトワールとは違う、貴重な人質だ。制御の甘い無線式で握りつぶしてしまうわけにはいかない。 「さて。なら、さっさと撤収するぞ」 そう言って機体を起こした瞬間。 上半身を吹き飛ばされたのは、作業を終えたカメレオン型の神獣だった。 |