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28.放たれた籠の鳥

 研究棟の一室に駆け込んできたのは、ヴァルキュリアと片腕を失った環の二人だった。
「ククロ! 無事か!」
「環。何かすごい事になってるけど……どうしたの?」
 研究棟の隅にあるククロの部屋は、幸か不幸か戦火を免れていた。けれど時折爆発音は聞こえてくるし、辺りには居住区や工廠からの焦げた匂いが漂ってくる。確実に無事というわけではない。
「完全にしてやられた」
 内と外、双方に完全な対策を取る事など出来ない。故にロッセの指揮だからとその傾向で対策を取った事が、完全に裏目に出ていた。
 ここまで読んで前の戦いでアーレスを出してきたか……あるいは、どう対策を取っても崩せる策があったのか、だ。
 苛立ち紛れの声でそう言いながら、環は部屋の隅にあった巨大な装置の電源を端から入れていく。
「本営の指揮室に敵の物らしい剣が飛んできてな。通信機を壊された。借りるぞ?」
 小型化の研究用に持ち込まれていた、広域型の通信機である。アンテナ類の関係で出力は少し弱いが、基本的に指揮室に置かれている物と同じ物だ。イズミル周辺の指揮を行なうだけなら十分だろう。
「それはいいけど、通信機ならライラプスにも大きいの乗ってるだろ」
「アレクも戦ってる。指揮どころの騒ぎじゃない」
 通信機の前に置かれていた幾つかの部品を片腕で乱暴に端に押しのけて、空いたスペースにイズミルの地図を広げていく。
「……お前は何をしていたんだ」
 そんな地図の展開を手伝いながら、ヴァルキュリアがククロに向けるのは冷ややかな視線だ。
 式典に出ずに研究に没頭しているのは、まあどうでも良かった。しかしこの非常時にまで研究に没頭しているのがおかしいのは、流石のヴァルキュリアでも分かる。
「調査だよ。……アレクからの指示」
 そう言ってククロが指差したのは、漆塗りの細工が施された木箱だった。ガラス製らしき蓋がされており、中には幾つかの方位磁針のようなものがゆらゆらと揺れている。
「こんな時の何の……」
「相手がどうやって、出たり入ったりしてるか」
 神術にはそんな技もあるらしいが、キングアーツにはその類の技術はない。あるのはそれこそ古代の王の術か、せいぜい子供の絵物語くらいだ。
 ククロは神術は専門外だが、キングアーツ側の視点でも何か見えるものがあるだろうと、神揚側の神術師同様、こうして調査を任されていたのだ。
「何か分かったか?」
「今は情報を集めてるだけだよ。さっきも練兵場の辺りに大きな反応が出たみたいだけど、詳しい仕掛けはさっぱり」
 報告を聞く限り、翼の巨人は構造のほとんどを純粋な機械で作られているようだった。だとすれば、キングアーツの技術……もしくはキングアーツと神揚を足した技の先には、同様の技術があるのだろう。
「よし、使えそうだ」
 音声の具合を確かめ、周囲の状況の確認を開始する。
「じゃ、俺も出るよ」
 その様子を確かめて、ククロはその場を立ち上がった。
「調査はどうした?」
「その通信機からノイズが出ると、こっちの調査に差し障るんだよ。感知器は持ち運べるから、ナーガで出るよ」
 アームコート工廠は研究棟のすぐ隣にある。広い工廠の数カ所では炎や煙も立ち上っているが、ナーガの置かれたククロの部屋の前はまだ無事のようだ。


 神獣厩舎に鷲頭の獅子が飛び込んできたのは、瑠璃が空の彼方に去ってほんの少しだけ後の事。
「バスマル! どこに行った!」
 既に動きを止めているカメレオン型の神獣の姿に忌々しげな舌打ちを一つして、柚那は目の前の老爺へと向き直る。
「遅いぞ、柚那。バスマルならとうに逃げた」
「逃げたって……どうやって?」
 ホーオンは足元に転がっている。周囲を見渡しても、周囲が焼け落ちた奇妙なゴブリンがあるくらいで、他の神獣が持ち出された様子はない。
 さすがにそのような事態になっては、目の前の老爺も彼を阻むくらいはするだろう。
「アエローと言ったか。……瑠璃が呼び出したシュヴァリエとやらを奪ってな」
「じゃあ、その瑠璃は……?」
「取り残されておったが、逃げられた」
 天を仰げば、神獣厩舎の屋根がぶち抜かれて、八達嶺の琥珀色の空が見える。
「恐らくは、戻る手段はないだろう。印は付けてあるし、八達嶺から逃れられんなら籠の鳥よ」
 逃げる時の瑠璃の余裕のなさは、芝居ではないようだった。
 八達嶺を包む琥珀色の霧から一歩出れば、そこに広がるのは薄紫の死の世界だ。それは、王家の谷とやらに属する彼女たちにとって同じ事のはず。
「バスマルの奴、もっと徹底的に痛めつけてやれば良かったわね……」
 恐らくその行為がバスマルを追い詰め、必死の反撃……というか奪取劇に至らせたような気がしたが、ムツキもいちいちそれを口には出さなかった。
「愉しみは後にしておけ。……それより、イズミルが拙い事になっておるようだ」
 逃げられたバスマルはどうにもならない。
 瑠璃に関しては、手は打ってある。
 ならば優先順位が高いのは、その先の事だ。
「何? 跳べっていうの?」
「応援は一人でも多い方が良かろう。それに、こちらのクロノスも偽物だとばれておる」
「……ちょっと。そんなの聞いてないわよ!?」
 さらりとムツキの口にした事実は、柚那の知らないものだった。
 確かに周囲が焼け落ちた奇妙なゴブリンは、クロノスが凍結された位置に置かれているが……。
「言うておらなんだからな。……これを知っておるのは、神揚では儂と奉と鳴神、後は姫様と半蔵だけだ」
 後はイズミルに運ぶ以上、カセドリコスの兄妹には話を通してあるが、王族の心得もあるだろう二人から情報が漏れるとは考えづらい。
「じゃあ、どこからバレたのよ……」
 ムツキの挙げた三人は、万里の腹心中の腹心達だ。
 その三人と比べれば、むしろ怪しいのは……。
「……儂が裏切り者なら、こんな所になどおるものか」
「……まあそうか」
 こうして八達嶺に残る意味も、クロノスの偽物の前で構える必要もない。むしろ残って働くなら、式典の応援に行って敵陣の手引きでもした方が余程役に立つ。
「分かったわよ。……人使いが荒いジジイなんだから!」
「聞こえておるぞ」
「聞かせたの!」
 そう言い捨てて、柚那は長い長い詠唱を始め…………。
 神術が完成した時、その姿は老爺の目の前から忽然と消えていた。


 薄紫の荒野に響くのは、音にならない無線の声だ。
「メガリ・エクリシア! 聞こえるか、こちらアーデルベルト中隊、アーデルベルト・シュミットバウアー中佐だ!」
 数度の呼びかけを行なえば、やがて応答の連絡が戻ってくる。
「翼の巨人を数体鹵獲した。輸送部隊の手配を……」
 そう言いかけたアーデルベルトの通信を阻んだのは、アーデルベルトの肩を掴んだ僚機からの声だった。
「隊長!」
「何だ」
「敵が……消えました」
「何……!?」
 言われて見れば、その場に倒れていた機体のうち、比較的原型を留めていた半分ほどの機体が消えている。
「キララウスも逃げたか……」
 その中には、あのキララウスのまとう有人機の姿もあった。
 中に人が乗っているからと、手足と翼を破壊するのみに留めていたのがまずかったらしい。
「メガリ・エクリシア。地点を連絡するから、後で回収を頼む。それと、対空警戒を厳にせよ! 敵は空を飛んでくるぞ!」
 通信を切り、次はイズミルに繋ごうとするが……。
 こちらは、いつまで経っても応答がこない。
「……急いでイズミルに引き返すぞ。どうも嫌な予感がする」
 小さく呟き、機体を一斉に回頭させる。
 嫌な予感など、外れれば良いと思う。
 だがこういう時の予感に限って、悪い方に当たってしまうのだ。


 遠くの敵には銃撃。
 近くの敵には、鋭い蹴り。
「でええええええいっ!」
 翼を打ち抜かれた翼の巨人を蹴り倒し、荒い息を吐くのはエレである。
「大丈夫か、ソイニンヴァーラ!」
 倒した巨人は既に四体。アーデルベルトから借りた兵や、鳴神が周辺警護に出した鏡衆も健闘しているが、彼らに比べても撃破のペースははるかに速い。
「当たり前だろ。それより、もう息上がってるんじゃないか? お前ら」
「少し休みます……とも言えませんね」
 頭上を舞う翼の巨人は、まだ半分も減っていない。エレやアーデルベルト隊、鏡衆の対空攻撃を警戒してか、遠距離からの攻撃手段がないからか、戦力の逐次投入などという愚かしい事をしているが……だからこそ、コトナ達が無事に済んでいるとも言える。
「こちらにはまだ余裕がある。少しくらいなら休んで構わんぞ」
 率先して引き受けた会場警備だが、まさかこんな事になるとは想像もしていなかった。
 リフィリアは単にドレスを着たくなかっただけで、別に戦いをしたかったわけではないのに……。
「そういうわけにもいかないでしょう」
 三歩後ろで全体の指揮を取っているリフィリアがそんな事を考えているなど、一つ年上のお姉さんとしては知るよしもない。
「来たぞ!」
 そう言い返す間に機体の一つが高度を下げて、こちらに一気に飛んでくる。
 空中からの加速の付いた一撃はアームコートの運動性では避けにくく、かすっただけでもダメージは大きい。現に、先ほど仕方なく受け流した衝撃は、各種の動作で勢いを殺しきったにも関わらず、いまだコトナの腕に緩い痺れとなって残っているほどだ。
 エレの銃撃がカウンターとなる事も少なくなかったが、それでも今のところはこちらの消耗の方が大きい。
「仕方ありませんね……」
 頼みのエレは次弾装填の真っ最中。近接打撃の要であるリフィリアを防御要員に回すわけにはいかない。
 それに、回避に失敗して身体半分持って行かれるよりはマシだ。動作精度を上げるため、ダメージカットを最小限まで抑え、コトナは大盾を構えてみせる。
 その瞬間。
「はああああああっ!」
 眼前に迫った飛翔体を横から真っ二つに両断したのは、コトナのガーディアンよりもはるかに小さく、小柄な影だった。
 両断された身体の前半分は推力を。後ろ半分はバランスを失い、コトナの大盾に弾かれて明後日の方向に飛んでいく。
 勢いの乗らない攻撃だ。コトナの腕には、何のダメージも残らない。
「……その機体、クズキリか?」
 恐らくは、コボルトと呼ばれる軽量小型の機種なのだろう。しかしそのコボルトは肉食獣の髑髏に似た奇怪な仮面を被り、機体の大きさに似合わぬ太刀を握りしめている。
「左様。義によって、助太刀致す!」
 眼下の小柄な敵をエレ以上の脅威と見たか、上空の内の三機が一斉に降下してきた。
 だが、そのうち二機は現れた珀亜の斬撃に。
 残る一機は弾丸の装填を終えたエレに打ち落とされて、無惨に大地に転がるだけだ。
「助かります。……が、どうしてこんな所に?」
「イズミルに変事ありとの予兆を受けて」
「よく分からんが、手伝ってくれるなら助かる!」
 珀亜の堕とした二機は、いまだその身を動かそうと地面の上でのたうっている。その手足を斧の一撃で破砕しながら、リフィリアは小さく礼を言う。
「……して、此奴らは何処の軍勢で?」
 アームコートにしては空を飛び、神獣にしては重装に過ぎる。このような機体を開発できる組織など両国にいまだ存在はしないだろうし、いくらイズミルの技術者達が優秀でも、珀亜が留守にしていたこの数ヶ月で新型機をここまで量産は出来ないはずだ。
「どっちの勢力でもない、正体不明の連中だ。アタシらは翼の巨人って呼んでる」
「なるほど。しかしこやつら……人が駆っておらぬように見受けますが」
「分かるんですか?」
 それは、イズミルでも未確定の情報のはずだった。リーティ達の報告でその可能性が提示されてはいたが、ここまで高精度な戦いの出来る判断器官は、神揚でさえ実用化されていないのだ。
「刃に想いが籠もっておりません。……このようなもの、それこそ死人と同じ」
 通信機から届く珀亜の声には、どこか自嘲に似た響きが籠もっているようだったが……それが意味する所は、コトナにもリフィリアにも分からない。
「……人が乗ってねえなら、容赦はいらねえって事だな!」
 分かりやすいひと言でまとめたのは、そもそも初めから容赦などしていなかった女だった。
 そして、敵側もそれが新たな脅威だと改めて理解したのだろう。集中しての攻撃を仕掛けるべく、ゆっくりと降下を始めている。
 そのスピードが徐々に増していき、やがて最高速に乗る。
「陣形を崩します!」
「了解。総員、そこから切り崩せ!」
 薄紫の荒野での戦いは、一層の激しさを増していく。


続劇

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