24.見えない中に見えるもの 琥珀色の霧の中。鷲頭の獅子が容赦なく襲いかかったのは、何もないはずの虚空に向けて。 けれどその一撃は、何もいない空間に鈍く重く響き渡り……やがて濃い霧を抜けた壁に刻まれたのは、何かが叩き付けられた巨大な破壊の跡である。 「ちい……っ!」 透明化の機構も損傷を受けたのだろう。何もなかったはずのその空間にゆらりと生まれるのは、カメレオンに似た頭部を持つ異貌の神獣だ。 「……やはり、ホーオンでは限界があるか」 そもそもホーオンと呼ばれたカメレオン型の神獣は、隠密行動を得意とする騎体である。ベースになった騎体は小柄なコボルトだし、防御力も知れたものだ。 「当たり前でしょ。そんな怪しい匂いプンプンさせちゃって!」 そして獣の性質を備えた神獣を前にしては、その匂いはいかにも鼻につくものだった。 ホーオンもまたキングアーツにおける弓矢と同じように、対アームコート戦だからこそ新たな価値を見いだされた神獣であったのだ。 「さあ。ちゃーんと白状してもらうわよ。万里様の晴れ舞台を見る絶好の機会だったのに、我慢したんだから……!」 鷲頭の獅子の中。柚那が浮かべたのは、穏やかな微笑みである。けれどそれを目にした者は、それを愛らしいと思うことなどなかっただろう。 彼女の美貌を彩るのは、畏怖や恐怖に限りなく近い……獲物を前にした肉食獣の浮かべるそれと同質のものだったのだから。 「……今度は逃がさないからね。バスマル」 この半年、誰から責められることもなかったが、彼女は彼女なりに同じ部隊にいたバスマルを逃がした事を気にしていたのだ。彼のせいで貴重な神獣を持ち出され、さらには不安の種を撒いてしまった。 今回の作戦でバスマルがここを訪れるかはまるきりの賭けだったが……柚那は見事、その幸運を引き当てたのだ。 「とはいえ……っ!」 一片の容赦もない柚那の攻撃に、対するバスマルも必死である。ようやく調子を戻した透明化の機構を駆使し、その攻撃をすんでの所で躱していく。 透明化そのものは嗅覚によって見抜けるが、視覚に頼れない以上、細かな狙いまでは付けられない。自然それは急所を外れ、装甲の厚い所や紙一重の所を抜けていくに過ぎなくなる。 「ああもう、鬱陶しい!」 手応えのない攻撃を前に、柚那は苛ついた声を上げ、鷲頭の獅子を勢いよく飛びかからせる。 燃えさかる炎の中を悠然と進むのは、上空から降りてくる翼の巨人達。 まるで指揮者のタクトに従うように、数体のそいつらは揃った動きで歩を進めている。 「万里、万里っ!」 「落ち着け!」 そんな中、狂ったように叫び、奉に羽交い締めにされているのは昌だった。 「落ち着いてられるわけないでしょ! 思念も届かないんだよ! トウカギさんは心配じゃないの!?」 爆発が起こった時、ちょうど万里達は奥の間へと下がった所だったのだ。式典の間に遊びに行くわけにもいかず、昌は客席でその様子を見守っていたのだが……。 よりにもよって、そのタイミングでの襲撃である。 「火の海に飛び込んでも仕方ないだろ! あいつらがこのくらいでやられるタマか!」 思念が通じないのは、この混乱の所為だろう。 相手の位置も特定できず、距離も分からないのでは、思念も周囲に漠然と飛ばす事しか出来ない。それは混雑の中で大声を張り上げるだけのようなもので、狙った相手にちゃんと届くかは賭けのようなものだ。 普段の冷静な昌なら、そのくらいすぐにでも分かりそうなものなのに……。 「きっと万里様や姫様も離脱したはずですわ。それより、早くここを離れないと」 「ああ。プレセア達はどうする?」 「会場のすぐ裏にスレイプニルが停めてありますの。それを出しますわ」 イズミル所属の兵は、警備の名目で会場のすぐ近くにアームコートを置いていた。プレセア自身はメガリ所属だが、イズミルでの交渉役という権限を使ってそちらに機体を移していたのだろう。 「私は……」 「ヴァルちゃんは環君を連れて、非戦闘員の待避を」 ヴァルキュリアの最優先は、あくまでも傍らの青年だ。 それを見抜かれて良かったと思う反面、心の中に顔を覗かせるのは、申し訳ないと思う感情だ。 「……承知した」 だが、環がメガリ・エクリシアの要人である事は間違いない。彼を護る事はヴァルキュリア以外の者にとっても、必要な事なのだ。 「なら、俺達も神獣を取りに戻る」 「万里は!」 「万里もきっと厩舎にテウメッサを取りに行くだろう。そっちで合流した方が確実だ。よく考えろ!」 奉の強い言葉に、昌は少し黙っていたが……やがて、小さく首を縦に振る。 黒煙の立ち上る青い空を駆けるのは、直線を描く蒼い翼と、その間を交差する灰色と黒の曲線だ。 「こいつ……本当に無人機なのか?」 先日戦った翼の巨人は、もっと動きに鋭さがあった。だが、今の相手はその動きよりもいくらか鈍く……それこそ、何らかのウェイトを抱えているようにも見えたのだ。 「分かんないよ! けど、セタは先に行って!」 「リーティ君一人で大丈夫なのかい?」 以前、翼の巨人と戦った時と同じ流れである。 「あんまり大丈夫じゃないけど、セタさんいても役に立たないだろ!」 セタの機体には、相変わらず空中戦の装備がない。 そもそもMK-IIの機体特性上リーティ達のような格闘機動は取れない機体だから、格闘戦用の爪などがあっても仕方ないのだが……。 「酷い言いぐさだね……」 苦笑しつつも、リーティの言いたい事は良く分かる。 そして何より、セタにはここで戦うよりもすべき事、したい事が控えているのだ。 「……なら、すまないが、ここは任せるよ」 「任されたくないけど、任された!」 そのやり取りを残して、リーティは通信を切る。 背後ではセタが地上に機首を向けていたから、それを追撃されないように相手の動きを牽制する。 「……さて」 そんな中で飛ばしたのは、通信機を介さない、心の声だ。 向けたのは、彼と相対する翼の巨人に向けて。 「もういいだろ。いい加減、無人機のフリなんてやめなよ」 今日の翼の巨人には、駆り手がいる。 遠慮がちな機動も、思い切りのない空中戦も、空に慣れていない者の所作だ。それこそ……黒い烏に乗り始めたばかりのリーティや、かつて沙灯の神獣に乗った奉のように。 そして、目の前の機体に乗っているだろう相手には、彼をずっと目で追ってきたリーティだからこそ分かる癖が、いくつも見え隠れしていた。 「…………師匠!」 白木の床に響くのは、黒豹の足音。侵入者を阻むように音を立てるよう加工されたその床は、無音の歩行さえこなす黒豹の脚音も、逃すことはない。 その脚が踏み入ったのは、八達嶺の中央部。 屋形の一角に設えられた、神獣厩舎であった。 「神獣では来なかったか、ロッセ」 神獣厩舎に人気はない。 あるのはただ、老爺の姿が一人だけ。 彼が目指していた神獣。分厚い布で覆われ、封印を施されたクロノスの前に、どかりと腰を下ろしている。 「ホーオンの擬態など通じないでしょう? 貴公には」 「無論」 ホーオンの透明化は、視覚にのみ作用するものだ。故に、視覚をあえて封じた相手に対しては、何の効果も持ちはしない。 相手がホーオン以外の可能性で来る可能性もないではなかったが、イズミルを陽動にこちらの物事を進めるためには、隠密性の高い騎体を使う事は想像に難くなかった。 「……これは?」 そんな老爺の前。 白木の床に置かれるのは、小さな箱である。 老爺の前と、ロッセの足元。それぞれ一つずつ。 「別に貴様と刃を交える気はない。少々話でもせんか?」 「……何が聞きたいのです?」 「全て」 問いに対するたった一言の答えに、ロッセは静かに微笑むだけだ。 「分かりやすい」 「ややこしいやり取りは好かんでな。……美味いぞ」 箱の中に収められているのは、ホイポイ酒家で買ってきた餡子入りのワッフルである。これで酒でもあれば宴席になったのだろうが、残念ながら老爺は酒を嗜まない。 「頂きましょう」 そんな老爺の様子に気圧されたか、それとも受け流したか。ロッセも老爺の前に腰を下ろし、ワッフルに静かに手を伸ばす。 やがて、半ばまで食べた所で妙な顔をし……口の中から取りだしたのは、指先に乗るほどの小さな紙切れだった。 「……これは?」 髪の毛や虫の類ではない。偶然ではなく、明らかに人為的に混ぜられたものだ。 「当たりだな」 「当たり……」 「キングアーツの風習でな。その紙を大事に持っておけば、良い事があるらしいぞ?」 もともとは祭などで供される食事に仕込まれる風習だったらしい。それが転じて、ささやかな幸運を呼び寄せるための、日常的なものに変わっていったのだという。 この半年で、神揚にも少しずつ浸透してきたものだ。 「そうですか……」 小さな紙片を元のように閉じ、ロッセはそれを懐へ。 「では、話の続きと行こうか」 そして、ムツキは最初の問いを放った。 「どうしてそのような姿をしておる。……瑠璃」 |