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21.嘘と真実

「なー」
 大きなあくびをした後に、開口一番声を上げたのはタロである。
「何だ」
「オイラ、腹減ったんだけど」
 夜が明けても、彼が閉じ込められているのは相変わらずホエキンの一室だ。隣に千茅が寄りかかっているのは男の子として悪い気分ではなかったが、共に縛られたままなのと、見張りが狒々に似た顔の男という点は少々勘弁して欲しかった。
「我慢なさい」
 ニキの答えはにべもない。途中でアーレス達と交代してはいたが、交代の後もあまり寝てはいないようだった。
「ホエキンの台所まででいいんだよ。材料はあるし、道具だって揃ってる。千茅さんだってお腹空いたよねぇ?」
「う、うん……」
 小さく呟く千茅だが、じろりと狒々の瞳を向けられて、それきり口をつぐんでしまう。
「一日や二日食べないくらいで死にませんよ。それに炊事の煙が上がれば、ここに人がいることが気取られてしまいますからね」
 それでなくともこちらは手勢が少なく、ギリギリの作戦を回しているのだ。ここで油断してタロや千茅の縄を緩めれば、それがどんな綻びを生むかも分からない。
「うぅぅ……。何で料理人のオイラが、材料も揃ってるここでひもじい思いをしなきゃいけないんだろ」
 食料がないなら諦めも付く。
 けれど、後ろの貨物室にはいまだ多くの食材が残っているはずなのだ。千茅が翼の巨人達を迎撃するために幾つか箱を投げたとも聞いていたが、さすがに食材の箱全てを投げ捨てたわけではないだろう。
「ニキさん。アーレスさんからの連絡で、やはりアークは大きすぎるそうです。計画はシャトワールさんの案でいくと」
 やがてニキの背後、操縦席から姿を見せたのは、彼と共にホエキンに残っていた鷲翼の少女である。
「半蔵の情報はガセではありませんでしたか。……では、こちらもそのように動きましょう。後は任せますよ」
 小さく頷き、ニキの座っていた場所に入れ替わるように腰を下ろす。
「それで連絡してるのかい……?」
 沙灯が持っているのは、キングアーツで使われている小型通信機に近いものだ。通信範囲はそれほど広くないし、より強力な受信機があれば、その内容を聞き取る事はさして難しくもない。
 彼らがキングアーツと同じ方式で通信を行なっているなら、昨日のうちにその内容の欠片でも傍受していておかしくはないはずなのに……。
「ええ。神揚やキングアーツの遅れた技術とはひと味違うのですよ。……我々のそれはね」
 ニキは誇らしげに小さく呟き、ホエキンの客室を後にするのだった。


 イズミルの一角。
 式典会場の西側に用意されていたのは、キングアーツ側の控えの間だ。こちらも神揚側と同じ簡素な作りで、本営裏にはイズミル所属のアームコート待機場が見える。
「翼の巨人が?」
 そこでアレクが口にしたのは、出来る事なら今日は口にしたくなかった名前であった。
「はい。偵察の兵から、イズミルの東から北西方面に向けて移動する連中を発見したとの報が」
 見つけたのは、周囲に出していたアーデルベルト麾下の一隊だ。今は徒歩で動いているらしく、気付かれない距離からこっそり尾行させているが……翼の巨人達が飛行してしまえば、あっという間に見失ってしまうだろう。
「北西……狙いはこちらではなく、メガリか?」
 直進すればメガリ、もう少し進んで南進すれば、そのままイズミルの北側にぶつかる。まだ未開拓のイズミル北部を攻める意味は今のところ薄いだろうから、可能性としてはメガリを狙う方が高い。
「どうしましょう? メガリにも兵は残してありますが、奴らがロッセ・ロマの指揮で動いていると考えるなら……まず間違いなく陽動かと」
 飛べる機体がわざわざ徒歩で行軍しているというだけで、既に意味があると踏むのが妥当だろう。
「オレが行ってこようか?」
「いや、リーティはこちらの警備を密にしていてくれ。陽動なら、こちらに本命が来るはずだ」
 たまたま警備の手伝いに来ていたリーティにそう頼んでおいて、それきりアーデルベルトは言葉を止める。
 翼の巨人の一団が陽動なのは間違いないだろう。だとすれば、本命はどこから来るのか……。
「では、リフィリア小隊が出ましょう」
「面白くはないが、乗らんわけにもいくまい。頼む」
 メガリにせよ、イズミルにせよ、攻められて面白い箇所ではない。なるべくなら無視しておきたい陽動だが、放って置きすぎると取り返しの付かない事にもなりかねない。
「はっ。ソイニンヴァーラ、日明。出るぞ」
 鋭く敬礼をひとつして、リフィリアは頭上の巨大な影に声を投げかける。
「よしきた! おい、コトナ。起きろ」
「……ふぁあ。了解です」
 両腕に銃を備えた異形と、赤銅の背甲を背負う小柄な機体がゆっくりと身を起こし、その脇ではリフィリアが青い機体の操縦席へと登っていく。
「いや、そちらはアーデルベルト中隊で対処しよう。イズミル大隊はイズミルの防備を固めてくれ。隊を一部残すから、使ってくれて構わん」
 陽動だとすれば、こちらにも必ず何かある。
 防御戦ともなればコトナの防御指揮は必ず役に立つだろうし、長距離に有効な手段を持つエレの銃も、恐らくは必要になるはずだ。
 動きの分からない敵に貴重なそれらの戦力を回す事もないだろう。
「分かりました。では、リフィリア小隊は一度周囲の警戒に出てきます」
 乗りかかった船……ではなく、乗りかかったアームコートだ。リフィリアはそのまま操縦席に滑り込み、ポリアノンを起動させる。
「…………」
 そんな中、いまだ動かずにいるのは赤銅色の背甲を背負うコトナの機体。
「どうした、コトナ。まだ眠いのか?」
「いえ。……それが陽動なのは間違いないでしょうが、次の一手がどこから来るかを考えていまして」
「……ふむ。裏の裏をかかれると?」
「どこから出てくるかは分かりませんが……」
 王道であれば、滅びの原野に面したイズミルの南側。もし可能なら、中央部に直接だろう。飛行型の機体だから、北部に回り込んだ陽動も転進して空中から奇襲……という可能性もある。
「可能性の高い所から警戒するしかないだろうな」
 いずれにしても、ロッセの考えを何とか読み切り、式典を無事に成功させるしかない。
「リーティ。悪いがセタ達に伝えに行ってくれるか? もう会場に入っているはずだが、やはり上空の警戒を任せたい」
 貴重なキングアーツの空中戦力だ。ソフィアの晴れ舞台だからと式典の参加を任せてはいたが、それで式典を台無しにされては元も子もない。
「了解。じゃ、ちょっと呼んで来る」
「ならば、アーデルベルト中隊、総員搭乗! すぐに出撃するぞ!」
 姿を消したリーティの背中を見送り、アーデルベルトも自分たちのアームコートを待機させている工廠へと走り出すのだった。


「シャトワール……」
 神揚側の控えの間を訪れた姿に、万里はそう言葉を紡ぐのが精一杯。
「お久しぶりです、万里様」
 ジュリアに連れられて姿を見せたシャトワールも、控え室の入口で小さく頭を下げるだけだ。
「そうですか……。無事だったのですね。良かった……」
「おぬし、一体どこにいたのだ?」
 シャトワールがいまだ控え室に足を踏み入れないのは、そんな鳴神の視線があったから。
 彼の瞳に浮かぶ疑念の色は、踏み入らば斬る、という意思さえ宿したものだ。神揚の正装をまとう彼の腰には、武人らしく無骨な装いの刀がひと揃え佩かれている。
「昨日遅く、八達嶺の地下で発見されたのでござる。今朝になってようやく意識を取り戻したので、義体設備の整ったこちらにお連れしたのでござるよ」
 八達嶺には、いまだ義体のメンテナンスを行える施設は置かれていない。かつてキングアーツと敵対状態にあった頃はシャトワール自身の判断に委ねるしかなかったが、今は初期の対処ならイズミルで、本格的な処置ならメガリに赴けばいくらでも対応が可能なのだ。
「ふむ。確かにその判断は間違っておらんが……。この半年、おぬし、どこで何をしていた?」
「それが……よく分からないんです」
「記憶の欠落か……」
 それは、神揚でも珍しくない症状である。
 全身義体のシャトワールにも同様の事が起こるのかは分からないが、全身義体とはいえ脳は人間のそれと変わりない。起こると考えた方が自然だろう。
「その辺りも、イズミルやメガリの設備なら何とか出来るかと思ったのでござるが」
「うん。ククロ達なら何とかできるかもしれないし……」
 ククロは今日もイズミルでの研究が忙しく、式典には参加しないと聞いていた。後で式典が終わってから話を持ちかけてもいいだろう。
「とにかく、今から式典がありますから、シャトワールはここでゆっくりしていて下さい。アレクには私から伝えておきましょう。ジュリアも連れてきてくれて、ありがとう」
「ありがとうございます」
 穏やかな万里の視線を受けて、シャトワールはようやく控えの間の中へ。
「万里ー。もうすぐ出番だよーっ! ……って、シャトワール!? どうしたの!」
 そんなシャトワールと入れ替わるように控えの間の入口に姿を見せたのは、昌だった。もちろん中に顔を見せた途端、いるはずのない姿に声を上げてみせる。
「ええ。ついさっき、ジュリアと半蔵が連れてきてくれたの」
「そうなんだ……。と、それもいい事だけど、もうすぐ万里も出なきゃいけないから、喜ぶのは後にして!」
 既に式典は始まっている。今は式典の会場となったイズミルの長の挨拶だが、それが終われば両国の代表の番はあっという間だ。
「うん。それじゃ、シャトワール。お話はまた後で」
 小さく頷くシャトワールに微笑み返し、万里は控えの間を後にする。
 そして……。
「そうだ、時に半蔵よ」
 万里や昌に続いて控えの間を後にしようとした巨漢が呼んだのは、脇に控えていた万里のお庭番だった。
「何でござろう?」
「八達嶺から来たというなら、千茅を知らんか? 今朝から姿が見えんのだが……」
 千茅はいまだ姿を見せないままだ。アレクの元に出した使いからも、アレクの所には来ていないという返答を持って帰ってきただけ。
「さあ……。拙者は、一度も見かけておらぬでござる」
 表情一つ変えない半蔵に「そうか」と小さく答え、鳴神もその場を後にする。


続劇

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