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18.ひとたびの終幕

 見下ろせば、右腕の先には何もない。
 正確に言えば、二の腕の先からは何もなくなっていた。
「……ふむ。相変わらず、こればかりは慣れんな」
 腕を外した鳴神がぼやくのは、義体の整備を司る、メガリ・エクリシアの工廠の一角でのことだ。
「そう? 慣れよ、慣れ」
「お主のことだ。ソフィア」
 呆れたようにため息を吐き、傍らの少女に応じてみせる。
 腕がないのはとうに慣れた。月に一度ほどのメガリでの義体のメンテナンスも、必要なものだと理解している。
 だが、慣れないのは彼女たち……全身義体の面々に対してだった。
「だって、全身のメンテなんて滅多に出来ないんだもの。出来る時にまとめてやっとかないと」
 鳴神が右腕をメンテしているのと同じように、ソフィアがメンテしているのは頭部以外の全身だ。
 即ち、今あるのはソフィアの首だけである。
 神揚の秘術を駆使しても、生首だけで生きる術はない。その術で生きられるのは、生の法則を無視した外法の存在だけのはず……だった。
「それより、あまり立たない方が良いですよ。腕一本ないと、身体のバランスもおかしくなっていますから」
 しかしその光景も、キングアーツの面々にとっては慣れたものなのだろう。コトナだけではない。ソフィアの傍らに腰掛けたセタやエレなども、動じた様子もない。
「よく分かっておる。半年前に経験したばかりだ」
 そして、彼の隣に腰掛ける老人も。
「……それは、俺も同じだ」
 言い返すように小さく呟き、備え付けの椅子にもう一度腰を下ろす。
 この中でソフィアの生首に動じているのは彼だけだ。これ以上のそんな態度を見せるのは、何やら負けたような気がしてしまい……鳴神もそれ以上は気にしない事にする。
「それよりお二人とも、身体に違和感はありませんか?」
「大丈夫だ。少々はあるのかもしれんが、治癒の一つでも掛けておけばどうにでもなる」
 その治癒術でさえ、この半年で数えるほどしか使っていない。雨の日などには疼く事もあるが、その程度であれば他の古傷と変わらない。
 少なくとも、神揚の治療だけならば再生に半年はかかる騒ぎだったのだから、その半年でここまで問題が起きていないのは御の字といって良いくらいだ。
「実験台としては、少々物足りん結果かもしれんがな」
「いえ。問題が起きないなら、それはそれで良い事例ですから」
 プレセアやククロ達の調査で、キングアーツと神揚の民は源を同じくする種族だと分かっていた。その理屈でいえば義体の施術で問題が起きるはずはないのだが、万が一という可能性もある。
 万が一がないなら、それで問題はないのだ。この先はよりデリケートな問題である、薬剤や病気の治療法の研究も進むだろう。
「治癒の術って便利よね。あたしは全身義体になった時、半月はまともに起きられなかったのに」
「そういえば、ソフィア姫様はいつ頃その体に?」
「子供の頃よ。五つか六つくらいだったと思うけど」
「そのような歳でか。何か怪我でもしたのか?」
 シャトワールが全身義体になったのは、幼い頃の火傷が原因だと聞いていた。ソフィアも近い歳で全身義体になったというなら、似たような原因があるのだろうか。
「ううん。ウチの家は軍人になるのが当たり前だったし、身体に慣れるのは早いうちのほうがいいからって」
「ふむ……そんなものか」
 神揚でも似たような理由で、動物の特性を埋め込む施術は子供の頃に行なわれる。故に、ムツキも鳴神も自分が純粋な人の身体だった時の事は覚えていない。
「姫様。終わりましたよ」
 そんな話をしていると、整備兵達がソフィアの身体を台車に乗せて運んできた。
「そういえば、セタとコトナは義体ではないのか?」
 慣れた様子でソフィアの頭を抱え上げたセタを見て、鳴神はふとそんな問いを口にする。二人はアームコートをまとってはいるが、身体は義体化されているようには見えない。事実、今のソフィア達のメンテの間も、特に身体の部分を外した様子もなく、平然と彼女の脇に座っていた。
「ああ、僕は身体の内側だから、丸々外してというのはちょっとね」
「同じです。私などは身体の一部だけの義体化ですから、バランスが悪くて困っている所でして」
 そんなことを言いながら、慣れた様子でソフィアの頭をひょいと身体に乗せ、そのままかちりと固定する。
「……そのような義体化もあるのか」
 万里も身体の構造そのものを調整しているが、それに近い技術なのだろう。ひと口に義体と言っても、色々な方法があるらしい。
「ありがと! これで明日の準備はバッチリね」
 元気よく立ち上がった少女の身体はいつもの通り。先ほどまでの生首だけの姿も、台車で運ばれてきた人形のような身体も、まるで悪い夢でも見ていたかのようだった。
「ふむ……ようやくか」
 その言葉に、場にいた面々も小さく頷いてみせる。
「ええ。いよいよ、明日です」
 明日は、キングアーツと神揚の和平条約が正式に結ばれる日。この半年の成果がようやく形になる日である。
 四人とも、今までその準備に追われてメンテナンスの時間が取れず……式を翌日に控えたこの時期に、ようやく僅かな時間が取れたのだ。
 そして明日を過ぎれば、また多忙な日々が待っているはずだった。
「エレさん。両足のメンテ、終わりましたよ」
「お、悪ぃな」
 話していたエレが整備していたのは、両脚だ。椅子の上に居心地悪そうに座っていた彼女も、脚を取り戻せば何事もなかったかのように立ち上がってみせる。
「それでは、お先に失礼します」
「ああ。明日はよろしく頼む」
 恐らくは全身義体や両脚に整備の人員を取られていたのだろう。いまだ帰って来ない片腕を待つため、二人は椅子に腰掛けたまま、今しばらくの時を過ごす事になるのだった。


 操縦区画にいたのは、沙灯の告げた通り二人。
 操縦を司るタロと……。
「成功したようでござるな」
 彼の首筋に短剣を突き付けたままの、半蔵だ。
「当たり前だ。……手引きご苦労」
 飛行ルートは調査済み。飛行のタイミングも聞いていた。
 さらに艦内の警備はないに等しく、内通者までいる。ここまで準備されていれば、むしろ失敗する方が難しいだろう。
「あんた達は……」
 アーレスの姿は、手配写真で見た事があった。
 残る二人は、あの夢の中で見た少女と……ホイポイ酒家の常連達の話で聞いた通りの姿をしていた。
「…………沙灯さんと、シャトワールさんだね?」
「そう。貴方も、わたしの時巡りの……」
 沙灯からは、タロに対する面識はない。だが、この世界でその名を言い当てたということは……彼女に対する知識があるという事だ。
「きみがキングアーツの料理を作ってるっていう、タロさんか」
「そうだよ。……出来れば、もうちょっと平和な所で会いたかったけど」
 そしてシャトワールとタロは、互いの名を何度か耳にしていた。キングアーツ料理の噂を伝え、試作し、試食した間柄だ。
 その仲介役となったのが、いまタロに刃を向けている半蔵だというのは……いささか皮肉の過ぎる状況ではあったけれど。
「そういうわけで、このデカブツは俺たちが有効に使わせてもらう。逆らったら……分かってるだろうな?」
 長年行商として過ごしてきたタロだ。こういう時に取るべき態度も心得たものだ。
 一発逆転の好機などないし、逃げる場所などない空の上で、命を賭けての反逆を行なって得られるものなど何もない。せいぜい自分の寿命が縮まるだけだ。
「はいはい。逆らう気なんかございませんよ」
 故に、あっさりと両手を上げた。
 相手が余程の馬鹿でない限り、操縦役であるタロに危害を加えるなどという事はしないだろう。脱出用の騎体があるにせよ、今の状態から脱出するにはホエキンを破壊する必要がある。
 そしてホエキンを破壊すれば、彼らの得るものは……恐らく何もない。
「……それより、後ろで神獣に乗ってた千茅さんはどうしたの」
「ああ。まだ無事だ。まだな」
 繰り返される言葉は、彼女の命はタロの態度次第だと言外に告げるもの。
 それを確かめて、タロは小さく安堵のため息を吐いてみせるのだった。


 口元に浮かべるのは、僅かな笑み。
 漏れるのは、安心したような長い息。
「成功のようですわね」
 頭にウサギの耳を付けたプレセアとジュリアは、彼方の食堂から聞こえてくるぽつぽつとしたやり取りに、嬉しそうに微笑んでいる。
「どうしたんだい? こんな所で集まって」
 そんな彼女たちの元に通り掛かったのは、義体の整備を終えたばかりのセタ達であった。
「ふふっ。女の子の秘密ですわ」
「俺は女の子じゃないけどな」
 楽しそうな二人に対して、ククロはどこか憮然とした表情である。よく分からない騒ぎに巻き込まれて、失敗作のクレープも食べかけのままだ。
 挙げ句の果てに最後の最後まで蚊帳の外では、興味の外の事とはいっても面白いはずがない。
「ズルい。あたし達にも教えてよ!」
「ええ。じゃあこれ貸してあげる!」
 ソフィアはジュリアからウサギの耳を受け取ると、躊躇無くそれを装着し、コネクタにジャックを差し込んだ。
 プレセアと同じ方を向いてしばらく黙っていたが……。
「…………二人とも、良い仕事したみたいね!」
 どうやらその僅かな時間で理解したのだろう。即座にジュリアとハイタッチをしてみせた。
「コトナもまた付けろよ、今度は狐!」
「バランスが取れないのであれば別にどうでも……」
 そう言いながらもエレにされるがままになっていると、やがて接続された耳からヴァルキュリアと環の話が聞こえてくる。
『望みが……な……。ある。平和になったら……』
「……まあ、こういうのは野暮というものなので」
 ヴァルキュリアにしては随分と艶っぽい流れになっているようだったが、特に興味もないので繋がっていたコネクタをさっさと引っこ抜くことにした。
「だよなぁ。やっぱ、聞くより自分らでやる方が良いよなぁ!」
「……それも別に、どうでも」
 だが、エレは当然のように答えなど聞いていない。ひょいとコトナを抱え上げると、楽しそうに歩き出す。
「じゃ、姫さん。アタシらはこれで!」
「ええ。それじゃ、また後でね?」
 そんなエレ達と入れ替わりに歩いてきたのは、アーデルベルトだった。
「……どうしたんだ。何か、エレが随分とご機嫌のようだったが」
「ああ、アーデルベルト君。食堂はいま、立ち入り禁止ですわよ」
 何となく理由は分かっていたから、特に答えを聞こうとも思っていなかったアーデルベルトだったが、先を急ごうとするとプレセアに止められてしまう。
「…………そうなのか?」
「そういう時間なんだと思うよ」
「……どういう時間だ」
 アーデルベルトの問いにも、セタは穏やかに笑っているだけだ。本当に事情が分かっているのか、それとも単に雰囲気を呼んだだけなのか、アーデルベルトにはそれすらも分からない。
「お腹が空いたなら、お菓子ならありますから」
「だったらお茶淹れるから、みんなで外に行きましょうよ! ソフィアもいいわよね?」
 使う事もあるだろうと、清浄の地でも使っていた携帯用の湯沸かし器も持ってきてある。食堂に足を踏み入れなくても、お茶の支度は出来るだろう。
「そうだ。いま鳴神とムツキも来てるんだけど、呼んで良い?」
「……何があったんだ、ククロ」
 さらなる盛り上がりを見せる女性陣に、アーデルベルトはさすがに傍らのククロに声を掛けるが……。
「さあ……? 俺、女の子の事はよく分かんないよ。神獣の方がまだ分かりやすい」
 ククロはもはやため息を吐く元気もないのだろう。
 メガリの灰色の空を見上げ、小さくそう呟くだけだ。


続劇

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