-Back-

14.ニャー!

 キングアーツと神揚、二つの勢力が混じり合うイズミルは、陽が沈んでもその喧騒は収まらない。殊に研究者達の集まる技術棟には神術式の明かりが灯り、多くの技術者達が自分たちの研究を続けている。
 そんな技術棟に繋がる、ハンガーの一角。
「お前達。……何だ、それは」
 機体整備のためにハンガーを訪れたヴァルキュリアが呟いたのは、目の前の光景に対してだ。
 ククロとセタがいる。
 それはまあ、別に珍しくもない。
「実験だそうです」
「実験?」
 けれど二人の頭の上でひょこひょこと動いている動物の耳が何の実験を意味するものか、ヴァルキュリアにはどうしても理解出来なかった。
「アームコートに生体部品が付くんだから、義体経由で神揚の生体部品を直接制御出来ないかって思ってさ。ちょっと作ってみたんだ」
 先日実用化したばかりの臭覚センサーも、神揚の生体部品を利用したものだ。光や音に比べて匂いを機械的に数値化する事は難しかったが、神獣の機構を応用する事で実用化の目処が立ったのである。
 その応用段階が、これだった。
「どう? コトナ」
 ククロの言葉にハンガーの影から姿を見せたコトナは、数歩歩いて足を止めてみせた。その頭にも猫の耳の付いたカチューシャが付けられ、お尻からは猫の尻尾が伸びて、ゆらゆらと揺れている。
「そうですね。兎よりは猫の方が効果があるように思います。初めて使った感触としては、そう悪くありません」
「歩く時に辛そうだったからさ。バランサーにならないかと思ったんだけど、効果があるなら良かった」
 最初はコトナも冗談だとは思ったが、確かに歩く時の違和感が少しだけ楽になったようにも感じられた。左右の足を踏み出す時に僅かにずれて揺れる尻尾が、意外な効果を発揮しているらしい。
「な。オレの言った通りだろー?」
「やっぱり持ってる人に聞くのが一番だねぇ」
 尻尾がバランサーになるという話を最初に言い出したのは、ククロの隣に座っていたリーティである。もともとは軍に入る前の経験から得た事だが、それは今も様々な所で役に立っている。
「バランサーよりも、外見だけでもうヤバいだろ……」
 傍らのエレは随分と上機嫌だ。もちろん彼女も兎の耳と尻尾を付けていたが、体格的に随分と小さすぎるようにヴァルキュリアには思えてしまう。
「頼む。にゃーって言ってみてくれ」
「にゃあ、ですか?」
「もっと伸ばして! だらしない感じで!」
「にゃー」
 コトナとしては何が良いのか全く分からないが、エレがガッツポーズをしている辺り、何か良い事でもあったのだろう。
「……後は、このジャックが少し邪魔ですね」
 そう言ってコトナがつまみ上げたのは、カチューシャからの伸びる無骨なコネクタだ。本来はアームコートに乗る時に義体と機体を繋ぐためのもので、それを引き抜いた事で制御信号を失った猫の耳は、今はコトナの頭の上でだらんと力なく垂れ下がっている。
「それはあり合わせの物を使っただけだからね。部品が届いたら、もう少し目立たなく出来ると思うよ」
 ククロの頭から伸びる犬の耳は、首筋のコネクタに接続されているはずなのに、力なく倒れていた。分かっていた事とはいえ、問題点を指摘された事を気にしているのだろう。
「あ。ヴァルも来てたんだ?」
 そんな声に振り向けば、ソフィアとジュリアも揃いの猫の耳を付けているではないか。
 そしてジュリアの手には、別の耳も手にされていて……。
「良かったらヴァルもどう? ククロ、色々作ってくれてるよ」
「断る」
 来るだろうと思っていた言葉を、ヴァルキュリアはあっさりと両断した。
「いいだろ。付けてみろよ。可愛いぞ」
「そういうのは興味がない」
「いいじゃない。付けてみようよ。ほらー! セタとリーティも手伝って!」
 だが、いくらヴァルキュリアとはいえ多勢に無勢。後ろからエレとセタ、さらにソフィアにまで押さえられては、逃げる事も出来はしない。
「こ、こら、やめろ……! というか、貴様は恥ずかしくないのか、セタ!」
「別に、姫様は楽しそうだからいいんじゃないかな?」
「ぐぬぬ」
 もちろん本気になれば彼女たちを振りほどくくらい造作もない事だったが、そこで起きる損害とそれに伴う戦力低下、そして………。
「環君も喜ぶかもよ?」
「…………む、むぅ……」
「今よ! リーティ!」
「よしきた!」
 結局セタがさらりと呟いた言葉に抵抗する力を奪われ、とうとうソフィアの軍門に降ってしまう。
「おお、可愛い可愛い!」
 無理矢理付けられたのは、髪の色と同じ真っ白なウサギの耳。コネクタにジャックを差し込まれる時、アームコートに接続する時のような違和感を覚えるが……それを感じたのは、アームコートをまとう時と同じく一瞬の事だ。
「だからそういうのはいらんというに!」
「お、接続はちゃんと出来てるみたいだね」
 ヴァルキュリアの不機嫌さに連動してぴんと立つ耳に、辺りの者達はニコニコと笑っている。
「……どうでもいい」
 耳を付けた所で、違和感はない。遠くの音も良く聞こえるのかと思ったが、今は耳には特殊な機能などないのか、体感できるほどの聴覚の拡張はないように思える。
 ……はずだったのだが。
「………………っ!!!!!!」
 聴覚に突然飛び込んできた男の声は、いつもの何倍も大きく、また近くにいるように感じられて……。
「……あれ。行っちゃった」
「困るなぁ。勝手に持って行かれたら……。まだ試作品なのに」
 あっという間にハンガーから駆け出していったヴァルキュリアに、ジュリアは首を傾げ、ククロは困ったような声を上げる。
「おおかた向こうの棟の環の声でも拾ったんだろ。ククロも聞こえるだろ」
「ああ、うん。それは聞こえてたけど……何で?」
 真顔で首を傾げるククロに、エレも苦笑いをしてみせるしかない。
「あ、誰か帰ってきたみたいだよ」
 やがて聞こえてきたのは、アームコートの歩行音だ。いつもならこれが聞こえる頃にはハンガーから機体の姿も見えるものだが、今日はククロの発明で感覚が強化されているからか、その姿はまだ見えてこない。
「この駆動音だと、白雪とポリアノンだね。……ちょっと関節に負荷が掛かりすぎてるかなぁ」
 女心には疎くても、アームコートに関しては駆動音だけで機種から調子まで判別できる少年である。そんな少年に半ば呆れつつも、ジュリア達は既に予備の耳から新たな物色を始めていた。
「昌は無理だけど、リフィリアには付けられるよね……」
「バカ。付けるだけなら昌も行けるって! とりあえずリフィリアはネコミミだろ」
「猫もいいけど、狐も捨てがたいわよ」
 確かに狐も捨てがたかった。ジュリアの提言に、エレも真面目な顔で悩み込んでいる。
「二人とも何を……」
「そうよ」
 そんな二人の様子にため息を吐くコトナの脇で、ソフィアも同じようにため息を一つ。
 真剣な様子で二人の間に入り込み……。
「リフィリアなら兎、昌は万里とお揃いで狐でしょ!」
 大真面目に取り上げたのは、第三の候補だった。


 賑やかなイズミルを一歩出れば、そこに広がるのは死の世界。
 生きる物全てを拒絶する、薄紫の滅びの荒野。
 イズミルの明かりを離れ、かといってメガリや八達嶺の明かりが見えるほどに近付く事もなく……。そんな場所に立つのは、闇に紛れて立つ、一体のコボルトの姿。
 黒塗りの、猫に似た意匠を施されたそれは、しばらくぼんやりと夜の空を眺めていたが……。
「……聞こえるか。裏切り者」
 聞こえてきた声に、その顔を静かに向けた。
「裏切り者とは心外でござるな」
 通信機からの声だから、声の方向は分からない。けれど周囲に生まれる空気の流れで、そいつは相手の場所を把握する。
 空。
 赤い獅子の兜を被った機体と、それを空中で支える翼の巨人。
「あんな手紙寄越しといて、裏切り者以外にどう呼べってんだ? ……半蔵」
 目の前の猫に似た神獣は何度も戦場で見ていたが、中に誰が乗っていたかは最後まで分からないままだった。けれど通信機から聞こえてくる声は、アーレスもそれなりに知ったものだ。
「して、そちらは?」
「……お久しぶりです」
 翼の巨人から答えなどないだろう。そう思って何の気なしに聞いた問いの答えは、半蔵にとって驚くべき相手のものだった。
「……アディシャヤ殿。貴公がなぜ、そちら側に」
 ロッセと共に行方不明になった時、一緒に行動しているのだろうという漠然とした予感はあった。だがアーレスと同じく、どうしてシャトワールが敵対行為を取る翼の巨人に乗っているのかが分からない。
「今日はそっちが質問していい場じゃないぜ。こっちに寝返りてえなんて言ってても……俺はお前を信用しちゃいねえんだ。姫様の腰巾着」
 その身は、常に万里のためにあった。
 戦いの中でも、特使としても……そして恐らくは、八達嶺の中でも。
「姫様の腰巾着が拙者のお役目でござったからな」
「だった、ですか……」
「あの手紙は、謎の巨人がキングアーツと神揚の同盟を止める一助になるかと思い、用意していたものでござる」
 巨人の正体は分からないが、中に誰かがいるだろう可能性はキングアーツの例からもゼロではないと思われていた。さすがにアーレスが出てくるとは思わなかったが、ならば通じる話もあるだろうと、半蔵はあの手裏剣を放ったのである。
 そしてその予想は、こうして現実の物となった。
「この同盟、どうなると思いますか?」
「良き物にはならぬでござろう。……アレク殿も万里様も懸命になってはおられるが、大河の流れは人の力でどうこうなるものではござらんよ」
 半蔵は、そんな大河の流れの裏側を嫌と言うほど目にしてきた一族の末裔だ。だからこそこんな時代の急流には大きな負荷がかかる事を知っているし、同時に流される血と命の量も知っている。
 そんな半蔵の経験から導き出される答えは……。
 否、であった。
「拙者が死ぬのは草の本分ゆえ構わぬが、万里様には死んで欲しくないでござる」
 あの夢の中での無惨な最期。そして恐らくは、同じように散ったであろう最初の巡り。
 三度もそのような悲劇を繰り返す事は、ないだろう。
「半蔵さんは恐くないの? 死ぬことが」
「無念は残るでござろう。しかしそれで主を失ってしまっては、それこそ無念どころではないでござるよ」
 半蔵にもしたい事くらいある。
 けれど、その順位よりも高いものがあるだけだ。
 そしてそれ故に、半蔵は道を別ったのだ。
「どうしますか、アーレスさん」
「……ダメだ」
 アーレスの言葉はにべもない。
「あいつから判断を任されたのは俺だ。文句は言わせねえぞ」
「まあ、当然でござろうな。こうしてお目に掛かれただけでも、僥倖でござるよ」
 実のところ、こうして会談の席に応じてくれるとさえ思っていなかった。今日はさして美しくもない紫の星空を眺めて、偵察任務を終えるつもりだったのだ。
「そうか……。なら……」
 呟き、アーレスは背中の刃に手を掛ける。
 それ引き抜き、口止めをしようとした瞬間……。
「であれば、前金代わりに情報をいくつか」
 通信機から続く言葉に、手を止める。
「……前金? 言ってみろ」
 そこで半蔵が口にした情報は、半ばまで抜き掛けた刃を戻すに足りるだけのもの。
「必要でござろう? 拙者が」
「……やっぱり信用できねえよ、テメエは」
 腹立たしげにそう言い捨てて、アーレスは背中の刃を最後まで鞘に収めるのだった。


 窓から見える星空は、上天だけに絞れば美しいもの。
 キングアーツのような灰色でもなく、八達嶺のような琥珀色でも、ましてや滅びの原野の薄紫でもないものだ。
 そんな夜空をぼんやりと見上げていたリフィリアは、自室で視線を手元に落とす。
「…………」
 その手に握られているのは、ハンガーでジュリアに強引に渡されたククロ謹製のネコミミだった。
 もちろん昌のように、迷いなく付ける度胸などない。
 何とかその場で付ける事は断りはしたものの、「気が向いたら!」とソフィアに強引に手渡されて、結局部屋まで持ってきてしまったのだが……。
「うぅ…………なんか、すごくいい」
 呟きながら、そっと猫の耳を撫でる。
 もともと神揚の人体改造用に作られているというそれは、滑らかな毛の手触りと、少し芯のある感触まで同じものだ。
(これ、ククロに返さなくてもいいだろうか……)
 正直、こうして黙々と触っているだけでも満足だった。
 だが……。
 撫でていれば、やがて次の欲がむくむくと首をもたげてくる。
 似合うとは思わない。そこまで自信があるわけではない。
 けれど……。
「…………うん」
 誰も見ていない所でなら、付けた所で誰に文句を言われるわけでもないはずだ。
 中を見られるわけにはいかないと、メガリからイズミルの宿舎にまで持ってきてしまった、タンスの中身と同じように。
「試すだけ…………試すだけだからな」
 軍人としての能力強化の一環として、神揚の施術は受けるつもりだったのだ。その前段階として、どの性質が一番彼女に向いているか、テストするのも悪くない。
 そう自分の心を納得させて、リフィリアはカチューシャを装着した。
「おお…………」
 ジャックを接続して鏡を覗き込めば、リフィリアの頭の上で、ひょこひょこと猫の耳が揺れている。
「おおお…………っ!」
 さらに、彼女の感情を反映するかのように、その耳は機嫌良さそうにヒクヒクと動いているではないか。
 こんな所は死んでも誰にも見せられないが、自分としては現状で出来うる限りの満足だった。
(後は、キツネとウサギとイヌをどうやってククロから借り出すかか……!)
 そんな事を真剣に考えを巡らせたその時だ。
「リフィリアー。ソフィアとお風呂行かないー?」
「うわあああああああああっ!?」
 ノックされた扉とそこからのジュリアの声に、リフィリアは大慌てで付けていたネコミミをベッドの下へと放り込むのだった。


続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai