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9.消えゆく、忘れえぬもの

 闇の中。
 辺りに灯るのは、いくつもの蝋燭の光。
 それらの中央に座するは、虎の耳を備えた小柄な娘の姿が一つ。
 細く小さな両手を合わせ、紡ぎ出すのは延々と続く言霊だ。天に昇る事も出来ず、自らの体との縁を断ち切る事も出来ず……そんな、外法に身を落とした魂を呼び出し、救うための文言を、少女は静かに紡ぎ出していく。
 閉め切られた小さな室の中。
 やがて、風のないはずのその空間で、蝋燭の灯火がゆらゆらと揺らぎ出す。
 紡ぐ言霊に、迷いはない。
 戦いは終わり、和平は成されるだろう。
 既に一度、死んだ身だ。借りていたこの身を元の主に返すには、またとなき良い機会であると言えた。
 言霊を紡ぐ声に力が籠もり、室の中を巡る術の力は一層勢いを増していく。
 そして。
 灯る光の向こう。ぼんやりとその姿を見せたのは……。
(…………珀亜)
 手を合わせ、その場に座する少女と鏡写しの娘の姿。
 双子ではない。鏡合わせでもない。
 この身体の、本来の主の姿だ。
(お前の思いは無事に成ったぞ。その手伝いが出来て……もう一度万里殿の傍らに立つ機会をくれた事、この珀牙、心から礼を言う)
 術を成すための、言霊を紡ぐ最中だ。想いを言葉に紡ぐ事は出来ない。
 けれど目の前の妹に抱くのは、そんな感謝の念である。
(平和な世ならば、私の剣よりもおぬしの知恵が万里殿の役に立つであろう。故にこの体、今こそ返そう)
 彼……死んだはずの珀牙がいまだ珀亜の身体に留まっているのは、珀亜が成した外道の法に依るものだ。もともと正しい術ではないし、彼女の願いを果たした以上、歪みは早急に正されるべきだろう。
 故に珀牙が紡ぐのは、そんな歪みを正す術。
 いまだこの世に縛り付けられたままの妹の魂を呼び出し、元の身体へと戻す術。
 この術を学び、自身に成すために、珀牙はいまだ大揚のクズキリの家に留まっていたのだ。
 だが。
(珀亜…………?)
 目の前の少女は、兄の言葉に小さく首を振るだけだった。
 その術の存在は彼女も知っているはずだ。彼女自身が珀牙の呼びかけに応じるだけで、術は成る。
 所作も、言葉も必要ない。
 願うだけで、彼女は元の身体へと戻れるはずなのに……。
 それを、あえてしないということは。
(……まだだと言うのか?)
 生まれる想いに、目の前の少女の姿が蝋燭の炎の如く揺らぎ、消えかかる。
 けれど少女はその中で、静かに北を指差してみせた。
 帝都大揚の遙か北。
 山を越え、人の歩みを拒む滅びの原野のその先にあるのは……。
「まだ、私に果たすべき事があると……」
 終わっていないのか、戦いは。
 紡がれてしまった言葉に言霊が途切れ、辺りは闇に包まれる。術が破れた反動で蝋燭の明かりが消える瞬間、彼が目にしたのは……。
 不安げに頷く、妹の姿だった。


「…………どういうこと?」
 片手半の刃を下ろしたのは、目の前の敵が消えたから。
「さあ。何かの手品や神術の可能性はあるけど……」
 周囲の風にも、それらしき相手の気配はない。ソフィアの背後を守っていたセタも、周囲で敵を牽制していた昌も、構えていた得物をようやく下ろしてみせた。
「昌。大丈夫?」
「ちょっと重いけど、大丈夫だよ」
 もともと神獣の中でも特に反応速度の早い騎体を駆っていた昌である。新しい白雪がいまだフルパワーの出せない試作機である以上、重く感じるのはどうしても仕方のない事だった。
「あ。なんか計器の端っこに赤いランプが点いてるんだけど。オーバー……なに?」
「オーバーヒートだよ。大丈夫じゃないじゃない!」
「え、ちょ……爆発とかするの!?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
 そう言っている間に、白雪の関節部がぶすぶすと煙を上げ、兎に似た白い神獣はその場にぐったりとうずくまってしまう。
「…………あ」
 まだ全力の出力に、各所の構造が追いついていないのだ。試作機の運用テストが急な実戦テストになってしまったのだから、仕方ない事とはいえ……。
「大丈夫かい?」
「あんまり大丈夫じゃないよ。応急処置するから、ちょっと手伝ってもらっていい?」
「了解」
 今でこそイズミルで技術者のように振る舞っているが、もともとククロの役目は前線での機体の応急補修である。ナーガの格納部から補修部品を取り出しながら、うずくまった白雪の煙を噴いている箇所をこじ開けていく。
「コトナやアーデルベルトの所も、敵が消えたみたい」
 そんな昌達の様子を見ながら、ソフィアは周辺部隊の状況を伝えてくれる。どうやら、敵の消えたタイミングはほぼ同時だったらしい。
「ちょっとムツキにも聞いてみるね。……ムツキ!」
 意識を集中させて、地下に控えている老人に言葉を送る。
「敵が消えちゃったんだけど、そっちで何か分からない?」
 ソフィアの念話もジュリアの治癒術と同様、まだまだ練習中のものだ。本来ならば考えるだけで送れる言葉も、今は言葉を口に出さなければ十分な効果を発揮しない。
「……分からん。少なくとも、地面の上を歩いているわけではないな。出てきた時と同じだ」
 アームコートや神獣ほどの大きさの物が歩けば、地面の底には振動が届く。それはソフィアのように堂々とした歩みだけではない。半蔵のように足音を潜めたとしても、少なからずは分かるものだ。
 けれど今の地中には、何が逃げている様子も伝わっては来なかった。
「そっか……。空を飛んでるわけでもないみたいだし……」
 翼の巨人は空を飛ぶが、さすがにそれを見落としはしない。周囲の風を感じる事で敵の動きを察するセタがいるなら、なおさらだ。
「そちらにアーデルベルトの部隊が近付いておる。静かになったから、他の所の戦闘も終わったようだな。リーティ達も無事らしい」
 はるか上空から飛んできた思念も、敵がいきなり消えたと伝えてきた。
「そう……。なら、ムツキは周りの警戒をお願い」
「承知」
 短い言葉と共に、地底からの思念は切れる。
「ソフィア姫、ご無事か!」
「ええ。何だか、敵がいきなり消えちゃって……。前に兄様を倒したカメレオンとも違うみたいだったけど」
「……そちらもですか」
 アーデルベルト達が戦っていた翼の巨人も、そのまま空に溶け込むように姿を消してしまったのだ。
 以前戦ったカメレオンに似た神獣と同じ手段かと、視覚を熱源に切り替えてもみたが、それらしき影は見当たらなかった。
 文字通り、煙のように消えてしまったのだ。あの翼の巨人達は。
「なら……本当におばけだったってこと?」
「ゴーストにしては、ちょっとやり方が乱暴に見えるね」
 セタの知る伝承に出てくる幽霊やおばけと言った怪異達は、せいぜい屋敷の家具を動かすか、皿を割る程度の悪さしかしない。
 間違っても、ハギア・ソピアーの盾や装甲に、幾つもの傷を穿てるほど強力な存在ではないはずなのだが。
「姫さん、無事かー」
「エレ!? どうしたの!」
 見かけない機体だが、よく見ればその下半身は、半年前に大破し、回収された彼女の愛機の面影を色濃く残すもの。どうやらそれが、帝都から持ち帰った彼女の新しい機体なのだろう。
「イズミルまで戻ってきたら、何か面白そうな事やってるって聞いたからよ。コトナと半蔵も無事だぜ」
 彼女の後ろからは、アーレスと交戦していたはずの二人の姿も見えた。コトナの大盾が真っ二つになっているのが気になったが、機体に大きな損傷はないようだ。
「良かった……。なら、一度下がりましょう。ここからなら、八達嶺の方が近いわよね」
「確か今日は、アレク王子も向こうのはずでしたな」
 ソフィアは小さく頷くと、コトナの元へと傷だらけの機体をゆっくりと回頭させる。


続劇

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