8.帰ってきたアイツ 「防御陣形! 対空の構えを取れ!」 通信機を振るわせる叫びと共に構えられたのは、薄紫の世界に差し込む陽光を弾く、鋼の槍の穂先であった。 そのはるか先。穂先の向こうに浮かぶのは、鋼の翼を備えた重装の騎士だ。 「てぇっ!」 アーデルベルトの号令と共に槍の隙間から引き絞られた太矢やネットが放たれるが、もともとそれらは装甲の薄い神獣前提に作られたもの。アームコート並の分厚い装甲とパワーを誇る翼の巨人には、端から弾かれ、切り裂かれてしまう。 遅れて放たれたトリモチは相手を捕らえるかに見えたが、弾頭が大きいぶん速度が遅く、こちらは余裕で躱されてしまった。 (……厄介だな。このままでは、姫様やコトナの支援にも回れんぞ) ソフィアも翼の巨人相手に苦戦しているようだし、コトナはアーレスと戦っている。 本来なら彼女たちの支援に向かうのが部隊を率いたアーデルベルトの役割だったはずなのに……彼もこうして、たった一機の敵を相手に足止めを食らったままだ。 「シュミットバウアーさん! 白雪でかき回そうか?」 考えるアーデルベルトに声を掛けてきたのは、少し後方に控えていた昌の白い神獣である。 「その機体はまだ調整中だろう。無理するな」 柚那の神獣と同じく、昌の機体も動作試験も兼ねて今回の調査に同行したのだと聞いていた。まさか翼の巨人との遭遇……しかもいきなり戦闘になるとも思っていなかったから、特に問題になるとは思わなかったのだが……。 「大丈夫だよ。ねえ、ククロ」 「まだ駆動系が今ひとつ慣れてないけど……出力七割までなら大丈夫だと思うよ」 昌の神獣は、機体の大半をアームコートの構造に置き換えた、いわばセタのMK-IIの対極に位置する機体である。制御系に大幅な問題はないはずだったが、いかんせん試作型で、どこまで実用に耐えるか分からない所も多いのだ。 「そこまで無理させる気なら、ソフィア姫様の援護に回ってくれ。こちらはこちらで何とかする」 「了解。クオリアさん、行くよ!」 「ああ、ちょっと待ってよ!」 槍と砲門を構えて相手を牽制させながら、二人が離脱できるように部隊を素早く動かしていく。 (とりあえず、ソフィア姫様はこれで何とかなるか……) そちらは何とかなったものの、何度目かの斉射を放っても、相手の動きを捕らえる事すら難しい。 そもそもキングアーツで大型機用の飛び道具の開発に重点が置かれるようになったのは、ごく最近のことだ。それも、速いが装甲の薄い神獣の捕縛や足止めを想定した物であって、目の前の敵のように速くて硬い相手を墜とす事は考えられていない。 (しかし……) 隊の指揮を取りながらアーデルベルトが思い描くのは、焦りと共に幾つもの疑問である。 敵が強いのは良い。いや、けっして良くはないが、それはそれで受け入れるしかない。 問題は、敵の意図だ。 翼の巨人もたった一機でこちらの陣営に飛び込む気はないのだろう。こちらの槍が届かず、飛び道具を無力化出来る程度の距離を保ったまま。 その飛行力と装甲強度を誇示したいのか、それともこちらの戦いぶりを見定めるつもりなのか。 (あるいは……) 足止めにしては、ソフィアとコトナが劣勢という報告は聞こえてこない。どちらもけして優勢ではないが、少なくとも互角に渡り合うなり、煙に巻くなりしているらしい。 (何がしたい。何をするつもりなのだ……) 相手の行動の裏が見えないまま、アーデルベルトは迎撃の指示を繰り返すだけだ。 立ちこめる暗雲を切り裂き、突き抜けてきたのは、赤い獅子の頭部をまとう鋼鉄の獣。 背中に備えた高出力の推進器の咆声も高らかに、一直線にこちらへと向かってくる。 「……やはり、早いですね」 転がっていた機体をひと挙動で立て直し、コトナが盾と槍を構えたときには、既にアーレスの姿は眼前にある。彼の背中の推進器も計算に入れてはいたが、その推進力も大幅に強化されているようだった。 (誰かと合流しなければ厳しいですか……) だが、ソフィアやアーデルベルトは別の襲撃者と戦っているし、ムツキには別の役目がある。謎の敵が出現し、少なくとも味方に大きな損害が出ていない以上、その役割を放棄させるわけにはいかなかった。 「来たでござるよ!」 追いついたアーレスは、やはり無言のまま。加速を落とすこともなく大太刀を構え……地面とまっすぐ水平に。 それは、与えられた加速力を一点突破の破壊力へと置き換えるための、突撃の構え。 「半蔵は私の後ろに!」 恐らくアーレスが狙ってくるのは、一撃で倒しきれないコトナよりも、装甲の薄い半蔵だ。そして彼が以前行なった、はるか彼方の一点も的確に狙う制御技術があれば……この超高速状態でも回避した半蔵を追尾する事は不可能ではないだろう。 ならば、対応は一つしかない。 半蔵を自身の後ろに置き、この攻撃はコトナが受け、流す。 機体の限界は近いが、アーレスの一撃は突き込みだ。上手く流せば、もう一撃や二撃は何とかなるだろう。 なる、はずだ。 (……もう少しだけ頑張って下さい、ガーディアン) 祈りはしない。 ただ、繰り返しの鍛錬で身に付けた動作と、経験に裏打ちされた判断……そして、自らの機体を信じるだけ。 突き込まれた刃が大盾を滑り、斬り込み、その内に食い込もうとした瞬間。 コトナは力任せに、切り裂かれた盾を自身の外側へと蹴り飛ばす。 (これで……っ!) その、刹那。 「…………っ!?」 コトナの操縦席の眼前に迫るのは、加速の乗った朱い脚。 コトナは自身の盾が保たないことを理解していた。だからこそ盾が刃を食らった所で、強引にアーレスの身体を突き放した。 しかしアーレスは、そのさらに先の一撃を彼女の機体に打ち込もうとしていたのだ。 (…………してやられましたね) 限界まで高められた集中は、体感時間を極端に遅くする。 これだけの加速の付いた蹴りだ。直撃すれば、コトナも無事では済まないだろう。全身義体ならばまだ部品交換で生存の余地もあるだろうが、彼女の身体はそのほとんどが生身のままだ。 防御姿勢も間に合わない。 「日明殿!」 背後に控えた半蔵も、いかに忍びの素早さがあるとしても、間に合いはしないだろう。 (せっかく、人の身体に戻れると思ったのに……) そう思い、目を閉じようとして。 眼前に迫っていたアーレスの機体が。 まっすぐ横に、吹き飛んだ。 「……………え?」 「日明殿!」 半蔵の声に集中が途切れ、体感時間が元へと戻る。 真横から殴り飛ばすかのような強烈な一撃は、誰も予想だにしなかったもの。半蔵も、コトナも、恐らくは勝利を確信したアーレスさえも。 音も、姿もなく。 見えないほどに小さな、しかし強烈な一撃を撃ち込んだのは……。 「よーう。バースデープレゼントには間に合ったか? マイハニー」 はるか彼方に見える、異形の姿。 脚だけが異様に肥大した彼女の機体は、今は腕に当たる箇所を長銃身のライフルへと置き換えた、さらなる異形と化している。 「…………一日遅いですよ。エレ」 無線から飛び込んでくる懐かしい女性の声に、コトナは小さく息を吐き、切り裂かれた盾を拾い上げた。 「随分と懐かしい顔がいるじゃねえか。おしおきが必要なら、アタシも混ぜ…………」 だが、操縦席の中。スコープを覗き込んだ自信たっぷりのエレの言葉も、途中で尻すぼみになってしまう。 「……どういう事でござるか?」 それは、彼女の一撃で吹き飛ばしたアーレスの姿が……。 「消え……た?」 その場から、忽然と消え失せていたからだ。 |