3.鋼より、鋼へ 小作りなハンガーの隅で告げられたのは、二年という今の基準からすればはるかに長い時間だった。 「そうですか。神揚に二年は、随分と長いですね」 義体から、生身の身体へ。生身から義体という通常の義体化プロセスの逆を行なう手術は、現在のキングアーツでは存在しない。 けれどキングアーツではない場所……生体技術に通じたはるか南の帝国には、生身を生身のまま再生させる術があるのだという。 「逆に、腕丸ごととかだったらもっと短くて済むらしいんだけどね。義体から生身への逆換装なんて初めてだろうし、コトナの場合は部分部分で数も多いから……」 生体の培養に、移植手術。そこからの定着安定に、リハビリまで。 コトナの問いに答えた少年も、いまだ神揚の神術体系は学んでいる最中だ。それ故の大まかな判断でしかないが、前例のない事でもあるし、おそらくは本職の術者達も正確な数字を出す事は難しいだろう。 「どっちにしても、今の俺達は神揚の本国には行けないから、先の話だけどね」 人体の再生が行える規模の再生設備は、このイズミルはおろか八達嶺にさえ置かれていない。最寄りの設備があるのは八達嶺の南にある大きな街なのだという。 もっとも、双方の国に正式な国交の結ばれていない現在、キングアーツの民は八達嶺より南に進む事は出来ない。 「いえ。可能性があるだけでも、随分と違いますから」 今までのコトナには、全身義体に置き換えるか、今の不自由な身体で無理矢理耐えるかの二択しかなかったのだ。そこに生身の身体に戻れるという第三の可能性がわずかでも出てきたのは、まさに僥倖と言うしかない。 「ええっと………治癒の具合、どうですか? コトナさん」 「ええ。だいぶ楽になりました。……上達しましたね、ジュリア」 そう答える少女の手を取っていたジュリアの言葉に、コトナは小さく頷いてみせた。 「えへへ……ありがとうございます。まだ集中とか、ちょっと難しいですけど」 ジュリアの頬はほんの僅かに朱く染まり、息も軽く上がっている。 神術の基礎を習い始めて数ヶ月。簡単な念話や治癒術などは、少しずつ形になりつつある。 いつもならコトナに治癒術を施すのは彼女たちの師でもある柚那の役なのだが、いまは柚那が故郷に戻っているため、練習を兼ねて彼女たちの役割となっているのだ。 「では、次はアルツビーク中尉、お願いします」 そんなジュリアと入れ替わりで、コトナの向かいの席に着くのはリフィリアである。 「ああ……」 同じようにコトナの手を取り、紡ぎ出す言葉に意識を集中。身体の中に巡る力を感じながら、それをコトナの身体に流れていくようイメージを広げていく。 「……どうだ?」 僅かな沈黙の後、小さく息を吐くが……。 「あまり効いている感じがありませんね」 柚那やジュリアの治癒術では感じる、身体に熱が広がっていくような感覚がない。ジュリアのそれも具体的に感じるようになったのは最近の事だから、リフィリアのそれはジュリアの段階までは達していないという事だろう。 「そうか。……やはり、全身義体に問題があるんだろうか」 「それはないと思うよ。ソフィアは簡単な念話は使えるようになったって言ってたし。適正みたいなものがあるんじゃないかなぁ?」 神揚の民にも、当然ながら神術の得意不得意はある。生物学的に同じ種であるキングアーツ人にも、彼らのような術の適正はあると考えるべきだろう。 「そうですね。私も義体は身体の一部だけですが、ジュリアほど効果のある治癒はまだ使えませんから」 神術適性の低い神揚の民でも、基礎的な術くらいなら誰でも使えると聞いていた。 そもそも彼女たちも、術の基礎を学び初めてまだ半年も経っていないのだ。その辺りは気長にやっていくべきだろう。 「戻ったぞ。……多いな」 そんな話をしていると、ハンガーに姿を見せた影が二人。 「お帰りなさいませ、ソフィア姫様」 「みんなも治癒の練習? おつかれさま」 下げていた片手半を脇に置き、ソフィアも彼女たちの近くに腰を下ろす。日課の剣の練習を済ませたばかりで、いまだその顔はほんのりと火照り、うっすらと汗が浮かんでいた。 「お帰り、ヴァル。新しい腕、どうだった?」 ククロの問いに、ソフィアの稽古の相手をしていたヴァルはゆっくりと腕を前に。 「動きは悪くないが、強度は大丈夫なのか? だいぶ軽いぞ」 彼女の両腕は、半年前に交換されたそれから、わずかに形が変わっていた。 「神揚の金属を使ってるんだよ。竜頭鋼って言って、こっちの鋼材より三割軽くて、二割粘り強いんだって」 それは、神術を併用した精錬技術を持つ神揚特有の金属だ。イズミルの研究機関では、それらの金属を幾つも取り寄せ、より使い勝手の良い義体の開発も始められている。 「ただ、少し柔らかいから、硬さが必要な所は今までの物を使ってるよ。使い勝手は今までと変わらないはず」 そう言うククロ自身の腕も、この半年で幾度となく新しい試作品へと取り替えられていた。彼自身が義体開発のスタッフというわけではないが、自ら進んで被験者の役割を買って出ているのだ。 「なるほどな……。もう少し重くならんか?」 「今試作してる奴の中には、そういうのもあるみたいだよ。重くなるけど、強度も粘り強さも上がるって」 「そちらの方が良さそうだな。今の腕だと、一撃が軽くなりすぎる」 ヴァルキュリアの戦い方は、一撃の重さを片手半の重量でカバーするソフィアとは違う、自身の身体を目一杯に使うものだ。強度が上がるのは構わないが、身体が軽くなりすぎるのは彼女にとって好ましい事ではない。 「了解。そっちが出来たら、また連絡するよ」 「ヴァルも治癒神術、してあげよっか? 接続部分の痛いのとか、楽になるよ?」 「不要だ。痛みなど止めておけばいい」 彼女の義体は全身義体だし、アームコートと同じ痛覚遮断も備え付けられている。コトナの身体を蝕む痛みなどは、基本的に縁が無い。 「残念。……じゃ、お茶の支度してくるわね。ソフィアも喉渇いたでしょ?」 積み上げられた書類の向こうに見えるのは、窓から覗く琥珀色の空。霧の向こうにぼんやりと見える太陽は、辺りの書類の山ほどに高い位置にある。 そんな山の中から取り上げた書類は、魔物調査に関するものだった。 「正体不明の巨人と魔物は、足跡や行動跡から同一の存在と目される。ただし実際の遭遇などはなかったため、行動様式や戦力の程度は不明……っと」 添付された写真を見れば、確かにメガリ側で見つかった魔物の足跡と八達嶺側で見つかった足跡は、同一騎体のものに見える。 「万里。キングアーツ側は『翼の巨人』って仮称を入れるらしいが、こっちはどうする?」 「特に問題はないかと。こちらもそれに合わせましょう」 主の答えを聞いて、その書類の束を処理済みの山に置き……青年は小さく息を吐いた。 「…………これで、午前のぶんは終わりか」 各種の決算書に、調査の報告書。市街地の問題点の陳情書に混じるのは、税収関連の重要書類。 「お疲れ様、奉」 掛けられた声に、頷きを一つ。 だが、かつてこの前線基地が戦のただ中にあった頃は、これに各種の戦闘報告まで混じっていたのだ。さらに言えば、今は彼ら複数人で何とかこなしている事を、当時はたった一人の青年が行なっていた。 それを思うと、青年としては気が遠くなってしまう。 果たして彼は、青年の代わりになっているのだろうか、と。 「疲れたぁ……。ねえ万里、終わったんだからご飯食べに行こうよ」 「そうね……。昌は何にする?」 キングアーツとの交流が始まってから、八達嶺の組織機構もいくらかの変革を見せていた。かつては全てをトップである万里が決済していた所を、いくらかの部署に分け、ある程度の決済能力を持たせるようにしたのだ。 その構造改革による負荷分散のおかげで、万里の負担はゆくゆくはある程度減る…………だろうと思われている。 (まあ、まだ先の話だな……) とはいえ、まだキングアーツ流の機構を導入してほんの数ヶ月。 場の混乱も多く、機構は十全に機能しているとも言いがたい。だからこそ、奉の目の前には山のような書類が積み上がっているわけで……。 その書類を分担して処理するため、万里の政務の間には本来の定員以上の人々が詰めているのだった。 「ホイポイ酒家でキングアーツの果物を使った料理が出来たと聞いたでござるよ」 「果物……? 半蔵。それは飯ではなくて菓子ではないのか」 「頭脳労働には甘味が必要なのでござるよ、ムツキ殿」 「……儂は頭より目に良い物が食べたい」 金属製の左腕で左目を押さえながら、ムツキは小さく呻いてみせる。 さすがに書類仕事をする以上、両目を隠してはいられない。右目は何か事情があるのか布を引き上げないままだったが、それも左目に一層の負荷を掛ける原因になっているのだろう。 「まあ、酒家なら食べる物もあるでしょ。万里は酒家でいい?」 「うん。大丈夫」 昌の言葉に小さく頷き、万里もゆっくりと立ち上がる。 「けどいい加減、ロッセの後任が来てもいいだろうに……。帝都はそこまで人不足なのかな」 「無理だろう。お主の妹君も、難しいと言われたのだろう?」 「ああ……。西方の開拓が大詰めらしくてな。そっちに手を取られていると聞いた」 キングアーツとの戦いが落ち着いた頃、ロッセの後任として、帝都で役人をしている奉の妹を呼べないか打診した事があった。 しかし帝都も人材不足な上、どうやら彼女も重要な立場にいたらしく、上からの許可が降りなかったのだ。 今となっては、これだけの激務を妹に押し付ける形にならなくて良かったとも思ってしまうのだが……。 「こうして黙々と仕事をこなせているウチは、人など来んよ。……特にここには優秀なのが一人おるからな」 呟き、ムツキが朱い瞳を向けたのは、書類の山に埋もれた白い髪の青年だ。 「…………勘弁してくれよ」 昌に半蔵、果ては万里の視線まで向けられて、奉は心の底からのため息を吐く。 そんな政務の間に姿を見せたのは、書類の束を抱えた小柄な少年である。 「ただいまー。調査の報告書、確認してっていうやつ貰ってきた…………な、何だよ」 場にいた全員から視線を向けられて、少年は半歩後ずさった。 「……いや、別に。これからみんなで昼飯食べに行くけど、リーティも行くか?」 とはいえ、別にリーティが悪いわけではないのだ。 口にしたい色々な思いを胸の奥に押し込めて、奉もゆっくりと立ち上がる。 「あ、行く行く。お腹ペコペコだよ」 書類を片付ける事に専心しては、いつまで経っても終わりはしない。適当な所で線を引き、休みを入れる事もまた、仕事を円滑に進めるためには必要な事なのであった。 |