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29.忘レ名草子

 沙灯の姿を借りた半蔵が語ったのは、半蔵が夢に見た全ての事だった。
 お互いを異形の敵と認識していた二つの国と、そこに住まう姫君の事。
 清浄の地での出会いと、小さな恋物語。
 すれ違いによる悲しい離別と、その先に至るための新たな選択。
 裏切られ、傷付き倒れ、例え身体を失ったとしても……最後の最後まで走り続けた、二人の姫君と。
 それを見守り、共に駆け抜けた、少女の願い。
「……そして、我々は少し前の世界で目覚めたのでござる」
 そして巻き戻された、少女の抜け落ちた世界の事。
 半蔵がそれを語り終えても、誰も言葉を発しなかった。
 見て来た者は、見てこなかった者を気に掛けるように見守るだけ。
(これが……珀亜の見てきた世界……)
 自身の目にしなかったそれを、あらためて理解するもの。
(アレク様は……聞いたって聞いてたけど……)
 それでも、自身の死を告げられる事は良い気分ではあるまい。千茅がちらりと視線を向けたアレクは、瞳をじっと閉じ、話をじっくりと整理しているようにも見えた。
「…………そっか。だから兄様は、あたしをあの戦いに出したくなかったんだ」
 やがて、ぽつりと言葉を漏らしたのは、ソフィアだった。
「ああ。万里にお前を殺させるわけにはいかなかったからな」
 話の合間には、アレクも自身の見てきた世界を語っていた。
 半蔵の語る世界の前の巡り。
 ソフィアの死と共に生まれた和平と、和平の後のすれ違い、そしてキングアーツが青い空を求める事で始まった侵略戦争。
 万里の沙灯の死と、沙灯の双子の姉……瑠璃の力で巻き戻された、アレク・環・ロッセ・ヴァルキュリアの事。
「ヴァルはその事、覚えてるの?」
「分からん。環は巻き戻っていないと言っていたが、私から見ても瑠璃の時の記憶があるようには見えんな」
「私が夢を見たのもだいぶ前でしたけど、差があるって事でしょうか?」
 千茅はあの夢を見てから、八達嶺の兵として志願したのだ。八達嶺から直接の志願だったからある程度の訓練期間は免除されているものの、それでも周りの者達と比べればかなり以前から巻き戻しの夢を見ていたと言える。
「その可能性もある。術が失敗した可能性もあるしな」
 あの時、ヴァルキュリアは敵の攻撃を受けてかなりの怪我をしていたはずだ。術が発動した時に生きていれば問題ないはずだが、負傷の度合いによっては戻らない事があるのかもしれない。
「私が……お二人を……」
「今の万里が気にする事じゃないよ」
 茫然としている万里の頭を撫でるのは、今度は昌の番だった。
「そうだよ。万里だって知らなかったんだし、仕方ないよ」
 そして伸びてくるのは、金属に覆われた硬い腕。
 昌のように優しく頭を撫でて、涙の浮かぶ目尻に優しく触れる。
「それとも万里は、今のあたしたちとも戦いたい?」
「嫌です! アレクさんも、ソフィアも……戦いたくなんか、ありません」
 相手も人だと知ってしまったから。
 こうして話し、笑い、友達になれる相手だと分かってしまったから。
「だったらそれでいいんだよ。……だよね?」
「そういうこと。……こうなっちゃうのが分かってたから、私達も話したくなんかなかったんだよ」
 撫でてくれる二つの手は、硬さはそれぞれ違ったけれど……どちらも優しく、安心する手だった。
「それに……沙灯というかたの事も……。私は、何一つ覚えていない」
「それを全て理解した上で、沙灯殿は時を巻き戻したのでござる」
 半蔵としては、その気持ちは分からないでもない。
 半蔵たち草の者も、誰に名を知られる事もなく、ただ闇に生まれ、闇に消えていく定めを背負う。だからこそ半蔵は、かの『大揚名物甘味手引草』も、自らの名を記さないまま世に送り出したのである。
「そのような者がいたと覚えているだけで、恐らく沙灯殿は十分に報われる事でござろうよ」
「……はい」
 半蔵の言葉に小さく頷き、ふと気付く。
「そうだ、半蔵」
「なんでござるか?」
「あなた、昨日の晩、私の部屋に来ましたか?」
 突然の不可解な質問に、半蔵は首を傾げるしかない。
「いえ。拙者は昨夜はメガリ・エクリシアの城内に……」
「半蔵は私達と一緒にいたよ。間違いない」
 そうだ。あの時はジュリア達も一緒だったではないか。
 そもそも自らの所在を明かすのがプレセアから出されたメガリ・エクリシア滞在の条件だったのだから、勝手に出歩けるはずもない。
「それに八達嶺まで戻ったのであれば、もっと上手く立ち回っているでござるよ」
 危険だからしなかったが、もし出来ていたなら今日の八達嶺への侵入ももっと効率よく行えていたはずだ。念話が奉に届いたから良かったものの、そうでなくては今回よりもっと場当たり的な作戦になっていただろう。
「そう……ですよね」
 言われてみれば当たり前の事だ。そもそも半蔵が相手で、あのようなちぐはぐなやり取りになるはずがない。
「どうかしたのですか?」
「はい。昨日の晩、私の部屋に半蔵が……。珀亜、貴女が声を掛けてくれた時があったでしょう?」
「は。中で万里殿の声がしましたゆえ、お声を掛けさせていただきましたが……」
 あの時、確かに万里は誰かと話をしているようだった。万里に害を及ぼすものかと思って声を掛けたが、誤魔化されたため、味方の誰かとの連絡でも取っていたのだろうとそれ以上の事は追求せずにいたのだが……。
「では、あれは誰だったのでしょう」
 外見は確かに目の前の半蔵と同じだった。
 鳶色の髪に、金の瞳。
 あの時の少女はもっと寂しそうな表情をしていたけれど、違いといえばそれだけだ。
「まさか……本物の沙灯?」
 そういえば、その前日にはタロも沙灯の姿をした半蔵を見たと言っていたではないか。それが本物の沙灯だとすれば……。
「そんなはずはないだろう。沙灯はこの世界からは消えたと言っていた」
「……だよねぇ」
 だからこそ、沙灯の欠けた穴を埋める役割として、この世界では昌や奉が万里の側近として仕えているのだから。
 それに当代のヒサ家にも、万里に年の近い娘がいるとは伝わっていない。
「じゃあ、他にも沙灯さんの格好を知ってる人がいるってこと?」
「拙者の術は一族の秘伝。おいそれと他人が使えるものではござらんよ」
 半蔵達のように夢の記憶を受け継いだ者が他にもいる可能性は、ゼロではない。けれどその中に半蔵に肩を並べる変化の術の使い手がいる事は考えづらい。
「だよねぇ……」
 幻術に化粧、もしくはそれ以外の方法で沙灯に化ける術はあるだろうが……あの時の夢の知識があるなら、この狭い八達嶺の中での事。今までの段階で、もっと何らかの動きを見せていてもおかしくはないはずだ。
「あ、あの…………」
「はいはい。全部もう夢の話だよ! ぱーっと美味しい物食べて、忘れようよ!」
 だが、そんな微妙な雰囲気と、口を開きかけた千茅の言葉をかき消すように勢いよくカウンターに供されたのは、もうもうと湯気の立つ山盛りの大皿料理だった。
「うわ、良い匂い! なにこれ!」
「キングアーツからの可愛いお客さんもいるからね。大揚料理の美味しい所、たくさん用意したよ! 食べて食べて!」
 カウンターに、天幕内に散らばって置かれたテーブル。そこかしこに次々と大皿が並べられ、誰かのお腹がまたぐうと鳴る。
「お、やっておるな!」
 そこに天幕をくぐって姿を見せたのは、片腕となった巨漢の将。
「ちょっと、みんなずるい! あたしにも食べさせてよ!」
 そしてそれに続く、数名の将達だ。
「柚那、お帰りなさーい!」
「ソイニンヴァーラ、日明。無事で何よりだ」
 穏やかに微笑むリフィリアにぺこりと頭を下げておいて、コトナとエレも彼女から皿を受け取った。スミルナで習った箸の使い方はあまり得意ではなかったから、二本のそれを揃えて握るだけだったけれど。
「柚那。貴女にも苦労を掛けました」
 柚那がキングアーツの陽動部隊を相手に上手く立ち回ってくれていた事も、戦後の報告から受け取っていた。一時はニキの側に回った彼女もまた、珀亜と同じく万里達のために敵側に回っていたのだ。
「気にしないでよ。あ、だったら、それ食べさせてくれたら許してあげる!」
「別に構いませんが……。こんな事でいいのですか?」
 自らの皿に盛られた肉団子を摘まみ、不思議そうに柚那の口に入れてやる。
「ちょっと何やってるのよミカミさん!」
「だったらアタシもやってほしいぞ!」
 それに抗議の声を上げる昌と、その騒ぎに乗っかってくるエレ達。
「ふふっ。楽しいねぇ」
 そんな様子を眺めながら、店の主はにっこりと微笑むのだった。

続劇

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