27.指輪と約束 「そうか。なら、申し訳ないがソイニンヴァーラの事は任せたい」 赤い角を備えたアームコートの前に立つのは、黒い獅子に似た神獣だ。 「りょうかーい。代わりに、ちょっとお願いがあるんだけどー」 その獅子から聞こえてきたのは、まだ若い女の声だった。 神獣とアームコート。今までは、互いの言葉を交わす事は出来なかった。けれど今は、エレが持ち込んだ簡易通信機を介し、互いの声は互いの操縦席へと届いている。 話す事が出来さえすれば、柚那と名乗った娘とアーデルベルトの間での戦後調整は、ものの数分で終わる程度のものだった。 「何だ? 日明の同行はこちらから頼みたいくらいだが」 柚那の神獣の中では、機体を失ったエレが保護されている。ソイニンヴァーラ技研の備品でもある擱座した機体はキングアーツ側で回収し、移送手段のないエレはひとまず柚那が八達嶺まで連れ帰る事になったのだ。 そんなエレや、八達嶺で無事にしているソフィア達の護衛も兼ねて、コトナも同行する事に決まったのだが……。 「違うわよ。バスマルっていう白いコボルトに乗った親父が、部下をちょっと連れて離脱してるみたいなの。そいつらを探して欲しいんだけどー?」 戦いの終わりを告げるため、柚那が本営を離れた少しの間の事だ。エレを助け、撤退指示の状況を確かめるために本営に戻ってきた時、既に彼等は姿を消していた。 もちろん指揮官である柚那はそんな指示は出していないから、彼等は組織に無断で戦線を離脱した事になる。 「……了解した。こちらもあまり余裕がないから、確約は出来んが……」 アーデルベルトの元にも、メガリ・エクリシアからアーレスの裏切りの報と捜索の指示が届いていた。ついでに戦線離脱したコボルトを探したとしても、大した手間ではない。 「十分よ。こっちはあんた達に付き合って、もっとボロボロだから」 「……そちらの指揮を取っていたのは貴公か?」 こちらの攻撃に合せるように兵をぶつけ、わざと損耗させては前線を下げる。戦下手と言えばそれまでだが、アーデルベルトが兵を動かす度にそれが起きたなら、それはただの戦下手ではない。 「ええ。こんな面倒な事、二度としたくないわ。もうこりごり」 退屈そうに呟く彼女が、それをもしわざとしていたのならば。 こちらの動きに完全に合せ、兵を動かしていたならば……。 「いや…………上手く相手をしてくれて助かった」 もし彼女が本気で戦う気になって、こちらの動きに合せて『負けるように』ではなく、『勝てるように』動いていたならどうなったのか。 「相手するなら、もっと可愛い女の子の相手が良かったなー。おじさんには興味ないのよね」 「……そうか」 気怠そうなその言葉に、ぞくりと薄ら寒いものを感じ、アーデルベルトは適度にそう誤魔化してみせるしかない。 「じゃ、中佐さん。一足先に八達嶺を楽しんでくるぜ。コトナも起きろー」 「ああ、もう出立ですか」 反応のなかったコトナが俯かせていた顔を起こして動き出せば、黒獅子も彼女に寄り添うように歩き出す。 「分かった。王子と姫にもよろしくな」 そう呟いてアーデルベルトは通信機のチャンネルを切り替えると、自らの隊に向けて追撃任務の割り振りを開始する。 琥珀色の空の下。 「……ニキがいない?」 戦いの終わった屋上で身体を休めていた万里が呟いたのは、そんなひと言だった。 「はい。報告ですと、テルクシエペイアもいなくなっているそうで……」 迎撃部隊が出撃する前にはあったと聞くから、恐らくはニキが乗って逃げたのだろう。飛行型神獣は慣れない者がまともに駆れるものでもないが、当然ながら乗っているだけでも歩きの神獣よりははるかに速い。 逃亡用の足として使うには、確かにうってつけだろう。 「そっちはとりあえず追跡を出しといたよ」 とはいえ、八達嶺の飛行型神獣も残り少ない。慣れない飛行型で遠くまで行けるとは思えない事というもあり、調査の神獣は全て地上用の騎体である。 「部下が戦っている間に逃げたか……見下げ果てた奴よ」 万里や鳴神と戦った猪牙の将は、階下で気を失っている所を発見されていた。傷はけっして浅くはないが、しばらく療養すれば無事に戦線に復帰出来ると報告を受けている。 「エレとコトナもこっちに来るって!」 そんな話をしていると、陽動部隊への指示を送っていたソフィアが戻ってきた。 「そっか。二人とも、無事で良かったよ」 「……それよりも、ウィンズ大尉こそご無事で何よりです」 リフィリアとしては、コトナ達の事はさして心配はしていなかった。むしろ鳴神が外から戻ってきた時の方が肝が冷えたものだ。 「鳴神さんが手加減してくれたからね。ちょうどマヴァを取りに戻ってきたリーティ君と出会えて良かったよ」 そう。 黄金竜によって琥珀色の霧……八達嶺の中に放り投げられたセタは、倉庫街で一同の帰りを待っていたタロに助けられたのだ。そこで奉達と別れて引き返してきたリーティと合流し、そのまま屋形へとやってきたのだった。 大破したガルバインは街の隅にそのままになっていたが、それも今は万里の手勢が回収に向かってくれている。 「……お主とは酒を呑む約束もしていたからな、セタ」 笑う鳴神に、セタも穏やかに微笑みを浮かべてみせるだけだ。 そんな穏やかな雰囲気の漂う屋上に、他とは違う緊迫した空気を漂わせる一角があった。 「……師匠が行方不明ってどういう事?」 メガリ・エクリシアからようやく戻ってきた、リーティだ。 「この戦いが始まる少し前にな。シャトワールもいなくなってる」 「シャトワールも!?」 奉の言葉に、一緒にいたジュリアも、抱えていたお菓子の包みにわずかに力を込めている。 八達嶺の突入作戦に志願したのは、抗戦派に付いたとされるシャトワールの真意を確かめるのも目的の一つだったのだが……。 その答えすら聞く事もなく、どこかに消えてしまったのだという。 「師匠が連れて逃げたって事?」 「それは分からんでござる。……が、ロマ殿がアディシャヤ殿を連れ去る意味が見当たらぬでござるよ」 そもそもロッセとシャトワールの間にはそれほど接点がない。しかもシャトワールが自らの意思で抗戦派に付いた以上、抗戦派から助け出すという意味合いさえ薄いのだ。 「アレク様が連れて逃げるなら分かるけど、それだったらメディックに乗って出るはずだよね……」 だが、彼の機体も神獣達のハンガーに残されたままだという。 シャトワールは神獣には乗れないはずだから、それこそ意味が分からない。 「とりあえず、もう少し八達嶺の中を探してみるでござるが……」 土地勘もないはずだし、街に出るならニキに許可を求めれば良いだけの事だ。彼自身の意思で逃亡する理由は、今の所見つからない。 「……そうだ。さっき調査してたら、厩舎のクロノスの所にこんな物が落ちてたんだが」 そう言って奉が懐から取り出したのは、ひと組の指輪だった。 「これ……師匠と奥さんの指輪だよ!」 「奥さん……瑠璃のか?」 その指輪は、ロッセが彼女の事を……彼女の想いを忘れないようにと、ずっと大切にしていた物だったはず。 「何でこんな大事な物が……」 クロノスを置いたままにしている事も不可解だったが、リーティにはこの指輪を落としてロッセが気付かない事の方が信じられなかった。 「とりあえずそれはリーティ、お前が持っておけ」 「…………師匠」 奉の言葉にリーティは小さく頷くと、二つの指輪をしっかりと握りしめてみせる。 |