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25.戦いの終わりに

 琥珀色の空に吸い込まれていくのは、奉が天へと放った光弾だ。
「あと少しだ! がんばれ!」
 それがまっすぐに登っていく事を確かめて。白い髪を振り乱した青年は、周囲に強い言葉を放つ。
「分かっている! ……だが……っ」
 ようやく奉の指示した中庭には出てきたものの、周囲の敵の数は減るどころかさらにその数を増しつつある。
 さらに言えば、こちらは敵を殺す事が出来ないのに、向こうは一切の遠慮なしだ。一応は制圧だけするつもりなのだろうが、侵入者……それもキングアーツの人間を一人二人殺したとしても、それは加減の内に入っているのだろう。
「きゃあっ!」
 そんな中、敵の攻撃に吹き飛ばされたのは、弓を番えていた小柄な影だった。
「ジュリア!」
「あ、ありがと……ソフィア」
 同じくらいの細い腕に支えられ、ジュリアは小さく唇を噛む。
 ソフィアを支援して戦える事は、イノセント家の一員として誇るべき事だったが……正直に言えば、こんな所で死にたくはなかった。
(まだまだやりたい事はあるのに……っ!)
 美味しい物も食べたい。
 おしゃれだってしたい。
 何より……姉の夢見た世界を、まだ目にしてはいないのだ!
「ソフィア! リフィリア! 絶対に負けないわよ!」
 矢の尽きた弓を放り捨て、両腕に備えられた刃を勢いよく展開させる。
「もちろん!」
 傍らのソフィアも、刃の欠けた片手半を構え直す。
「言われるまでもない!」
 そんな少女達の意思に応じるように吹いたのは、一陣の風。
 ただの風ではない。辺りの兵を吹き飛ばし、中央へと集った少女達を守るように吹くそれは……。
「…………来たか!」
 黒の中に僅かの金の混じる翼。
 鞭の如くしなる、長い尻尾。
 刃の鋭さを持つ鉤爪。
「お待たせ! みんな!」
 その首筋からひょいと顔を覗かせるのは……。
「リーティ!」
「それに……セタ!?」


 振り抜かれた刃が持っていったのは、獣の如き異形の左腕。
「ムツ……キ…………?」
 ヴァルキュリアとアーレスの間に飛び込んだ、ムツキの左腕だった。
 巨躯に似合わぬ素早い動きで二人の間に割り込んだ老爺は、分厚い布の奥にある瞳で、ぎろりとアーレスを睨み付け……。
「ジジイ……テメェ………ッ」
 一瞬の視線に気を取られたか、盲目と思っていた相手の意外な正体に驚いたか……。
 いずれにしても、アーレスの見せたその一瞬で十分だった。
「ふんッ!」
 ほぼ予備動作なしで放たれたムツキの右拳はアーレスの胴を正面から捕らえ、けっして小さいとは言えないアーレスの身体を砲弾の如く向かいの壁へと吹き飛ばす。
「……やはり歳か。右とはいえ、昔はもっと勢いよく飛ばせたものだが」
 壁に叩き付けられ、そのままずるずると崩れ落ちていく相手の身体を一瞥し、老爺はぽつりと呟きを一つ。
「おい……お前、腕が……」
「年寄りの腕など放っておけ。それよりお主の方が余程重傷だろうが」
 キングアーツ人の身体の事は良く分からないが、胸元はひしゃげ、片腕は二の腕から断ち切られている。軍服に刻まれた太刀傷に至っては数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどだ。満身創痍を絵に描いたようなそれは、見ていてあまり気分の良い姿ではない。
「私は大丈夫だ。この程度の損傷、すぐに直せる」
 損傷を受けたのは義体部分だけだから、交換すれば済む事だ。痛覚もカットしているから、痛みもない。
 呼吸が整えば、片肺であっても立ち上がる事は出来た。
「機械の身体でも女性の身体だ。もう少し労れ」
 断ち切られた左腕に懐から取り出した布を巻き付けながら、ムツキはため息を一つ。
「ヴァル! ムツキを連れて下がって! こいつら押さえつけるから!」
 そんな彼等の頭上を飛んでいくのは、何やら白くぶよぶよとした塊だった。発射したのは、ククロの乗った蛇の尾を持つアームコートである。
 どうやら予備で用意されていたトリモチを放つ大砲を使ったらしい。ねばねばと辺りを絡め取るそれは、混乱するハンガーの中で確実にクーデターを起こした兵達を無力化させていく。
「分かった! こっちだ!」
「うむ。すまんな」
 ヴァルキュリアに引きずられるようにして、ムツキは車椅子に戻った仮面の美女の傍らへ。
「総員、首謀者のアーレスとキララウスを確保! 投降した兵は罪に問いません! 投降なさい!」
「ヴァル! アーレスをアームコートに乗せるな!」
 周囲の兵を手刀で無力化させていた環の言葉に、満身創痍の白い髪の娘は弾かれたように駆け出すが……。
「アーレス!」
 赤い獅子の兜を被るアームコートは既に一歩を踏み出して、その手を壁際に崩れ落ちたアーレスへと伸ばしているではないか。
「くそぉ……っ! すまねえ!」
 スピーカーから漏れる声はキララウスのものだろう。アーレスを回収した赤い獅子は背中の噴射口をひとつ吹かし、ハンガーの外へと飛び出していく。
「しまった。誰か、追跡を!」
「……無駄だよ。ソル・レオンに追いつけるのは、たぶんイロニアくらいだと思う」
 追いつくだけなら、車輪を備えたククロの機体でも不可能ではないだろう。けれどその後に捕らえる事まで考えるなら、ククロの戦闘能力やナーガの武装では到底どうにかなるものではなかった。
「……どうにもならないという事ですのね」
 環の指示で動きはしたものの、アーレスと互角に戦えるだろうヴァルキュリアも既に限界だ。
 ひとまずメガリ・エクリシアから最悪の状況が去った事だけを確かめ、プレセアはため息をひとつ吐くのだった。


 その剣を受け止めたのは、所々に竜鱗を浮かばせた丸太の如き右腕だ。
「な…………」
 だがその防御とて、決して完全なものではない。
 裂帛の気合と共に打ち下ろされた分厚い片刃は、完璧な斬撃としてその腕を骨の向こう側まで断ち切り……無意識に引かれた最後の動きで、骨の支えを失った肉と皮を根元まで切り裂いた。
 ぼとりと肉の塊が落ちる音と、血飛沫の音が響き渡るのは、ほぼ同時。
「それだけの腕を持ちながら……何故に怒りに呑まれるか」
 吹き出す赤を全身に浴びながら呟くのは……二人の戦いに雷光の如き動きで割り込んだ、鳴神であった。
「愚か者めが!」
 放たれた拳は、無事であった左腕だ。
 かち上げ気味に放たれたそれは猛猪の身体を天高く吹き飛ばし、その放物線の先は屋上の手すりのはるか向こう側へと。
「おじさま!」
「無事か、万里」
 鳴神と同じくいくらかの返り血を浴びてはいるが、彼女から流れた血は一滴もない。
「それよりも、腕が……!」
「……良い。それよりもこの勝負、この鳴神・鏡の右腕が預かった!」
 叫ぶ鳴神の掲げた右に、本来あるべきものはない。
「異存のある者は俺が相手をしよう! この鳴神、片腕とはいえ貴公らに負けるつもりは一切無いぞ!」
 けれどその宣言に、辺りは例えようもない威に圧され、誰一人として言葉を紡ぐ事さえ出来ずにいる。
「異存のある者は前に出よ!」
 沈黙を是と取り、血染めの竜将が浮かべるのは凄惨な笑みだ。
「ならば良い。誰ぞ出した軍に撤退指示を出せ! 戦闘は終了だ!」
 その言葉が辺りの呪縛を解いたのだろう。つい先ほどまではニキ達に従っていた兵も将も、粛粛と指示された動きをこなすために動き出す。
「鏡さん!」
 そんな中、駆け寄ってきたのは昌達だ。
「おぬしらは万里のもとに行ってやれ。血に汚してしまった」
 本来ならば一番に駆け寄りたかったのは彼ではなかったはず。そんな彼女達に短くそう言って、鳴神はようやくその場にどかりと腰を下ろす。
「とりあえず、血止めを……!」
「おお、すまんな千茅。流石に少々痛くなってきたわ」
 腕を断ち切られたのだ。少々などと笑っているが、鳴神の額にも流石にじっとりとした汗が浮かんでいた。
 応急の処置を施しながら、千茅はそれ以上の言葉を掛けられずにいる。
「鳴神殿……」
 そして、彼に声を掛けた者がもう一人。
「アレク殿か。そのあたりに貴公の巨人から取り外した通信機械があるはずだ。そちらの軍や侵入者にも撤退指示を出してはもらえんか?」
 だが、アレクは小さく首を振り……。
「……我が軍の司令官代理が来たようだ。撤退指示はそちらにさせるとしよう」
 その言葉と共に、長い尾を持つ大烏につかまって屋上に現れた少女達の姿を、鳴神は眩しそうに見上げてみせる。


 透明な刃に断ち切られた紺色の巨体が放ったのは、カウンターの蹴り込みだ。
「エ……レ………?」
 透明の肌をひしゃげさせて倒れるカメレオンに似た神獣と同時、その場に崩れ落ちるのは、紺色の異形。
「大丈夫か? コトナ」
 通信機から響くのは、いつもと変わらぬ軽い声。
「それより、エレ……!」
 エレの声に混じって通信機から聞こえるのは、しゅうしゅうという空気の激しく流れる音だ。恐らくククロが仕込んでいた非常用の空気ボンベが、内部に入り込もうとする薄紫の大気を必死に外へと押し返しているのだろう。
「へっ。アタシが頑丈なのは知ってるだろ? それに、もうちったぁ保つ! がぁあぁぁぁっ!」
 一度は崩れ落ちた紺色の異形は、胴の半ばを斬撃に切り裂かれながらも、その場にゆっくりと立ち上がる。
 もともと上半身には大した機能は乗っていない機体だ。腕さえも、実際はバランスを取るためのウェイトでしかない。
 両脚が無事なら、まだ戦える。
「エレ…………っ!」
 周囲の神獣達も、まさかこの状況で立ち上がるとは思わなかったのだろう。そんなエレの様子に怯えているかのように、遠巻きに見守っているだけだ。
「どしたァ! かかってこいや!」
 コトナの通信機と、外へと向けたスピーカー。
 響くエレの声は変わらない。
 けれどその後ろから聞こえるしゅうしゅうという音は、徐々にその勢いを弱め始めている。
 エレも分かっているのだろう。今すぐに退いた所で、メガリやスミルナまで届くことはないのだと。
 故に戦う。……その最後の一瞬まで、エレがエレであるために。
「ちょっと! 何やってるのよ!?」
 だが、そんなエレのもとに響いたのは、外部からの声だった。
 敵陣を切り裂くように駆けてきたのは、コトナにも見覚えのある黒い獅子だ。しかしその背中に顔を出しているのは……。
「柚那さん……!?」
「コトナちゃん! ちょっと防御お願い!」
 確かに神揚には、ほんの短時間なら滅びの原野で生き延びられる術があると聞いていた。そしてその術は、多くの神術師が使えるのだと。
 けれど、先ほどのバスマルに続き、柚那までここまで堂々と使ってくるとは……!
「こっちに乗りなさい! あと通信機あったら持ってきて!」
 半壊したエレの機体に身を寄せて、首筋の入口を大きく開く。
「あ、ああ……悪ィ」
 その声に導かれるようにして、エレはイロニアの操縦席から柚那の神獣の中へと飛び込んだ。
「別にあんたなんかどうでもいいけど、死んだらコトナちゃん泣くでしょ」
「……どーせ泣かせるんなら、ヒィヒィよがり泣きさせてぇなぁ」
 空気の層から飛び出して、滅びの原野の空気に触れたのは一瞬のはずだったが……体中が火傷したようにヒリヒリする。それでも今はガイアースの清浄な空気の中に包まれて、エレは小さくひと息を吐いた。
「そんなコトナちゃんならいくらでも見たいけどねー」
「……まったくもう」
 エレが機体から持ち出した簡易通信機を経て流れ込む二人の会話に、コトナも呆れたように言葉を漏らすだけ。
 けれどそこには、先ほどまであったような感情の昂ぶりはどこにもない。
「それよりさ、そっちの隊にも撤退指示出してくれない? 八達嶺を万里様達が押さえたみたい」
「ということは……」
 柚那の隊は、やはりバスマルやニキの指示で動いていたという事か。
 その上層部が入れ替わったという事は……。
「そっちの陽動作戦は成功ってこと。……全部終わったんだから、戦争ごっこはもう終わりにしましょ?」

続劇

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