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19.激化戦線

 屋形の彼方から聞こえるのは、いつもにはない喧噪だ。
 怒号と喊声、神獣の出撃を示すらしき楽器の音。
「……ふむ。皆、動き出したようだな」
 文机の隅に置かれた小さな暦を見るまでもなく、今日は降伏宣言の回答日だ。どんな動きがあったとしても、不思議ではない。
「出るか」
 小さく呟き、機械仕掛けの右手をすいと伸ばす。掌を向けた先は障子のはるか先、庭の向こうの大きな壁だ。
 軽く力を込めれば掌の機構が音もなく展開し、その内から現れた砲口にゆっくりと輝きが集まっていく。
「アレクさん!」
 だが、背後から届いたその声に、アレクは何事もなかったかのようにその手を収め、振り返ってみせる。
「……千茅か」
 いつもより少し来るのが早い。やはり何かの騒ぎが始まっているのだろう。
「どうかなさいましたか?」
「いや。それより、外が騒がしいようだが……何か動きがあったようだな」
 既に右手の砲口もその内側へと収まっていた。
 再装填をするまで一度しか使えない切り札だ。使う場所は慎重に選ばねばならない。
「はい。外にはキングアーツの部隊が来ているようですし、万里様はミズキさんが助けに向かってるはずです」
「だとしたら、こちらには我々の救出部隊も入ってくるだろうな」 この状況で外にだけ部隊を展開する意味はあまりない。ソフィアやアーデルベルト達が無事だとすれば徹底抗戦とも考えにくいから、陽動と見るのが妥当だろう。
「昌さんもそう言ってました。神揚の服を用意してきましたから、これに着替えてください! わたし達も脱出しましょう!」
 千茅から服を受け取り、ニコニコとその場に控えている千茅の様子に思わず苦笑い。
「出来れば向こうを向いていてくれると助かるのだが……。着方は分かるから、手伝いは不要だ」
「はわわっ! すみませんっ!」
 王宮にいた頃は、確かにそういった役目の侍女がいた。だが、軍部に入ってからはそういったこともなくなっている。
 王族としては気にしないのが『らしい』のだろうが……。
「あ、でも……救出部隊が来るなら、待っておいた方が入れ違いになりませんかね?」
 背中の衣擦れの音にドキドキしながら、千茅はいまだ落ち着かない口調で問いを放つ。
「そのくらいは向こうも考えているだろう。……我々は、先に万里と合流した方がいいかもしれん」
「どういう事ですか?」
 八達嶺に来てから、貫頭衣のような着替えやすい服を出した事はあるが、神揚様式の衣服を出すのは初めてだ。キングアーツの服とは全く違う着方のそれを手際よく身に付けているアレクは、一体どこでその着方を身に付けたのだろうか。
 やはり夢の中なのだろうか……。
 そんな事をぼんやりと考えながら、千茅は背後のアレクの返答を待つ。
「……自分の力だけで事態を解決しようとするかもしれん、という事だ。行こうか」
 そう言って歩き出すアレクを追いかけて、千茅は慌てて走り出す。


 寝所を後にして、万里が最初に呟いたのは……。
「ねえ、昌……」
 どこか呆れたような、困ったような、そんなひと言だ。
「なにー?」
「これ……昌がやったの?」
 白木の回廊に等間隔に伸びた柱。万里が目を向けているのは、その一つに蜘蛛網の神術でぐるぐると縛り付けられている兵の姿だ。
「大丈夫。加減してあるから」
 もちろん昌としても、怪我をさせる事は本意ではない。ただ、兵が万里の解放を望んだわけではなく、昌が無理矢理にその場に押し入った……という状況が欲しかっただけだ。
 兵が無傷なら怪しまれるだろうし、このくらいしておけばきっと疑われる事はないだろう。
「そういう問題じゃなくって……もう」
「ちゃんとお詫びのお菓子も入れといたから平気だよ」
「そういう意味でもないんだけどなぁ……」
 小さくため息を吐き、万里は新たに前を向き直る。
 身体は動く。しっかりと休養を取ったせいか、昨日に比べてさえ十分に軽い。
「じゃ、アレク様との合流場所に案内するよ。ついてきて」
 そう言って歩き出す昌の後ろ。
 肝心の万里は、そこから踏み出す気配がない。
「……ねえ、昌」
 代わりに口にしたのは……。
「その前に……行きたい所があるんだけど」


 薄紫の荒野。
「……不可解だな」
 追い払った敵への追撃をそこそこの所で止めながら、訝しげに呟くのは、赤い角を備えたアームコートである。
「どうしたんだ?」
 答えはないだろうと思ったが、通信機に流れ込んできたのはエレの声。周囲の状況を視界の隅で確かめれば、彼女達もちょうど敵を退け、手空きになった所だった。
「エレ、コトナ。お前達、相手の指揮官を知っているんだったな。……どういう人物だ」
「美人だけど中身は残念だな。……アーデルベルトはああいうのが好みか?」
「エレの性癖が若い女の子限定になった感じかと」
「……外見や性癖はこの際どうでもいい」
 そういう事が聞きたいわけではないのだ。
 もちろんアーデルベルトの好みの問題ではない。そもそも彼は故郷に妻も子供もちゃんといる。
「ンだよ。隣国の美姫より隣席の美人ってな。たまってるなら、中佐さんなら大歓迎だぜ?」
「そういうのはセタに言ってやれ。……この指揮の意図が分からんでな」
 増援の加わった敵の総数はかなりの物のようだが、その攻撃は散発的で、一斉に攻めてくる気配は見当たらない。アーデルベルトが敵軍の指揮官だとすれば、力任せに押し切るか、部隊を二つに分けて挟撃するかのどちらかだろう。
 もちろん彼等は陽動部隊だから、そうなれば即座に部隊を反転させて、散々引きずり回してやればいいだけの話なのだが……。
「……確かに上策とは言えませんね」
 戦力の逐次投入が愚策というのは、戦術論の初歩の初歩だ。
 しかもアームコートの攻略法さえ確立させた彼等なら、様子見で戦力をぶつける事さえ必要ないのに……なぜか相手は、こちらの様子を伺っているように見える。
「攻城兵器を警戒しているとか?」
「確かに爆弾は積んでるが、そこまで警戒するものか?」
 こちらの陣の中央にあるカタパルトは、八達嶺の目の前まで辿り着いた時に使おうと考えていた物だ。鹵獲された場合も考えて、いくらかの爆弾も積んである。
 だがそれは鹵獲する時に警戒すれば良いものであって、今この瞬間に気にするような物ではないはずだ。
「まあ、アタシらは楽でいいからいいんじゃないか?」
 少なくとも何かの罠にも見えなかった。アーデルベルトも深追いはしないから隊の分断もないし、周囲に伏兵を置けるような地形でもない。
「楽過ぎんか?」
「……あえて戦闘を引き延ばしているように見えると?」
「そういうことだ。向こうの将は、それを分かっていて指揮しているのか……と思ってな」
 だとしたら、愚かどころか相当な人物だ。
 味方に愚策と悟らせぬまま愚策を実行させ、しかも致命的な損害は自軍にもこちらにも一切出していない。
「ま、そういうのはお互い無事に生き残って聞きゃいいんじゃねえの?」
「……そうだな」
 その指揮が本当にエレ達の知る人物の指揮なら、いずれ会う機会もあるだろう。その時に酒でも酌み交わしながら語れば良いことだ。
「敵部隊、来ましたよ。例のカメレオンも見えます」
 話しているうちに、敵の増援が入れ替わりに陣を進めてきた。
「指揮官はやる気がなくても、下っ端は殺る気まんまんってわけか」
 戦力の逐次投入は愚策ではあるが、こちらをひたすらに消耗させるという意味では、決して油断出来る策ではない。こちらは疲れ、相手は温存されているというならなおさらだ。
「総員、センサー起動! 見えない敵が来るぞ!」
 通信機にそう叫び、アーデルベルトも熱を見通す視線を起動させる。


 黄金の鱗を貫くのは、全力の加速から突き込まれた長槍の一撃だった。
「…………なかなかやる」
 神獣の痛みは、全て繋がり合った駆り手にまで伝わってくるものだ。肩口を深く貫かれた痛みに少々顔をしかめながらも、男の口角に浮かぶのは……満足そうな微笑みだ。
「愉しませてもらったぞ、セタ・ウィンズ」
 呟き、奥歯をぎりと噛みしめる。
 接続されたままの感覚から伝わってくるのは、蒼い軽装甲を噛み砕く、ばき、という破砕音。蒼い騎士は黄金竜の顎門に捕らわれ、胴の半ばまでを深く噛み砕かれているのだ。
 肉を切らせて骨を断つ。
 さして鳴神好みの戦い方ではなかったが、それを強いるほどの相手であったのだ。セタ・ウィンズという男は。
 その呟きにも、通信機からの答えはない。
 無理もないだろう。
 神獣で同じ一撃を食らえば、伝わる痛みは身体の半分を噛み千切られたそれに等しい。良くて気絶、悪ければそのまま痛みでショック死していても不思議ではないのだ。
 だが、これも勝負。
 互いの想いを掛け、命を賭して挑んだぶつかり合いの結末だ。セタとしても望んでいたかは分からないが、少なくともその覚悟はあっただろう。
「…………ふむ」
 鳴神は小さく呟くと。
 しゅうしゅうと空気漏れのような音のする蒼い残骸を、琥珀色の霧の中へ力一杯放り捨てた。

続劇

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