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3.時遡曝鬼絡繰 (ときのぼりあばきからくり)

 市街地の賑わいは、いつもと何ら変わりないものだった。
 それが例え、城の中で静かな反乱が起きていてもだ。
 そんな喧噪に包まれた市場の一角に、静寂を守る場所がある。内外の音を遮断する天幕に包まれた、一人の少年が営む小さな屋台だ。
「時を遡る……本当に再現出来るのか? ロッセ」
 昼時も過ぎた半端な時間帯だ。がらんとした店内で思わず声を上げたのは、白い髪の美しい女だった。
 もっとも美しいのは外見だけで、ひと声放てばその本性たる男性の部分があっさりと露わになる。
「……理論上は。実際にそこまでするつもりはありませんがね」
 彼等が話題にしているのは、いまだ神獣厩舎で調整を受け続けているロッセ専用の神獣の事だった。古の神話に伝わる刻の神の名を冠された騎体に秘められた、通常の神獣にはない力についてである。
「じゃあ何に使うんだ? あそこまで手間を掛けて……」
 時を遡るというなら、かつての鷲翼の少女のようにロッセはその身を犠牲にするのかとも思ったが……そうでないなら、貴重な神獣技師を貼り付かせてまで、それもこの戦時の八達嶺ですべき事ではないはずだ。
 けれどそんな奉の問いに、ロッセは言葉を返さない。
 どこか居心地の悪い沈黙の中、耳に届くのは調理台からのからからという揚げ油の鳴る音だけだ。
 その音さえも落ち着いてきた頃、ロッセは小さくため息を吐き。
「奉、タロ。二人はどう思いますか? あのヒサ家の秘儀について」
 問うたのは、隣の奉だけではない。
 同じく時を遡った、店の主にも向けてである。
「……ああいう都合の良いやり直しなんて、オイラ嫌いだな」
 呟き、調理台の向かいに座る二人に差し出したのは、キングアーツ産の重曹で仕上げたふわふわのワッフルだ。本物を食べた事もあるタロだからこそ、本場のそれとは似て異なるものだと分かってはいるが……それでも彼なりの努力と工夫で作り上げた、自慢の一品である。
「料理だって商売だって、失敗するから成功するのが嬉しいんだ」
 このひと皿を仕上げるために、果たしてどれだけの失敗と試行錯誤があっただろうか。
 けれどそこに費やした時を、巻き戻したいとは思わない。大変ではあったけれど、それが無駄だとは考えていないからだ。
「それもですが、あの代償についてです」
「俺はそれが一番気に入らん」
 甘い蜜の掛けられたワッフルをかじりながら、奉も不機嫌そうに言い返す。
 神術とすれば秘儀と呼ぶに相応しい技だし、一人の神術師として技術的な事は興味はあるが、それだけだ。術者そのものを代償とする術など、神術師を何だと思っているのか……。
「それは小官もですよ。ですが、そこでもなくて……なぜそこまでの代償を必要とするかです」
「それだけ大きな力の必要な術なんだろう?」
 神術の効果は単純に言えば、それに費やした時間と費やした術力に比例する。時間というのは詠唱であったり、儀式であったりと様々ではあるが……その極限として、今までに費やしてきた人生と存在全てを儀式の一部とする考えは、術者として理解出来ないでもない。
「私の研究では、瑠璃達の使った秘儀にそこまで桁外れの術力は必要ないはずなのです。古代の術式という事で、術力の効率が悪いにしてもね」
「でも実際、沙灯達は消えてるだろ?」
「そうです。では、その彼女達はどこに行ったのか……」
 視線の先では、ちょうどタロが揚げ終わった揚げ菓子を網ですくい上げている所だった。
「ん?」
 揚げ菓子は、油の中からはいなくなった。
 けれど、その外にはちゃんとある。
 ただ、油の中から消えたというだけだ。
「タロ。その揚げ菓子、油の中に戻せるか?」
「戻せるけど、これ以上揚げたらおいしくなくなるよ?」
「……ならいい。それをもらおう」
 奉の言った意味が分からなかったのだろう。変な顔をしながらも、タロは油を切り終えた菓子を奉の皿に盛ってくれた。
「なるほど。……油の外を見るのが、クロノスの目的か」
 奉の言葉に、ロッセは頷きを一つ。
 仮説の上に仮説を積み上げただけの、不安定極まりないものだ。けれど、そこまで研究段階でしかないものならば……確かにクロノスの調整はロッセのいる八達嶺で進めるしかない。
「覗くだけなら、なおさらそこまでの代償は必要ないでしょうし……もし引き戻せる事が出来るなら、引き戻したい」
 だがそれも、まずは見る事が出来てからだ。
「急ぎたい気持ちはありますが、先の実験はこの件が片付いてからになるでしょうね。それと……これ以上は、小官とは一緒にいない方が良い」
「奉さんがその格好でもダメなのかい?」
 タロの言葉に、奉は露骨に嫌そうな表情をしてみせる。
 確かに外で奉が動いていると悟られないための格好ではあるのだが……。
「城の外で妻以外のご婦人と密会する趣味はありませんよ」
 小さく呟き、ロッセは勘定を置いて席を立つ。
「俺だって好きでこんな格好してるんじゃねえ」
 去って行く黒豹の足の青年の背中を目で追いながら、奉はぽつりとそう呟いた。
「オイラは結構似合ってると思うけどなぁ」
「…………それこそ勘弁してくれ」


 琥珀色の空を眺めながら、千茅は小さくため息を一つ。
「これからどうなるんでしょう」
 いくら使用人扱いでも、アレクのそばにばかりはいられない。
 本来の千茅は八達嶺の兵士だし、神獣厩舎への立ち入りを禁じられた身とはいえ、それでも出来る事はある。
 鍛錬だ。
 この先に何が起きるにしても、戦う術を整える事で役に立つ事はあるはずだった。武技の師匠はこの数日とんと姿を見せないが、きっとロッセの所で忙しい日々を送っているのだろう。
「分かんないよ。私は万里を守るだけだけど」
 そんな彼女に付き合っていた昌も、軽くかいた汗を拭く。
 小さく伸びをしてから傍らの千茅に渡したのは、いつものように懐から取り出したお菓子の包みだった。
「アレク様と、お幸せになって欲しいです」
 もらったそれを口の中に放り込めば、疲れた体に程よい甘みが染み渡る。
「ん? アレク様の事はもういいの?」
「ふぇ……っ!?」
 だが、混ぜ返した昌の言葉に、思わずそれを吹き出していた。
「けっこう気にしてたでしょ」
「そ、それは……その………茶化さないでください、もうっ!」
「ふふっ。可愛いねぇクマノミドーさんは」
 昌にそんな趣味はないが、千茅の様子を見ていると柚那の気持ちも分からないでもない。純粋という意味では、確かに千茅は可愛いと言って構わないだろう。
「その……アレク様は、万里様の事がお好きですし……」
 ニキの虜囚となった今のアレクは、自分の事よりも万里の事を案じているようだった。きっとそれは、世界が巻き戻される前から培われてきた……そして、今の万里に向けられたが故の気持ちなのだろう。
「今はわたしの事より、八達嶺を取り返して、キングアーツとの和平を成し遂げる事の方が大事ですし……!」
 そうしなければ、キングアーツとの間に再び刃を交える事となってしまう。そしてそれは、時の彼方に消えた少女も、千茅たち自身も、決して望んではいない事だ。
「そうだね……。まずはそこからか」
 まずは、そこからだ。
「でも、それってどうしたらいいんですかね?」
 しなければならない事は分かっている。
 けれど今は、それに対する解答の在処が限りなく遠い。
 万里のもとに残ったのは、ほんのわずかの手勢のみ。将軍たちの中にも万里寄りの者はいるだろうが、今は八達嶺の軍部の大半はニキ達急進派の意見で占められており、昌も千茅もうかつに動く事が出来ずにいる。
「ニキ将軍を暗殺すれば……って話でもない気がするしねぇ」
 頭を崩すことは必要だろう。
 けれどその為に、どうするべきか。
 小さく唸り、昌は再び琥珀色の空を見上げるのだった。


「愚か者が!」
 響いたのは、声。 
 それも、あたりがびりびりと震えるような大声だ。
「店の中で大声は勘弁してよ、鳴神さん」
「……おお、すまんな」
 タロの苦情に、天を衝くほどの怒りの表情こそ収めるものの……それでも眉間に寄った深い皺は消える事がない。
 椅子にどかりと腰掛けて、大きなため息を一つ。
「それよりも、そこまで短慮とは思わなんだぞ。呆れ果てたわ」
 鳴神の傍らに腰掛けるのは、白い髪を結い上げた女……の姿に見えるもの。
 いまだ店内に残っていた、奉である。
「ニキを誅して事が済むなら、とうにあの場で万里がしていたとは思わんか」
「それは……」
 タロの店を出ようとした所で出くわした鳴神と、そのまま話をしたまでは良かったのだが……考えていた最後の手段を口にした瞬間、先ほどの怒声が飛んできたのだ。
「あれのやり方が正しいとは思わんが、同じように力でねじ伏せれば解決するというものではあるまい。それが正しいかどうか、今一度よく考えよ」
 鳴神の言葉に、奉は言葉を返してこない。
 そんな彼の代わりに声を投げかけてきたのは、遮音の神術が施された天幕の外からだった。
「ちょっと何ー? 外にまですごい声が聞こえてきたけど」
「あ、柚那さん、珀亜さん、いらっしゃーい」
 彼女達も慣れたものだ。中の鳴神や奉の様子を気にする事もなく、小さなカウンターへと腰を下ろす。
「適当に甘いものちょうだい」
 柚那の声にタロは作業を始め、鳴神も遅い昼食を再開する。
 奉も小さく息を吐き……鳴神に小さく礼をして、席を立つ。
「それより鳴神殿。ニキ殿を誅するとは?」
「そこまで聞こえていたか? ……あれが今回の件の首謀である事は違いないが、ただ単に誅しただけでは事態は解決せんと言っていたのだ」
 出て行った奉も頭の回る男だ。鳴神の考えがまるきり間違っているというなら、即座に反論しただろう。それを沈黙で応えたという事は……即ち、そういう事だ。
「そうねぇ……」
 いま万里達の傍に残っている顔ぶれを思い出し、柚那は小首を傾げてみせる。確かにあそこまで追い詰められれば、短絡的な思考に走っても不思議ではないだろう。
「はーい。お待ちー」
 だが、出てきた菓子に、柚那はあっさりと思考を中断させた。
 難しい事を考えながらでは、せっかくの菓子も台無しだ。
「……向こうの答えまで、あと二日か」
 何をするにも、時間は足りない。
 それを踏まえての期限である事は間違いないが……。
 どうするのが最良の選択なのか。
 その答えは、この場にいる誰にも……鳴神にさえも、見えないままだ。

続劇

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