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25.鴇話擦七卿落 (ときわすれしちきょうおち)

 白木造りの廊下から庭へと飛び出し、小さく呟くのは小柄な影。
「さすが鏡殿。気付いておられたか……」
 メガリ・エクリシアに向かう前にシャトワールの様子だけ見てこようと忍び込めば、丁度鳴神と抗戦派の将がシャトワールの部屋を訪れた所であった。
「しかしシャトワール殿……何故、ニキなどに協力を……」
 シャトワールが八達嶺に来たのは、本当の沙灯に会うため……そして、万里に力を貸すためだと聞いていた。万里の行く末を共に案じる同志だと思ったからこそ、半蔵はシャトワールに文字を教え、礼法を教え……出来る限りの力を貸してきたはずなのに。
 シャトワールの描く想いは、半蔵のそれとは違うものだったのだろうか。
「しかし……困ったでござるな」
 だが、シャトワールの想いはそれで良い。済んだ事だ。
 今の問題は、神獣厩舎である。
 シャトワールの様子を見に行かず、すぐに出立すれば良かったのだろうが……半蔵の猫影も、今は彼等の立ち入れない神獣厩舎に置かれている。
 無理に強奪すれば、万里の立場がさらに不利になるだろう。かといって、神獣がなければ滅びの原野は渡れない。
 庭の片隅に腰を下ろし、今の事を案じていると……。
「ああ、こんな所にいた。半蔵殿」
「クズキリ殿……?」
 息を切らせて駆け寄ってきたのは、ナガシロ衆の少女だった。
「ロッセ殿が、これを……」
 小さな箱を差し出そうとして、慌ててそれを引っ込める。
「……間違えた。こちらはタロ殿の作った弁当であった」
 余程慌てているか、半蔵を探して走り回ったのだろう。箱を脇に置くと、改めて懐から一枚の紙を取り出してみせる。
「それは……?」
 それは、一枚の地図であった。
 八達嶺の市街地の一角を指したものだ。滅びの原野との境目に近い場所で、あまり賑わいのある場所ではない。
「ここに予備の神獣があると」
「……ロッセ殿が?」
 万里の事をよく知る彼なら、万里の次の一手を読んだとしても不思議ではない。そしてその使者に、半蔵を選ぶであろう事も。
 だが、あまりに都合が良すぎないか。
「罠に掛けるなら、もっと分かりやすくやる、だそうだ」
「……ふむ」
 それは確かにそうだ。新兵の珀亜ですら見つけられる所を動く今の半蔵を捕らえる気なら、この時点で包囲を掛ければ済む事だ。
「珀亜殿。ロッセ殿の真意は、いずこにあるのでござろうな」
 あの夢の中ではソフィアの首を刎ね、沙灯が時を巻き戻す原因の一端を担った男だ。しかし今の彼の行動は、滅びの原因を作るにしてはあまりに迂遠に過ぎる。
「分からん」
 それに対する珀亜の言葉は、ごく短いものだ。
「だが……あの忠義は本物に思える」
 珀亜にその地図を預けた時も、その瞳は嘘を吐いたり、罠に嵌めたりしようとするものではなかった。
 妹の見た夢の中で、ロッセが何をしたかはよく知らない。しかし今の彼は、少なくとも万里には忠義を尽くそうとしているように見える。
「……分かったでござる。感謝すると、お伝え下され。それと、拙者からも言伝をお願いしていいでござるか?」
 頷く珀亜からタロの弁当を受け取り、半蔵は城を後にする。
 向かう先は市街の一角……ロッセから、神獣が置いてあると伝えられた、その場所だ。

「……どういう事だ。あの野郎……!」
 天幕の内に響くのは、苛立ち紛れの奉の声だ。
「クーデターか。穏やかじゃないねぇ」
 多くの国を併合した経緯を持つ神揚にとってのそれは、それほど珍しい事ではない。しかし、八達嶺ほどの規模の都市でのクーデターは、流石にタロも初めてだった。
「ソフィア達の所には降伏勧告出したっていうし、どうするつもりだよあいつ……」
「あれはねぇ……。その所為で、城内はガチガチの抗戦派と、ニキ将軍やりすぎってのがちょっと……って感じになってるよね」
 いずれにしても、巨人との戦いを継続する意思を持つ者がほとんどだ。万里の意思を汲んで巨人との戦いを止めようとする者は、柚那達を含めてごく僅か。
 正直、肩身が狭い事この上ない。
「向こうに寝返るか?」
「まさか。万里より可愛い女の子がいない以上、裏切ってもしょうがないでしょ」
 万里より可愛い女の子がいれば寝返るのか……とも昌は一瞬思ったが、柚那の言う事なので軽く流しておくことにした。
「タロさん。街の噂はどうなってるの?」
「別にあのニキって将軍、人気あるわけじゃないからねぇ。戦争なんてみんな早く終わればいいって思ってるし、姫様が馬鹿な奴に酷い目に遭わされてて可哀想……って感じかなー」
 それだけは、せめてもの救いだろう。
 敵方の王子との恋物語……という噂も少しずつ広まりつつあるから、八達嶺の市井が万里の敵に回る可能性はないはずだ。
「アレクは、千茅が侍女と間違われて、そのまま世話係になってるのがせめてもの救いか……」
「……わたし、そんなに影薄いんでしょうか」
「腐らないでよ。千茅ちゃん可愛いよ?」
 落ち込んだ様子の千茅に、タロは料理の盛られた皿をひょいと差し出してやる。
「ほら、ワッフルお食べよ。キングアーツの重曹のおかげでフワフワだよ」
「あぅぅ……ありがとうございます」
 それは果たして慰めになっているのか、いないのか。
 影が薄い事には一切言及されなかった千茅だが……口にしたワッフルは、確かに美味しいものだった。
「で、肝心の姫様はどうなってるの? 軟禁されてるって聞いたけど」
「一応は会えるんだけど、監視付きって感じかな……。私たちもいつ面会を禁じられるか、分かんないね」
 既に神獣厩舎への立ち入りや、アレクとの面会は禁じられている。帝国にとっても貴重な戦力である昌達の神獣をどうこうする事はないだろうが……それでも、気分の良いものではない。
「こんな時に限ってリーさんもムツキさんもいないし……」
「ロッセの指示か?」
「分かんない。ロマさんも顔を見せないし……」
 そして、彼らだけでなく、ロッセも昌達に近寄ろうとはしなかった。半蔵の一件は珀亜から聞いていたから、敵に回ったわけではないのだろうが……。
 かといって、抗戦派に付かれでもすれば、面倒な事になるのは間違いない。
「あいつもだけど……ロッセの神獣に本当に沙灯のあれと同じ力があるなら、その力をニキに気付かれるのはマズいよな」
「そんな力があるの? あれ」
「分からん。俺も全部の話を聞いたわけじゃないんだ」
 再現、と言われただけだ。
 詳しい話を聞くより早くこの騒ぎが起こってしまったし、奉もあの戦い前の会話以来、ロッセとは会えないままでいる。
 古い付き合いだし、なかなか本音も言わない男だ。敵ではないと、信じたくはあるが……。
「後は鳴神殿か……」
 そして、同じ夢を見た旗本の男。
「鳴神さんなら昨日ご飯食べに来たよ。しばらくは向こうの連中とつるむって」
「……裏切ったって事?」
「逆だろ。半蔵も、シャトワールの監視をするためだろうって言ってたし」
 彼は万里のご意見番であり、それ以前に万里の幼い頃からの知り合いでもある。その立場上、抗戦派に近い所はあるだろうが……万里の今の立場を良しと思っているはずはない。
 それは、半蔵の伝言を頼まれた珀亜からも言われた事だ。
「後は、半蔵が向こうの砦から戻ってくるまでに、俺達でどれだけ出来るか……だな」
 そう。
 それまでに、何が出来るか。
 何をしなければならないのか。
 何もしないままでいては、あの歴史が繰り返される……いや、それよりも悪い事になるのは、火を見るよりも明らかであった。

続劇

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