-Back-

11.黒猩々覇締遠割 (くらしょうじょうはじまりとおわり)

 窓の向こうに広がるのは、琥珀色の霧を天に戴く神揚の空。
 どこか眩しそうに見上げていたそこから視線を落とし、目を向けたのは文机の上に置かれていた暦であった。
 キングアーツ出身のそいつには見慣れぬ様式で書かれた暦には、何かを示すマルやバツなど記号の類は一切付けられていない。けれどそこに示されたその日は……間違えるはずもないものだ。
 そしてそいつの基準では、その日までそれほどの時間はない。
「あの日まで……もうすぐか」
 小さく呟き、暦を取る。
 そいつが知るのは、一つの悲劇。
 さりげないすれ違いが招いた死と……そこから連なる、破滅への連鎖。
「始まる前に、終わらせるんだ……」
 そう。
 悲劇が起きるくらいなら、それが始まる前に、全てを終わらせてしまえばいい。
「ここから先は立ち入りを禁じられていよう! どういうおつもりか!」
 そんな白木造りの部屋まで響くのは、男が誰かを問い詰める鋭い声だ。
「ニキ将軍! お考えをお聞かせ願いたい!」
「姫様や貴君らのやり方はぬるいと言っておるのだ!」
 ばん、という激しい音と共に引き戸が開かれ、姿を見せたのは……ロッセと鳴神、そしてシャトワールが初めて見る人物だった。
 そいつも何らかの動物の性質を受け継いでいるのだろう。シャトワールは王都の動物園で見た、狒々の姿を思い出す。
「なるほど。こやつが巨人から助け出された人間か」
 狒々に似た男は、シャトワールの周りをのしのしと歩き……値踏みするように、その姿を睨め付けてみせる。
「シャトワール・アディシャヤと申します」
「まだ人の言葉を喋るか。なら良い。来るのだ、シャトワールとやら」
 ニキと呼ばれたその男の居丈高な物言いに嫌な感覚を抱きながらも、シャトワールは穏やかな表情を崩さない。機械の声と、全身義体そのままの姿に向けられる視線には、とうに慣れていたからだ。
「……どうするおつもりですか?」
「知れた事。貴様の知る、巨人の全てを話してもらおう」
「それは今俺が行っておる。待たれよ、ニキ将軍」
「姫に尻尾を振るだけのご意見番が何を言うか!」
 だが、鳴神のその言葉にも、ニキは甲高い声でそう言い返してみせる。尻から伸びる長い尻尾がぴしりと畳敷きの床を撃ち、そこから千切れた繊維が舞った。
「貴公、それは皇家への侮辱と見なすぞ!」
「それはどちらか! このひと月、今まで以上にこちらも大規模な討伐行動を取っておらぬ。聞けば、今日も姫は北八楼へ伴と遊びに行っているそうではないか!」
「北八楼の調査は長の務め! それを遊びとは無礼に過ぎますぞ! 軍法会議にでも掛けられたいか!」
 ロッセのその言葉に、ニキはふん、と鼻を鳴らしてみせるだけ。
「掛けたければ掛けよ。……だが、陪審の将がお主らに味方すると思うか?」
 軍法会議は、軍規に背いた兵や将の処分を行う集まりだ。
 しかしそこに陪審員として参加する将は、八達嶺の主力の将達である。……故に、彼らが有罪と認めなければ、不敬罪は成立しない事になる。
「ぐ…………」
 ニキの自信は、将の大半が抗戦派で占められている現状から生まれた物なのだろう。確かに軍法会議に掛けたとしても、ニキの無罪はおろか……下手をすれば、万里達の側が立場を不利にしかねない。
 そんな緊迫した空気の中。
「…………分かりました」
 呟き、立ち上がったのは、まさに渦中の人物であった。
「シャトワール!?」
「わたしがそちらへ伺ってお話しすれば、全ては丸く収まるのでしょう?」
 その問いに、ニキは鷹揚に頷いてみせる。
「……行く必要は無い。貴公は今はこの鳴神と万里の管轄下にある。そうだな、ロッセ」
「ええ。ニキ殿のそれは、越権行為ですぞ」
「会議に掛けたくば掛けよ。……行くぞ、シャトワール」
 軍法会議での立場には、絶対の自信があるのだろう。ニキはシャトワールを連れ、勝ち誇ったように離れの部屋を出て行ってしまう。
 残されたのは、鳴神とロッセの二人だけだ。
「……くそっ。万里に顔向け出来んな」
 事実、今の八達嶺は抗戦派の声の方がはるかに強い。仮に軍法会議に持ち込んだとて、勝てる見込みは限りなくゼロに近いだろう。
「仕方ありません。抗戦派の声が大きくなっているのもまた事実です……」
 この状況をどうすべきか。
 小さくため息を吐き、鳴神達もシャトワールの部屋を後にするのだった。

続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai