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9.百面相見通悪 (ひゃくつらあいみとおしわるし)

 白木の床を悠然と歩くのは、九尾を備えた白狐。儀式神術による強化を施したそこを抜け、自らの定位置に身を横たえれば……その首筋の辺りから抜け出すのは、万里である。
 身体を丸め、瞳を閉じる九尾の背中から降りた彼女を迎えた昌が気付いたのは、彼女の被る帽子だった。
「万里。その帽子、どうしたの?」
 いつも北八楼に行く時に被っている帽子と違う。そもそも神揚で出回っているそれとは全く違う形をしたそれは……。
「アレクからの贈り物?」
 だとすれば、大人しそうな顔をしてなかなか小粋な事をしてくれる。もっと固い、気の利かない人物だと思っていたが、どうやらその辺りの評価を改める必要がありそうだった。
 機嫌の良さそうな昌の言葉に、万里は少し驚いた表情を浮かべていたが……。
「いえ……リフィリアさんからもらったのだけれど」
「あれ。万里様ももらったんですか?」
「千茅ももらったのね」
 駆け寄ってきた千茅も、やはり万里が被っている物に似た形の帽子を持っていた。
「はい。その場で被ってみせて欲しいって言われたから、被ってみせたら、すごく喜んでましたけど……」
「被ったの?」
 少し驚いた様子の万里に対して、千茅はその意味を少し遅れて理解する。
 そもそも彼女達が帽子を被るのは、頭に生えた動物の耳を隠すため。それを、知り合ってしばらく経つとはいえ隠すべき相手の前で脱ぐなど、あり得ない事だ。
「あ……。もちろん、耳は見えないようにして……ですけど……」
 本当は、リフィリア達には正体などとっくに知られているのだから、目の前で普通に被り直したのだが……さすがに万里にそれをバラすわけにもいかない。千茅は慌ててそう補足して、万里も胸をなで下ろす。
「何だ、お前らもか」
 そんな彼女達の下にやってきた奉と珀亜も、街では見かけない変わった形の帽子を被っていた。
「拙者はもらわなかったでござるが……」
「ハットリさんはいつも帽子、被ってないからじゃないの? 私ももらったよ」
 そして最初に万里に話題を振った昌でさえ、懐から小さく折り畳んだ布製の帽子を取り出してみせる。
「私は次に行く時に被るって約束したのだけれど……被ってあげた方が良かったのかしら?」
 贈り物にしては内緒にしたいようだったし、目の前で被り直すわけにもいかなかったから、万里はそう誤魔化しておいたのだが……。千茅の言っていたように喜んでくれるなら、その場で被り直しても良かった気もする。
「よく分かりませんな……」
「あたしが被ってあげた時もすごく喜んでたんだけど……どういう風習なのかしらねぇ? 奉もだから、女の子だけって事でもないみたいだし」
 最後にやってきた柚那も、どうやら帽子をもらっていたらしい。
 目の前で帽子を被り直すとリフィリアは目を輝かせていたから、何か特別な意味はあるのだろうが……その真意は、正直よく分からなかった。
「……拙者はもらっておらぬでござるしな」
「指輪ならともかく、帽子は分かんないなぁ」
 指輪を渡す風習は、神揚では各地に共通するものだ。
 しかし一同を見回しても、帽子を贈る事に特別な価値を持つ地域はないらしい。
「次に行った時にでも、向こうの誰かに聞いてみるか……」
 だが、次の会合でリフィリア以外の誰に問うても、帽子を贈る事に対する特別な風習は、どこからも聞く事は出来ないのであった。

 琥珀色の空に浮かぶのは、巨大な魚に似た物体だ。
 それはゆっくりと高度を下げ、やがて八達嶺で最も高い楼閣にその身を寄せて停止する。
「うわぁ……。おっきいなぁ………」
 かつては立ち入ることも出来なかった八達嶺の城塞の上でそれを見上げるのは、熊の耳を持つ少女であった。
「何度見ても、見事なものだな」
 そしてその背後から掛けられたのは、小声でも朗と響く強い声。
 それほど小柄なわけでもない千茅から見ても、見上げるほどに大きなそいつは……。
「あ、鏡さま」
「万里付きの新兵だな。さまなど付けずとも良いぞ」
「なら……鏡さん?」
 千茅の言葉に鷹揚に頷き、その傍らで荷下ろしの始まった巨大神獣を見上げてみせる。
「うむ。……そういえば、おぬし」
「千茅です。千茅・クマノミドーと申します」
 補足するように千茅が口にしたその名に、鳴神は僅かに首を傾げた。
「クマノミドー……? 帝都の熊埜御堂家の筋の者か」
 ナガシロ帝に仕える武人の家系の中でも、選りすぐりの武を誇る家柄だったはず。縁が遠くなればその姓を名乗る事は許されないから、本家に近い立場の者と言う事になるが……。
「あ…………はい」
「……詮無い事を聞いたようだな。すまぬ、忘れてくれ」
 その問いに対する千茅の答えは、どこか怯えに似たものを含む、弱々しいものだった。
「いえ……気にしないで下さい」
 このような最前線で新兵として働いているという事は、彼女の家にも色々と込み入った事情があるのだろう。無論それは、鳴神が何者であろうと関与する所ではない。
 そもそも千茅に声を掛けたのは、そんな事を聞きたかったからではないのだ。
「それより、ムツキ・ムツキから武技を習っていると聞いたが?」
「はい。それが?」
「いや……大変だろうと思ってな」
 だが、鳴神のその言葉に、千茅は不思議そうに首を傾げてみせるだけ。
「ムツキさん、親切ですよ? 良く教えてくれるし、優しいですし」
(マジかあのジジイ)
 それは、鳴神にとって想像も出来ない情景だった。
「……礼儀がなっとらんと言って、庭の端まで殴り飛ばされたりはせんか……?」
 もしくは教わる態度が悪いと、足元の地面が割れ砕けるほどの拳骨を頭に叩き込まれるか……。
「あはは。そんな事ないですよぉ」
 先程の家に対する質問の沈みようとは対照的に、千茅はくすくすと笑っている。少なくとも、あの老人の教え方は彼女の記憶から怯えや怖れを呼び起こす物ではないのだろう。
「ミズキさんが言ってたみたいに、わたしの戦い方と合ってるみたいです」
 武技はムツキが。そして術に関しても、柚那が教えてくれていた。
「これなら、ちょっとは万里様たちのお役に立てるかなって……」
「……そうか」
 年を取って丸まったのか、それとも彼女が女だからか。
 だが、彼の記憶にあるあの老人は、女子供だからと容赦するような人物ではなかったはずだ。
(あの小僧に爺ちゃんと呼ばれても笑っているくらいだしな……。スゲーな、時の流れ)
「鏡さんは、ムツキさんの事、ご存じなんですか?」
 ぼんやりとそんな事に妙な感慨を抱いている鳴神に掛けられたのは、今度は千茅からの問いだった。
「……随分昔に、戦い方を習った事がある」
 細かい事は言わない。ただそう漠然と、答えてやる。
 今のムツキが彼女にとって良き師匠なら、かつての悪行をあえて伝えることもあるまい。
「へぇ……。だったら、鏡さんは兄弟子、って事ですか?」
「そうとも言えるな」
「へえ……。お兄さん弟子、か……」
 その響きがどこかくすぐったいのだろう。どこか機嫌の良さそうな千茅を傍らに置き、鳴神はそのまま巨大神獣の荷下ろし作業に視線を戻す。
(……何だ、あれは)
 その中に、奇妙な物を見つけた瞬間だ。
「あ、鳴神さん、千茅さん」
 掛けられたのは、背後からの声。
 聞き慣れたその声は、いつもならばこの城塞の外、市場の天幕の中で聞くものだ。
「タロか。いつも苦労だな」
「帝国は金払いいいしねぇ。そこそこ儲けさせてもらってるよ」
 タロとしては、王都への旅は仕入れのついででもある。その余剰空間を使って儲けが出るのだから、彼としても言う事のない話であった。
「だが……あれは何だ?」
 そんなタロに鳴神が示したのは、ホエキンから下ろされている神獣輸送用の檻である。
 中には収められた見慣れぬ神獣は、鳴神の記憶にはないものだ。
「あれは軍部への補充だよ。新型の神獣だとか言ってたけど」
「どこに補充されるものだ?」
 少なくとも、万里の周辺への補充ではないだろう。そうであれば、鳴神の耳にも噂くらいは入ってくるはずだ。
「オイラ達は運ぶだけだからねぇ。そこまでは分かんないよ」
 言われてみれば、当たり前の事だ。タロの仕事は帝都から八達嶺まで荷を運ぶ事であって、その先は彼の領分ではない。
 むしろそれは、興味を持ってはならない領域に限りなく近いものですらあった。
「……まあ、そうだな」
 檻の中に見えたのは、トカゲに似た奇妙な神獣だ。
 そのぎろりと覗く薄気味悪い瞳にどこか不穏な気配を感じながら、鳴神は適当な相槌を打つしかない。

 薄紫の世界をゆっくりと進んでいくのは、幾つかの巨大な影。北のオアシスへ向かうそれらは、狐に似たもの、兎に似たもの、人の形に近いもの……それぞれだ。
「ねえ……万里」
 そんな神獣達の中で思いを飛ばすのは、昌である。本来ならば一人の相手に絞るべき思念だったが、あえて周りにも聞こえるよう飛ばしてみせる。
「アレク様達の事なんだけど……」
 独り言に似たそれを、周囲の神獣は止めようとしない。
 誰もが気付いていたのだろう。
 そして、誰もが言えずにいた言葉だった。
 それは万里自身も分かっていたのだろう。昌の言葉を促すより先に、慌てる様子もなく思念を返してくる。
「あの人達が、巨人に乗っているという事?」
「……気付いてたんだ」
 八達嶺の長は、決して愚かではない。優しく穏やかな所や、甘い所はあったとしても……その本質を見抜く目は、確かにその内に秘めている。
「……何となく、だけどね。アレクさんもソフィアも、シャトワールと同じような手足だったし」
 そして、シャトワールの所に通い詰めているという事も、その理解に繋がったのだろう。
(シャトワール……か)
 それがいい事なのか、悪い事なのか、昌には判断が付かなかった。
 ただ、あの人物の存在によって、八達嶺にいる時の万里の心労が僅かでも取り除かれているのは……悔しい事に、否定出来ない事実だった。
「それはもう、アレク様に?」
「……聞けないよ。それを言ったら、私たちも神獣に乗ってる事を知られちゃう」
 その辺りが、彼女が彼女足る所以であり、また周囲を心配させる理由なのだろう。
 鋭く物事を見抜き、その本質を理解しながらも……最後の強い一手が打てないのだ。故に八達嶺の全てを御しきれず、その意思を一つにまとめ上げる事も出来ずにいる。
(大丈夫なのに……)
 恐らく、アレクは彼女達の事情を全て見抜いている。セタやリフィリア達は隠しているつもりのようだが、ソフィアはともかく、彼はその全てを知った上で、あえて気付かぬフリをしているのだろう。
 ただ、キングアーツの前線基地をまとめ上げ、全てを知っているはずの彼が、どうして万里と同じように最後の一手を打てずにいるのかは……さすがの昌にも分からなかったのだが。
「……もう少しだけ待って。多分、もう少ししたら……聞けると思うから」
「……万里」
 主の言葉に、昌はそのまま思念を切る事しか出来ずにいる。
 彼女もまた、彼女を思うとそれ以上の強引な一手は打てずにいる一人だったのだ。

続劇

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