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5.北八楼剣姫邂逅 (ほくはちろうけんきかいこう)

 半蔵に伴われてシャトワールの部屋に入ってきたのは、彼がいまだ夢の中でしか会った事のない人物だった。
「ああ……」
 小さな身体、細い手足、肩で揃えられた黒い髪。
 そして、狐の性質を与えられた耳と……優しげで、けれど確かな意思を感じさせる黒い瞳。
 彼女が、彼女こそが……鷲の翼を持つあの少女が守り、ずっと共に在りたいと願った少女。
「貴方が、シャトワール?」
「はい。お初にお目に掛かります、万里姫様。シャトワール・アディシャヤと申します。長ければ、シャト、とお呼び下さい」
「そう。不自由はありませんか?」
 事前にシャトワールの容姿については聞いていたのだろう。身体のほぼ全てを鋼に置き換え、声も人工音声になってしまったシャトワールの様子にも特に驚いた様子は見せず、万里は穏やかに微笑んでいるだけだ。
「ありがとうございます。皆様には、とても良くして頂いています。その上、こうして姫様にもお目に掛かれる機会を作っていただいて……」
「こちらこそ、不便な思いをさせてごめんなさい。お手紙も読ませていただきました」
「文字は半蔵さんに教えていただいて書いたのですが……お目汚しでした」
 万里はシャトワールの手を取り、ゆっくりと首を横に振ってみせる。
「万里。そろそろ時間だ」
 けれど、部屋の入口に立っていた奉から掛けられたのは、そんな言葉。
「ええ。……あまり時間が取れなくてごめんなさい。これから、北八楼への調査があるの」
 それは、シャトワールも知っている事だった。
 奉や半蔵から聞いたわけではない。あの夢の中の流れが未だ健在であるなら、この日はそうなると分かっていたからだ。
「十分です。今日は大切なお時間を割いていただいて、ありがとうございました。万里姫様」
「アディシャヤ殿。今日は拙者も万里様の調査に同行するゆえ……後の事は、何かあったら鏡殿やリー殿に」
 八達嶺の抗戦派の動きを押さえるため、鳴神は北八楼の調査行には同行しない事になっていた。鳴神とシャトワールの間は、今日は非番のリーティ達がいればこちらも何とかなるだろう。
「ありがとう、半蔵さん」
 穏やかな微笑みで、万里達三人を見送って……。
「良かった……」
 シャトワールが付くのは、小さなため息が一つ。
「アレク様よりも、先にお会い出来た……」
 今日は万里達の北八楼調査の日。
 そして……。
 万里と彼が、出会う日でもあるのだ。


 白木造りの廊下を歩きながら、万里は小さく息を吐いてみせる。
「礼儀正しい方でしたね、シャトワールは」
 異形の姿だとは聞いていたし、その覚悟もあった。驚いた事を表情や態度に出さなかったのは、ひとえに彼女の皇族としての育ちがあったからこそだ。
 だが、少し話せば、その姿はさして気にならないものだった。礼儀や振る舞いは、万里の政策を快く思わない将達よりも快くすらある。
「はっ。きちんとした御仁でござる。……ところで姫様」
「何ですか?」
 半蔵から何かを言おうとする事は、半蔵との付き合いの長い万里でもそれほど覚えがない。言葉を促されたのを確かめて、半蔵は言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「巨人の民が、アディシャヤ殿のような御仁と分かったのでござる。ここは、あの砦に和平の使者を立てられては?」
「……和平の?」
 それは、万里の中には思いもしなかった概念であった。
「巨人の砦への調査が幾度も失敗しているのは、拙者も知っているでござるが……」
 巨人の砦への偵察や調査は、巨人という存在が発見されてから幾度も試みられてきた。しかしそれはいずれも巨人側の反撃や迎撃という形での答えしか導く事は出来ず、やがて巨人は人の言葉が通じない相手……という認識がされるようになったのだ。
 それを、半蔵はまた試みろという。
「なんとなれば、拙者がお引き受けいたす所存」
 確かに、アディシャヤという存在は巨人の生態に対して認識の変革を及ぼすに相応しい存在ではあった。
「そうね……。本当はそれが理想なのですよね……」
 しかし……。
「どう思いますか? 奉」
「賛成だが、今の神揚では難しいだろうな」
「……抗戦派でござるか」
 平和を望む声は、神揚の街にも少なくない。
 けれどそれは、巨人を駆逐した上で手に入れる平和であって、お互いの和平という事ではない。それは軍部の中でも、主流に位置する考えだ。
「今のところ、巨人の民はシャトワール一人。シャトワールが特別なのか、他の巨人の民も同じなのか、せめてそれが分からないと抗戦派の説得は難しいでしょうね……」
 万里とて、別に戦いたいわけではない。話し合いで決着が付くなら、それに越した事はないが……。
 幾度も繰り返され、多くの血と犠牲をもたらしてきた巨人との戦いは……既に万里の気持ち一つで収まるものではなくなっているのだ。
「それに、危険な任務になります。半蔵にもそこまでの危険を冒させるわけにはいきません」
「……万里様」
「ともあれ、今は出来る事から始めましょう。出立の準備は出来ていますね?」
 奉はその言葉に小さく頷き、厩舎へと足を踏み入れていく。

 緑の森をゆっくりと進むのは、少女達を中心とした一団だ。
「千茅、大丈夫?」
「はい。こういう仕事は、任せて下さい……!」
 八達嶺からそのまま北上。
 森の南側で神獣を降り、そのまま森を進んでいけば……やがて見えてくるのは、目の前に広がる広大な湖である。
 巨人達が、万里達が楼と呼ぶ清浄の地に入り込まない事は、これまでの調査で分かっていた。貴重な清浄な地を巨大な神獣で踏み荒らすわけにもいかないため、一行の神獣は森の目立たない所に待機させてある。
「湖の水も綺麗ですね……」
 穏やかな湖面は、陽光を弾いてきらきらと輝いていた。
 水は、滅びの原野の薄紫の大気の影響を受けない。
 王都の術者達に言わせれば、原野を覆う薄紫のそれは、土壌や大気を汚染しているわけではないらしい。そんな小さな単位ではなく、場所そのものに影響を及ぼす呪い、なのだという。
 その理論を元に作られたのが、薄紫の呪いを軽減し、やがて浄化へと導く琥珀色の霧。
 八達嶺を守るように覆う、あの霧だ。
「ここの水は、川を下って震柳まで通じているからな」
 震柳は、神揚の王都に次ぐ帝国第二の都市だ。
 この湖から流れ出る豊富な水資源と、眼前の海に支えられた、海洋都市。
「今、ウラベさんが行ってるところでしたっけ」
「そうそう」
 そして、北部開拓の前線基地である八達嶺への中継点でもある。
「震柳が栄えてるのは、この湖があるおかげなのよね……」
 そんな帝国第二の都の水源を確実に帝国領内に組み込む事も、八達嶺が建造された目的の一つだ。
「……柚那?」
 ゆっくりと話をしながら湖のほとりを歩いていると、先を歩いていた猫耳の娘がふと足を止める。
 今までの穏やかな様子とは違う。
 その様子に、万里も足を止め……。
「え? ……あ」
 気が付いた。
「あれは……人……?」
 湖のほとりの先、同じように歩いている姿がある事に。
「やはり、無人の楼ではなかったのですね」
 金髪の少女と、黒髪の青年。
 そしてそれに従うように歩く、数名の人間達。
 八達嶺から調査に出ているのは、今は万里たちだけのはず。そもそも彼方にいる一同の装いを、万里は自身の臣下に見た覚えがない。
「湖膳や海門近くの楼でも、現地の民がいたっていう報告はあったし……」
 この地の調査は、八達嶺としてもまだ始まったばかり。
 まだ未調査の領域に住人がいたとしても、何ら不思議ではない。
「あの手足……鎧を着てるみたい」
 眩しそうに目を細めるのは、先頭で道を切り開いていた千茅である。二人のまとう服の隙間から覗くのは、人の肌の色ではない、鋼鉄の色。
「好戦的な部族なのかしら?」
 戦いを望む一族なのか。それとも、戦いに巻き込まれる定めを持ち、その装いを強いられているのか。
「隠しているくらいだから、それはないだろう。戦いが好きなら、むしろそれを見せ付けてくるはずだ」
 奉としては、その相手が好戦的でない事はあの夢でとうに理解している事だった。だがその理由を言えない以上……夢の中の少女の言葉を借りて、理由付けするしかない。
「だといいけど……」
「ともかく、声を掛けてみよう。攻撃を仕掛けてくるようなら……昌、半蔵」
「承知」
「分かってるよ。任せといて」
 狩衣姿の昌が口の中で転がすのは、周囲を閃光と爆音で満たす神術だ。
 もちろん今すぐ発動させるわけではない。向こうが敵対する行動を見せればすぐに放てるようにという、非常時の備えの一つである。
「何かあったら神獣の所まで撤退。後は各自の判断に任せる」
「万里も耳と尻尾、気を付けてね」
 以前目にした報告書には、現地の民は翼や耳を警戒する者もいたとあった。
 神揚の民であれば何ら珍しくないそれを警戒する気持ちなど、少女達には到底理解出来ないものだったが……そういった報告がある以上、注意するに越したことはない。
 万里は大きめの帽子を被り直し、他の皆も耳や尻尾が出ていない事を確かめる。
 いきなり逃げたりはしない。それでは、こちらから怪しいと言っているようなものだ。
「……こっちに気付いた」
 そして、金髪の少女と黒髪の青年もこちらの姿を認めたのだろう。
 現地の民らしき一団は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「あーあ。今頃万里様たちは、北八楼にいるのかぁ」
 大きな鉄鍋を揺すりながらぼやくのは、屋台の主の少年である。
 今日の来客は三人。いずれもむさ苦しい男ばかりで、鍋を振る手もいつもの元気がない。
「……予定通りなら、姫様達はキングアーツの連中と会っている頃だな」
 あの夢では、確か昼過ぎの頃合いだったはず。人数が増えて夢のように空路が使えなくなった分、多少の誤差は出るだろうが……。
「夢の通りって分かってるなら、さっさと仲良くすれば良いのに」
「そう容易いものではないのだ。リーティ」
 リーティの単純な思考は、理想であろう。
「何でだよ」
 だがぼやくリーティの言葉に、鳴神は思わず苦笑いを浮かべてみせる。
「今の今まで本気で殺し合っていた相手だ。互いに、既に遺恨も多く溜まっておろう」
 八達嶺が建造され、巨人との戦端が開いてから既に一年ほどの時が経つはずだが、その間に流された血は常に拡大戦争を続けてきた神揚の歴史の中でも飛び抜けて多い。
 今の八達嶺に所属する兵の中には、家族や兄弟を巨人との戦いで失い、前線へと志願してきた者も少なくないのだ。
「そんなの、忘れちまえばいいのに……」
「そうもいかんさ。例えば……」
 呟き、今まで無言で食事を続けていたムツキはリーティの皿にあった餃子をひょいとつまみ上げ……。
「あっ、オレの餃子!」
 リーティが止める間もなく、そのまま口に放り込んだ。
「これは儂が見た夢では、儂が注文していたものだったのだ。なら、一つくらい食っても良かろう?」
「よくないよ! 餃子返せよ爺ちゃん!」
 肉汁のたっぷり溢れる餃子をごくりと呑み込んで、ムツキはタロにもうひと皿分の餃子を頼んでやる。
「リーティは儂が見たという夢の話を信じたか?」
「信じるわけないだろ………あ」
「……ムツキの言う通りだ。餃子は取り返しが付くが、人の命は取り返しが付かん」
 鳴神自身も、あの夢がここまで先の未来を言い当てていなければ、ただの夢だと一笑に付していただろう。
 もちろん巨人との戦いも、巨人断固滅ぼすべしの意見を曲げはしなかったはずだ。
「今は時の流れに任せるべきだ」
 まだあの夢の通りに世界が流れるなら、あの二人は出会うべくして出会い……好機もいずれ来るだろう。
 あの悲劇に至らぬ、よりよい未来に至れる機会が。
「早く来て欲しいなぁ。オイラ、あのワッフルを美味しく作れるようになるなら、何でも良いよ」
 だが、そんな一同をちらりと眺め……リーティはぽつりと呟いてみせる。
「俺は、そういうのみんな忘れたけどなぁ……」

続劇

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