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2.穏忍土竜轟鬼拳舞 (おにもぐらとどろきけんぶ)

 白木造りの厩舎の一角にうずくまるのは、大柄な獣毛の塊だ。騎体の各所に土を被ったままのそいつは、周囲に群がる整備兵たちを気にする様子もなく、小さくその身を丸めている。
「そっか。ムツキさんもあの夢、見てたんだ」
 そんな神獣の整備風景を眺めながら、どこか納得したかのように呟いたのは、兎の耳を備えた少女であった。
「別に黙っておるつもりはなかったのだがな。大将」
 答えるのは、彼女よりも二回りは大きな体躯をした老爺である。先日、清浄の地の森の中にいた、あの老人だ。
「あはは。もう私の下じゃないんだから、昌でいいよ。……お菓子食べる?」
 ムツキが差し出された菓子を口の中に放り込んでいると、その様子を確かめる事もなく、代わりに昌は言葉を続ける。
「けど、どうしてなんだろうね……」
「何がだ?」
「ロマさんだよ。……リーさんと話してるのは、すごく普通に見えるのに……」
 彼女の視線の先にあるのは、厩舎の一角に組み上げられた整備櫓だ。そこで話をしている黒豹の脚を持つ青年と、黒い獣の耳を持つ少年の様子を眺め、ぽつりと呟く。
 黒豹の脚を持つ青年は、彼女達の主の副官として、今も堅実に自らの仕事を行っている。その様子からは、あの夢の中での凶行などどうしても結びつかないのだ。
「人間、何が引き金で本性が出るかなど誰にも分からんものだ。あれも、お主も……多分、儂もな」
「ムツキさんくらいになっても、分かんないんだ?」
 老爺の正確な歳は知らないが、少女の三倍か、それ以上は生きているはず。それだけの歳を重ねても、分からない事があるというのか。
「二、三十年経った所で、頭の中などそう変わらんよ。……あやつは、その引き金が瑠璃なのかもな」
 それは、先日の宴の夜、リーティが聞いた名前だった。
 それが誰かは分からない。
 だがそんな名前の娘は、八達嶺にも、彼が調べた限りの軍関係者にも……そして彼らが見た夢の中にも、見いだす事が出来なかったのだ。
「どうなんだろうね。……どうかした?」
「なに。少々野暮用だ」
 呟き、大柄な身を立ち上がらせた老人に、昌は短く声を掛ける。
「地上になど滅多に出てこんのだから、来た時にまとめて済ませておかねばな」


 白い紙にたどたどしく走るのは、墨を含んだ細い筆。
「これで……合っていますか?」
 小さな文机の反対側、禿頭の人物に問われた少女は、記された文字の列をゆっくりと追っていき……。
「十分でござるよ。アディシャヤ殿は覚えるのが早うござるな」
 シャトワールに向けて、穏やかに微笑んでみせる。
 その姿は、少女本来の姿ではない。シャトワールがかつて夢の中で見た、鷲翼の少女と同じ姿である。
「半蔵さんの教え方が良いからですよ」
 文章の最後に、神揚の言葉に直された自身の名を続けて記し、シャトワールは満足そうに息を吐く。
 それは、一通の手紙であった。
「ああ、まだ折っては駄目でござるよ。墨が乾くまで置いておかねば」
 そんな話をしていると、部屋の外から掛けられたのは、入室の許可を求める短い声だ。
「邪魔だったか?」
「どうしたでござるか? トウカギ殿」
 入ってきたのは、黒い着物をまとった青年である。
 半蔵は知っているようだが、シャトワールは見た事のない顔だ。
「いや、ちょっとな……。あんたがシャトワールか?」
 奉がシャトワールを見たのは、キングアーツとの激突があった直後、回収された巨人から引きずり出された時以来である。
 神揚の着物をまとい、落ち着いた様子ではあるものの……身体の大半を鉄の部品に置き換えられたその姿は、夢で事前の知識を得ていた彼にとっても、少なくない違和感を感じるものだった。
「はい。貴方は?」
「俺は奉・トウカギ。……あんたにとっちゃ、あの黒い狐の駆り手って言った方が分かりやすいか」
 奉の言葉には、どこか苦々しいものが混じったまま。
 だが……。
「ああ……。あの時はお世話になりました」
 シャトワールの反応は、ごく淡々としたものだった。
「……いや、お世話って」
 色々な事の重なった結果とはいえ、殺され掛けた相手である。罵声は当然として、拳を向けられたとしても、仕方ないと思っていたのに……。
 感謝の言葉が来るとは、さしもの奉も予想外だった。
「わたしがこうして八達嶺にいられるのは、貴方のおかげですから」
「……死ぬかもしれなかったんだぞ?」
 むしろあの一撃は、奉が相対していた赤い獅子を殺す気で放った一撃だったのだ。間に割り込んだシャトワールが無事で済んだのは、それこそ偶然や幸運のせいでしかない。
「ですが、わたしは死んでいません」
「まあまあ。結果良ければ、でござるよ。トウカギ殿もアディシャヤ殿が気にしておられぬゆえ……」
 半蔵の言う通り、被害者が何も言わない以上、加害者の側がこれ以上食い下がるのは不自然だろう。
 奉の側としては大きな違和感が残るものの、大人しく引き下がるしかない。
「……そうか。まあ、罪滅ぼしと言っては何だが、俺に出来る事があれば何でも言ってくれ」
「でしたら、一つ確認して戴きたい事が……」
 その瞬間だった。
 三人のいる離れの向こうから、爆発音が響いたのは。


「何だ!?」
 爆発音は幾つかの棟を隔てた向こうから。正確な音源の把握はできないが、神獣厩舎の方角からだ。
 庭に面した廊下に飛び出すと、ちょうどそこを小走りに駆けてきたのは体格の良い老人だった。
「おお、奉もいたか」
「爺さん。何の騒ぎだ?」
 確か、昌の部下だった男である。今は昌が万里付きの組頭に異動した事に合わせ、ロッセの偵察兵をしていたはずだ。
「うむ。あのキングアーツの鉄の鎧が爆発しての。厩舎は大騒ぎだ」
「何だって!?」
 珍しく声を上げたのは、半蔵に連れられて出てきたシャトワールである。
「……おぬし、あの巨人に繋がっておったのであろう? 大丈夫か?」
「それは大丈夫ですが……」
 アームコートと着用者の間には、特に繋がりのようなものはない。着用中はアームコートのダメージや触覚を感じる事も出来るが、それも限界を超えると自動的に遮断されるし、こうして降りている間は例えアームコートが爆発したとしても、何の影響もないのだ。
「でも、今頃爆発……? 黒王石は動力部に繋げてないし、残った蒸気が暴発した……? いやでも、安全装置はちゃんと働いてたから、蒸気はとっくに抜けてるはず……」
 もちろん火薬の類も乗せてはいないし、修理物資にも爆発物はない。
 アームコートの動力源である黒王石は動力炉の中で反応させない限り安定した物質だし、動力炉は他のアームコートと同じく、登録された着用者がまとわなければ起動しない構造になっている。
「爆発の心当たりがないと見えるな」
「ええ、まあ」
 いくら考えても、このタイミングで爆発する理由が思い浮かばないのだ。
「……案ずるな。冗談だ。少々演舞を頼まれての、そこらの岩を儂が割った音だ」
「笑えぬ冗談でござる」
「そうでもせねば、ここには近付けなんだわ」
 名目の上では、巨人の体内から助け出された、変わり果てた哀れな神揚の民をかくまっておく場所なのだ。警戒厳重……というほどではないが、かといって一般兵の老爺がおいそれと近寄れる場所でもない。
「では、僕のメディック……巨人は?」
「厩舎でここに着いた時のままだ。あの仕掛けは、俺達には分からなさすぎてな。技術班が泣いておったわ」
 厩舎の隅ではあるが、いまだ厳重に保管されている。王都に送るという案もあったが、生きた証拠であるシャトワールがどうなるか分からないという点で、それもいまだ保留になっていた。
「そう……。なら良かった」
「気になってたのはそれか? でもあの傷じゃ……」
 だが、シャトワールの巨人は肩口から大きく切り裂かれ、それぞれの機関も完全に停止している。少なくとも神獣が同じ状況であれば、珀亜の兄の騎体と同様、死んでいると判断されるだろう。
「わたし達の使う巨人は生き物ではありませんから。適切な修理を施せば、問題なく動くはずですよ」
 そして、そうなる程度のダメージで済むよう、シャトワールは奉の太刀を受けたのだ。さらに言えばメディックは修理用のアームコートで、必要だろう補修材料は、その背の中にしっかりと収められていた。
「そうなのでござるな……」
 感心したような半蔵の言葉に、シャトワールはいつもの穏やかな微笑みを浮かべてみせる。

続劇

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