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24.第一次メガリ・エクリシア会談

 数枚重ねの強化硝子の向こうに見えるのは、薄紫の空。
 普段は見張りの兵が時折来る程度でしかない物見台は、この時ばかりは立錐の余地もない有様を呈していた。
 薄紫の荒野に立つのは、白い大きな旗を掲げた小型の魔物……神獣だ。
 そしてその旗に記されているのは……神揚ではない、キングアーツの文字である。
「『戦闘の意思はない。使者として長との会談を望む。シャト』……本当にあの沙灯なのかな、ソフィア」
「沙灯はあたし達の事情を知ってるのよね? 会うわ」
 ジュリアの傍らで白旗を掲げる神獣を見下ろしていたソフィアは、静かにそう呟いてみせた。
「ソフィア……」
「向こうから交渉に来てくれたのよ? もちろん十分に注意するわよ」
 眼下に立つ神獣は軽装で、何の武装もしていないように見える。
 しかし、神揚の民の真価は武器ではなく、その神術にある。寸鉄帯びていなくとも、何もない所から炎の塊を打ち放つ事が出来るのだ。
「あの魔物をメガリの中へ。案内は……」
 呟き、そこで言い淀んだソフィアの前へと踏み出したのは、左右で歩幅の違う、小柄な姿。
「私が行きましょう。本当に沙灯なら私のガーディアンを見ているはずですし、仮に罠だったとしても防ぐ術はありますから」
 先日の戦いで見た沙灯の機体とは違うから、油断は出来ないが……沙灯は神揚でシャトワールの世話をしていたと言うし、先日ジュリアが渡したお菓子のレシピも普通に読んでいた。あの程度のキングアーツの文字が書けても不思議ではない。
 それに本物の沙灯なら、コトナを見れば敵ではないと……少なくとも、彼女の正体を知るものだと分かるはずだ。
「なら、コトナ。誘導をお願い。他のみんなも警戒はしておいて。……でも絶対に、無駄な攻撃はしないでね!」


 メガリ・エクリシアの城門を抜け、そこに足を踏み入れたのは、鋼の騎士ではない。
 人に近い形を持った異形であった。
 そいつの眼前に並んでいるのは、アームコートの戦列だ。それぞれの手に長槍や剣、粘着性の弾丸を放つ火砲などを備えた、警護の群。
 中央に立つのは、異形をこの城門まで案内してきた赤銅色の背甲を備えた機体と……敵の中でも屈指の力を誇ると言われた、黒金の鎧をまとう騎士だった。
 そんな刃の林を前にして、それまで魔物と認識されていた機体は頭を垂れるように動きを止める。
 僅かな後、その背中から姿を見せたのは……一人の少女である。
「拙者は神揚帝国 八達嶺軍 万里馬廻衆お庭番 沙灯・ヒサ! 我が主、万里・ナガシロの使いとして参った所存。……お目通りのお許し、感謝致すでござる」
 朗と響くその声と姿は、確かにソフィア達の知る、あのスミルナで共に過ごした少女のものであった。
「キングアーツ王国 南部方面軍メガリ・エクリシア師団司令官代理 アヤソフィア・カセドリコス准将よ」
 そして、黒金の騎士の中から響くのは、沙灯もよく知る少女のものだ。
「……ごめんなさい、沙灯。これより先に入れるわけにはいかないし、私もここから出るわけにはいかないの」
 彼女としては顔を合わせての会談を望んだのだ。
 しかし、さしものコトナやアーデルベルト達も、そこまでは許してくれなかった。
「今までの我々の関係を考えれば、至極当然。こうして話が出来るだけで、十分にござる」
 今まで圧倒的な難敵として立ちはだかっていたそいつが、よく知る少女の声で申し訳なさそうに呟く姿に違和感を覚えながらも、沙灯は不満の色を漏らす事もない。
 少なくとも、アームコートと神獣で相対し、対話する所までは出来たのだ。
 その一歩さえ踏み出せたなら、その先へ進むのはゆっくりでも構わないはず。
「私たちがキングアーツの人間だった事、万里は知らなかったのよね?」
「拙者どもの判断で、キングアーツの存在は伏せてござった。……全ては姫様と、アレク殿のため」
 もともと悩みがちで、繊細な万里である。先にその事実を告げてしまえば、アレクの事を警戒しただろうし……彼との間にそんな感情なども生まれる事はなかっただろう。
「そうよねー。あの二人には、幸せになって欲しいもの」
「ソフィア姫」
 そんなソフィアをたしなめたのは、彼女の脇に控えていた赤い山羊の角を持つ機体である。
 あの夢を見たすぐ後に輸送部隊を襲撃した時、沙灯と一戦交えたそいつにどこか因縁のようなものを感じつつも……。
「分かってるわよ、アーデルベルト。……それで、万里はあたし達と戦いたいと思ってるの?」
「万里様はキングアーツとの和平を望んでおられます。アレク殿を連れ帰ったのも、あの場にお任せ出来る相手がいなかったからこそ」
 沙灯の言い分は、ソフィア達がムツキから聞いたアレクを連れ去った原因と合致する。少なくとも沙灯の語る万里は、ソフィアの知る万里と同じという事なのだろう。
「兄様は無事なのね?」
「無論。万里様はすぐにでもこちらにお返ししたい所存」
「捕虜交換でなくていいの?」
「……捕虜?」
 それは、沙灯にも初耳だった。
 神揚にキングアーツの捕虜はいるが、キングアーツにも神揚の捕虜がいるなど聞いた事がない。
「ムツキという老人と、リーティという少年を預かっている。そちらの、昌殿の部下と聞いているが」
「なるほど、あの二人はそちらに」
 行方知れずという噂は小耳に挟んでいたが、まさかキングアーツにいるとは思わなかった。今は二人はロッセの部下だったはずだが、話を通しやすくするために以前の上官の名を出したのだろう。
「……それは願ったりでござる。万里様もミズキ殿も喜んで交換に応じましょう」
 捕虜交換に関しては沙灯や万里の計画の中にはない物だったが、もともとアレクは返すつもりだったし、損をするわけでもない。大した問題ははならないだろう。
「それと……一つ聞いていいか?」
 ようやく場の空気が緩みかけた中、ソフィアに代わって声を放つのは、先程の赤角である。
「なぜあそこでアレク王子は斬られたのだ?」
 アーデルベルトはあの場に居合わせてはいなかった。
 しかしジュリア達の報告では、万里達と互いの確認が成り、心を通じ合わせた後で……アレクは背後から斬られたのだという。
「あるんだな、事情が」
「……正直、今の八達嶺……あなた方の言う魔物の巣は、一枚岩ではござらん」
 いまだ神揚の兵の多くは、キングアーツを古の呪われた遺産と信じている。そして将達の多くも、巨人達との徹底抗戦を望んでいるのだ。
 故に、和平を求める万里は八達嶺の長でありながら、現状それほど強い力を持っていない。
「なるほど。その抗戦派という連中の」
「今回の戦が早まったのも、その動きに引きずられてやむなく。恥ずかしながら、今の八達嶺も、あの連中に実権を握られておりまする」
 八達嶺では今頃、奉達が実権を取り戻すための活動を行っているはずだ。
「ですが、必ずその件は平定致します。アレク殿をお返しし、必ずや和平の申し出を」
「どうなさいます? ソフィア姫様」
「申し出は受けたいわ。……でも、父様にも確認を取らないと……」
 アレク救出という大方針は聞いている。しかし国同士の和平ともなれば、いち司令官代理でしかない彼女の裁量のレベルをはるかに超えているはずだ。
 反対される事はないだろうが、それでもソフィアだけの判断で決められる事ではない。
「沙灯。正式な返答はもう少し待ってくれる? あたし達も、あたし達だけで全てを決められるわけじゃないの」
「承知」
 ソフィアも万里と同じく、大国という機構の末端でしかないのだろう。キングアーツという組織の構造は分からないが、あの大後退で住処を別っただけなら、神揚とそれほど大きくは違わないはずだ。
「部屋を用意させるわ。プレセア、用意をお願い」
「かしこまりましたが……よろしいのですか?」
 城内に通すと言う事は、城の様子を見せるという事だ。沙灯の振る舞いからするに諜報に通じた者のようだし、相手を信じると言っても、それはあまりにも警戒がなさ過ぎないか。
「ここに置いておくわけにもいかないでしょ。細かい判断はプレセアに任せるわ」
「……大役ですわね」
 そうは言うが、プレセアとしても神揚とのパイプを作る大きなチャンスでもある。恐らくソフィアはその辺りの感覚も合わせて、彼女に任せてくれたのだろう。
「監視は付けさせてもらうけど、ムツキとリーティにも会えるようにしておくから。……少しだけ待って頂戴」
「感謝いたしまする」
 これで、交渉はひと息か。
 誰もがそう思った時、頭上の防壁から顔を覗かせたのは、沙灯もよく知った女性のものだった。
「ソフィア!」
「……どうしたの? エレ、リフィリア」
「神揚からの使いという旗を立てた神獣が、もう一体城門の前に!」
 その言葉に、沙灯は思わず表情を硬くする。
 本来の沙灯であれば表情を見せる事などないのだが、もともと表情の多かった『本物の沙灯』をベースにした今の沙灯では、ポーカーフェイスもそう楽ではない。
「沙灯。向こうは何者だと思う?」
「間違いなく、抗戦派の者でござろう」
 万里の使いは沙灯が間違いなく任されたし、そもそもこちらに何度も使いを出す人的余裕もない。仮に至急の用事で伝令があるとすれば、沙灯のように旗に名前の一つも記すはずだ。
「だったら沙灯は顔を合わせない方がいいわよね。コトナ、城内に案内してあげて」
 コトナは小さく頷くと、歩き出した神獣を城内の庭園へと連れていくのだった。

続劇

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