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19.戦場のトラッド

 エレ達の目の前に現れたのは、黒い九尾。
 そして周囲に控えるのは、やはり漆黒の獅子と、エレ達が初めて魔物と相見えた時にいた、猫に似た身軽な魔物である。
「あの黒い奴……誰が乗ってると思う?」
「分かりません。が、恐らくは……」
 白い九尾に痛手を負わせたという話は聞かないから、万里自身が乗っているわけではないだろう。恐らくはヴァルキュリアの灰色の騎士と同じように、彼女の影武者を務める機体のはずだ。
 だとすれば、それに乗るのは彼女に近しい者のはず。
「コトナ?」
 一歩を踏み出した、赤銅の背甲を背負う小柄な影に、ヴァルキュリアは思わず声を掛ける。
「試してみます。何かあったら、援護を」
 ただ一人、前へと向かうコトナに、黒い九尾達は攻撃の構えを解かないままだ。
 コトナは槍を保持用のラックへと戻し、代わりに盾の内へと手を伸ばしてみせた。九尾達は間合を取ったまま、姿勢を低くしてみせるが……コトナの取り出した物を見て、その構えを僅かに緩くする。
 それは、ひと振りの旗であった。
 キングアーツに旗を掲げるという習慣はない。それは先日の戦いで、神揚からキングアーツへともたらされた新たな旗の使い方だ。
「何だ、あれは……」
 そこに描かれた意匠は、ヴァルキュリアには理解出来ない物。何かの記号らしくはあるが……それは軍でも、民間でも使われていない記号の羅列だった。
「……神揚の文字だ」
 記されたそれを、エレも理解は出来ない。しかしそれは、かつて清浄の地の森の中、柚那とコトナとの三人で作った辞書の文字そのものだったのだ。
 やがて、懸命に旗を掲げるコトナに向けて、近寄っていくのは黒い獅子。
 そいつは、攻撃の意思を見せないコトナに向けて顔を寄せ……。
 ぺろりと、赤銅の機体の頬を舐めてみせた。
 まるで、親愛の情を示すかのように。
「敵じゃ……ないのか」
 やがて黒い獅子に続いて近寄って来たのは、黒い九尾である。こちらはコトナ達の眼前までやってくると……。
 その背から、見覚えのある姿が抜け出してきた。
「聞こえるか! コトナ!」
 薄紫の原野に響くその声は、あの清浄の地で幾度も聞いた青年の声だ。
「ああ……トウカギ殿でしたか」
 甘えてくる黒獅子を撫でながら、コトナはほっとしたように呟くが……その安堵は電波の上に乗るだけで、眼前の青年に届く事はない。
 恐らく奉は、かつて沙灯が最期に使った神術を使ったのだろう。だが、コトナ達が彼の地に姿を晒せば、薄紫の汚染された大気は彼女達の人工の肺さえ蝕み、ものの数分で死に至らしめてしまう。
 故に。
「悪ィ! こっちの二機は喋れねえんだ。アタシが分かるか、色男!」
 コトナの代わりにノイズ混じりの声でその意思を代弁したのは、エレだった。
「エレか! こちらも外に出られるのは私だけだ。あちらが柚那で、こっちは沙灯だ」
 そのひと言で、コトナは黒獅子の甘えようをなるほどと理解する。沙灯が少し離れた所で控えたままなのも、辺りを警戒しての事だろう。
 それは、姿こそ違えど、あの清浄の地での彼女達と何ら変わりないものだった。
「こっちはアレクの機体の影武者だ。顔合わせしてねえ奴だが、夢は見てる。アタシも長くは喋れねえから、手短に言うぞ」
 既にスピーカーにはノイズが混じり始めていた。前回よりは大幅に稼働時間は延びているが、それでもまだまだ試作品なのだ。
「戦いをやめろ!」
「……分かったと言いたいが、動き始めた戦いだ。すぐには止められん」
 それは、この場にいた誰もが理解している事だった。
 キングアーツと同じく、沙灯の夢を見た者は神揚のごく一部なのだろう。そして総意が戦いに傾いている以上、ごく少数の者達だけで意思を覆すのは、至難の業であるはずだ。
「けど、万里にこの状況は伝えられるな? だっ……た…ら……」
 その先を言いかけた所で、エレの言葉はノイズにかき消され、もはや外へは届かない。操縦席でスピーカーのオンオフを繰り返しても、限界を超えたそれは砂嵐の如きノイズを垂れ流すだけだ。
「とにかく、俺達は万里と合流する。協力してくれるなら、同行してくれ!」
 奉の側も限界なのだろう。そう叫び、すぐに黒い九尾の中へと戻ってしまうが……。
 エレへと顔を向けた九尾に、紺色の異形は申し訳程度の大きさの頭を、力強く頷かせてみせるのだった。


 意識を失っていたのは、どれほどの時間だったろうか。
「痛ぅぅ……」
 眼前にあるのは、薄紫の空ではなく、薄紫の大地である。
 そして翼に絡みつき、羽ばたく事を封じているのは、金属で作られたらしき太い綱。
「こりゃ、しばらくは飛べないなぁ」
 その綱は何故か断ち切られ、束縛はほとんどなくなっていたが……地面に引きずり下ろされた時の衝撃で全身がギシギシと痛む。落下の衝撃で気を失っていたのは、痛みを軽減するという意味では正しい判断だったらしい。
 だが、安心出来たのはそこまでだ。
「……やっべ」
 繋がったままの騎体から伝わってくる、僅かな違和感。
 痛みの中で確実に伝わる息苦しさは……神獣の呼吸器官が損傷を受けている証だろう。
(まずい……。こりゃ、詰んだかな)
 そんなリーティが僅かに首を起こせば、そこには黒烏よりもはるかに異貌の巨人がいた。
 蜘蛛に似た形を持つそいつは、巨大な脚の一本をゆっくりとこちらに下ろしてくる。踏みつけられたと理解したのは、地面に墜ちたマヴァの騎体が掛けられた重量にぎしりと軋んだからだ。
 呼吸困難で死ぬのが先か、それとも巨人に踏みつけられて死ぬのが先か。
(どっちでもいいけど、苦しくない方がいいなぁ……)
 しかし踏みつけられた脚から、それ以上のダメージが来る事はなかった。
「踏みつける無礼をお詫び致しますわ。そちらの兵、投降する気はございません?」
 代わりに騎体の内に揺らし、響くのは、涼やかな女性の声である。
 どうやらマヴァを踏みつけた脚は、この声を伝えるために触れ合わせたものだったらしい。
「するする! 投降する!」
 即決だった。
「あ……あら。あっさりですわね」
 その速さは流石に予想外だったのだろう。穏やかな声は少し呆気に取られたようだったが……。
「神獣の呼吸器が壊れてるんだ。オレこのままじゃ死んじゃうんだけど、投降するから助けてくれないかな?」
「……それは大変ですわね。すぐに救助を出しますから、大人しくしていらっしゃいな」
 大蜘蛛は大烏の背中から脚を離すと、蜘蛛の腹に当たる部分から何かの装置らしきものを展開させはじめる。
 どうやらリーティの苦境を何とか出来る物があるらしい。
「……さて。勢いで投降するって言っちゃったけど、大丈夫かね。オレ」
 当面の死は免れたものの、果たしてどうなるのか、それはリーティにも全く予想の付かないものだ。
「シャトワールは神揚で助けられたけど、逆もちゃんとしてると……いいなぁ」
 とはいえ、なってしまった事はどうしようもない。
 思念通信も使えないマヴァの体内で小さく呟き、リーティはぼんやりと目を閉じ、敵からの助けを待つのだった。


 ジュリア達の背後に現れたのは、大きな盾を持つ重装の魔物と、対になるかの如き大太刀を備えた軽装の魔物。
 そして、兎に似た真っ白い魔物と、それらを従える……。
 兎の白よりさらに白い、九尾の狐の神獣だ。
「……王子」
 狐以外の神獣に誰が乗っているかは分からない。
 けれど、九尾に乗っているのが誰かだけは、分かる。
「分かっている。万里のテウメッサだな」
 それはアレクの見た夢でも同じだったのだろう。リフィリアのその呟きを察し、彼女達に教えられるより早く九尾の真の名前まで口にしてみせる。
「ねえ、リフィリア……」
 こちらは三体、向こうは四体。
 数で攻める上でも優勢な状況のはずなのに、相手が仕掛けてくる様子はない。
「ああ。向こうもライラプスに王子が乗っている事を知っているんだろう」
 万里の従える三体がリフィリア達と同じ夢を見た者達なら……そして、あの清浄の地に居合わせた者達であるなら、その思いはリフィリア達と同じだろう。
 だが、彼女達にはそれを確かめる術がない。
「アレク様、スピーカーは使えませんか?」
 あの夢の中では、アレクは万里に語りかける事で自らの事を知らせようとした。その時は不幸な結末に終わってしまったが、リフィリア達がいればその流れは変えられるはずだ。
「エレに猛反対されてな。付けさせてもらえなかった」
 同じように試そうとしたのだろう。アレクの外部音声スピーカーは、格納庫で使う時のように展開されていたが……既に破損し、その役目を果たせずにいるらしい。
「……そうですか」
 恐らくはリフィリアがしても同じだろう。それ以前に、仮にこちらが言葉を使えたとして、向こうの意思を確かめる術がない。
「……そうだ!」
 その言葉と同時、ジュリアの機体が、右腕に仕込まれた短い刃を展開させた。
「ジュリア!?」
 一瞬、リフィリア達だけでなく、魔物達の間にも緊張が走ったように見えたがが……。
 次に響き渡ったのは、がん、という、右の刃と左の大盾が打ち合わされる音だった。
「……ジュリア?」
 一度、二度、三度。
 叩かれる音は、いつしか一定のリズムを持って辺りに響きだしている。
「ほら……見て!」
 一つの音は、二つの音に。
 ジュリアの拍に応じたのは、やはり大きな盾を備えていた重装の神獣だ。大盾と爪を打ち合わせ、ジュリアのリズムと同じ調子を刻み出す。
 それに、大太刀を備えた小柄な神獣が両手を叩いて追従し、さらには兎も前脚を叩く。
「これは……」
 そのテンポは、リフィリアもよく知ったもの。
 武器を鳴らすジュリアが一歩を踏み出せば、それに応じるようにして大盾の神獣も歩を進ませる。
 伸ばされた手に、爪を収めた手が重なって。
 刻むステップは。
 両手の動きは。
 あの日、清浄の地で舞われた神揚の踊りと同じ物。
「あの動き……千茅か」
 似ても似つかぬ重装の機体だが、そのどこかおっかなびっくりの動きは、リフィリアの目には自然とあの少女に重なった。
 ならば。
 ひょい、と差し出された兎の手は……。
「…………昌」
 柔らかな手と、人なつっこい笑みの少女のそれだ。
 いつしかリフィリアも兎の手を取り、慣れぬ振り付けを踊り出す。
 そして。
 灰色の騎士がその手を差し出した相手は……。
 九尾の身をゆっくりと立ち上がらせ、前脚から転じたその手を、そっとアレクへと重ねてみせる。
「やった……!」
 通信機から響くのは、そんなジュリアの歓喜の声だ。
「アレク様……万里様……!」
 その様子に、リフィリアもようやく穏やかに息を吐き……。

 その瞬間だった。

 灰色の騎士の背中が、深く大きく切り裂かれたのは。


続劇

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