13.夢と野望と酒と宴と
夕陽が沈んで、夜も更けて。
「酒宴…………」
メガリ・エクリシアに戻り、調査隊の護衛の報告を終えたヴァルキュリアの眼前に広がっていたのは、隊舎食堂に立ちこめる喧噪と、間を覆う酒の匂いだった。
「どうしようかと思ってプレセアやエレに話したら、思ったより話が大きくなったみたいでさ」
彼女からの報告を受けたばかりの環は、やはり彼女の傍らで、苦笑いを浮かべる事しか出来ずにいる。
「……思ってたのと違ったか?」
「いや……問題ない……」
彼女としては、先日のプレセアやアーデルベルトとの席くらいの規模を考えていたのだが……。
これはどう見ても、酒の席ではなく、ただの宴会だ。
しかし……今のヴァルキュリアの心を占めているのは、そんな酒席と宴会の差についてなどではない。
「……どうした」
彼女の沈黙を、内心の不満と理解したのだろうか。声を掛ける環にヴァルキュリアが向けたのは、そんな不満の発露などではなく……。
「……環。今日の私は、ちゃんと任務を果たしただろうか」
自身でも理解出来ない、奇妙な問いだった。
今回の護衛任務における環の命令は、ただ一つ。
アーレスが例え何をしたとしても、余計な手出しは無用。ただ環に報告だけすれば構わない。
それだけだ。
それに従い、アーレスの行為と全体の俯瞰も事務的に報告……もちろん、アレク達のいない所でだ……したのだから、何の問題もないはずなのに。
「俺の言う通りにしたんだろう? 何か問題があるのか?」
そうだ。
ヴァルキュリアは環の言う通りに事を運び、報告も終えている。
ならばそれで、問題ないではないか。
「そうか…………そう、だな」
環の言葉に小さく頷き、ヴァルキュリアは宴席の中へと歩き出す。
その内にちくりと刺さる何かを、理解しようとはしないままで。
「…………」
そして。
その後ろ姿を見送る環の表情は、どこか不満そうな……苛立たしげなものであった。
「沖合の岩までアームコートで移動する方法?」
小さなジョッキを手にしたまま、その問いを繰り返したのはククロである。
「ええ。そういう方法はありませんか? ククロ」
ククロの着いたテーブルの向かいに座っているのは、コトナとリフィリアだ。
もちろん先程起きたばかりの、津波事件についての問いである。
「そうだなぁ……。船で移動とか、水中用のアームコートってワケじゃないんだよな?」
アームコートの水上移動は、基本的に船が使われる。メガリ・エクリシアでは見た事がないが、海沿いのメガリや前線基地では水中行動に適したアームコートが配備されている事も珍しくない。
「一撃離脱のような戦い方が出来る機体はないか?」
あの津波が起きた時、沖合にはそれらしき犯人の姿は見当たらなかった。もちろん津波が落ち着いた後、高い所から眺めても……だ。
ただ一つの手がかりが、コトナが見たという沖合の欠けた岩の存在だったのだ。
「なら、空でも飛ぶしかないかなぁ」
しかし、今のところ空を飛べるアームコートは存在しない。開発中という噂は常に聞くが、いまだその開発に成功したという話は聞いた事がなかった。
「ソイ研でも実用化はされていませんでしたね」
「空を飛ぶ以外に方法は?」
リフィリアの重ねての問いに、ククロはジョッキを軽くあおり、僅かに思考。
つまみを幾つか口にした後……ようやく考えがまとまったのか、口を開く。
「後は、強力な推進装置でも使うしかないかなぁ……」
「推進装置……」
「うん。ほら、ソル・レオンに付いてるみたいなやつ」
「……アーレスの機体か」
そういえば、何度か見た事がある。背中の機関を展開させ、一瞬で敵との間合を詰める技だ。
確かにあれを使えば、弾丸の如き勢いは付けられるだろうが……。
「理屈は分かりますが……可能なのですか?」
力任せに地上を駆けるならともかく、目標は水上に浮かぶ岩の一点だ。わずかでも間合を計り間違えれば、目標に届かなかったり、行き過ぎてはしまわないのか。
もちろんそうなれば、失速した鋼の機体がどうなるかなと、推して知るべしだ。
「アーレスに聞いてみないと分かんないだろうけど……。俺ならやりたくないなぁ」
多くの席が主演の喧噪に包まれる中、臨時に設えられたカウンターには二人の男が座っている。
「……環から聞いたぜ。しくじったんだってな」
顔の半分が義体化された男の言葉に露骨に眉を寄せてみせるのは、アーレスだ。
「今日のはただの小手調べだ。焦んじゃねえよ」
そう。
今日の襲撃くらいで片付けられる相手なら、とうに決着は付いているだろう。それが容易く出来ないからこそ、彼らはこうして力を合わせ、各々の目的のために人知れず活動しているのだから。
「それより、そっちこそ魔物に手酷くやられたみてぇじゃねえか」
返されたそのひと言は、小手調べで済む問題ではなかったのだろう。アーレスの言葉に男は顔の生身側を歪め、あからさまな不快の意思を示してみせる。
「黙れ。環にも移動中の事故で処理させたんだ。上の連中に告げ口するなよ」
軍事用ではあるが、多くの繊細な部品で構築されているアームコートだ。地滑りや落盤などで落下した場所が悪ければ、最悪その場で壊れてしまう事もある。
一中隊六機のアームコート全てが、行軍中の崖崩れに巻き込まれて大破……という失態は男自身の株を下げこそはしたが、それでも魔物に襲われ、手も足も出ずに全滅した……という不名誉よりははるかにマシなはずだった。
幸か不幸か今のメガリ・エクリシアには物資的な余裕が大きかったため、既に予備機を回してもらい、明日には戦列は何事もなかったように整う事だろう。
「……仲間を売るような真似はしねえよ」
呟き、杯を無言で傾けた彼らに掛かるのは、細身の影。
「どうしたんだい、こんな所で。アーレス君に、えーっと……」
「キララウスだ。キララウス・ブルーストーン少佐」
いくらか酔いが回っているのだろうか。大きな動きで首を傾げるセタに、顔の半分が義体の男は不機嫌そうに名を名乗る。
「ああそうそう。キララウスさん」
「上官に向けて、口の利き方をご存じないのかね? ウィンズ大尉」
「……キララウス少佐」
酒宴の名目は、無礼講だったはず。
そこであえての儀礼を強要したキララウスは、素直に言い直したセタにようやく表情を嫌悪から不服程度にまで緩めてみせた。
「……で、何か用か。セタ」
「二人が随分と盛り上がっていたようだから、何の話をしていたのかと思ってね」
「ただの田舎自慢だ。貴君には関係ない」
だが、どこかに行けと軽く手を振ろうとするキララウスを、アーレスは視線で制す。
「……そういや、お前も山奥の少数民族だって聞いたけど」
「そうだよ?」
セタの故郷は、キングアーツでも山岳部に位置する小さな国だ。実際に国という概念も薄い小さな集落だったから、少数民族と言われた所で腹も立たない。
「何だ。貴君の国もキングアーツに侵略されたクチか?」
「どうだろうね。王国は気が付いたら周りにいたからね」
吸収されたのはまあ、事実なのだろう。
けれど、セタの村は別段キングアーツ王家に抗うこともなく、ごく自然にその支配を受け入れていた。もっとも支配と言っても王家はセタ達の小さな集落にそうそう無理な要求などはして来なかったし、彼らの村もキングアーツ王国という支配者に大した興味を持っているわけでもなかった。
セタがこうしてこの場にいるのも、別に無理な徴兵を受けたわけではなく、外の世界に興味があったという、ただそれだけにしか過ぎない。
「……なんだ。腰抜けか」
だが、そんなセタの態度が気に入らなかったのだろう。
アーレスもキララウスも、彼の言葉に詰まらなそうな感想を漏らすだけ。
「戦う事が好きじゃないのは否定しないよ」
そして、そんな男達を前にしても、セタ・ウィンズは穏やかな微笑みを絶やさない。
馬鹿にされても、見下されても、それが彼の逆鱗に触れるような事はない。
だが。
「……僕の大切な物を脅かす気なら、容赦はしないけどね」
静かに続けたそのひと言に、カウンターの二人の男はそれ以上の言葉を紡げずにいる。
喧噪の場に落ちる沈黙は、強く、重く……。
「ねえ、セター! 一曲歌ってよ!」
けれど、それを打ち破ったのは、外からの声。
「かしこまりました、お姫さま。どのような曲がよろしいですか?」
「楽しいのがいいー!」
振り返った青年には、先程一瞬だけ見せた表情など既にない。ただいつもの穏やかな微笑みがあるだけだ。
「……ちっ。お姫さまの腰巾着が」
アルコールが回っているのだろう。機嫌良さそうに頬を染めたソフィアに楽器を渡されたセタの軽快なメロディが場を和ませていく中。残された場に漏れるのは、顔の半分を義体化した男の苛立ち混じりの暗い声だ。
「気にすんな。俺達の事がバレたわけじゃねえよ」
そんな男をなだめるように、アーレスは傍らの酒を男のグラスに注いでやるのだった。
続劇
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