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8.秘やかなりし、その名は

 差し出された紙切れに、半蔵は思わずその目を疑っていた。
「よ、宜しいのでござるか!?」
 羊皮紙に走り書きで記されているのは、幾つかの材料の分量と、それを組み合わせる手順。……いわゆる、料理のレシピというやつだ。
「いいわよ。……あ、そういえば神揚って文字が違うんだっけ?」
「大丈夫でござる。それは拙者が翻訳出来るでござるよ」
 シャトワールから習った文字は、基本的には単語が中心だったが、記された文字は概ね読む事が出来た。特にタロとのキングアーツ再現料理を作るに当たって、料理の材料についての文字を多めに学んでいたのが幸いしたらしい。
「しかし、本当に良いのでござるか? これを拙者らに渡した事で、ジュリア殿が危険にさらされるような事は……」
「別に、どこにでもあるレシピだし……大丈夫だって」
 妙に神妙な半蔵の様子に、ジュリアは思わず苦笑い。
 書庫のレシピ本から適当に抜き出してきただけだから、本当に何か言われる類の物ではないのだ。
「かたじけない!」
 だが、そんな紙片を覗き込んで、不思議そうな顔をしたのは千茅である。
「あの……。この、ちょっとだけ入れる物って何ですか?」
 千茅はキングアーツの文字は読めない。だが、菓子の作り方ならそれほど突拍子もない材料を使うわけではないだろう。
 事実、小麦粉や砂糖、牛の乳など何となく予想出来る箇所も少なくない。
 そんな中で、微量に入れるよう指示されている物だけが、どうにも見当が付かなかったのだ。
「ジュウ……ソ? とあるでござるな」
「……ヒサさん、知ってます?」
 だが、千茅の問いに沙灯と名乗っている半蔵も首を振るだけ。
「何でござるか? リフィリア殿」
「重曹だな。……ジュリア、説明を」
「じゅ……重曹は重曹よ。あの、お菓子を膨らませる時に入れるやつ」
「菓子を膨らませる……。クマノミドー殿、心当たりはござるか?」
 神揚の菓子事情に通じた半蔵にも、そんな食材の心当たりはない。キングアーツと神揚で名前が違う食材は少なくなかったが、だいたいはその効果や味で見当が付いていたのだが……。
「ないなぁ……」
 恐らく、神揚には存在しない食材なのだろう。だとすれば、千茅に心当たりがないのも頷ける。
「……なるほど、それがワッフルを上手に作る秘密なのでござるな」
 代替品のない食材なら、タロがワッフルを再現出来ないのも無理もない。逆を言えば、それさえあれば神揚でもワッフルが再現出来るという事になるが……。
「じゃ、重曹もあった方が良いかな?」
「本当でござるか!? ひょっとして高価な物なのではござらんか!」
 言われ、ジュリアも僅かに首を傾げてみせる。
「リフィリア。重曹の値段って……」
「………そう高いものではないだろう」
 もちろん、リフィリアも重曹の値段など知るはずもない。ただ、普通に調理の材料として出回っているくらいだからと、適当に見当を付けただけだ。
「……多分大丈夫だと思う。帰って聞いてみるね」


「では、ミカミさん。これは……?」
 開かれているのは、大判の書物。
「ええっと……」
 コトナが指差した所に柚那の手ずから記されていくのは、コトナの見た事もない文字である。
 丁寧なのか雑なのか、それともコトナを後ろから抱きしめているから単に書きにくいだけなのか、実のところそれすらも定かではない。
 同じ言葉でも、使われる文字はこれほどに違うのか……と、別の意味で感心してしまうほどだ。
「何だよテメェら、羨ましい事しやがって。アタシにもやらせろ」
 そんな二人の所にやってきたのは、先程まで昌達と遊んでいたエレだった。
「えー。やぁよ、コトナちゃんあたしんだもん」
「コトナはアタシんだ!」
「別に二人の所有物になった覚えはありませんが……」
 柚那の膝の上にちょこんと腰掛け、大きな本を広げているコトナは形ばかりの主張をしてみせるが、もちろんそんな事を気にする二人ではない。
「……って、何やってんだ」
 だが、エレは新たな選択肢を見つけたらしい。
 コトナ一人を取り合うのをやめ、柚那の傍らに腰掛けると……大柄な腕で柚那ごと二人を抱き寄せてみせる。
「ちょっと、離れなさいよ。あたし年上のおばさんとか興味ないんだけど」
 実際の年齢は知らないが、小さくて可愛らしい女の子以外には興味がないのだ。その点だけでも体格の良いエレは柚那の興味の対象外なのであった。
「年上の良さも知らないなんて、まだまだ嬢ちゃんだなぁ。気持ちいいコト、教えてやんよ」
「教えられるより教える方がいいのにー!」
「それより、ミカミさん。次のこれは……」
 そんな二人のやり取りを気にする気配もなく、コトナは次の項目を指し示してみせる。
「ンだ? 書き取りのお勉強か?」
 どうやらコトナの開いている本は、何かの帳面のようだった。キングアーツの文字で単語が書き並べられており、その隣に対応するように柚那の文字が記されている。
「辞書だそうです。イクス准将からの頼まれものですよ」
 もちろん、本物の辞書にはほど遠い内容の、ごく初歩的な物だ。しかしそれでも無いよりはマシだし、いずれ何かの役に立つだろう。
「それに、ミカミさんの膝にこうして座っていると、何だか楽になれるというか……ふにゃぁ……」
「……そういうプレイならいくらでもしてやるのに」
「違うわよ。コトナちゃん、身体が良くないって言うから。傷を癒やす術をね」
 勉強嫌いな柚那が使える、数少ない神術の一つだ。本来は負傷兵に使うような術だが、慢性的な身体の歪みにも効果があるとは初めて知った。
「だから、ね? おねーさんの物になろ? おねーさんがコトナちゃんの物になるのでもいいけど」
「そうですね……。この件が落ち着いて、平和になったなら……」
 キングアーツ人が神術を使えるようになるのかは分からないが、自身でこの術が使えるようになれば、少しは不調な身体も楽になるかもしれない。
「ふふっ。だったらおねーさんが教えてあげるからねぇ」
 腕の中の少女の頭を細い指で撫で回しながら、柚那は嬉しそうに微笑んでみせるのだった。

続劇

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