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15.北八楼承前 (ほくはちろうしょうぜん)

 万里達が厩舎を去った後。
 そこに遠慮なく響き渡ったのは、黒猫の性質を持つ少年の大声である。
「………ミズキ衆を解散するぅ!?」
 寝耳に水どころの騒ぎではない。
「うん。もうロマさんの許可も取ったよ」
 話があるからとミズキ衆の三人を集めたところで、いきなりの解散宣言だ。しかも昌のその物言いは、ごくごくあっさりとしたものである。
「なんとまあ、突然だな」
 少なくとも、隊を解散しなければならないような仕事ぶりをした覚えはない。
 地下に潜る事が多く、組頭までが出席を求められた評定に顔を出さなかった事も確かに少なくはなかったし、先日の宴での振る舞いが万里の不興を買ったのかとも思ったが……それらの責はムツキが負えば良いだけの話で、ミズキ衆全体の解散に繋がるのはいささか理不尽に過ぎる。
 そして、そうでないなら、理由は一つしかない。
「……姫様か?」
 万里ではなく、昌の都合だ。
「今すぐの思いつきってわけじゃないのよ。最近色々ありすぎたし、奉だけじゃなくって、もう一人くらい補佐がいても良いと思ってたしね」
 ロッセは八達嶺全体の統括も兼ねるし、そもそも男二人が補佐役では万里も心安まる暇がないだろう。
「では、私たちもナガシロ衆に?」
「正確には、ナガシロ衆に入るのは私とクズキリさんだけ。ナガシロ衆ミズキ組として、新人教導を兼ねたウラベ組と再編される事になるわ。……クズキリさんもクマノミドーさんと一緒になるから、ちょうど良いしね」
 本当は、昌も馬廻衆への転属を望んだのだ。
 しかし既に侍大将の地位にある昌が馬廻組に転属する事は出来ず、かといって降格されるような理由もなかったため、万里直轄部隊のまとめ役……といったような少々微妙な立場に落ち着いたのである。
 ナガシロ衆は現状、ウラベ組だけの少数部隊だから、その組頭は名前こそ組頭だが、実際は侍大将と同格となる。
「儂らはお役御免という事か?」
「まさか。二人は今までと同じように、偵察部隊のムツキ組として、ロマ衆に組み込まれる事になるわ」
「師匠の所ッスか!」
 その言葉に黒い猫の耳をひくりと動かしたのは、リーティだった。
「そゆこと。リーさんは前からロマさんの所で働きたがってたでしょ?」
 幸か不幸か、先日の防衛戦での臨時の指揮体勢も良い方向に働いた。もともと軍師であるロッセのもとに専属の情報収集部隊が作られるのも、そう不自然な事でもない。
 むしろ、今まで専属の諜報部隊がなかったのが不思議なくらいだったのだ。
「いや、でもナガシロ衆と師匠の所だったら……うーん……」
 確かにロッセの下で働きたいとは思っていたが、その比較対象が万里となると、それはあまりにも難しい選択だった。
 直接の指揮ではないとは言え、八達嶺を治める姫様の直轄部隊だ。馬廻衆は無理にせよ、男としては一度は付いてみたいお役目である。
「何よ。私の所だけ不満みたいじゃない」
「そういうわけじゃないけどさ!」
 慌てるリーティに昌はくすくすと微笑んで。
「……ま、何かあったら相談くらいは乗るから」
 別の地域に転属というわけでもない。厩舎では毎日のように顔を合わせるだろうし、ロマ衆ならばナガシロ衆との連携も多いはずだ。お互いの関係もそこまで変わるわけではないだろう。
「変な夢を見たとか……ね」
「もう夜ごとに夢を見るような歳でもないな。若い頃ならいざ知らず……の」
 付け加えた昌のひと言に、彼女の三倍以上の齢を重ねてきた老人は、楽しげに微笑んでみせるのだった。


 男の目の前で踊るのは、大鍋から舞い上がる米の群れ。
 宙を舞う間に油が回り、下からの火力が水分を程よく蒸発させていく。
「北八楼に行きたい……か」
 そんな見事な手並みを眺めながら、眼帯の巨漢が呟いたのは、鍋を振るタロの話を聞いたからである。
「ああ。鳴神さんって八達嶺でも偉いんだろ? 何とかならないかなぁ?」
「目付役の権力など評定を黙らせる程度のものよ。……が、俺でなくとも今の北八楼に民間人を連れていくのはいささか難しかろうな」
 いまだ調査の進んでいない北八楼は、そもそも軍の人間でさえ、上層部の許可がなければ近寄れない危険地帯とされている。先日も北八楼に向かいたいと申請した新兵が、その申し出を却下されたと聞いていた。
 そんな危険な場所に民間人を送り込むなど、仮に万里が許可を出したとしても、他の者が何としてでも止めるだろう。
「そっかー。見た事もない食材がたくさんあると思ったんだけどなー。北八楼に屋台を出せば、調査に来た人達もイイお客さんになってくれるだろうし」
 北八楼は、タロが八達嶺に来た理由の一つだった。
 外界と隔絶された空間である清浄の地は、独自の生態系を持っている事も珍しくない。それ故に、そこでは見た事もない食材が、動植物を問わず見つかる事が多いのだ。
 行商人としても美味しいが……それは何より、料理人としての彼の好奇心を激しく揺さぶるものだった。
「気持ちは分からんでもないがな。それまではここでしっかり稼いでいくと良い。……お代わり!」
 力強く差し出された皿に、炒め上がったばかりの炒飯を見事なおたま捌きで載せてやる。
「鳴神さん。次は美人のお姉ちゃんも連れてきておくれよ? そしたらたっぷりオマケしたげるからさ」
「俺の隊はむさ苦しい男しかおらんが……。そうだな。なら、次は万里でも連れてくるか」
 先日の祝いの会でも食べたが、タロの料理は文句なしに美味い。だからこそ鳴神も、わざわざ市場の屋台までやってきたのだが……。
 最近とみに元気のない万里も、これだけ美味い飯を食べたなら、少しは元気になるだろう。
「ホントかい!? 姫様連れてきてくれるなら、今日の飯代ぜんぶタダにしてあげてもいいよ!」
「ははは。北八楼が我らの手に入れば、美味い屋台を出してもらわねばならんからな。まあ、取っておくがいい」
 早速炒飯を平らげて、代金を少し多めに脇に置く。
「まいど!」
 そして。
「ああ、そうだ……」
 二杯目の炒飯で腹一杯になったのだろう。立ち上がった男は満足そうに笑い……。
「ここを万里が死ぬ夢を見た連中がたまり場にしていると聞いたのだが、どうすれば渡りを付けられる?」
 満足そうな笑顔の中。
 眼帯に覆われていない黒い瞳は、真剣な光を帯びている。


 主不在の政務の間に生まれたのは、ロッセの言葉を繰り返す奉の声。
「……万里を北八楼に?」
「ええ。最近、とみにお疲れの様子ですしね。体調も芳しくありませんし、少し休むのも良いと思いまして」
 ロッセの言いたい事は良く分かる。
 帝国の数ある前線の中でも最重要箇所と目される八達嶺を、齢十七の娘が預かっているのだ。しかも外にも内にも多くの敵がおり、肝心の開拓も巨人達のせいで進んでいない。
 その心労が、彼女を支える奉や昌達の想像さえ絶するものである事は理解出来る。
「それはいいと思うけど……大丈夫なの?」
 八達嶺よりさらに北、巨大な湖の岸辺にある清浄の地は、いまだ深部までの調査は行われていない。先日の巨人の襲来の際は別働隊がいたという報告も上がっているし、万里を休養に向かわせるのは危険過ぎる場所ではないか。
「ここしばらくムツキ組に調査させていますが、巨人達はあの戦い以来、北八楼に近寄った形跡はないようです」
 こき使われてるなぁ……と昌は内心苦笑しつつも、彼らの仕事ぶりならそれは確かなのだろうとも納得する。リーティの空からの目視もだが、地下からのムツキの探知は状況さえ見誤らなければ、十人、百人の働きぶりに匹敵するのだ。
「で、万里を連れていくのはいいとしても、いつにするんだ?」
「そうですね……」
 ロッセは机の隅に置いてあった暦を取り出し……。
「この辺りは、どうでしょう」
「…………ふむ」
 指したのは、今から半月ほど先の日付。
 それは、奉や昌が見た夢の中では、万里とアレク達が初めて出会う、あの日であった。


 青年が見上げるのは、琥珀色の霧に霞んで見える、細い月。
 この八達嶺では、澄んだ月を見る事は出来ない。周囲の薄紫の大気を防ぐ琥珀色の霧が、常に掛かっているからだ。
 無論この八達嶺を出たところで、薄紫の大気に阻まれ、澄んだ月を見る事は叶わなかったのだが。
 黒豹の脚を持つ青年は静かに懐に手を伸ばし……何かを取り出したところで気付いたのは、こちらに駆け寄ってくる猫の特性を持った少年である。
「師匠! 今日の分の報告ッス」
「助かります。ムツキはまた上がってきませんか?」
 さりげなく手の中の物を懐に戻し、代わりにリーティからの報告書を受け取ってみせる。
「もともと爺ちゃん、よっぽど用事がないと上がってこないから……。上がるように言った方がいいッスか?」
 基本的に放任主義で、細かい事を何も言わない昌の組頭をしていた頃は、老人の偏屈な悪癖も大した問題にはならなかったのだが……。
「構いませんよ。報告はきちんと上がっていますから、任せます」
 どうやらロッセという人物の実際は、はたから見ていた頃以上に抜くべき所はうまく抜いてくれる人物だったらしい。
「……そういえば師匠。さっき、懐から何か出そうとしてなかったッスか?」
 そんなロッセの些細な動きを問えば、ロッセは少し黙っていたが……。
「……ちょっとした記念の品ですよ」
 やがて諦めたように取り出したのは、瑠璃で作られた一対の指輪だった。
 瑠璃は貴重な鉱石ではあるが、少年の審美眼を目を持ってしても細工はごくありきたりな物で、そこまでの価値があるようにも見えない。
「ふぅん……。それじゃ、失礼します」
 ロッセの言う通り、何らかの記念の品なのだろう。
 リーティは両手を組んで小さく一礼すると、静かにその場を後にする。
「……ええ。ちょっとした品、です」
 そんな少年の気配が消えた後。
 黒豹の脚を持つ青年は、瑠璃の指輪に視線を落とし……自らに言い聞かせるように、改めてそう呟いてみせる。
 この世界に、沙灯はいない。
 そして彼も知らない多くの出来事が起こりつつある。
 だが、それでも……彼が目指すところは、ただ一つ。
「今度こそ上手くやってみせますよ……瑠璃」
 青年の呟きを聞くのは、天に掛かる琥珀色の月と。
(瑠璃…………誰だ?)
 気配を殺し、庭の影に隠れていた少年だけだ。

続劇

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