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14.沙灯二人再来 (しゃとふたりさいらい)

 目覚めたそいつが最初に見たのは、白木造りの天井だった。
「生きて……いる」
 それは、あまりにも分の悪い賭けだった。
 そいつの誘いに、誰かが乗ってくれる事。
 再び戦場に赴ける事。
 誰かの受けた攻撃を庇い、装甲の厚い箇所で受け止める事。
 そして何より……倒れた後に、敵方へと拾われる事。
 少なくともそこは彼のよく知る、鋼鉄製の無機質な天井ではない。生のままの木が存分に生かされた、白木造りの天井だ。
 そんな場所を、そいつは夢の中でしか見た事がなかった。
 どうやらそいつは、生まれて初めての賭けに勝つ事が出来たらしい。
 まだ鈍い痛みの残る身体で起き上がれば、身体にも大きな破損をした箇所はないようである。まだふらつく足で、格子の入った窓の外を眺めれば……。
「ああ…………ここが」
 巨大な緑の木々と、その間に建てられた簡素な建物。空には小さな鳥が舞い、はるか上空にはいつかの夢で見た琥珀色の霧が掛かっている。
「……八達嶺」
 そして。
「おお……目覚めたでござるか」
 出入り口らしき引き戸を開けて立っていたのは……。
「あ…………」
 鳶色の短い髪に、鷲の物と同じ金の瞳。
 背中の鷲翼こそないが、それは……。
「沙……灯………?」
 夢の中で過酷な運命を精一杯に走り抜け、命……いや、その存在全てを賭してこの世界のやり直しを選択した娘。
「沙灯!」
 世界で一番会いたかったその名を人工の声で呼び、そいつは少女の元へと駆け寄っていく。


 城塞前の戦いから、数日が過ぎていた。
「じゃあ、半蔵さんだけじゃなくって……ミズキさんとリーさんもあの夢を……?」
 千茅が小声で呟いたのは、八達嶺の城内ではない。
 八達嶺の民間商業区に看板を掲げた、タロの屋台の中である。屋台と言ってもちょっとした天幕が張ってあり、天幕には防音の術が織り込まれているらしく、外に声が漏れる事はないのだという。
「うん……。さすがに万里には言えないけどねぇ」
 それはそうだろう。先日の勝利で少し元気を取り戻したとはいえ、いまだ外出出来るほどではない。
 本当なら今日もこの店に連れてきたかったのだが、土産を買って帰るという約束で、昌だけがここに来ているのだ。
「爺ちゃんとあの鳴神っておじさんも怪しいんだよな。なんかいつもコソコソ話してるし……」
「それと、キングアーツにも何か知ってる人がいそうじゃない。一度、北八楼に偵察に行きたかったんだけど……」
 このまま歴史があの夢の通りに進むなら、この先には万里とアレク達の出会いが待っているはずだった。出来ればそれまでには、北八楼で巨人達の動きがなかったかを確かめておきたかったのだが……。
「……今はあそこは難しいだろうねぇ」
 そんな内緒話をしていると、それぞれの前にタロが置いてくれたのは小さな団子の入った胡桃の汁粉であった。
「そういえば、アレってどうなったんだい? なんか、巨人の中から助けられた、変な人ってのがいるんだろ?」
「耳が早いなぁ……。一応助け出したけど、ずっと気を失ったままなんだよね」
 美峰が持ち帰った巨人の中からは、鉄の部品を埋め込まれた奇妙な人間が見つかっていた。それだけなら、さして珍しい事ではなかったが……今回の点で特筆すべきなのは、その中の人間がまだ生きている事だった。
 もちろんリーティ達はそれがキングアーツの民という事を知っていたが、夢の話を公にして良いものか分からない以上、城内の公式見解に合わせることしか出来ないままだ。
「あの鉄の人が起きたら、この先どうなるんだろうな」
 首を傾げるリーティだが、その素朴な質問に昌は言葉を返せずにいる。
 実のところ、中の人間が生きていたケースは今回が初めてではない。しかしその貴重なケースも、中の人間は目が覚めた瞬間に自ら死を選ぶか、既に滅びの原野の毒に身体を蝕まれ、そのまま息を引き取るか……のいずれかだったのだ。
「……万里には、死んで欲しくないけどね」
 とはいえ、何とかなれば良い、という想いはもちろんある。鷲翼の少女が身を挺して巻き戻した世界なのだ。今度こそ、万里には幸せになって欲しい。
「あと、あの……キングアーツのアレクさんって人も!」
「そうねぇ……。あら、おいしい」
「そりゃ、キレイなお姉さんには腕を振るうさ!」
 どうやらタロの新たな店も、帝都大揚に負けない味を提供出来る事は間違いないようだった。
「何だよ、オレはついでかよ」
「……ま、キレイなお姉さん達を連れてきた事は、感謝してるよ?」
 ここまで堂々と言い切られては、リーティとしてもそれ以上つっかかる事は出来ない。
「はいはい。……みんな戦争なんかしないで、美味しい物食べて楽しくやればいいのにねぇ」
 美味しいお菓子と柔らかな寝床、後は温かいお風呂と万里がいれば、昌としては言う事はない。家系の絡みでこんな役目などしてはいるが、本音を言えば戦いなどという汗臭くて疲れるものなど、別に好きでしているわけではないのだ。
「……そうだなぁ。オイラも儲かるし、言う事ないな」
 タロもそう呟き、新たな料理を作るための材料を漁り始めるのだった。


「……そうか。君は、沙灯ではないのか」
 沙灯の姿をした半蔵の話を聞き終えて、そいつは人工の声で寂しげにそう呟いた。
「アディシャヤ殿には申し訳ない事を致した」
 そう。
 それは、赤い巨人の代わりに奉の刃を受けて倒れた巨人の駆り手……シャトワール・アディシャヤ軍曹その人であった。
「……しかしキングアーツにも、ヒサ殿の想いを受け継いだ者がいたのでござるな」
 沙灯が今際の際に解き放った神術は、あの決戦の場にいた不特定の人物に効果を及ぼしている。沙灯の存在そのものを記憶に残す誰かを見定めようと、半蔵はあえて夢で覚えたこの姿を選んでいたのだが……。
 鳴神や奉、千茅辺りまでは予想通りだったものの、まさかキングアーツからの来訪者が引っかかるとは思ってもみなかった。
「……わたし以外に何人いるかは分からないけれど、向こうにもきっといると思う」
 シャトワールが知る限りでも、それらしき挙動を取った者は数人いる。それを全体の一部だとすれば、実のところはどれほどの数がいるのかは分からない。
「アディシャヤ殿はヒサ殿にお会いに?」
「うん。ヒメロパがメガリ・エクリシア……巨人の砦に回収されたのに、中にいなかったからいても立ってもいられなくなって……」
 時を戻す代償の話は、シャトワールも夢の中でもちろん知っていた。けれど、万が一……そして夢が本当に夢だったとすれば、沙灯は生きているのではないか。
 そう、思ったのである。
「でも……やっぱりいないのだね」
 いたのは、同じ姿をした幻だけ。
「無茶な御仁でござるな。……拙者が気付かねば、どうするつもりだったのでござるか?」
「巨人に取り込まれて、こんな身体にされた神揚の民を装うつもりだったよ。……君達の基準なら、見るも無惨な有様だろう?」
 シャトワールの身体は、幼い頃に受けた事故のせいでそのほとんどが義体に入れ替えられていた。故に毛髪の類や生殖器、そして本当の声すらも失い、今に至る。
「ふむ……しばらくは、それで通した方が良いでござろう。この八達嶺でも……沙灯殿のあの術に関しては、色々と難しい事情が絡んでいるのでござる」
「色々あるのだね、神揚にも」
 キングアーツでは怪現象で済む神術も、神揚からすれば立派な技術体系だ。アームコートの中枢構造に多くの国家機密が絡むように、沙灯の使った術にもそういった物が深く絡みついているのだろう。
「とはいえ、我が主を助けたい想いは拙者も同じ。拙者も見るからに怪しかろうが、それだけは信じてくだされ」
「わたしも沙灯の想いを叶えたいと思う。……しばらくは、記憶を失った哀れな町の民を装わせてもらうよ」

 万里がその話を聞いたのは、自らの神獣の調子を聞きに厩舎を訪れた時の事だった。
「巨人に取り込まれていた方が、目を覚ましたのですか?」
 先日の戦いで、美峰が連れ帰った者の事だ。
 巨人の身体を無理矢理にこじ開けて助け出したところ、身体のほとんどを鉄の部品に置き換えられており、生存は絶望的だと思われていたのだが……。
「うん。今のところ、半蔵が面倒見てるよ」
 もともと半蔵は忍びであり、そんな下働きをする立場の者ではない。
 けれど本人の希望と、仮に想定外のトラブルが起きた時でも何かしら対応出来るだろうという所を買われ、世話役の一部を任されたのである。
「そうですか。会えません……よね?」
 万里のそんな言葉に渋面を浮かべたのは、柚那とロッセが同時であった。
「お控え下さい。本人は一切の記憶がないと言っておりますが、もうしばらく調査をしてみませんと、それが本当かどうか判断が付きません」
 人の記憶を読めるほどの高等神術が使える術者は、王都に僅かに存在する程度だ。シャトワールは貴重な存在ではあるが、そんな所に連れていく時間的余裕もないし、いくら万里が皇女でも、王都からそれほど高名な術者を呼び出す権限を持ちあわせているわけでもない。
 心の機微に長けた者達を駆使して、そこから判断を下すしかないだろう。
「そうですか……」
「落ち着けば、きっと話も出来るわよ。もう少しだけ待ってて……ね?」
 柚那としては、キングアーツの民と万里が顔を合わせる事が出来れば、事態は何らかの方向に動くだろうという漠然とした予感はある。
 しかし、沙灯の夢で事前にその存在を知っていた柚那でさえ、シャトワールの姿は異様に映るものだった。
 それを、何の予備知識もない万里にいきなり見せて良い物か……。
 その判断を下すには、確かにもう少しだけ時間が必要なのだった。

続劇

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