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11.八達嶺防衛戦 承二 (はったつれいぼうえいせん そのに)

 はるか地の底に響くのは、小部隊の進撃音だ。
 巨人達には空を飛ぶ性質を持ったものはいないらしく、その全てが地上を進んでやってくる。そして地上を進む相手であれば、彼らは全てムツキの手の上にあると言っても過言ではない。
(姫様は、あの夢の事は知らんな……)
 それら無数の音から地上の光景を見通しながら、ムツキが思いを巡らせるのは全く別の事だ。
 あの夜ほんの僅かに話した八達嶺の支配者は、まっすぐな……まっすぐであるが故に折れやすい、そんな印象を与える娘だった。彼女がもし沙灯を犠牲にし、新たな時間をやり直している事を記憶を残しているのなら……ムツキの問いに答える事はおろか、ああして戦の先頭に立つような事さえ出来なかっただろう。
 だからこそ、あの夢の中でも鷲翼の少女は言っていたではないか。
 術の存在は少女の主たる万里にさえ、秘密にされているのだと。
(もしその巻き戻しに主が巻き込まれれば、主の心が無事では済まんか……)
 恐らくはそうなのだろう。そしてその判断は、万里に対しては正しいものだと……そう、思えた。
「爺ちゃん、敵部隊を目視で確認! 数はそんなに多くないぜ。こないだ雷帝が戦ってたより、気持ち多いくらいだ」
 そんな思考に割り込んできたのは、上空からのリーティの思念だ。
「うむ。ならば、そう本営に伝えてやれ」
 新たにそう指示を送り、ムツキは思念による通信を切る。
「とはいえ、戦ってばかりでは埒があかんな」
 今のところ、概ねはあの夢の通りに進んでいる。かつての教え子が早めに来たり、増援が少しばかり多くはあったが、大きな流れはそのままだ。
「早めに手を打つべきか、それともいましばし推移を見守るか……」
 何処に分岐を生むのが良いのか。
 その答えは、八達嶺の若き主の四倍近い歳を重ねた老爺にも、すぐには出す事が出来ずにいる。


 白木造りの神獣の厩は、出陣前の喧噪に包まれていた。
 整備状況の確認をする者、装備の融通を頼む者、戦闘を控えた入念な集中をする者。……そんな中でただ一人、出陣以外の作業をしている者がいた。
「何してるんですか? ウラベさん」
「あぁ。ちょいとな」
 広げられた巨大な布に描かれているのは、謎の文様だ。
「……何ですか、これ」
 首を傾げる千茅に、美峰は偉そうに胸を張ってみせる。
「分かる奴には分かるんだよ!」
 それは、先日宴の晩に見た奇妙な夢を図にしたためた物であった。
 巨大な湖と、南北に隔てて拮抗する二つの勢力。互いを仕切る勢力の若き主達の悲恋と……その間を力の限りに奔走した鷲翼の少女の数奇な道のりと、その結末。
(気に入らねえ……っ)
 それが、夢の端的な感想だ。
 人と人が戦うならば、それはただの戦いではなく、戦争であろう。それは良い。
 けれど……互いの存在を認識出来ないまま戦うのは、愚かな自分でも分かるほどに、愚かな事だ。
「できた!」
 キングアーツと名乗った彼らの文字は神揚のそれとは違い、美峰には理解出来ない物であった。
 だが、絵なら互いに理解出来るはずだ。
 そして布に描かれた一連の絵は、美峰会心の力作であった。
「…………ええっと……」
 かつて帝都にいた頃に訪れた博物館で、千茅はこれに近い何かを見た事を思い出す。
 古代遺跡から発掘された、いまだ誰にも理解出来ない図形群。それは古代の技術を図示したものだとも、ただの抽象絵画だとも、神獣に乗って遊んだ子供のイタズラ書きだとも言われ、いまだ解読の目処すら立っていないという。
 目の前の何かは、それに大層よく似ていた。
「だから絵に決まってるだろ!」
「そんな事より出陣ですよ、出陣!」
 意気揚々とその巨大な布を金棒に結び付けている美峰を、千茅は急かしてみせる。
 敵はすぐ近くまで来ているのだ。ラクガキなどして遊んでいる場合ではない。
「そんな事じゃねー! 出陣くらいでガタガタ騒ぐんじゃねえよ! わかってらぁ!」


 厩舎の一角に姿を見せた昌の報告に、ロッセは重々しく頷くしかなかった。
「そうですか。万里は出られそうに……」
 あの宴の日以来、万里は体調が芳しくないようだった。続けざまの敗北や紛糾する評定に対する心労だというのが、昌や御殿医の共通の見解であるが……。
 いずれにしても、この戦いに出られる体調でないことだけは確かだった。
「ごめんね。私は出ようか?」
 昌の白雪は機動力重視の偵察騎で、防衛戦に向いた神獣ではない。しかしその機動力を生かして、相手の牽制や撹乱くらいは出来るはずだ。
「昌は万里に付いていて下さい。ナガシロ衆とウラベ衆は、臨時で小官が指揮を取ります」
「……了解。任せる」
 彼女の指揮する偵察部隊は、地下と上空から戦況を見渡す事が出来る。新兵の珀亜の事だけが気がかりだったが、昌が出ないなら最悪彼女も昌と同じく後詰めで構わないだろう。
「小官のクロノスもまだ調整中ですし……鳴神殿は?」
「こう肉薄されると、雷帝の火力では八達嶺を巻き込みかねん。鏡衆は使って構わんが、どうする」
 雷帝はそもそも、制圧や蹂躙戦などに威力を発揮する神獣で、拠点防衛は得意ではないのだ。
 殊に八達嶺の琥珀の霧をうっかり貫きでもすれば、その被害は想像を絶する物になるだろう。通常の味方の砦に流れ弾が当たるのとはわけが違うのだ。
「では鏡衆をお借りします。雷帝は追撃の必要があれば出して頂くとして、鳴神殿には本陣をお任せします。……奉は?」
「ああ。ラススヴィエートは、今回は出られる」
「なら馬廻衆は独自に動いて下さい。指揮は任せます」
 頷く彼の装いは、今までの白い着物からなぜか墨染めの黒いものへと変わっていた。
「焦るなよ、若造」
 それを彼なりの気負いと取ったのだろう。
 どこか心配そうに呟く鳴神に、奉は小さく頷いてみせる。
「ええ。死なない程度に働いてみせますよ」
 もちろん黒いそれは、彼の気負いの体現などではない。彼にとっては、もっと実用的な理由によるものだ。


「神獣がない!?」
 白木造りの厩舎に響くのは、柚那の声。
 もちろんそれは、彼女自身の事ではない。彼女の正面で神妙な面持ちで頷く、珀亜である。
「うむ。コボルトを持ってきたはずなのだが……」
 さすがに優理の人脈を使っても、ほんの数日で珀亜専用の神獣を用意する事は不可能だった。その代わりとして、汎用型の神獣であるコボルトを一体、調達してもらっていたのだが……。
 ホエキンには間違いなく搭載し、厩舎に預けていたはずのそれが、なぜか消えているのだ。
「ちょっと、そこのあんた! ここにあったこの子のコボルト、どこに行ったか知らない?」
「白いコボルトか? ありゃ、ニキ殿の指示でニキ衆の補充に回ったはずだけど……」
 柚那が捕まえてくれた厩舎の兵にそう問えば、返ってきたのは驚くべき答えだった。
「なんと……」
 ニキといえば、八達嶺に控える老将の一人。かつて珀亜の真の身体が健在だった頃に采配をしくじり、大きな損害を出していたはずだったが……。
 よりにもよって、その穴埋めを珀亜の神獣で行ったらしい。
「どうするの? 珀亜ちゃん」
(ヴァイスティーガも捨て置かれたままか……)
 珀牙が最期を共にした半人半虎の神獣は、珀牙の骸と共に一応は回収されていたものの、あまりにも損傷が酷く、その再生は困難なものとされていた。
 どうにかして戦場に立つ方法はないか。
 考え、巡らせた視線の先にあったのは……。
「……すまない! あの神獣は使えんか?」
 それは、白い狐の仮面を横被りに被った、ひときわ小柄な神獣であった。傷だらけのその体は出陣前の整備をされているようでもなく、出陣前の喧噪の中でぽつりと取り残されているようにも見える。
「ビャクか? ああ、そりゃまあ、誰も使ってはいないけど……」
 だが、珀亜にそう問われた厩舎の兵は、それきり言葉を濁すだけ。
「それで構わない。出せるようにしてくれ」
「けど、いくら何でもありゃ無理だ。そもそも誰にも懐かないんだから」
 だからこそ、神獣不足の八達嶺においても、いまだ誰に駆られることもなく厩舎の中で取り残されているのだ。
「……珀亜ちゃんが良いって言ってるの! 出しなさい!」
「いや、それは俺の判断じゃ……」
 柚那の剣幕にわずかに身を引いた彼に救いの手をさしのべたのは、辺りの状況を見回っていた黒豹の脚を持つ青年であった。
「どうかしましたか?」
 通り掛かったロッセは手短に事態を聞き、老将の独断に舌打ちを一つ。
 その件に関しては後の評定で糾弾することにして、小柄な神獣に目をやれば……。
「……懐いているようですね。さすが珀牙の妹君といったところですか」
 そこには、少女に従うかのように背中の搭乗口を開く、傷だらけの神獣の姿があった。
「ああ、珀牙さんの……」
「では、至急ビャクを使えるように。クロノスの調整班を回しても構いません。今は動ける騎体が一体でも欲しい」
 ロッセがそこを通りかかったのは、そもそも彼の神獣の調整状況を見に来たためだ。やはり今回の出陣は難しいという報告を聞き、出陣は諦めていたのだが……。
(……クロノス。あんな神獣、前にいたっけ……?)
 彼の言うクロノスとは、厩舎の隅で出陣とは明らかに違う作業を受けている神獣の事だろう。
 三つの頭部を持つ黒い犬に似たそれは、かつて柚那が夢に見た八達嶺の厩舎でも、一度として目にしたことがない神獣だった。そもそもロッセは武官とは言え軍師であり、彼が実際に戦場に立ったのは、あの北八楼での決戦の時だけだったはず。
「珀亜殿もくれぐれもお気を付けて。今日は昌殿は後詰めですから、小官の指揮下でナガシロ衆のウラベ組と動いて頂きます」
「かたじけない」
 ビャクの搭乗口から半身を乗り出した姿で腕を組み合わせ、頭を下げる珀亜に、ロッセも静かに返礼を一つ。
「柚那殿も出られますね?」
「ええ。ガイアースの調整はもう終わってるから」
 一度帝都に戻された姉の神獣は、調整を受けて今は彼女の神獣となっていた。もちろん出陣の支度を終え、すぐにでも戦いに臨める状態にある。

 琥珀色の霧の中から踏み出せば、その先にあるのは薄紫に覆われた禁断の地。全ての生物の存在を拒む、滅びの原野である。
「もうすぐ出陣だ。調子はどうだ」
 八達嶺の外で着々と陣形を整えながら、奉の耳に届くのは城内の本営に詰めている鳴神の声だ。
「大丈夫です。最初は俺達馬廻衆と鏡衆、ウラベ衆でぶつかるのでいいんですね」
「任せる。ぬかるなよ?」
 巨人達の数は十とそこら、二十には満たない程度だろう。諸将の神獣達もそれなりに出撃してはいるが、初手を任された部隊ほどの士気があるようには見えない。
「トウカギ殿。いかがでござるか?」
 鳴神との通信が切れた後に伝わってきたのは、傍らに控えていた小柄な神獣からのものだった。
「ああ。ラスもあまり嫌がってないみたいだ」
 奉が今駆っているのは、九本の尾を持つ白い狐。万里のテウメッサと全く同じ意匠を持つものだ。
 ただ一つ違うのは、背中に回した胴輪から下がる刃が大小一揃えの白鞘ではなく、黒塗りの大太刀である事だけだ。
「それは重畳」
 定位置に移動を終えれば、やがて薄紫の荒野の彼方に、微かな砂煙が見えてくる。
「見えてきたわよ」
 そして彼の脇に控えるのは、見慣れた黒い獅子を模した神獣だった。かつては万里馬廻衆の主将格の女性が駆っていたそれは、今は調整され、彼女の妹の乗騎となっている。
「よし……。なら、総員、ここで敵部隊を受け止めるぞ!」
 奉の掛け声に重なるのは、人ならぬ獣たちの鬨の声。
 次の戦端は、開かれたのだ。

続劇

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