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10.月宴死屍累々 (つきうたげししるいるい)

 この祝宴の主催者がいたのは、宴の隅。
 小さな庭石に腰を下ろし、静かに月を見上げている。
「どう? 楽しんでる?」
 そんな万里の傍らに腰を下ろしたのは、兎の性質を備えた少女……昌であった。
「ええ……まあ。………んむぅー」
 幼い頃からの友人の問いにどこか寂しげな笑顔で答えかける万里だが、即座に頬をぐにぐにと引っ張られ、その言葉を最後まで紡ぐ事が出来ずにいる。
「その顔、楽しんでる顔じゃないよー。もっと笑顔笑顔!」
 昌は、奉と同じく幼い頃からずっと万里の側にいた。彼女の一番の友だという自覚もある。
 けれど……。
 夢の中で見た少女なら、こんな時どうするのだろうか。
 あの世界で、目の前の娘の一番の理解者であり友でもあった、鷲翼の少女なら……自分よりももっと彼女を元気付ける事が出来るのだろうか。
 心にそんなちくりとする感覚を覚えながらも、昌はあえてその手を止める事はない。
「あぅ………もぅ。昌ったら」
 引っ張られた頬がひりひりする。ようやく解放された頬を撫でながら、万里の表情はやはり冴えないままだ。
「評定で鏡さんも言ってたでしょ。楽しめる時は楽しまないとって」
 その為の宴席でもある。名目は新兵達の歓迎だが、賑やかな席を設ける事で士気の向上と戦意の回復を図るのも、その大きな目的だった。
「……うん」
 ようやく弱々しげな笑みを浮かべた万里の元にやってきたのは、両手と尻尾にいくつもの皿を抱えた娘である。その後ろに付いているのは、やはり皿を持った珀亜だ。
「万里樣、楽しんでます? お料理、持ってきましたよー」
「ありがとう……柚那、珀亜」
「万里殿。あの…………」
 そして珀亜は何を言いたいのか、万里の前で皿を抱えたまま、しどろもどろとしたままだ。
(『美味いぞ、食え』ではないし……『やる』も違うな……。こういう時に婦人方はどうやって勧めるのだ……。普通に『どうぞ』でいいのか……? それは礼を逸した事にはならんのか……?)
 内心、珀亜は万里に桃饅頭をどう勧めれば良いのか悩んでいたのだが、それを恥ずかしがっているのだと取ったのだろう。
「ありがとう。一つ、いただくわね」
 穏やかに微笑むと、そんな珀亜の皿から湯気を立てている桃の形をした饅頭を一つ手に取り……。
「美味しい……」
 口の中に広がる甘みに、顔を綻ばせてみせる。
「昌ちゃんも一緒に食べよ。ねー」
 対する柚那は慣れたものだ。むしろ自分で食べさせるくらいの勢いで、昌にも桃饅頭を勧めている。
「うん。……へぇ、この桃のお饅頭、ホントに美味しいわね」
 やはり柚那に勧められるまま桃饅頭を口にした昌は、驚いたようにそう漏らすだけだ。


 程よく蒸し上がった桃饅頭を手に驚愕の表情を浮かべたのは、鷲翼の少女にそっくりの娘……に化けた、半蔵であった。
「これは……よもや、ホイポイ酒家の桃饅頭ではござらんか!?」
「あれ? オイラのいた店、知ってるのかい?」
 今でこそ人に任せているが、一時期はタロも腕を振るっていた店だ。
 帝都たる大揚にしかない店のはずだが、こんな辺境でもそれを知る者がいるのか……とも一瞬思うタロだったが、よく考えれば八達嶺そのものは辺境でも、兵の大半は帝都や近くの大都市である震柳から流れてきているのだ。
 帝都出身の者なら、彼の料理屋を知っている者がいても不思議ではない。
「へぇ……。なんかすげー美味いとは思ってたけど、そんな有名な店なのか?」
 中盛り程度の炒飯を美味しそうに食べながら、料理を取りに来たはずのリーティは興味があるのかないのか分からない返事をしてみせる。
「あ、そこ知ってる! 前に大揚の美味しいお菓子のお店集めた本があったよね……何て本だっけ?」
「大揚名物甘味手引草だね。あれが出てから、店も売り上げスゲエ伸びたんだよなー」
 料理屋だから、当然ながらお菓子以外の売り物もある。あれば食べるし、それが美味ければ口伝てにさらに人気が広がっていく。
 その好循環が、酒家の爆発的な繁栄を生んだのだ。
「あの本、誰が書いたか分かんないんですよね。わたしは八達嶺で読んだけど、大揚にいる時に買っとけばよかったなーって思って……」
「そうでござるかそうでござるか……それは何よりでござった!」
「別にハットリさんが喜ぶ所じゃないでしょ?」
「……まあそうでござるが」
 不思議そうに首を傾げる千茅に、半蔵は少女の顔で咳払いを一つして、そのまま誤魔化してみせる。
「とりあえずオイラ、ここでも万里様の出店許可が下りたから、しばらくはお店にいるからねー」
 少年は行商だが、料理人でもある。そして様々な理由から、しばらくはこの地に居着く事を決めたのだ。
「何と! それはぜひともお伺いせねば」
「あ、だったらミズキさんにも教えてあげないと」
「ミズキ殿は甘味がお好きなのでござるか?」
 そういえば、事あるごとに懐や袂から菓子の類を取り出していた気がする。しかもその包みのいずれも、八達嶺の名のある菓子屋のものだったはず。
 あまり細かい事にはこだわらない性格のようだったから、適当に買っているだけだろうと油断していたのだが……。
「はい。結構色んな所、食べ歩いてるみたいですよ」
(ふむ……ミズキ殿のお力が借りられれば……いやしかし、八達嶺名物甘味手引草は拙者自身の力で作り上げてこそ価値があるわけで……)
 そう。
 帝都大揚に空前の甘味旋風を巻き起こした奇書の作者は、まさしくこの半蔵・ハットリその人なのであった。無論この八達嶺でも、事あるごとに甘味屋に姿を変えて足を運び、次作の執筆を着々と進めていたりする。
「どうしたんです? ハットリさん」
「え、あ、いや、何でもござらん」
 だが、それは秘密なのだ。
 忍びたる者が公然と天下に名を晒すなど言語道断。隠れ忍ぶ者としての沽券に関わってしまう。
「……あれ?」
 そこで、奇妙な声を上げたのは、相変わらず鍋を振っていたタロだった。
「沙灯さんって、名字ハットリじゃなくて、ヒサって言うんじゃないの?」
 何の気なしに呟いたその言葉に。
「………え?」
「………なんですと?」
 千茅と半蔵は、同時に言葉を返すのだった。


 万里達のもとにふらりと姿を見せたのは、目元を厚い布で覆った老人である。
「あらムツキさん、来てたんだ?」
「美味いものが食えるとリーティに聞いてな。酒は要らんが、この年になっても食欲だけはどうにもならん」
 昌にそう言って笑う割には、手元の皿に乗った食事はごく僅かな物だ。体格に似合わず食が細いのか、それとも既に食べてしまった後なのか。
「貴方がムツキさんですか?」
 そんな老人に声を掛けたのは、昌の傍らで柚那と共に桃饅頭を食べていた万里である。
「姫様か。お初にお目に掛かる。ミズキ衆ムツキ組組頭 ムツキ・ムツキと申します」
「ムツキ組のお話は、昌から色々と聞いています。先日の奇襲の際は、ありがとうございました」
「これはお耳汚しを。………ですが、あの戦」
 皿を脇に置き、両手を組んで恭しく一礼する老人だが……。
 顔を上げたときに続けたのは、どこか重々しい言葉だった。
「誰かが無理にでも押し込めば、成功していたのではありませぬか?」
「ちょっと、ムツキさん!?」
 ムツキの視線は分厚い布に覆い隠されていて、窺い知る事は出来ずにいる。けれどその奥から溢れ出る何かは、柚那に薄ら寒い物を感じさせ、上官である昌さえも竦ませるに足るものだ。
「ご老体。無礼が過ぎるのではありませんか?」
 けれど、万里と並んでただ一人。
 老爺の見えぬ視線を正面から受け止め、引き下がらぬ者がいた。
 場の少女達の中ではひときわ線の細い、巫女装束の娘である。
「儂は姫様に問うておるのだ」
 一層強まった見えぬ視線にも、珀亜は一歩たりとも引き下がろうとはしない。
 老爺は引かぬ。
 少女も退かぬ。
「それでは……意味がありませんから」
 だが、その二人の声なき激突を止めたのは、いつもと変わらぬ少女の言葉だった。
「……少なくとも、八達嶺を預かる長として、兵の命を無駄に散らせるような事はしたくありません」
 確かにあの戦場で誰かが犠牲覚悟で突っ込めば、巨人達の積み荷には甚大な被害を与える事が出来ただろう。そうなれば、確かに巨人達の体勢の立て直しには深刻な被害を与えられた……かも、しれない。
 しかし、その選択は万里に流れるナガシロ家の血が許さないものだった。
 どうしてもその選択肢を選ばねばならない時があるのは理解していたし、事実、そんな選択を選ばざるを得なかった事もある。
「その先で倍の血が流れるとしても?」
「その先で倍の血が流れるかは分からないでしょう?」
 目の前の白虎の少女には申し訳ないと思いながらも、万里はその言葉を最後まで紡ぎきった。
 そのひと言が、会話の終わり。
 老爺は気迫を緩めないまま。
 相対する万里も、珀亜も、息を呑み込む事さえしないまま。
「ははははは。これは一本取られましたな。ご無礼、平に」
 場の緊迫を笑いによって砕いたのは、緊を作り出した老爺自身であった。
 改めて拳を片手で掴み、恭しく頭を下げてみせる。
「いえ、構いません。今後ともよろしくお願いいたします」
「では、爺はこれにて。姫様もお健やかに」

 それから、幾ばくかの時が過ぎ。
 眼前に広がるのは、戦場の跡であった。
「……これ、ほっといて良いのかなぁ」
 まさに死屍累々。久方ぶりの騒ぎで、かつ酒の入った席だったから仕方ない面はあるにせよ……それでも誰も彼もがはしゃぎすぎていた。
 そんな光景を尻目に、ため息を吐いたのはタロである。
「ま、いいんじゃね?」
 辺りに転がって大いびきをかいている美峰に厩舎から取ってきた作業用の覆いを掛けてやりながら、リーティも苦笑いを浮かべるしかない。
「師匠ももう帰っちまったし、オレも帰ろうっと」


 そして、そんな死屍累々といった有様な人物が、ここにも一人いた。
「万里。大丈夫か?」
「はい……ありがとうございます、おじさま」
 主催者だからといまだ宴の席に残っていた万里だったが、さすがに限界なのだろう。ようやく美峰の拘束を逃れてきたらしき鳴神に付き添われて、ようやく庭を後にするため立ち上がる。
「私も一緒に行くわ。今日は付いててあげる」
 反対側に立つ昌に、鳴神は小さく頷いてみせた。
 鳴神も万里を古くから知るが、所詮は男である。寝所辺りまで連れていくなら男手も必要だろうが、その先は側仕えの娘に任せた方が良いに決まっている。
「あ、昌ちゃんいいな! あたしも……」
 だが、駆け寄りかけた柚那を押し留める影が、一つ。
「控えるでござるよ、ミカミ殿」
 柚那が万里を気に掛けている事も、以前の腹心であった優理の妹である事も知っていたが、彼女自身との付き合いはいまだごく短いものだ。そんな相手を脇に置いて、万里が落ち着いて眠れるとは思えなかった。
「では拙者も」
 そう言い残して立ち去ろうとする半蔵の首に伸びたのは、今度は白猫の少女の細く長い手だ。
「ちょっと待ちなさいよアンタ男でしょ!?」
 今も少女の姿に化けてはいるが、半蔵という名前からも女性であるとは思いがたい。
「拙者に性などござらん。忍びは変幻自在でござるよ」
 だが、半蔵が鷲翼の少女の顔をつるりとひと撫ですれば、そこにあるのは男とも女とも付かぬ、驚くほどに印象に残らない顔だった。神揚帝国中の男女の顔を老若問わず無差別に集め、平均化させたら恐らくこうなるだろう……と言うほどに、普通すぎる顔である。
 さらにひと撫ですればその顔は老婆に変わり、またひと撫ですれば少年へと変わっていく。
「ず、ずるい…………! だったらあんな事やこんな事も!?」
「あんな事やこんな事がどんな事かは分からんでござるが……」
「ござるが……?」
「……多分当たっているでござる」
「ずるすぎる……!」
 ズルいなどと言う領域ではなかった。
 もはや何でもありである。
「しかし、拙者は忍び。ミズキ殿のように主と同じ布団など、とてもとても。……それでは御免!」
 どろんと小さな煙が上がり、驚いて柚那が手を離せば……そこには既に、何の痕跡も残ってはいなかった。
「まあ、万里様と仲良くなるのは、もっと時間掛けなきゃダメかぁ」
 辺りをきろりと見据えるのは紛う事なき猫科の瞳。
 狩りをする時の、すいと細まる猫の目だ。
「……だったら」
 そしてその照準は……。
「………すまん、私は用事が……」
 そんな柚那の視線に感付いて、即座に姿を消すのは巫女装束の娘である。
「あ、クズキリさんちょっと!」
 千茅が叫んだ時にはもう遅い。珀亜は屋形の奥へと消えており、もはやその声も届きはしない。
「千茅ちゃーん」
 ならば、その場に残っている少女は一人だけ。
「あ、あぅぅ…………」
 その身に、肉食獣の野生を全開にした猫娘の手が伸びて…………。


続劇

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