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6.鷲翼凋落 (しゅうよくちょうらく)

 薄紫の空をゆっくりと舞うのは、大鷲の翼。
「もうちょっと保ってくれよ……ヒメロパ」
 その女性を模した胸部の中。慎重に騎体の制御を行うのは、奉である。
(けど……本当に沙灯って子はいないんだな……)
 長らく倉庫の隅で同型騎と共に埃を被っていたヒメロパだが……あの夢の中ではちゃんとした主を得、万里を助けて縦横の働きを行っていた。
 この神獣が八達嶺に何時からいたのかは、誰も知らない。けれど彼女達が他に主を得ようとしなかったのは、時の彼方に姿を消した主を今も待っているからではないか……。
 そんな思いについ駆られそうになり……奉は慌てて意識を飛ぶ事に意識を集中させる。
「……何だありゃ」
 やがて見えてきたのは、奉の想像だにしない光景だった。
 赤い巨人達がいるのは問題ない。今までの戦いの中でもよく見かける型だったし、先鋒らしき獅子の頭を持つ巨人とは奉も以前、神獣で幾度か刃を交えた事がある。
 けれどそいつらと戦っているのは……。
 巨大な、黄金の竜であった。
 並の神獣と比べてもはるかに大きい。巨人の中では標準の大きさの赤い巨人達が、まるで子供かと見まごうほどに。
「……雷帝。何でこんな所に……?」
 その光景に茫然とその名を呟くのは、ヒメロパの後ろを飛んでいた黒烏だ。
「雷帝?」
「無茶苦茶強い神獣だよ。オレの故郷にも一度来た事があるけど……」
「……敵でか? 味方でか?」
 味方だったなら、リーティもそんな茫然とした物言いはしなかっただろう。故にそれは……。
「……シタンって国、知らない?」
「ああ……お前、シタンの出か」
 つい数年前に帝国の傘下に入ったばかりの国だ。大陸南部では圧倒的な力を誇る神揚を前には協定や併合を望む国が多い中、王族達は徹底抗戦を唱え続け、近頃の神揚には珍しく戦いで決着が付いたと聞いていた。
 神揚帝国は多くの地から兵が集まるが、まさかそんな国の出身の兵がいるなど……。
「別にその事はもういいんだ。済んだ事だし、こうやって仕事ももらえてるしね……って、奉!」
 再び注意が散漫になっていたらしい。
 ぐらりと揺れるヒメロパは、自然と高度を落としていて……。
「な…………にっ!?」
 気付いたその時、奉の眼前にあるのは、黒い影から放たれた大鎌だ。
 まさか、投擲武器の届くほどの高さまで高度を下げていたのか……!
「奉!」
 リーティが叫んだ時にはもう遅い。騎体の中程までを大鎌に切り裂かれ、ヒメロパは地表へと真っ逆さまに落ちていく。
 しかもその大鎌を放ったのは……。
(珀牙をやったアイツか…………!)
 漆黒の重装甲をまとう、鎌持ちの巨人である。
 ただ、その大鎌の投擲は一度きりだったのだろう。黒い巨人が次の手を打ってくる様子はない。それを確かめ、奉は手の内に印を結ぶ。慣れない術式に少々手間取るが……。
「リーティ、ちょっと無理する! 拾ってくれ!」
「何…………って、ちょっ!?」
 錐揉み状態で落ちる鷲翼の神獣の背中を見て、リーティは思わずその目を疑った。
 開いているのだ。
 駆り手を受け入れるための、制御口が。
「すまん、ヒメロパ!」
 その声を最後に、ヒメロパからの思念は切れた。それと同時に、ヒメロパの首あたりからいくらか小さな影が分離する。
「わああああああああっ!?」
 慌てて騎体をその影に寄せ、鞭に似た尻尾で絡め取る。周囲に神術の結界が生まれている事を神獣から流れ込む感覚で確かめてから、拾った影を自らの騎体の内へと引き込んだ。
 はぁぁ、と大きな息を吐いた影は……奉である。
「ちょっと! ……勘弁してよ。死ぬ気かよ!?」
 薄紫の世界は、人が住まう事を許さない。
 神獣の体内は滅びの原野でも耐えられる構造になっているから平気だが……本来なら先ほどのように外に出でもすれば、人の身体などあっという間に薄紫の呪いに蝕まれてしまうのだ。
「加護の術を使ってたから平気だよ。……けど、助かった」
 前線に出る神術師なら、大抵は覚えている初歩の術である。尤も、初歩の術だけあって持続時間はほんの数分。その割に消耗も大きく、こういった時にしか役には立たない気休めの術だ。
 しかし今日ばかりはその気休めが、命を繋いだ。
 まるであの時の、沙灯達のように。

「万里! そろそろ撤収!」
 ムツキから飛んできた声を昌が伝えても、黒金の巨人と切り結んでいる九尾の白狐が退く様子は見当たらない。
 確かに敵の首魁らしき黒金の巨人は、他の巨人と比べても頭一つ抜け出た技量を持っているように見えた。しかし間合を取って退く事も出来ないほど、万里と比べて圧倒的な力の差があるようには見えない。
 半蔵も、昌も、美峰ですらも、結局敵の輸送機には近付けずじまいだった。
 奇襲は、失敗したのだ。
「万里! 全滅する気!?」
「………分かった。総員撤収!」
 昌にしては珍しく語気を強めたその言葉に、歯噛みするような悔しさをまとう想いがようやく返ってきた。
 その言葉に小さく頷き、相変わらずこちらの動きを遮るように動いていた紺色の異形から大きく距離を取ってみせる。向こうも輸送部隊を守る事とこちらを追い払う事が目的だったのだろう、近寄ろうとしたときはあれだけ激しく距離を詰めてきたのに、それ以上の深追いは仕掛けてこない。
「くらいなさいっ!」
 オマケとばかりに神術で生み出した白い球体を幾つか放り投げて、後ろも見ずに走り出す。
 轟音や閃光を背後に感じながら走っていれば……やがて並んでくるのは、敵の本隊をちゃんと足止めしていた半蔵である。
「この崖を越えれば、連中は追ってこられないでしょ」
 戦場となった荒野を少し進めば、その前にそびえ立つのは神獣の数倍の高さのある崖だ。身軽な神獣にとっては大した障害にならないが、身軽さで大きく劣る巨人達にとっては追撃を阻む大きな障害になるはずだった。
「ウラベ殿! お手伝い致そうか」
 半蔵が声を掛けたのは、美峰の駆る大猿に似た重装の神獣に対してだ。昌や万里、半蔵の神獣はその身軽さで崖の上まで容易く辿り着けるが、重量級の彼女の神獣での登攀は楽ではあるまい。
「大丈夫だ、この程度余裕だっつの!」
「す、すいませーん! じゃあわたしを………ひゃああああっ!?」
 同じ重装型のオークを駆る千茅が、その代わりに助けを求めようとしたが……。
 そう呟いた時にはもう遅い。
 あっという間に後ろにいた美峰にその身を力任せに抱えられ。
「でええええええええええええええええいっ!」
 放り投げられた。
「うわ……」
 千茅の神獣は、弾道を描いて見事に崖の上へと辿り着くが……肝心の千茅の反応が返ってこない。
「………ったく。しゃあねえなぁ」
 いつの間にやら力任せに崖を登ってきた美峰は、気を失ったらしい千茅の騎体をひょいと担ぎ上げ、そのまま先陣を切って走り出す。力任せの騎体だが、その力を上手く走る動きに押し込んでいるためか、移動速度は思った以上に速い。
「……とりあえず、撤退しましょ」
 そして、残された昌達も、急ぎその場を後にするのだった。

「ちっ! 誰だあんな所に!」
 迎撃された大鷲に似た神獣の様子に、鳴神は隠す事もなく舌打ちを一つ。けれどその神獣を仕留めた黒い巨人は、全力で大鎌を放った反動で隙だらけだ。
 竜の爪で立ちはだかる赤い巨人をいなしておいて、その赤い巨人と黒い巨人が一列に並んだ瞬間、口の中に生まれた雷光を力任せに解き放つ。
「…………むっ」
 だがその雷は、黒い巨人までは届かなかった。
 その手前、獅子に似た頭を持つ赤い巨人がかざした刃で受け止められ……そしてそれに繋がる鎖付き手裏剣を通り、地面へと逃がされているのだ。
 いわば急造の避雷針である。
「むぅ……我が雷帝の雷を耐える……いや、受け流すか」
 先ほどは同じ戦い方を、大鎌を構えた黒い巨人が行っていた。巨人を駆るのが人だと言うなら、なかなかに戦の勘の鋭い相手とまみえている事になる。
「……神獣であれば一撃なのだがな。鉄の塊には少々相性が悪いか」
 神獣の身体は人や動物の身体と同じ、いわば肉の塊だ。そこに雷帝の雷を打ち込めば、その体は灼け、一瞬にして使い物にならなくなる。
 しかし金属の塊である巨人達が上手く対処すれば、その力は一撃必殺とはいかないらしい。
「ふむ。……そこの烏! 聞こえるか!」
 この辺りが引き時か。
 撃墜された半人半鳥の神獣から駆り手を回収したらしき黒い烏に、鳴神は無造作に思念を投げかける。
「我は鏡藩旗本 鏡衆総大将 鳴神・鏡! 八達嶺総大将 万里・ナガシロ殿の援護に来た者である。貴官らの何処の者ぞ!」
「オレは八達嶺 ミズキ衆ムツキ組 リーティ・リー。それと……」
 やがて戻ってきたのは、まだ幼さの残る少年の声。
「同じく八達嶺 万里馬廻衆 奉・トウカギだ。……鏡殿、主に代わって協力を感謝する」
 続くのは、荒い息を吐く青年の声だ。
 どうやらこちらの青年が、撃墜された神獣の駆り手らしい。
(……やはり、ムツキ殿の手回しか)
 リーティの名乗りに含まれたその名に僅かにぞくりとした感覚を覚えながらも、鳴神は平然とした様子を崩さない。
「……鳴神で良い。それより、向こうの戦闘はどうなった」
「もうそろそろ撤退してる頃のはずだぜ。こっちの足止めをしてくれてたなら、もう大丈夫だと思う……。うん、爺ちゃんから連絡来た。撤退してる!」
 爺ちゃんというのは、少年の立ち位置からしてムツキの事だろう。かつて鬼教官と恐れられた男がそう呼ばれて平然としているのかと、内心の驚きを隠せないまま……。
「……そうか。ならば、時間稼ぎももう良いな。総員、これより八達嶺に帰投するぞ!」
 周囲の赤い巨人達を雷光で軽く薙ぎ払って牽制すると、鳴神は自らの神獣の巨大な翼を広げ、ゆっくりと舞い上がるのだった。


続劇

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