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15.月光

 窓から差し込む月光を浴び、美しい女性は差し込む光にそっとその顔を向けてみせた。
 視力を失った生来の瞳では月の明るさは分からないが、それでも全身に張り巡らされた強化神経で月の光を感じる事は出来る。
「プレセア……?」
 そんな女性に掛けられたのは、ベッドの上から掛けられた、か細い声。耳には聞こえないが、同じベッドの上だ。僅かな振動と、シーツの擦れる感覚は伝わってくる。
 傍らに置いてあった仮面をそっと取り上げ、いつものように被り直せば……カメラアイに映し出されたのは、眠たげに目元をこすっているジュリアの姿だった。
「あら、起こしてしまいました?」
 ソフィアとエレに連れられて、なし崩し的にジュリアの部屋に押しかける事になったプレセアだが……。三人でジュリアの話を聞いているうちに、いつしか皆で寝こけてしまったのである。
「ううん。それより……今日はありがとね」
「私は通り掛かっただけですわ。お礼を言うべきは、姫様とエレちゃんですわよ?」
 そのソフィアはジュリアの傍らで。エレもベッドの下で、大の字になって呑気な寝息を立てている。
「ね……プレセアは、今までにこのメガリにも来た事があるのよね?」
「ええ」
 その話は、以前にも軽くした事があった。主計科の士官として軍の輸送部隊に所属していた彼女は、このメガリ・エクリシアにも何度か物資を届けに来た事があるのだと。
「それじゃ、私の姉さん……カレン・イノセントの事って、知ってる? アレク様の隊にいたんだけど」
「申し訳ありません……さすがに、そこまでは」
 あくまでも、プレセアが来ていたのは輸送部隊の一員としてだ。
 終わりの頃は階級も上がり、隊を率いる事も少なくなかったが……そうなればなったで、顔を合わせるのは主計士官や部隊の指揮官クラスばかりになってくる。
「ううん。気にしないで」
 だが、済まなさそうに頭を下げるプレセアにジュリアは慌てて手を振りかけて……傍らで眠っている王女に気付き、その声のトーンを慌てて落とす。
「姉さん……ちょっと気になる事、考えててさ」
 それを喋る気になったのは、散々泣いて、シャトワールがいかに良い友人だったかを語り、結果泣き疲れて眠るまで……側にいてくれた女性だったからだろう。
 彼女はそれを聞いても、決して笑いはしない。
 今は素直に、そう思えた。
「気になる事? どのような?」
「魔物の中には、食べられたわけじゃない、人間が入っているとか……」
 それは姉の意思の正確な体現ではない。
 ジュリアが夢の中で体験した事をふまえた、彼女なりの考えだ。
 魔物の中にいるのは、神の使いなんかじゃない。
 ジュリア達と同じ、人間だ。
「…………」
 それを聞いても、プレセアは笑いはしなかった。
 ただ、静かに機械仕掛けの視線を落とし……。
「……翼の生えた女の子の事とか?」
 やがてぽつりと呟いた言葉に、今度はジュリアが息を飲む番だった。
「……沙灯のことか」
 そしてプレセアの言葉を継いだのは、ベッドの下で眠っていたはずのエレである。
「エレちゃん。その夢って……」
「これ以上は内緒な。姫さんには流石に聞かせられねぇ」
 だが、そのひと言だけで十分だった。
 少なくともエレはその夢の結末……ジュリアの傍らで無垢な寝息を立てる、小さな姫君の最期を知っているという事だから。
「だったら、あの夢って……」
 一人ならば、夢だろう。
 二人なら、出来すぎた偶然だ。
「……本当かどうかは分かりませんわ。けれど、アーデルベルト君達もきっと見ているはず」
 けれど三人以上が同じ夢を見るなど……もはや何らかの要因があると疑うのが必然だった。
「二人とも、夢の中と今で、違う行動を取ってる方達に覚えはありません?」
 アーデルベルトは、輸送隊の警戒を普段以上に厚くしていた。まるで普段は起きない襲撃が、起きる事を知っていたかのように。
 そして、スミルナ・エクリシアへの急な調査活動も……。
「それなら、ククロとアーレス……」
 夢の中で、ククロはソフィア達を迎えに行こうとはしなかった。ただただライラプスの予備部品が届くのを心待ちにしていただけだ。……いや、ククロが行く気になったのは、シャトワールの話を聞いたからではなかったか。
「そうだ。シャトワールも……」
 そういえばアーレスもスミルナ・エクリシアの偵察に出たりはしなかったが、そこにもシャトワールが絡んでいた。だとすれば……。
「じゃあ、夢を見た連中がここに集まってるって事か?」
 再び涙を浮かべるジュリアを豊かな腕でそっと抱き寄せ、細い背中をエレは優しく撫でてやる。
「違いますわ」
 そんなエレの言葉を、プレセアは静かに否定した。
「恐らく……夢の中でこうして集まったから、沙灯ちゃんのやり直しに巻き込まれた……」
 夢の世界が本当に起きた事だとすれば、そこでの出来事があったからこそ、彼女たちは今その記憶を持ってこの場にいるのだ。
 この先に起こるであろう事を、別の結果へと導くために……。


 メガリ・エクリシアは、軍事施設である。
 それであるが故に、そこには様々な施設が置かれていた。
 軍務を行う棟、整備を行うハンガー、隊員の居住区……そして、懲罰を行うための営倉。
「気分はどうだ、ファーレンハイト特務少尉」
 エクリシアの地下に作られたその部屋の前で声を掛けたのは、深夜だというのに軍服姿のままの青年将校だった。
「何だよ……笑いに来たのかよ」
「悪いが、それほど暇ではない」
 部屋の中を見る気もない。
 既にこのメガリの司令官によって下された判断ならば、それに従うのが軍人だ。それ以上の事を要求出来る立場に、残念ながらアーデルベルトは立っていない。
「シャトワールの事なら、悪いと思ってるさ。けどよ……あれは、あいつが飛び出してきたんだ」
「アディシャヤが?」
 ククロの記していた報告書によれば、シャトワール・アディシャヤという人物は、極めて温厚な人物のようだった。幼い頃の事故で性も声も失った今の身体になったようだが、それを気にする素振りも見せず、それに関しての諍いの類も一度たりとも起こした事がない。
「ああ。それに、魔物の巣に付いていくって言ったのも、あいつからだ」
 それを考えれば、アーレスの発言は何ら信憑性のないものだった。
「オレはあんたら王家に尻尾を振る連中は大っ嫌いだが、死んだヤツにまで嘘はつかねえ。……ま、信じられねえとは思うけどよ」
「……そうか」
 しかし、だからこそアーデルベルトは、その言葉を信じた。
 シャトワールとアーレスの付き合いは、少なくともアーデルベルトよりは長い。そしてククロやジュリアは、その彼よりももっと付き合いが深いだろう。だとすれば、ここまで誰が聞いても分かるような嘘をアーデルベルトがつく意味はどこにもないからだ。
「ならもう一つ聞きたい。……あの黄金のドラゴンと会った時、どうしてあそこにいた」
「…………勘だよ」
 言葉が放たれるまでに生まれたわずかな間は、どう答えるべきかを迷っていた証。
「あそこを敵が通ると思ったんじゃないのか?」
 故に今度は、軽く揺さぶりを掛けてやる。
 アーレスは再びじっと考え込むように黙っていたが……。
「……笑うなよ」
 やがて呟いたのは、そんな奇妙な前置きだ。
「……そんな夢を見たんだよ。昼寝してる時にな」
「そうか」
「それだけかよ、おっさん!」
 アーレスとしては、先刻のシャトワールの件以上に口にする事に勇気を必要とした言葉だったのだ。しかしアーデルベルトの返答は「そうか」のたった一言だけ。
 むしろ、笑われるか怒られるかした方が、余程救いがあっただろう。
「俺も見たんだ。笑いはせんよ」
 けれどそのひと言は、流石のアーレスも絶句させる物だった。
「他にも何人か、同じ夢を見てる奴がいる。……恐らくは、アディシャヤもその夢を見たのだろう」
 夢の中でシャトワールが何を感じ、想ったかは既に察するべくもない。
 けれどそこで見聞きした何らかが一連の行動の引き金となったとしたら……人物像に似合わぬ行動も、ある程度の辻褄が合う。
 アーデルベルトが、襲撃など一度もなかった輸送ルートで、あえて護衛を厚くしたように。
「ちょうど良い機会だ。これからどうするべきか、じっくり考えると良い」
 そして扉の前の去り際に、アーデルベルトはもうひと言だけ付け加えた。
「……あと、俺はおっさんじゃない。まだ二十六だ」


 アーデルベルトが去った後。
 独房に続く廊下の隅に、小さく身を寄せる黒い影があった。
「…………」
 影に潜んでいたそいつが一歩を踏み出せば、薄暗い明かりに照らされるのは細い体と、真っ白な髪。
 別段何か用事があったわけではない。城内の警備を兼ねて歩いていただけである。
 しかし、彼女は聞いてしまった。
 アーデルベルトとアーレスの話す、その一言一句を。
「あの夢を見たのは……私だけでは、ないのか?」
 全ては夢だと思っていた。
 けれど、それがかつて本当にあった事であるなら……。
「………環」
 彼は、やはり壊れてしまうのか。
 親友を失い、その伴侶となるべきだった少女を手に掛け、最後には親友が最後まで護ろうとした妹姫まで手に掛けて……。
 きり、と痛む胸の理由が分からないまま、ヴァルキュリアもその場を後にする。


続劇

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